こみみかわら版バックナンバー
第71回 中能登町 武部
在所名の由来
在所の建部(たけべ)神社の祭神が倭健命(やまとたけるのみこと)をお祀りしてあってね、いつの頃からか合祀神社となって今では倭健命ほか六神を祀っているんだよ。昔、多茂城という城があって、城主の祈願所でもあったというから、重要な神社だったんだね。それで在所名も神社の名前を頂いて武部となったと伝わっているよ。
昔と今
昭和三十年代は養蚕が盛んでね、桑畑の中を通って小学校へ行ったよ。口を紫色にしてね(笑)その後、織物が盛んになって、機場の音の中に在所があるようだったよ。三十軒くらいあったと思うよ。その頃は商店も道路沿いに十七軒あってそれなりに活気があったね。近年はこれという産業はなく、農家と近隣に勤めてる人が多いよ。田んぼが多いけど、水が通らない在所なんだよ。山からの水は隣在所の二宮川と石塚川に流れ込んでいてね。ため池も五つあるけど、それでも平成六年の大干ばつの時は赤浦潟や邑知潟からミキサー車で水を運んだけど田んぼは真っ赤になってしまったよ。そんな事があったんで灌漑用の井戸を掘ったんだよ。そんな経験があるので、農地は基盤整備しておきたいね。米価が下がっても農地がしっかりしていれば打ち手はあると思うよ。
在所の自慢
子ども会、青壮年会、女性会、長寿会、どれも公民館事業として連携するから横の繋がりが親密なんだよ。六月の防災訓練も百四十名の参加があって嬉しかったね。次は八月一日の鹿島小学校開校記念の祝賀パレード、翌二日の町祭の前夜祭に中高生から三十五歳までの武部獅子舞保存会三十五名が参加するけど、この子らが在所の宝物だと思っているんだよ。よかったら見に来て下さいね。
『輝け!郷土の星』 陸上3,000mの町 桟吾くん(田鶴浜中3年)
8分58秒16で見事優勝!
5月に行われた石川県陸上選手権国体予選少年B(中学3年生と高校1年生)で優勝した桟吾くん。9分を突破した瞬間だった。中学生で9分の壁は更なるステージへの登竜門なのだ。陸上を始めたのは小学校2年生から、キッカケは、毎日一緒に遊ぶ仲良し3人組、2人は陸上の城山アスリートクラブに所属し、時間が来ると田鶴浜中学校グラウンドへ練習に出かける。1人残される桟吾くんはいつも寂しい思いでいた。そんな桟吾くんに友達が見学に来ないかと声をかけてくれた。ユニフォーム姿で練習している友達の姿がとてもかっこよく、1人でつまらない思いをしているのならここでみんなといっしょに走りたいと思った。練習は1周400mのグラウンド5周することから始まった。「正直キツイと思った」「たいそかった」それでも友達も一緒だから頑張れたという。
勝負へのこだわり
6年生の時チームが駅伝で石川県1位になり全国大会へ出場、結果は31位だった。「くやしい!」勝負へのこだわりが目覚めた大会となる。それから朝練習を始め、ほぼ毎日30分父親に伴走してもらう。すると記録が伸びてきた。中1の県大会では記録は9分46秒65、これでは6位入賞すら出来ない。しかし記録に悔しさを感じたという。順位より記録をいかに伸ばすかだ。山口監督は中長距離は持久力とスピードが必要だと話す。持久力はコツコツ練習すれば良いがスピードは天性の素質も必要だという。練習では生徒の走りを見ながら監督の檄が飛ぶ。よほど心が強くないと挫けてしまう程の檄だ。大丈夫かと心配になる。泣きながら走っている子もいる。桟吾くんにも容赦なく飛ぶ檄。それにしっかりと応えて走る。何が辛いか聞くと「監督に怒られることです」と笑顔で即答。監督との信頼関係は厚い。グラウンドを20周した後、すぐに1周400mを全力疾走だ。これはきつい!子ども達は今にも倒れそうな顔と息をして戻ってきた。そしてすぐに筋トレと続く。
去る6月27日の県大会、悪天候だったが全国大会出場の標準記録8分59秒00を目指した。結果は9分2秒64、ラスト100mのデットヒート、3位だった。「悔しかったけど今度は負けません。記録を出せば順位は付いてくるし、負けてはいけない相手は自分自身なのです」と新たな決意をした。
地域力
昨年、全国中学駅伝で8位入賞を果たした。「今までで1番嬉しかったことです」と桟吾くん。田鶴浜中学陸上部は過去にも長距離で全国入賞者を何名も輩出している。いまや長距離の名門と言えるだろう。これは指導者・家族・地域が一丸となって選手を励まし育てていく伝統があるからだ。優秀な選手を各地から集めるのでなく、ごく近所の普通の子ども達がよき指導者・家族・地域の励ましがあればトップアスリートとして育っていくのである。子ども達の才能は計り知れない。
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はい♪社長です -きゅうみずテント-
きゅうみずテント 久水 与志信(きゅうみず よしのぶ)さん
67歳 B型
テントの世界は奥深く、ミシン掛け3年、一人前15年の職人の世界です。
父親が師匠ですが、教えはなく、見て学ぶ世界です。
おかげで能率や仕上がりを四六時中考える習慣がつきました。
経営を引き継いだ時、仕事が来なくなり正直焦りました。
その時はじめて技術だけでなく、お客様を大切にしていた
親地のおかげがあったのだと気付きました。
年を重ねるについて、紹介の仕事も増えて本当に有難く思います。
相棒の機械や工具にも「今日も頼むね」とポンと手を添えて仕事を始める毎日です。
住所:七尾市津向町ト部10番地1
お電話:0767-52-2448
幼保連携型 認定こども園 ひまわり
都 由紀彦さん(みやこ ゆきひこ)
40歳・A型
子ども達と楽しく遊ぶことを仕事にできるなんて、こんな素敵な仕事はない!と思い保育士になりました。
園長になって3年目になりますが、日々子ども達の成長を近くで感じ、保護者の方と一緒に子育ての喜びを共有できることに幸せを感じています。
子ども達がのびのび、生き生きと過ごせる園になれるよう、頑張っています!
「園長先生みたいになりたい!」と言われる先生になりたいです!
住所:七尾市千野町は7番地1
お電話:0767-57-2800
七尾地域女性団体のみなさんです♪
わくらの郷公園
第70回 七尾市 湊町(二丁目西部)
在所名の由来
湊町は一丁目、二丁目の東部、西部と三つの町会に分かれているんだけど、町名の由来は、ずばり七尾の港の中心だったからだと思うよ。明治時代に七尾県から石川県に移ったときに湊町一丁目、二丁目となっていて、戦時中に二丁目が東部と西部に分かれたようなんだ。
昔と今
昔は桟橋があって、回船問屋も数件あって賑やかだったと聞いているよ。私が子どもの頃、崎山方面へ向かう焼玉エンジンのバスの始発が湊町でね、クランクを回してエンジンをかけていた光景を覚えているよ。昔は八十世帯あり、小学生も二十人以上いたけど、今は高齢化率四十三%で小学生も三人だよ。二〇四〇年問題で人口が減って、町会運営も益々難しくなることを思うと、今はまだ良いと思わないとならないね。ここは海抜が低いので満潮時に大雨が降れば水が海に流れないので水浸しになって苦労しているよ。市は地域で出来る事は地域でということで、支え合いマップを作成して町会で支え合う体制を作っているけど、老人同士で助け合う時代になっているね。まずは向い三軒両隣仲良く支え合うことからだよ。
在所の自慢
何と言っても祇園祭りだよ。京都八坂神社の流れを汲んでいて東の奉燈祭りとも呼ばれ十一町会が参加する夏祭りだよ。昭和三十六年に二間半の奉燈を作ったけど、翌年にはそれを売って更に大きいものを作ったんだよ。若い衆に勢いがあったね。食祭市場に置いてあるのがその奉燈だよ。平成三年に現在の高さ四間、朱色の奉燈を作って、ユッサ、ユッサと揺れる姿に町民は誇りを感じて毎年楽しみにしているよ。
田鶴浜陶芸工房-市民講座-
袖ケ江保育園の年長組さんです♪
私の仕事は『健康管理士』です
健康管理士の仕事とは
特定非営利活動法人日本成人病予防協会の認定資格で、健康管理や予防医学の知識と意識を普及する仕事です。
きっかけ
私は料理が好きで調理師の資格を持っていたのですが、結婚、出産、専業主婦を経て二十六歳の時に七尾ヤクルト販売に入社しました。すると社長から、ヤクルトは健康を推進する会社なので、健康管理士の資格を取得するよう勧められたことがキッカケです。
道のり
ヤクルトレディーと一緒に企業を訪問し健康推進の啓蒙をしていました。当時は健康管理を啓蒙するといっても、どちらかといえば商品説明と関連した内容になりがちで、私自身が深く健康管理について思い入れがあったわけではありませんでした。その頃まだ料理の思いが捨てきれず十年勤めたヤクルトを退職し北陸銀行で昼食の献立の仕事に就きました。少しでも美味しいものをと地元の食材を選び、料理に工夫をこらし色々なレシピを考案し毎日が充実してきた矢先、交通事故に遭いました。追突され頚椎損傷で一年間動けず、その後に手術、療養で二年間過ごします。突然の事故で一瞬にして夢も希望も失ってしまいました。怪我の痛みや痺れは今でも完治せず、精神的に落ち込み悩んでいました。そんな時主人の伯母が健康セミナーに誘ってくれ、そこで改めて日々の健康管理の大切さを知ります。痛みや精神の不安で薬依存症になっていましたが、お薬も必要以上に飲む必要はありませんし、一度薬に頼ってしまうと、断つことがとても辛いのです。やめること自体が不安になり、それで夜も眠れなくなるという具合です。そんな状況を抜け出せたのも健康管理士による講演を聞き、私自身が健康管理の大切さを身を持って体験でき、そして健康管理士として働きの場があったことです。
意外な話
高齢化が進む中で介護保険料や医療費が増えています。保険料基準額で石川県は全国六位で、その石川県の中で七尾市は五位なんです。長生きしても病気で薬漬けになっていてはせっかくの人生がもったいないです。毎日しっかりと健康管理を行い病気を防ぎ、健康で過ごすことが自分のためでもあり、社会のお役にも立つのですね。
これから
健康管理士は認定制度ができて二十二年経っていますが、専門の職業としている人は少数です。どちらかといえば、地域、学校、家庭、医療福祉施設内での健康管理指導をしたり、健康・食品関連の会社の社員教育や営業ツールとしての健康指導として活用されています。ヤクルト時代に取得した資格ですが、ブランクがありますので、もう一度学びを深めて健康セミナーで講演できるようになり、一人でも多くの方に健康な生活をしていただければと願っています。
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久志伊奈太伎比咩神社(くしいなだきひめじんじゃ)
フィットネスガレージななお
第69回 中能登町 廿九日(ひずめ)
在所名の由来
珍しい地名でね、町史にも諸説あるけど、ここは新庄、在江、川田という在所に挟まれていて、江戸時代初期に出来た在所なんだ。隣の在所は平安から鎌倉にかけて荘園として開墾されているから、ここは開墾に適さない外れの土地だったんだね。それでも江戸時代になって人が住むようになり、田を開墾していくんだが、田に水を引くのもままならず、小川から桶で水を汲んで田に入れたと伝わっているよ。そんな田んぼだから収穫量も少なく年貢に四苦八苦し、毎年暮れの二十九日にやっと納めていたんやと。それでこの在所をにじゅうくにちの廿九日(ひずめ)というようになったという説に、頷いているんだよ。
昔と今
多くの人は農業しながら七尾方面へ勤めていたよ。機場も五軒あったけど今は建物だけ残っているよ。だんだん世帯も減っていき四十世帯を割った時、祭りも出来なくなってね、
一旦中止した時期もあったんだよ。それが二十年前に在所の神明の山を開いて宅地が開発され、近隣の在所から若い人が移り住むようになり世帯も倍近くに増え、今では小中学生で三十人程いるんだよ。それで平成十八年に祭を復活することが出来たんだけど、これはとても大事なことだと思うよ。昔は在所の人みんなが子どもの顔や名前がわかっていたけど、近年は同じ在所でもお互い顔を知らないってこともあるからね。七尾の駅前で廿九日の年寄りと子どもがお互い知らん顔じゃ寂しい話だよ。声をかけたり、挨拶できて同じ在所に暮らしてる意味があると思うね。そういう絆が出来るのが在所の祭りじゃないかと思うんだよ。
在所の自慢
若い人には、在所のしきたりも知ってもらいながら、若い人の考えや力も十分に発揮してもらい、まとまっていかないとね。後発の在所で先祖は苦労の中、力を合わせてきたんだし、今また神明の山を開き、来たりし仲間と共に力を合わせ後世に繋いでいく、それが廿九日の歴史なんだよ。
北大呑公民館-加賀ゆびぬき教室-
はい♪社長です -たかご電機-
わんぱく相撲 七尾大会 入賞者のみんな
『輝け!郷土の星』 体操の大野木 拓くん(鹿島小5年)
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