こみみかわら版バックナンバー

第115回 私の仕事は「ふるさと再生プランナー」です


ピッと閃きパッと動く

松尾悠司さん 36才

転機

地元での働き口が少ないので県外で就職するため輪島の航空学園から山梨県の航空専門学校を経て日本航空へ就職しました。地上職で手取り三十万円以上です。しかし翌年会社が破綻し手取り十四万円になり不安を覚え起業を考えました。

日本航空を再生するため京セラの稲森和夫氏が着任し、こんなのでは八百屋も経営できないと紙一枚、軍手一枚に値札を貼って全社員にコスト意識と経営者感覚を叩き込みました。
これがとても勉強になりスピード感を持って決断することの大切さを学びました。

私は熟慮して仕事を探すより、独立できるなら何でも良いと二十五歳の時に退職し、商品を仕入れて売る転売業を始めました。
自己啓発セミナーへも通いながら経営の実態を知りたいと中小企業でアルバイトを始めます。
酒の配達、立体駐車場のスタッフ、コールセンターなど二十カ所以上のアルバイトを渡り歩き最後にたどり着いたのは飲食店でした。
この時期が一番苦しく明日電気が止められるという日が何回もありましたが、若さゆえそれも楽しく感じました。

二十七歳の時、知人から生絞りジュースの店を立ち上げるので一緒にやって欲しいと言われ、恵比寿でオープンしましたが大失敗。お店を出すということはこんなにコストがかかるのかと思いました。

そのお店には食べログや楽天など集客支援の営業が連日訪れて来ます。ツクツクというネットショップの営業が来た時、直感で「僕がそれを売りたいです」とお願いして代理店になりました。


チョアチキン

ツクツクの顧客が三百人になり会社を設立する時、高校の同級生、堀江幸佑くんが日本航空を辞めたので一緒にやろうと誘いました。

ツクツクの飲食店支援のため自分たちも実店舗をもったほうがよいとカレーとナポリタンのお店を大田区馬込にオープンしました。しかし昼間人が居なくなる住宅地で立地が悪いのに三日目で気づきました。
それでもツクツクの営業には役に立ち、お店へ連れて来て体感してもらう事で成約件数が三倍速で伸びていきました。
ただお店の売り上げが不調なので堀江くんと妻と三人で経営戦略を練りました。

お店の厨房を使ってやれる業態を考えた末、「韓国の唐揚げはどうかな」となり、コリアンタウンの新大久保へ出かけ見込み有りと判断。味は自分の口にあう大衆受けするものにしました。
三ヶ月間で準備をしてオープン!しかしコロナ禍に見舞われます。そこでデリバリーサービスを開始したらカレーの五倍売れたのです。
コロナ禍で困っている知り合いの飲食店に提供したらみんな成功したので大きな自信になりました。

噂が広がり問い合わせが来るようになったのでフランチャイズの展開を考えました。
ノリと勢いで現在、仙台から鹿児島まで七十七店舗になりましたが、将来はケンタッキーフライドチキンをイメージしています。






マンデダーラ株式会社

妻、彩花子(あかね)とは東京で知り合った瞬間からとても気が合い二週間後には一緒に暮らし始めました。
人生最高のパートナーとして頼りにしています。

アイデアがピッと閃くと堀江くんと妻は「えぇ~ッ」と言いながらもパッと動き必ず具現化してくれます。
おかげでビジネスは順調ですが、なぜかビジネスの成功に執着はありません。
それよりも大好きな七尾の将来が気にかかります。

七尾を持続可能な街にしていくことに使命を感じ本社を東京から七尾に移しました。
なぜそう突き動かされるのか自分でもわかりません。しかし自分の着地点はそこだということは見えています。

周りからダラな奴やな、と言われるようなことに挑戦していきたいと会社名をマンデダーラと名付けています(笑)。



チョアチキン食祭市場店 ☎ 0767‐52‐7071