第112回 私の仕事は「華道教授」です。
憧れを持ち続けて
花歴47年 島崎 隆楓さん 67歳
寄り添う指導
「この花、奥行きがないね」と指導しようとしたら「先生が自由に生けて下さいと言ったじゃないですか。だから私、自由に生けました」と頑として生け直しをしない生徒がいました。
「初めから自由だけだったら稽古は要らないでしょ。基礎を学んでからの自由なのですよ」と言っても、「これでいいです」と、ずーと下を向いたままです。輪島漆芸技術研修所で華道指導の時です。芸術家の卵なので美に対するこだわりがあったのかもしれません。
そのことが私自身の指導を見つめ直すきっかけになりました。自分の経験や知識を指導するのでなく、生徒が今何を思って何を表現したいのかを聴き、共感して、問いかけ、全面的に直すことはしないで「それだったらここだけ少し直そうね」と気持ちに寄り添う指導を心掛けています。
出会い
千葉県の大学へ入学したのを機に、軽い気持ちでお花でもやってみようかと近所のお花屋さんで華道教室を紹介してもらいました。どうせなら歴史の古い池坊がいいかなってくらいだったのです。気がつけば様々なご縁を頂きながらお花と共に人生を歩むことになっていました。
最初の師から池坊お茶の水学院へ通うよう勧められました。そこでは一ケ月に一回試験があり点数を貯めます。千点になると入門試験が受けられます。入門の前に本気度が試されたのだと思います。師の元で師範の免状まで取得し帰郷しました。
その際に紹介頂いたのが羽咋市在住で石川県池坊会長の高見藤一師でした。十五年以上羽咋まで通い稽古させて頂きながら地元の公民館や学校などでも指導してきました。しかし教えるということは自分が解っていないと教えられないのです。教本もあるけど実際は葉一枚大きさも色もみな違います。とても奥が深く自分一人で悩んでいても限界があります。
それで先達の姿を見て習い続けなければと四十八歳の時、京都池坊中央教授の横山夢草師の道場にて師事することになりました。とっても厳しい先生で「いやぁー大変な所へ来てしまった」と思いました。「こんな花でよく来たね」「ごまかしの花だ」と言われても、その意味さえも分かりませんでした。隣の席の人が指導を仰ごうと先生に「見て下さい」と言うと「どこを見ろというのかね」と。私は怖くて言葉も出ず先生の顔をジィーと見ていると「僕の顔に何かついているかい?」という具合でした。
そんな横山夢草師が生花別伝の一つ、口伝中の口伝、椿三枚半を生ける場に立ち会いました。お花屋さんから軽トラ一杯分の花材が届けられ、その中からたった二本の枝を探し取りました。生け花は腕前だけでなく花材を選ぶ力も必要です。その姿から立派な先生でも思うようにいかないお花の難しさを知りました。
そこでの修行で「お花を生けるとはどういうことか」手がかりを付けて頂いたと思います。その後に池坊中央研修学院へ論文審査で入学し、研究科と特別科を修了後は池坊中央教授の伊貝玉永師に師事しました。そして六十歳の時に池坊で上から二番目の副総華督の免状を頂きました。
池坊
池坊とは京都の紫雲山頂法寺、通称六角堂のことをさします。寺伝によると飛鳥時代に遣隋使の小野妹子が入道して池の畔に坊を営んだのが始まりといわれています。
日本最古の華道流派池坊の歴史の中で、私が知りえる知識経験はほんの芥子粒くらいにもなりませんが、こんな花を生けたいと憧れの心を持ち続けて、生活の合間に無理なく楽しめればと思っております。
華道家元池坊七尾会会長 ☎57-3382