ぶりの里(佐々波)
下佐々波漁港に建つモニュメント。
昔から漁業で栄えた佐々波町。 大敷網の近代化を進め発展してきました。
11月から1月にかけて、ぶりが稼ぎ頭です。平成23年1月には6万7千尾の大漁を記録しました。
灘の大敷は定置網全国トップの水揚げを誇ります。
下佐々波漁港に建つモニュメント。
昔から漁業で栄えた佐々波町。 大敷網の近代化を進め発展してきました。
11月から1月にかけて、ぶりが稼ぎ頭です。平成23年1月には6万7千尾の大漁を記録しました。
灘の大敷は定置網全国トップの水揚げを誇ります。
昭和61年まで鉄道で郵便が運ばれていました。
車内で郵便物を区分けしていたので「走る郵便局」と呼ばれました。
この車両は全国で2両しか残っていない大変貴重な列車です。
観光列車「のと里山里海号」に乗ると内部を見せてもらえるそうです。
1200年以上前に発見された和倉温泉。江戸時代に加賀三代藩主利常が湯壺を作り茅舎を建てたのが始まり。
明治に大浴舎が建設されました。昭和40年開館した温泉センターは演芸公演もあり大変な賑わいでした。
現在の総湯は平成23年にオープン。
食祭市場の横にあり七尾湾に面した広々とした公園。
避難場所にも指定されていますが、ジャズフェスティバルや港まつりなどのイベント会場としても活用します。
ふっと立ち寄りベンチに座り海を眺めると一瞬どこかへ旅に来たような錯覚に陥ります。
七尾市と中能登町を火災から守っています。
組織として3消防署、3分遣所3消防団、そして29の分団があり消防体制を確立しています。
火事の他にも救急車の出動や防災対策など24時間、365日休むことなく住民の安心安全を見守っています。
能登島の北端にある小さな海水浴場。
富山湾に面して水質が良く透明度が高く白い砂浜は遠浅で家族で安心して楽しめます。
県内外からの常連も多く人気のスポットです。
地元の人たちで運営管理し、今年は7/23~8/15まで開設予定です。
7つのドーム型の屋根が特徴です。
七尾の由来となった城山の七つの尾根をモチーフにしています。
毎年開催の長谷川等伯展とボローニャ国際絵本原画展や様々な国内外の作品を企画展示する
能登唯一の総合美術館として多くの人に親しまれています。
明治31年に七尾鉄道株式会社が開業。
七尾港へ金沢方面から荷物を運ぶため矢田新駅から津幡駅までの貨物列車が運行し、
明治37年から旅客も扱い翌年には金沢駅まで直通となりました。
大正6年に七尾港駅と改名。
昭和59年に86年間の歴史に幕を閉じました。
昭和57年に開通、今年41才です。全長1050m、海面から24mで石川県最長です。
総事業費55億円で当初は有料道路でしたが平成10年から無料になりました。風速20mで通行止になります。
七尾湾にカモメが羽を大きく広げたようなフォルムです。
大きなサイロが6基並んでいます。大正15年、磐城セメントの子会社七尾セメントが設立。
昭和4年から工場の操業が開始されます。中身は勿論セメントです。
月に3回~5回、新潟から船で運ばれてきます。
ここから北陸3県各地へ陸送しています。
建具職人がゆっくりと旧正月を過ごす風習から2月に行われるようになりました。
特徴は赤・青・黄・緑・白の五色の紙で作ったヒトガタ人形の「御赦免」を各家庭2個づつ作ります。
能登地方しんがりの左義長で町外からの駆け込みも多いです。
昭和60年に府中町から移転して、現在の場所に。
近海で取れた新鮮な魚介と旬の野菜や果物などを扱う能登半島で唯一の総合卸売市場です。
早朝から競り人の掛け声に多くの鮮魚店や青果店の人が真剣な眼差しで品定めをしています。
瀬嵐(せらし)から約200m、周囲1.3kmの小島。
大伴家持が詠んだ長歌「香島嶺の机の島のしただみを…」が万葉集に収められ、その歌碑が建っています。
弘法大使が使った大きな机石と水留石の硯石があり、その水は枯れる事が無いと伝わっています。
かつて150隻の漁船が所狭しと並んでいましたが今は20隻に。
夕方5時前に出港し夜中の2時半に帰港。早朝から競りが始まります。
春秋は二艘曳でサヨリ漁、夏は石崎エビ、赤西貝やシャコなど奉燈祭の御馳走を水揚げし、11月から底曳でカレイやナマコです。
石川富山の県境にある周囲約80mの小島。
氷見市に属するが位置的には七尾大泊の海岸から150mと近い。
昔能登と越中で領有争いが起こったが、ほっとけばそのうち争いも収まるだろうと「ほっとけ島」と呼ばれ、それが転じて仏島になったとか…(笑)
大気と海水の温度差で光が屈折する蜃気楼の一種で、海から昇る丸い太陽がくびれたように見えます。
七尾灘浦海岸で年に数回程度と中々見る事の出来ない光景です。
写真愛好家はそのショットを求めて通いますが10回に1回遭遇できるかどうかです。
山村日室町に伝わる奇祭。神木タブの木に魚を刻印した雄鎌と雌鎌を打ち込みます。
江戸時代に漁村江泊町の枝村であったことから漁業と深いつながりがあり 「鎮風」と「豊漁」を祈願します。
平成4年に石川県の無形民俗文化財に指定されました。
平成27年にオープン、 全天候型の砂入り人工芝で24面あり、 そのうちナイター照明を6面そろえます。
能登和倉国際女子オープンテニスや各種大会など開催される北陸最大級のテニスコートです。
地元サークルや部活動の合宿でも活用されています。
マンポとは農業用の地下水路のことです。
舟尾川のマンポは約170年前肝煎(きもいり)の左近四郎を中心に新田開発の折、二ノ宮川から灌漑用水を引くため山を貫通して大小2本のマンポを造りました。
延長70m、大きいマンポの直径は4mあります。
湧水の共同井戸で旧中島村民の日常の飲料水や洗濯の洗い水として使われていました。大正2年に中島水道が完成しその用を失うことになります。
名前の由来は中世の「熊来荘」を支配した熊来左近将監の舘があったので「おたちの水」と呼ばれました。