こみみかわら版バックナンバー
第65回 七尾市 巴町
在所名の由来
水が渦巻く家紋の紋様が巴でね、この在所は、 昭和26年に本府中町から分町した町なんだけど、駅の近くで、戦後の復興に合わせて住宅、商店が密集していった時期と重なり、火災から町を守るという願いを込めて名づけられたと聞いとるよ。
巴町の歴史
ここは住所も地番も本府中町なんだけど、七尾駅の近くなので、戦後の復興期に公共施設や商店が出来てきて当時の新興居住区として整備されていったんだね。 そんな経緯の中で分町に至ったんだと思うよ。
当時は、鉄道診療所や逓信診療所、税務署、それに牛乳工場もあったし、いろんな商店も並んでいて賑わいがあったけど、時代と共にマンションやアパートに移り変わったよ。
面積が小さい町なんだけど、人口密度は七尾一かもしれんね。
在所の取組
新しい町なので住人が心を合わせていくものが必要だと言うことで、初代の町会長が屋形船の山車を作ってね、八月に子ども達を乗せて鉦太鼓を鳴らして町内を練り歩くんだよ。
64年経った今もこの在所は新興住宅地としての特性が進行形でね。
毎年新しい人が出入りするんだけど、子ども達を通して繋がりが出来ていくんだね。
やっぱり、人が住むところには集まる場所が必要だということで、三年前に仮設だけど集会所を建て、それに合わせて巴元気クラブも結成して、毎月一回集まって親睦を深めているけど、お世話する人、される人、こうやって絆が深まっていくんだね。
在所の自慢
矢田郷の運動会では上府中町と山王町と組んで山王森のチームとして出場するけど優勝の常連チームだよ。これは若い人が多いということなんだよ。
新しい町だけに、自分達で町の歴史を刻んでいかなければならない使命があるけど、将来を託していける若い人材が多いことが自慢かな。
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はい♪社長です-大森農園-
七尾東部中学校 男子バレー部
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私の仕事は『一級 水先案内人』です
水先案内人の仕事とは
外国船が出入港する際に、その船に乗りこんで、船長に代わって操船を指示する仕事です。 このことを専門用語で嚮導(きょうどう)と言います。
きっかけ
私は岡山県出身で、外国航路の船長でした。 アメリカ、南太平洋、東南アジアの国々へ、トヨタ クラウン五千台を積載し、輸送していました。 港では、可航水域や潮流などの港湾事情を知らないと安全な航行が出来ませんが、港に精通した水先案内人のおかげで安全に出入港できます。 ロサンゼルスのロングビーチの狭い航路を若いパイロットと嚮導したとき、その見事さに「凄い」と思い、私も各国の船長に頼りにされる水先案内人になりたいと思いました。
道のり
船長経験者ということで一級水先案内人の道を進みました。 座学三ヶ月、実習六ヶ月を終了して国家試験を受験できます。
試験では自分が働く港の海図を白紙に書き込みます。 私は七尾港の海図を百枚以上練習しました。 そうすることで海の底が見えてきます。 合格してから更に一年ほどの見習い期間があり、ようやく独り立ちできます。 この資格はその港だけに通用する資格になります。
船長経験がない場合は二級・三級の道もありますが、操船できる船舶の大きさが制限されます。
意外な話
水先案内人は平清盛の時代から存在しますが、現在の形態になったのは明治初期からです。 我々は通常パイロットと呼ばれます。 パイロットと言えば飛行機操縦士を連想しますが、実は水先案内人が先だったのです。
大切なこと
船に乗り移る瞬間です。 航行中の船舶に、パイロットボートで接近して、船体に掛けられた梯子に飛び移ります。 大きい船だと九メートルくらいを登ります。 七尾港の場合は岸から十八キロ、一時間ほど沖合いで乗船します。海が荒れていると、転落や、船体に挟まれて死亡事故に繋がることもありますので、ジムで筋力トレーニングと十分な睡眠を心がけ体調管理をしています。
喜び
船長は同じ船を操船しますが、パイロットは毎回船が異なります。 船の性能や癖・積載量など船長から確認し、天候や風向きを読み、速度・アンカーを打つタイミング・タグボートへの指示など、毎回緊張感があります。 無事接岸し、船長の 「Good Job Thank You !」 の一声で、水先案内人の仕事を果たしたという安堵感に包まれます。
これから
水先案内人は船長経験者しかなれなかった時代がありましたが、現在は海技系の高専や大学を卒業すれば道が拓かれています。 七尾港には三人のベテランパイロットが居ますが、将来を担う若き水先案内人が誕生することを願っています。
滝尾日輪舎(たきおにちりんしゃ)
はま寿司 七尾店
はい♪社長です-イル ピアット ハタダ-
いろり火の会(読み聞かせをしよう!)
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第64回 中能登町 新庄
在所名の由来
この辺りは、平安から鎌倉にかけて荘園として開墾されているんだよ。 その荘園の拠点がここでね。 荘園は庄園とも書いて、それで新しく出来た庄園、新しい庄、新庄となったと言われているよ。
在所の今昔
元来、農業で生計を立てていたけど、 昭和30年代から俗に言う「八台機場」の織物業も盛んになって30軒程あったけど、オイルショック以降、みんな辞めちゃってね…。 新庄は昔から防災意識の高い在所でね。 両脇を流れる二本の川は、耕作には大事な川なんだけど、洪水の被害も大きくなってしまうんだよ。 特に石塚川は天井川で川底が田んぼより高くて、子供のころは雨が降って水位が上がると、太鼓を鳴らして警戒していたよ。 今は河川改修が進んで石塚川の一部を道路に変える工事中だよ。 それと防火対策も昔から徹底していてね、農業用ため池を利用していざと言う時にその水が在所中に張り巡らせた防火用水路に流れるようにしてあってね、更に在所の真ん中には昔からの半鐘が今も設置してあるよ。 そんな伝統があるので、自衛消防団も組織されていて消火栓の点検や夜間パトロールなど実施しているけど、お金をかけずに、身の回りの細かな事をしっかり取組むことが大事やね。
在所の自慢
曳山が豪華絢爛でね。本来は氏社に慶事があった時、お祝いに曳いていたけど、近年は鳥屋の曳山として町祭に勢揃いし、雄姿が復活して喜ばしいよ。 それと信仰が厚い在所で太子講、同士講、若い衆恩講、地蔵祭りなど伝統があって、仏事や祭りを軸に在所がまとまっているのは本当にありがたい事だよ。 在所の神社には歴史をずっと見続けてきた樹齢約八百年の大杉が二本あってね、この大杉に恥ずかしくないように在所をしっかり守り続けなければ…と願っているよ。
第63回 七尾市桧物町
在所名の由来
この町は前田利家が城下町を築いたときに、19人の曲げ物職人を住まわせて、桧(ひのき)の材料で、弁当箱や菓子箱、桶、柄杓など、当時の日用品を作らせていたんだよ。 城下の町名は職業に由来することが多いからね。
昔の桧物町
私が子供の頃は、まだ曲げ物屋さんが何件も営んでいたよ。 そのころは日用品から葬祭品になっていてね。 昔、葬儀は在所全体でお世話をしていたもので、どこそこの在所はどこの曲げ物屋というふうに繋がりがあってね。 近郷の在所の人がよく出入りしていたよ。 それと、中の棚(なかんたな)という 一角があって、ここには呉服屋が多く並んでいたんだよ。 呉服の反物は貴重なもので、七尾港から入ってくる反物を保管する蔵を港の近くに建てる必然性があったんだろうね。 御祓川沿いには白壁の蔵が何棟も建っていたよ。 そんななごりで、七尾市も「しるべ蔵」という街づくりの拠点をここに作ったんだね。 それと御祓川を挟んで御祓校下と東部校下に分かれるんだけど、生徒数のバランスをとるため、桧物町と大手町、神明町の子供は御祓校下に通うことになったという歴史もあるよ。
これから
ご商売の家方が多いので、御祓川を中心に市街地活性化の視点で取組んでいてね。 「みそぎ川大通りを花と緑で彩り隊」を結成してプランターの設置をして、皆で水をまいたりお世話しているんだよ。 それと桧物町は、今年100周年の 「のと信本店」のお膝元なので何かとご協力いただいていて大変感謝しています。 小さい所帯なのでみんな仲が良く、助け合い、それでもってプライバシーを侵害することもなく、程よい距離感で付き合いをしている、なんとも心地よい在所だよ。 それがなによりだね。
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「滝尾小学校よ 永遠に!」
「元気いっぱい”北星っ子”らしく頑張っていきます!」
豊川隋道(ずいどう:トンネル)
ジュエル石田
はい♪社長です-株式会社 エヌテックス-
en 縁(異業種コラボサークル)
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私の仕事は『税関の所長』です
税関の仕事とは
外国から輸入される品物に公平に税金をかけることと、麻薬や拳銃、コピー商品などが国内に持ち込まれないようにする仕事です。 税関は財務省所管で全国に9箇所あり、七尾港は大阪税関の管轄区域です。
きっかけ
海が大好きで学生時代はヨット部に所属していました。 公務員を目指した時、少しでも海に関連する方面と考え、各省庁の内容を調べる中で、税関という仕事にシンパシーを感じ採用試験を受けました。
道のり
税関の仕事について3年目に本省(当時大蔵省)勤務を命じられ、まったく畑違いの金融関係での勤務になり銀行業務の検査監督の仕事をしました。 法令を覚え、詳細な数字を検証しつつ、激動していく政治や経済の動きに合わせて金融行政も刻々変化していき、そんな仕事に8年間携われたおかげで、様々な視点で事柄の本質を見極めていく重要性を知り、またその感性が養われたと思います。
その後、大阪での勤務となり、輸入品の申告価格をごまかす脱税業者の取り締りに当たりました。そして昨年7月七尾に着任したところです。
意外な話
不正薬物や拳銃などは、X線や麻薬探知犬などを使い水際で取締りますが、関税については申告に基づくため罪悪感が少ないのか過少申告して脱税する業者がいます。
一旦は物流に支障が出ないようにと通関させますが、事後に調査し国税査察と同じように徹底して追及します。
これは税の公平性を守るための重要な業務なのです。
七尾港では
七尾港には年間150隻~200隻が入港しています。 ロシアからは木材、オーストラリアから石炭、サウジアラビアなど中東から液化ガスが輸入されます。
ロシアの船員で英語が話せる人が少ないので、早くロシア語を習得しなくてはならないのですが正直大変です。 それと今年1月、志賀町に北朝鮮の漁船が漂流して来ました。 1名の漁師が乗っていたわけですが、日本国内に入ってくる物に対しては必ず水際で検査をします。 その時は発見と同時に早朝にかけつけ、船の中と所持品の検査を行いました。
これから
昨年、全国で不正薬物の押収量が600kgありました。 また石川県の貿易額は輸出1850億円、輸入1750億円でほぼ均衡しています。 これらの貿易統計を出すのも税関の仕事です。
複雑化する国際情勢の中で、貨物の通関、関税等の徴収、薬物等の取締りを通じて国益を守り、日本の発展に寄与していく覚悟です。
そしてご縁のあった七尾市のことをもっと知って七尾の良さを伝えたいと思っています。
住所:石川県七尾市矢田新町ニ173
電話:0767-52-0689
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- 税関の所長
- 金沢税関支署七尾出張所
第62回 七尾市黒崎町
在所名の由来
ここは灘浦海岸で緩やかに海に出た岬でね、岬の海岸に昔は大きな黒い岩が林立していてね、遠から見ると、岬が黒く見えたそうで、黒い岬、黒崎になったと伝わっているよ。
昔の黒崎
昔の集落は熊淵川の河口付近だったけ、度重なる氾濫で八百年前に先祖は移住を決め、海の東浜へ、山の熊淵へ、そして現在の集落の中心になっている高台へとそれぞれに移住したんだよ。 高台へ移った八人が「黒崎の八人衆」と、古文書に出てくるよ。 八百年前に、一区画六百坪の土地を八区画も団地造成したというからご先祖様には頭が上がらないよ(笑) 昭和初期まで黒崎の在所が勧進元となり加越能三州の相撲大会が毎年行われていたというくらい豊かな在所でね。 それは産業があったからなんだね。 一つは富山の業者に海岸の大きい黒い岩を削らせ権利収入を得ていたこと。 それと富山の川が氾濫するので竹の蛇籠を作り、大きな船で出荷していたんだよ。 また、黒崎の山にだけ火打石の地層があるんだけど、その下がマンガンでね、大正時代に採掘していたんだよ。 瓦の塗料や火薬の原材料に使ったらしいよ。 採掘の立て穴を「ゴス穴」と言ってまだ残っているよ。 また、七尾城に通じる「殿様道」があるので、仲間と調査してみたんだが、原型があるところは一部でね。それでも川の平場の謎の三角印や、山の平場の謎の穴など想像をかきたてられるよ。
これから
在所と一緒に避難訓練をしてきた有磯小学校が今年併合される見通しだし、過疎化が進む一方だけど、昔からの資源を蘇らせていくことが地域再生の要だと思うよ。畠山文化は一流であり、前田様は中納言で、畠山様は大納言なんだから、七尾はもっと畠山や城山に目を向けないとね。
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- 七尾市黒崎町