こみみかわら版バックナンバー

第69回 中能登町 廿九日(ひずめ)

251 中能登町 廿九日(ひずめ)

在所名の由来


珍しい地名でね、町史にも諸説あるけど、ここは新庄、在江、川田という在所に挟まれていて、江戸時代初期に出来た在所なんだ。隣の在所は平安から鎌倉にかけて荘園として開墾されているから、ここは開墾に適さない外れの土地だったんだね。それでも江戸時代になって人が住むようになり、田を開墾していくんだが、田に水を引くのもままならず、小川から桶で水を汲んで田に入れたと伝わっているよ。そんな田んぼだから収穫量も少なく年貢に四苦八苦し、毎年暮れの二十九日にやっと納めていたんやと。それでこの在所をにじゅうくにちの廿九日(ひずめ)というようになったという説に、頷いているんだよ。



昔と今


多くの人は農業しながら七尾方面へ勤めていたよ。機場も五軒あったけど今は建物だけ残っているよ。だんだん世帯も減っていき四十世帯を割った時、祭りも出来なくなってね、
一旦中止した時期もあったんだよ。それが二十年前に在所の神明の山を開いて宅地が開発され、近隣の在所から若い人が移り住むようになり世帯も倍近くに増え、今では小中学生で三十人程いるんだよ。それで平成十八年に祭を復活することが出来たんだけど、これはとても大事なことだと思うよ。昔は在所の人みんなが子どもの顔や名前がわかっていたけど、近年は同じ在所でもお互い顔を知らないってこともあるからね。七尾の駅前で廿九日の年寄りと子どもがお互い知らん顔じゃ寂しい話だよ。声をかけたり、挨拶できて同じ在所に暮らしてる意味があると思うね。そういう絆が出来るのが在所の祭りじゃないかと思うんだよ。



在所の自慢


若い人には、在所のしきたりも知ってもらいながら、若い人の考えや力も十分に発揮してもらい、まとまっていかないとね。後発の在所で先祖は苦労の中、力を合わせてきたんだし、今また神明の山を開き、来たりし仲間と共に力を合わせ後世に繋いでいく、それが廿九日の歴史なんだよ。