こみみかわら版バックナンバー

第113回 私の仕事は「学芸員」です。


未来へつなげる!

仕事歴27年 北原 洋子さん 59歳

七尾へ

関西でいくつかの仕事に携わりましたが、公務員の仕事は初めてで、芯から冷える寒さにも慣れず「もう無理かな…」と思ったことも。
七尾に嫁いで三十年経ちますが、最初の頃は「よそ者」という壁もありました。そんな時にふと見上げた空の青さ、道端の小さな花、海の香りと、心和む七尾の自然に癒されました。

私は子どもの頃から美術が大好きで、小学生の時、母に連れられゴッホ展で見た「ひまわり」に、子ども心にも「なんか凄いなー」と感じたことを記憶しています。また、中学一年生の時、テレビで見たロダンの「地獄の門」を見たくて、一人で上野の国立西洋美術館へ行ったことも。

高校では芸術コースで学び、大学は京都の美大に進学して油絵を専攻しました。大学を卒業後、いくつかの職を経て絵を描いて個展を開いていた頃、知り合いのお坊さんから高野山に阿字観瞑想の優秀な指導員(僧侶)がいるからと誘われるまま参加しました。

それから十か月後の平成四年十一月に、その僧侶の実家・七尾のお寺に嫁いできました。お寺の仕事を手伝うのかと思いましたが、姑が「私が元気なうちは、外で働いてもいいんじゃない」と言ってくれたことをきっかけに、七尾美術館の開館準備室に勤める事になりました。

等伯との出会い

開館準備では明けても暮れても「等伯」で、オリジナルハイビジョン番組の製作などに追われました。
等伯は能登国七尾に生まれ、三十四歳頃に上洛、千利休や高僧らと親交を結び、後に長谷川一派を率いて桃山時代に活躍した画家です。全国にある等伯作品の把握もさることながら、機械が苦手な私がハイビジョンシステムを把握するのも大変でした。そして、毎日等伯についての本を読み漁っていくうちに、すっかり「等伯」にのめり込んでいきました。

平成七年の開館と同時に七尾美術館学芸員となり、翌八年から毎年「長谷川等伯展」をシリーズで開催しています。開館して間もない頃の出品交渉では、「七尾?どこにあるんですか」と聞かれたり、小さな美術館、ましてや女性と言う事で舐められることも…。

同業者には「七尾の規模で毎年の等伯展は無謀」と言われながらも、開館十周年の「国宝・松林図屏風展」では二週間で五万七千人以上の方が鑑賞され、子どもたちの様々な感想を聞いて「つくづくこの仕事をしていて良かった」と思いました。また多くの方々の協力や、家族の支えがあって今がある。感謝の気持ちは一生忘れません。

七尾美術館

学芸員は様々な仕事をします。例えば特別展の場合、展覧会の企画、出品作品を考え展示計画作成。出品依頼に伺い、承諾後の画像使用申請、図録やパネルの解説作成。印刷物の作成に、広報はウェブサイト、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなど三十件以上です。

作品運搬の際には借用証書や点検表を持参し念入りにコンディションチェックをします。一つの展覧会でも多くの準備があり大変ですが、素晴らしい文化財や美しい作品、楽しい作品と出会えることの喜びは格別です。

そして鑑賞して楽しんでおられるお客様の姿を見た時や、感動の声を頂いた時の喜びは、学芸員冥利に尽きます。子どもたちの目が輝くのを見られるのは、とても嬉しいです。
この夏は、当館初の民族文化に関する展示で、世界のビーズ約200点を公開します。

気が付けば定年までもう残り数年。次の世代に引き継ぎを期待しつつ、まだ自分でもできる協力を続けていきたいと思っています。



石川県七尾美術館
☎0767-53-1500