第114回 私の仕事は『ころ柿農家』です。
仕事歴50年 前田トシ子さん 74才
奥深さ
母が「お前も上手になったのぉー」と言ってくれた時、「ほんとけぇー」とさりげなく返事をしましたが、内心はやっと認めてもらえたと、とても嬉しかったです。
子供の頃食べたポタポタした母のころ柿、あの美味しさは忘れる事ができません。ころ柿作りは本当に奥が深いと思っています。五十年たった今でも、あー、こうすれば良かったなぁーと思う事がしばしばで、いつも一年生だと自分に言い聞かせています。
五十年の経験といっても五十回の経験でしかありません。柿の状態や気候など毎年違うのでいつも悩みながらシーズンが始まります。一回目の出荷を終えてようやく勘がよみがえってきます。
ころ柿の里
私は生まれも育ちも嫁先も下後山です。ここではどこの家もみんなころ柿を作っていました。ころ柿の作り方はその人その人で違いがあります。
実家の母が上手だったこともあり、主人と二人で皮剥きの手伝いにいったのが始まりでした。若い頃は勤めをし、三人の子育てをしながら、田んぼもして、その上でころ柿の手伝いをするという具合でした。それでも十年を過ぎたころから本格的に一連の作業を行うことになりました。
ころ柿作りは出荷が終わるともう翌年二月頃から柿の木の剪定を始めます。柿畑での大敵は炭疽病です。ころ柿にする柿は最勝柿ですが消毒をしながら畑の管理を続けます。
秋になり実った柿を採取し、皮を剥いて紐で結んで吊るします。柿を吊るすと今度はカビが大敵です。柿を吊るす部屋は密閉し換気をしながら除湿器を入れ、強く乾燥させるため石油ストーブを焚いて扇風機を回します。このように室温と湿度を調節して柿を管理します。
ころ柿を美味しくする工程で大切なのは揉みです。二週間くらい干すと柿が柔らかくなってきます。その頃を見計らって手揉みすると柿の中の繊維が切れ水分が抜けていきます。吊るした柿も硬いものから照りすぎた柿などあり、それぞれの状態を見ながら揉みの手加減が変わります。これは勘と経験で覚えるしかありません。
この揉みを数日おきに二度、三度、柿によっては四度、五度と繰り返します。私は一つ、一つ丁寧に愛情を込めて揉んでいます。揉みながら形を整えお客様に喜んでもらえるころ柿に仕上げていきます。
おふくろの味
親も兄弟もみんなころ柿を作ってきました。そんな環境で育った私は子供の頃からころ柿を食べるのが大好きでした。私にとってころ柿はおふくろの味でもあり、郷土の味でもあります。だからヨボヨボになっても死ぬまでころ柿を作り続け、食べていきたいと思っています。
箱詰めする時は一個一個の色合いを見てグラデーションにして並べていきます。手間はかかりますが私にとっては手をかけてきた芸術作品の仕上げの段階になります。飴色の、オレンジ色のころ柿が綺麗に並んだのを見ていると食べるのがもったいないと思ってしまいます(笑)。この瞬間が本当に嬉しくこの上ない喜びを感じます。
後山名産のころ柿ですが生産者が高齢化してきたので後継者のことが心配です。嫁に行った娘が手伝いに来ていましたが、今は子育てが優先でこの先どうなるかわかりません。後山のころ柿を絶やしたくないので誰でもいいのでやって欲しいと願っています。
海洋深層水での合わせ柿も出荷していますし、今年はあんぽ柿も頑張りたいと思っています。
たかが柿、されど柿。やりたい事は一杯あり、柿は私の生きがいになっています。
中能登町下後山 前多トシ子 ☎0767-72-2349