こみみかわら版バックナンバー

私の仕事は“革職人”です。

233革職人

革職人の仕事とは


なめした皮で、革製品を製作しております。財布やハンドバック、革小物など、お客様のご要望にお応えしてセミオーダーやフルオーダーもさせていただいております。



きっかけ


子供の出産を機に、家で出来る仕事を模索していました。
そんな時、主人が革の小物に興味があるようで、中々自分好みのものがないと言うのを聞きながら、ある雑誌で女性の革職人がいることを知ったことは衝撃でした。その方にも子供がいて、生き方もかっこいいと素直に感じ、それ以上に「私もこうなりたい」と強く思ったのです。



道のり


早速、革細工のキットを取り寄せ、挑戦してみましたが、思った以上に上手くは出来なかったのです。小さな小銭入れでした。
簡単に出来ると思っていたのですが、難しかったのです。その奥深さを知り、逆にのめり込んでいきました。
最初は子供や主人の革小物を作りながら、これが仕事になればいいなぁと思っていました。



最初の仕事


お財布を作りました。最初のお客様は兄弟や友人です。そこから少しずつ口コミで広がっていきました。
当時は難しい要望だったらどうしようとの思いの中、すべて独学で手探り状態でした。今思えば、その時々に、私にチャレンジをさせてくれるお客様が絶えず居てくれたことが励みになり、今日まで続けてこれたのかなと思います。



仕事の大変さ


細かな仕事ですから、大変なこともあり
ます。
店舗販売や、web販売もしておりますから、作品を作るだけではなく、幅広く柔軟にお仕事をしていく必要があります。私たちの仕事が成り立っているのは、お客様があってのこと。
大変より楽しい!嬉しい!の方が多いのも続けていける大切な力となっています。



新しい取組み


大変ありがたいことに、主人は塗師と木工の経験がありましたので、その技術を革に取り入れることで新しい境地の製品が生まれます。オリジナルの革のi Phoneカバーなどは、主人の柔軟な発想・広い視野のおかげで世界初の革製品が生まれています。これからは主人と二人三脚で歩んで行きたいと思い、お店の名前をアイコからタソラに変更しました。田鶴浜の「田んぼと空」がモチーフです。


住所:七尾市川尻町へ8


電話:0767-68-2401


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第51回 七尾市祖浜町

233七尾市祖浜町

町名の由来

江戸期から明治22年にかけて村名が付けられたときは曽浜と書かれたそうやよ。詳しい由来はわからんけど、ここの海岸は砂浜で古墳時代から塩作りをしていてね。先祖から大事に受継いできた浜だったんで、先祖からの浜、祖浜となったんかもしれんね。

在所の歴史

縄文時代のイシノボリ遺跡があってね、多くの土器が今でも出土しとるよ。この土器で塩づくりをしとったそうやよ。 平安時代の集落跡もあってね、壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門が住み着き、開村したと伝えられとるよ。また江戸時代には、天領地となってね。隣の石崎町は漁業で栄えていくんだが、祖浜は漁業が許されんでね、塩づくりを担っていくんよ。古くから塩を作っていたんで、天領になったのかもしれんね。

在所の取組

「助け合う心」と「よい環境を子孫に残す」ことを信条に、町会運営を心がけとるよ。自分たちの住む在所は、自分たちで守っていこうということで、全世帯が協力しているんよ。 高齢者の一人暮らしや病気などで、神社や道路の整備などに参加できない場合は、出不足など徴収せず、その分担を壮青年団が出向き、協力してもらってね。昨年も原子力や津波災害訓練を町内総出で行い、津波避難道の整備も行ったよ。

在所の自慢

10月5日が秋祭りなんやが、今年は獅子頭、太鼓、天狗の面等を新調し、壮青年団が子どもたちに一ヶ月前から笛太鼓、獅子舞の踊りの練習をさせとるよ。 祭りも、奉仕作業もすべて一丸となって行うことで絆が強くなって、年寄りも若者も子ども達も一緒になって、声掛けや挨拶のできる在所なんだよ。それが最高に嬉しくて最高の自慢だよ!


喫茶 見喜

谷内見由紀さん

61歳・O型

日々忙しい毎日の中でもホッとできるコーヒータイムが大好きでした。
そのひとときをお客様にも楽しんでいただきたいと、
念願の喫茶店をオープンいたしました!

232谷内見由紀さん

夢は豪華客船で旅をしながら、ゆっくりとコーヒータイム!

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住所:七尾市西藤橋町(オークスさん隣)

お電話:0767-52-6497


はい!社長です♪-和の心 春直-

和の心 春直
春木直樹さん
43歳 B型

この夏、春直の三代目として正式に継承しました。
新社長として身震いする思いです。

日本文化の素晴らしさを多くの人に伝え、共に感動し、
着物を着てみたいと感じて頂き、着物人口を増やしたいと思っています。

232春直呉服店 春木直樹

日本人の心には「和」の世界があります。
着物に触れることで、和の世界を広げ、一層心豊かになるお手伝いができれば…と思います。


住所:七尾市桧物町2番地
お電話:0767-53-0423


七尾駅前 等伯像 青雲

232号 七尾駅前 等伯像 青雲

等伯33歳()1571年絵筆一本!当代一絵師を目指し、京へ旅たつ姿を表現しています。等伯ゆかりの京都本法事にも同じ像があり、来年3月には七尾マリンパークに3体目となる像が建立されれます。


七尾ブルドッグ女子

232号 七尾ブルドッグ女子

みんなとても明るく、楽しい”いいチーム”になっていきます。これからも仲間を大切に元気いっぱい頑張ってください。【監督】
2人の姉がバスケをしていたので私もやってみようと思い、バスケを始めました!学校や学年の違う仲間と一緒に練習し、成果が出るととてもうれしいです。【キャプテン】


私の仕事は“一級鋳造技能士”です。

232一級鋳造技能士

鋳造の仕事とは


鉄やアルミなどを溶かし鋳型に流し込んで機械の部品などを製造します。 橋の銘板も作っています。



きっかけ


私は東京生まれの東京育ちです。
東京で曽祖父、祖父、父親と鋳物を営んできた鋳物屋一家だったので、子供の頃からこの道に入るものだと思い込んでいました。



道のり


大学で金属材料工学を学び、群馬県の鋳物会社へ就職しました。その会社が鹿児島に工場を建設したので、独身の私に白羽の矢が立ち、技師として転属を命じられ、そこで4年間勤務しました。
祖父が亡くなる直前、父に「東京で鋳物工場を続けるより、どこか田舎で工場を建て、そこに順(私)をそろそろ呼び戻したらどうか」と言ったそうです。
祖父は富来町の出身でお墓もそこにあります。家族でお墓参りに来たとき、志賀町の中核工業団地の前をたまたま通りかかり、それならここで工場を建てようということになりました。私の中に能登の血が流れていたのか、それから20年七尾で暮らしています。



仕事の大変さ


私はアルミ鋳造なのですが、アルミは550度から溶け出し、700度~800度の溶けたアルミを扱います。火の前の仕事に輻射熱が加わるなか、夏でも長袖の作業服です。
工場から一歩外に出れば、真夏でも涼しく感じてしまいます。(笑)



意外な話


少量多品種の機械の部品をつくりますが、形が単純なものはありません。
まずアルミを流す砂型をつくるため、何種類もの木型が必要です。それを積木のように合わせたり、組換えたりして複雑な形の砂型を作っていきます。そうして作った砂型は、アルミ鋳造品を取出すとき、壊さなければなりません。



仕事の喜び


昔は「鋳物は巣が出来て当たり前」だったのですが、今は許されません。
勢いよく流すと空気を巻き込み、ゆっくり流すと固まってしまいます。
二人の作業で「ハイ!」「せいの!」と呼吸を合わせて仕上げていきますが、形となって現れたときは嬉しいものです。アルミは溶けているときもキラキラ輝やいています。工場に夕日が差し込みアルミと溶け合ったとき、何とも言えない幻想的な感動を覚えます。



未来


どんどん機械化が進む時代ですが、その機械の部品は手作りです。職人の誇りをもって常に良いものを作るよう努力しています。
この夏休みに子供たちを集めてアルミの置物を作る体験をしてもらいました。私が子供のとき、親の手伝いをして覚えた感動を、子供たちに知ってもらい、大変な仕事ではありますが、後に引き継いでもらいたいと思っています。


第50回 七尾市佐野町

232七尾市佐野町

町名の由来

山裾に広がる平野のことを佐野と言うらしいよ。それと、ここは隣の佐味町に本家がある家が多いんよ。門徒寺も佐味の龍光寺、氏神も佐味の八幡神社から御玉を頂いていてね。そんな事から、在所そのものが佐味の分家のように発祥したんではないかと思うね。それで、佐味の佐、城山の裾野の野、佐野となったのかもわからんね(笑)

昔と今

昔は田んぼと畑で暮らしていた在所だよ。山裾は開墾されていてね、私が子供の頃はずーと段々畑が続いていたよ。 有名な沢野ごぼうと同じ粘土質の土でね、茄子やごぼう、サツマイモを植えていたね。 薪ストーブで焼いたサツマイモは何個食べても胸焼けしないし、本当に美味しかったよ。 今はね、佐野ファームという組合を設立して、在所の殆どが参加しとるよ。 中山間地を維持する役割と在所の活性化の軸として取組んでいてね。 岩魚などの川魚の養殖も試みていてね、最近はトンボやホタルもいっぱいいるよ。

在所の取組

山裾から田園に高田川という川が流れていてね、水がとてもきれいなんだよ。 5年前にその河畔に桜の木を100本植えたんだよ。 そしたら今年から青年団が草刈してくれてね。今度は七尾一長いベンチを作って桜の名勝にしようと皆で話しているよ。

佐野の雨乞い

大正時代に日照りが続いたとき、佐野の八幡神社に近郷の在所からも沢山の人が集まってね、境内の大きな杉に櫓を組んで、その上で、あの髭の本宮神社の宮司さんが若かりし頃、雨乞いの祈祷をしたんだよ。 そしたら雨が降ってね。 みんな大変喜んでお祭り気分になったそうだよ。 その日が7月19日でね。そこから佐野の納涼祭が19日になったんだよ。

在所の自慢

何と言っても絆が強い在所だよ。世帯も少ないので家族的な町会運営でね、東湊地区の社会体育大会では昨年まで6連覇だったよ。分家した町だからみんな家族みたいもんなんだよ。


はい!社長です♪-(株)ハーツキタニ-

(株)ハーツキタニ
木谷清秀さん
57歳 AB型

東北6県の営業で、月のノルマ1,800万円・給料134,000円が私の社会人の始まりでした。
ノルマの大きさで、度々睡眠中に足がツリ、飛び起きたり、徹夜で搬入準備し、
高速で居眠りし車が大破したり、3年で免停4回と、むちゃくちゃ働き・楽しみ、
月のノルマは2,300万円までいき、退社しました。
それが今でも、私のバックボーンです。

「地道に」「遊び心をもって」「常に備えよ」が私の三指です。

231株式会社 ハーツキタニ 木谷清秀

東北は大変良いところです。
蔵王:雫石、夏のスキーの月山、海の幸・山の幸と是非、旅をしてみて下さい。



住所:七尾市国分町イ‐52-1
お電話:0767-53-2185


クリーニングサンコー

浜口早百合さん

A型

人見知りを克服できればと思い、この仕事を始めてみました。
しかし、お客様から「ニコリともしない」、「聞き取りづらい」と言われたり…。なので「ニッコリ、ハッキリ」を心掛け頑張っています。が、焦ると早口になるので、そんな時は「早いよ」とツッコンでみて下さい(ますます早口になるかも)。

231浜口早百合さん

待ち時間の間に、手作り小物を作り、飾っています。
各店に置いてありますので、是非見て下さい。

住所:七尾ベイモール敷地内

お電話:0767-53-3220


能登島鰀目町浄尊寺

231号 能登島鰀目町浄尊寺

浄土真宗本願寺派の、このお寺は、鰀目の住民の殆どがここの門徒らしい。茅葺きの鐘楼門は1746年に建立され、島の歴史を静かに見守ってきた。目を閉じて、心静かに当時を想像してみよう。


七尾市少年剣道教室

231号 七尾市少年剣道教室

剣道は修練により人間形成を目的として、「気・剣・体」の一致を求めて修行をしています。自身の成長と鍛練も込めて、子ども達の健全な成長を願って、指導をさせていただいております。【山本代表】
剣士大募集!生涯に亘り、強く正しく成長できます。


私の仕事は“自動車整備士”です♪

231自動車整備士

自動車整備士の仕事とは


車の修理・車検整備など車のメンテナンス全般を請け負っています。



きっかけ


高校3年生の時に将来の仕事として「手に職をつけよう」と考えました。
車が好きだったので、迷わず岐阜にある中日本自動車短期大学に進学しました。



道のり


卒業時に国家二級自動車整備士を取得し、愛知県のカー用品店に就職しました。
そこではタイヤとオーディオの取付けを任されました。4年間勤めましたが、長男ということで地元に戻ることになり、ホンダ販売スギフジに勤めることになりました。そこから本格的に整備に関わり、10年が経ちました。



仕事の大変さ


整備工場内は、雨風を凌げますが、外と同じ環境です。夏は暑く、冬は寒いので体調管理が大変です。それと、最近の車は電子機器で制御され、複雑化しています。故障車はまずパソコンに接続し、故障箇所を特定していきますが、それで全てが判明するわけではありません。お客様からどういった状況なのか聞いて、原因を見つけ出し、必ず修理しないといけません。
来た状態より良い状態にするのは当然であり、お客様がまた頼みたいと思ってもらえるようにしなければなりません。



意外な話


以前の車はアクセルとエンジンがワイヤーでつながっていて、その踏込み具合でガソリンの量が調整されエンジンに注入されていました。今の車はワイヤーが無く、アクセルの踏込みからドライバーの要求するスピードをコンピュータで計算し適正なガソリン量をエンジンに送るので、消費燃料の無駄がなくなります。



仕事の喜び


修理箇所を発見した時、そしてなにより、車が直ってお客様にお返しする時です。
お客様から笑顔で「ありがとう」という声が返ってきた時は疲れが吹っ飛びます。



心掛けていること


工場は常に危険と隣り合わせです。気の緩みや操作ミスで大事故につながります。知人で怪我のため整備士が出来なくなった人もいます。そのため体調管理には非常に気を使っています。特に家内が自分の体調に合わせて毎日食事に気配りしてくれるのでとても感謝しています。



未来


ホンダの整備士1級を取得しました!この仕事は経験がものを言います。修理マニュアルというものがあるのですが、そこに書いてないことを経験により積み重ねていくことが何より自信につながります。「あんたに見てもらって良かったわ!」と言われるように、これからも色々な車を修理して経験を積んで一流の整備士を目指します。


住所:七尾市八田町ロ部1−3


電話:0767-57-3550


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第49回 七尾市矢田町

231七尾市矢田町

町名の由来

古代の話としては、住民に被害を及ぼす大きな鷲を、気多本宮の神様が矢で射って退治し、その矢が落ちた場所なので矢田となったらしいよ。それと、七尾城の麓に位置して、田畑を耕しながら、城の警備の役目を担ってきた在所やと思うよ。だから矢と田で矢田郷となったんではないかなぁ。

町の歴史

大門という地区があるが、七尾城の大門があった場所でね、そこからの道を登っていけば城山展望台に出るよ。今は整備してないので草木で覆われているけどね。 閂(かんぬき)という漢字は、門に鍵をするという字だから、私の関軒という姓も、先祖が大門の管理をしとったんではないかと想像しとるよ。 子供の頃は本府中までずーっと田んぼが続いとったけど、今は団地がいくつも出来てベットタウンになっているね。おかげで今でも人口が増え続けているよ。 ラジオ体操には子供だけで100人以上集まるよ。

在所の自慢

松尾天神社、矢田神社、八幡神社とひとつの在所に三つの神社があるのは珍しいよ。どの神社も9月の最終土曜日が秋祭りでね、それぞれの氏子を廻り、矢田ふれあいセンターに集まって獅子舞をやるんだよ。 それと町会独自で毎年予算を立て、道路整備をやっているよ。道路に土地が面する家は1mあたり三千円負担してもらって工事をするんだけど、矢田方式と呼ばれているよ。

町会の取組

「安心と安全の町づくり」ということで、自主防災組織と福祉ネットワークを軸にして、様々な行事が全戸に伝わるよう組織が出来てきたね。町会役員・子供会・婦人会・明老会、それぞれの役員が一致団結して取組んでいるから、大きな町会だけどしっかり運営されていて、本当にありがたく思っているよ。


はい!社長です-株式会社 明治堂-

株式会社 明治堂
戸田一明さん
61歳 AB型

昭和6年、一本杉通りで開店し、私で3代目になります。
時代と共にお客様のニーズも変化します。
それに合わせて新商品の開発や販促方法の研究が必要です。

迷った時は、『出来るか出来ないか』ではなく『やるかやらないか』だと思います。
結果が悪かった時は自分の責任と受け止め、次に進みます。

何事もまずやってみなければわかりませんが、『案ずるより産むが易し』で、
意外とうまくいくことが多いものです。

230株式会社 明治堂  戸田一明


住所:七尾市一本杉6番地
お電話:0767-52-2422


株式会社 測機ビジネス

森井善則さん

A型

パソコンが好きで、趣味を仕事にしています。(笑)
地域に密着した新設丁寧なサービスがモットー!仕事柄運動不足になりがちだった自分を変えるため、走り始めて早4年になります。
今では100kmを超えるウルトラマラソンにも挑戦しています!

230森井善則さん

マラソンで鍛えた粘り強さを仕事にも活かし、皆様の快適なパソコンライフに貢献していきたいです。

[mappress mapid="73"]

住所:七尾市所口町リ7-3

お電話:0767-53-2345

Dolt!七尾ステーション

お電話:0767-53-2353


七尾能登島相撲クラブ

230号 七尾能登島相撲クラブ

強い・弱いに関わらず、一生懸命に取り組むのが大事!今は実を結ぶことが無かったとしても、これから必ず「やってて良かった」と思えるから頑張ろう!