室木助左衛門君之碑
(旧)西岸小学校の横、海辺に建つ石碑は、室木助左衛門さんを称えた記念碑です。
海を埋め立て、田んぼを作ったそうです。
現在は明治の館となっている、室木家の当主であり、天領大庄屋で地元に数々の貢献をしました。
(旧)西岸小学校の横、海辺に建つ石碑は、室木助左衛門さんを称えた記念碑です。
海を埋め立て、田んぼを作ったそうです。
現在は明治の館となっている、室木家の当主であり、天領大庄屋で地元に数々の貢献をしました。
『のと里山海道』いい名前ですね。
これは平成25年3月に能登有料道路の無料化に伴い愛称を公募してつけられたそうです。
別所岳SA内の記念碑横には大きな展望台があり、七尾湾の景観が一望できます☆
私達のふるさとって本当に素敵ですね!
昭和36年11月3日に七尾まだらが市指定無形文化財となったのを記念して建立されました。
毎年港まつりには御祓川の周りを七尾まだらを踊る方たちで賑わっています♪七尾に誇る伝統ある歌が今も受け継がれているのは素晴らしいですね!
小丸山城の入り口にある記念碑。
愛宕山相撲場では、子どもから大人まで幅広い層の相撲大会が行われていました。
今でも、思い出の地として訪れる力士や相撲経験者がこの相撲場を見て気持ちをさらに奮い立たせているそうですよ♪
海員学校は戦前、船員養成のため全国に設置された海員養成所のひとつで、昭和17年(1942)に七尾市に設置されました。
その後、日本の海軍業界を支える優秀な船員を多数輩出していきましたが、平成4年(1992)に惜しまれつつ閉校となりました。
碑には校歌が書かれています。
小田吉之丈は、明治七年に高階村(現 池崎町)に生まれ、その後、石川県史編纂の仕事に携わっていった。
昭和二年頃から七尾城址保存に奔走し、埋もれていた七尾城に学問的光を当て、昭和九年に能登地方初の国指定史跡への基礎を築いた。
この顕彰碑は平成二年に建てられたものです。
1862(文久2)年、能登海岸防備を命ぜられ「七尾軍艦所」を開設。ヨーロッパから購入した艦船に前田家の家紋の船印をつけたことから「梅鉢海軍」と呼ばれたそうです。
1871(明治4)年に閉鎖されました。現在、その跡に「記念碑」が建っています。
みんなご存じの長谷川等伯。
この能登の地、七尾市で生まれました。安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師で、著名人らと並び称される、桃山時代を代表する画人です。
故郷を旅立とうとする等伯の銅像「青雲」は七尾駅前と七尾マリンパークにあります。
11月8日にオープンしたばかりの能越県境PA。敷地内には県境を示した青いラインがあります。海側を仏島側、山側を石動山側とカッコ書きしてありました。
トイレ休憩のみですが、海側はベンチもあり、座って海を眺めるのも良し、景色を楽しむも良し、と海と山の自然を身近に感じられるスポットでした。
小島西部交差点にある大きな石碑は昭和35年に七尾出身の関唐戸山大関・藤乃森外喜男氏の功績を称えて建立されたそうです。
唐戸山神事相撲は、相撲好きであったといわれる羽咋神社の祭神・磐衝別命の遺徳としのんで毎年、命日の9月25日に行われている羽咋の相撲大会です!!
7月、和倉に北陸最大級のテニスコートがOPEN♪なんと24面ものコートがあります。
週末には様々な大会が開催され賑わっています。初心者・中級者向けのスクールも開講されています♪