こみみかわら版バックナンバー

第110回 私の仕事は『鍼灸師』です


この道を歩む

仕事歴40年 道下 清治さん 71歳

きっかけ

十九歳の時、当時は砂利道だった庵町の国道をバイクで走行中カーブを曲がりきれず網小屋に激突。生死をさまよい臨死体験をしました。

命は助かったのですが、二年後に後遺症が現れました。ボーリング場で投げたボールが突然視界から消えたのです。眼科医に五万人に一人と言われる「視神経萎縮」と診断され、矯正は不可能と言われました。視力はほとんど無く五センチから十センチ寄らなければ顔の判別が出来ない強度弱視となり、二年間はうつ状態で引きこもり絶望的な日々でした。

その後名医のいる兵庫医科大学病院を紹介され開頭脳神経手術を受けましたが視力は戻りませんでした。盲学校入学を勧められましたがどうしても受け入れることが出来ず民間会社の障害者雇用で働きました。しかし、ある日突然会社のトイレで吐血、ストレスから来る胃潰瘍との診断でした。

その頃「克己の会」という地元の若い障害者グループとお付き合いし勇気を貰ったことで、二十七歳の時、生きる道を再考し盲学校の門を叩きました。四年間の勉学の後、鍼師、灸師、あんまマッサージ指圧師の国家資格を取得、金沢で修業し昭和五十七年塗師町で開業しました。

妻に感謝

昭和六十年に結婚しましたが、目の不自由な私と人生を歩む覚悟を決めてくれた妻のためにも、この道を究めなければと思いました。

そこで毎月金沢での研修会に通うため七尾駅近辺に住宅と診療所を求め平成元年に現在の南藤橋町に居を定めました。近年は晴眼者の鍼灸師も多く研修会もスライドで行われます。私は双眼鏡とルーペを使って研修会に参加しています。

家では妻が新聞を読んでくれ、外食してもメニューが見えずいつも二人で行動しなければなりません。私の手となり足となって、いつも明るく細やかに支えてくれる妻には感謝しかありません。



東洋医学

視力を悪くして一番ショックな事は学生時代七尾で個人優勝し、飯より好きな卓球が出来なくなったことです。

スポーツ選手が体を痛め練習が出来ず、試合に出られない悔しさが分かるので、何としても治してあげたいとスポーツ選手の治療も積極的に行ってきました。選手が完治し試合で好成績を収めたときは自分の事のように嬉しいです。

東洋医学は四千年の歴史がある経験医学で副作用が無く代表的なものが「内臓体性反射」にもとづく治療です。内臓に病気があると皮膚上の「穴」(つぼ)に現われ、そこを鍼灸で刺激すると内臓や全身の体調が良くなり免疫がつきます。風邪を引きにくくなり、血圧の調整、便通の改善、安眠等の効果があります。

お灸が適応する患者さんには、希望があれば自分で「艾」(もぐさ)を使って施灸する指導をしています。慢性的な膝の水や痛み、手指の腱鞘炎、バネ指、胃腸の調子、子供の成長痛は短期間で良くなります。

これまでにメニエル症候群、耳鳴り、痔瘻、蓄膿症、顎関節症、リウマチ、腰椎脊柱管狭窄症、ぎっくり腰、肩こり、頭痛、三日三晩続くしゃっくりも治してきました。逆子はへその緒さえ絡んでいなければ百パーセント近く治り鍼灸には不思議な力があります。

患部の皮膚、筋肉に手を当て中の状態を診ますが眼で表面を見るよりも触診力が大事です。それ故、視力障害の人が鍼灸マッサージ業に適していると思っています。

気を入れて、心を込めて、手当する。そうすることで自ずと治療効果が表れます。
自分にはこの道以外には進む道は無いのだ。やるからにはこの道を究めたい。
この思い一筋で現在に至りました。
これからも患者さんに貢献できるよう勉強し健康で頑張りたいと思います。

南藤橋町 道下治療院 ☎0120-53-3910