こみみかわら版バックナンバー
呉山裕子 パッチワークキルト教室
はい!社長です-御菓子 梅屋常五郎-
私の仕事は “測量士” です。
測量士の仕事とは
土木建造物(道路・橋・下水道など)を建設する際、一番最初に取掛かる仕事が測量です。
土地の位置、高さ、長さ、面積を専門的測量技術で測ります。
国土の社会基盤整備に関わる重要で責任ある仕事です。
きっかけ
高校で測量の授業を受けたことが始まりです。外で観測し、内で計算や製図する作業に興味を持ち、測量クラブに入りました。石川県の技術大会に参加し、団体・個人ともに優勝することができ、面白くなりました。
進路
迷わず測量の専門学校に進みました。
卒業と同時に測量士補の資格を取得し、測量会社で実務経験を積み、4年で測量士になりました。
最初の仕事
最初の現場は山の中です。測量というより、鉈や長鎌を持って伐採作業です。
先輩が道具の扱い方を教えてくれるのですが、慣れない作業で、へとへとになりました。
どこの世界もそうかもしれませんが、
学校の授業と実務は、大きな隔たりがありました。(笑)
大変だったこと
初めて、業務を任されたときは、身が引締まりました。
公共事業は測量会社、設計会社、工事会社と業務が続いていきます。決められた工期までに絶対に納めなければなりません。そんな時、測量士は昼は現場に出て、会社に戻り、夜遅くまで内業をします。
仕事のよろこび
自分の測った現場に道路や建造物が完成したのを見る時です。
どの現場もスムーズにいくことはなく、問題が大きかった現場ほど忘れることはありません。
測量士の意外な世界
道路で測量している姿を見かけると思いますが、それはほんの一面で、実は土地の持ち主、周辺の人達との信頼関係を築く事も大切な仕事です。
こころがけ
土地の境界線については、とてもデリケートなので公正性を大切にしています。
しあわせな人生
お客様と打合せをし、作業計画を練り、仲間と一緒に新しい現場にいく時は、わくわくします。一日の仕事が終わり、家に帰ったとき子供がかけつけてくると「あーしあわせだなーっ」そう思います。
住所:七尾市小丸山台3丁目24番地
電話:0767-52-6433
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第39回 中島町長浦
長浦の由来
浦って言うのは、海が陸地に入り込んだ海岸を意味するらしいね。海岸線が長い在所なので地名になったんじゃないかなぁ。
長浦の昔と今
昔はもっと活気のある在所やったよ。 50年くらい前までは、七尾府中の波止場から宇出津まで定期航路が通っていてね。 府中・半浦・長浦・三ヶ地区・宇出津と結んで海上交通の要になっていて、私も中学生くらいまでは七尾へ行くのに、鉄道を使わず船で行っとったよ。乗船客がいるときは赤い旗を立てて寄ってもらうんだよ。 それとは別に、長浦の渡し舟といって、明治時代から能登島の通地区へ舟で渡していたんだけど、ツインブリッジが完成してからは、もっぱら釣り客専用になっているよ。 当時は花嫁を乗せたり、急病人など天気や時間に関係なく渡すなど重要な役割をしとったね。 生活は、半農半漁と瓦工場で賑わっていたね。長浦には瓦の土が出たので、その工場に働きに各地から人が集まっていたんだよ。 畑ではサツマイモを栽培しては船で出荷していたし、多くの家で天草やエゴを取って海岸辺りに干していたから、在所の中は磯の香でいっぱいだったよ。 半世紀とは、いろんなことが変わっていくんだね。 今は、ツインブリッジの袂たもとのうるおい公園に観光客も立寄るし、環境美化を町会一丸となって整備していこうと話し合いしているよ。 時代が変わっても、風光明媚なこの長浦は本当にいい在所だと思っているよ。 少子高齢化は避けられないが、郷土を愛する心はずーっと繋いでいかないとね。 万葉の里マラソンで、町会内を選手が走るので、壮年団・女性会・実年会とで手作りの垂れ幕を作ったよ。 少しでも選手の力になれたらと思ってね!
- Tags:
- 中島町長浦
能登島観光協会
ターンテーブル
西湊女性会 みそ作り体験
はい!社長です-ナガト産業 株式会社-
メロディミュージックルーム主宰アンサンブルコンサート
私の仕事は“郵便局の局長”です
郵便局の仕事とは
郵政民営化以後、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険、日本郵便株式会社と組織は分かれましたが、郵便局は日本郵便株式会社に所属し、郵便、貯金、保険の窓口業務をそのまま行っています。
きっかけ
父が郵便局員でした。地域の人と交流し、お世話をしている父の姿を見て、私も地域の人と交わることが出来る仕事をと思い、郵政の国家公務員を目指しました。
最初の勤務
まずは、金沢中央郵便局に配属されました。新人の仕事は、まずは郵便物の仕分け作業からです。
当時、石川県の郵便物のほとんどが金沢中央郵便局に集められました。
その量は半端な量でなく、「うわーっ郵便物の山っ」という感じでした(笑)
郵便局40年の中で
郵便、貯金、保険が主な業務ですが、総務や労務も行いました。
転勤もあり、金沢から七尾、羽咋、珠洲、和倉そして現在は、七尾藤橋町郵便局になりました。
振り返れば
仕分け作業に明け暮れた時には、もう辞めたいと思う事もありました。
そんな時、上司からどんな仕事も三年辛抱しなければ、本当の仕事の面白さは、わからないものだと励まされました。振り返れば、いろんな地域、いろんな部署で、地域の人たちや仲間と泣いたり笑ったりで、あっという間の40年でした(笑)
郵政民営化により国家公務員から民間の株式会社の社員になりました。当時は不安もありましたが、今まで働いてこれたことは、本当にありがたいことだと感謝しています。
心がけ
窓口では、ご近所付き合いの顔なじみが多いので、親しみのある対応を心がけています。
しかし、郵便局は北から南まで変わらないサービスが使命なので、ゆるむことなくきっちりとした仕事を心がけています。
人生の喜び
いろんな人と出逢い、いろんな考えを知ることが楽しいです。
また、読書でいい文と出逢い、感じることも喜びです。
最近では、浅田次郎の「一路」です。
住所:七尾市藤橋町未30-4
電話:0767-52-2963
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私の仕事は“助産師”です。
助産師とは
お産の時に産婦さんの側に寄り添い、赤ちゃんが産まれるお手伝いをさせてもらうことが主な仕事です。
きっかけ
小さい頃から赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんに関わる仕事がしたいと思ったからだと思います。どこで助産師という仕事を知ったのかは覚えていませんが、小学生の頃からずっと助産師になりたいと思っていました。
仕事への道のり
助産師になるためには、看護師の資格も持っていなければなりません。私は高校を卒業してから、看護学校に三年間、助産師学校に一年間通い、看護師国家試験・助産師国家試験に合格して助産師になりました。
大変だったこと
助産師学校での実習が一番大変でした。一年間で分娩介助を10例経験しないと卒業できなかったので、昼は他の実習や多くの課題をこなし、夜間は病院に泊り込んでお産の人が来るのをひたすら待つ。そして朝が来たら、また学校で、勉強・試験・実習の繰返し。寝る時間がほとんどなく毎日が必死でした。
最初の仕事
夢中だったせいか、あまり覚えていませんが、助産師といえども、看護師の仕事も出来なければならないので、看護業務から覚えていった気がします。
仕事の喜び
お産はお母さんにも赤ちゃんにも命がけです。産み出そうとする力と、赤ちゃんの産まれようとする力を信じて側に寄添い、無事に産まれてきたときには安心感と同時に幸せな気持ちでいっぱいになります。
意外な世界
日本では、助産師は国家資格の中で唯一、女性しかなることができない職業です。
人生の喜び
この職業は精神的・体力的にも大変ですが、それ以上にやりがいがあるので、この仕事を選んで本当に幸せに思っています。
未来
ステキな人と出逢い、私自身も出産と子育てを経験することにより、更に女性に寄添える助産師になれたらと思います。
住所:七尾市国分町ラ部2-1
電話:0767-52-4103
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- Tags:
- 助産師
- 桑原母と子クリニック
第38回 七尾市御祓町
御祓町 町名の由来
その昔、「心身のけがれを清め、大祓い(おおはらい)の神事を行った」という由来を持つ御祓川から、御祓町も神事に関わった町ではないかと想像しているね。
御祓町の昔と今
昔の御祓川は、大雨でよく氾濫し、床上浸水で二階へ避難した家もあったらしいく、その後の片付けも大変なおもいをしたらしいわ。今は上流の河川整備のおかげで、大雨でも安心して暮らしているよ。御祓町はその昔、御祓小学校、のちの小丸山小学校があり、千人前後の子供が通っていたと聞いてるよ。今は小学校も移転して、その名残に学校橋が残っているね。その付近にパトリアが出来、病院が五軒建っているよ。おかげさまで人の流れがあり、町にとっては、よろこばしいことだと思っていますね。御祓川大通りも、昔は狭かったけど、今は広くなり、でか山も通れるようになり、人通りが活発になってうれしいねー。
御祓町は商人の町
御祓町の世帯数は約50世帯で、人口が90人弱。御祓町も高齢化でね。65歳以上の世帯は65%以上とみてる。中学生は2人、小学生は0人なんだよ。住民のほとんどは、商人だからね。日々、商売に励みながら元気に生きていますよ。
- Tags:
- 七尾市御祓町
コジマカメラ
道の駅 のとじま交流市場
いしかわこども交流センター 中華まんつくり体験
はい!社長です-miyako音楽堂-
770のひな人形展 関係者のみなさん
第37回 中能登町徳前
徳前の由来
どういう云われなんかは分からんけども、徳川の徳と前田の前を取って徳前とつけたといわれてるよ。
徳前の昔と今
鹿島全域に言えるんやけど、大正から昭和にかけては織物で栄えたね。子どもの頃はのどかな風景の町でね。 そんな中であちこちで24時間しきりなしに織場の音がかっちゃんかっちゃんと鳴り響いとったね。 近年は織場もなくなって、サラリーマンが多いね。 鹿島バイパス・平和堂・中能登マイタウン・コンビニと、次々と便利な設備が整ってきて、人口が増 えてきとるよ。 この辺じゃ聞いたことのない苗字もちらほらと増えてきとるね。富来とか珠洲など、いろんな地域から移住してきとるのを感じるね。 人口は昨年のものやけども、880人で、世帯が304世帯。 徳前だけで小学生が50人くらいおるよ。
現在の徳前
夏にはおすずみ祭り、秋には獅子舞があるね。 神社に壮年団が屋台も出してすごく賑わうよ。 町外から来た人たちと昔からの住民と協力し合って和気あいあいと楽しんどるよ。
- Tags:
- 中能登町徳前