こみみかわら版バックナンバー
お泊りキャンプ in 七尾幼稚園
幼稚園の卒業生が毎年夏に集合!小学5年生から大学生、社会人も集まりました。
お泊りキャンプ in 七尾幼稚園
-和倉テニスコート-
7月、和倉に北陸最大級のテニスコートがOPEN♪なんと24面ものコートがあります。
週末には様々な大会が開催され賑わっています。初心者・中級者向けのスクールも開講されています♪
フォーラム七尾教室-ジャザサイズ-
ジャザサイズは日本だけでなく世界でも注目のダンスフィットネスです。全米のヒット曲にのり、ダンス・ピラティス・ヨガ・キックボクシングの動きで汗と笑顔にあふれる60分のプログラムです。美と健康を導きます♪
9/5(土)10:30~11:30 無料体験レッスン開催! 要予約
予約はフォーラム七尾(☎52-5222)まで お気軽にどうぞ♪
株式会社スギヨファーム
はい♪社長です -(株)川崎造船所-
第73回 七尾市三室町
崎山半島の七尾南湾に面した位置にあり、液化ガスターミナルとLPガス国家備蓄基地のある151世帯、413名が暮らす在所です。
三室町会長 山崎 秀行(やまざき ひでゆき)さん
在所名の由来
在所では「御室」が「三室」に変化したと聞き伝わっていたんだが、平成7年に石川県立図書館史料編纂室が古文書から三室判官という鎌倉時代の御家人がこの地にいたことを発見してね、それで在所名がこの御家人の名前から三室となったということが分かったんだ。
それ以前の平安時代は長浜と呼ばれていたことも古文書に出てくるよ。三室の海岸は2キロもあるからね。
昔と今
昔は半農半漁の在所でね。なまこや魚を地引網で曳き、えご草といって寒天の材料の海草を採ったりしていたよ。子供達は学校帰りキンコを作るのに道端に干してあるなまこをつまんで食べていたよ。そのころは向かいの能登島の二穴の田んぼも耕していてね、丸木舟を二艘並べて縛って、牛を乗せ櫓と櫂で漕いで渡っていたよ。
太田火力前の赤碕の山が急峻な山で昭和28年に道路が出来バスが通るまでは陸の孤島だったよ。七尾へは船か山道を歩くしかなく、バスが通ってから勤めに出るようになったんだね。
LPガスの備蓄基地のある場所がトクサ地区でね、昭和48年に北電がトクサ地区に火力発電所建設の計画を発表したんだ。それからというもの賛成、反対で在所が二分して辛い時期があったけど、今は円満に暮らしているよ。
在所の自慢
平成14年から自主防災組織を立ち上げて防災設備の充実や訓練など様々な施作を取り入れ全員参加で積極的に取組んでいるよ。おかげでエネルギー基地の町としての誇りと心構えが町中に行き渡っていることかな。年寄りが増えている分、日々穏やかで安全に暮らしていける在所をこれからも目指したいね。
あさみのひとこと
在所を歩くと福浦婦人会売店の看板が、3人のお母さんと雑貨と食料品、郷愁を感じるお店でした。
- Tags:
- 三室町
『輝け!郷土の星』 柔道の戸澗 望愛さん(天神山小5年)
来る8月30日 全国大会に石川県代表で出場!
6月に行われた全国小学生学年別柔道大会石川県大会にて5年女子40キロ級で見事優勝した望愛さん。柔道を始めたきっかけは小2の時、ロンドンオリンピック金メダリストの松本薫選手(石川県出身)の試合をテレビ観戦していた時、『かっこいい、自分もやりたい』と強い衝動に駆られ、テレビを指さし「これやりたい」とお母さんに頼んだと言う。
お父さんは「望愛はこのスポーツが何なのかさえ知らなかったのだから松本薫選手の姿が琴線に触れ、心に火がついたのだろう」と振り返る。お母さんは「ほんとかいねぇ」とビックリしたが七尾市内の柔道教室、全日本柔道少年団七尾分団へ見学に連れて行き、その日から簡単な練習を体験し、松木監督の指導を受けることになる。
野生的闘争心
七尾分団では幼稚園児から小学6年までの児童が、火曜日、金曜日の18時30分から七尾武道館でみっちり練習を行う。準備体操、回転運動、補強運動、寝技、立ち技、乱取り、投げ込みと続くが弱音を吐く子はいない。しかし能登の気質なのか気がやさしい子が多い。そんな中で望愛さんが一際目を引く。県大会の団体戦は4年生1名、5年生2名、6年生2名の編成だが男女、階級は関係なく選抜する。今年選ばれた望愛さん、7月の大会での対戦相手はなんと70キロの男子だった。しかし怯むことなく立ち向ってく。一度畳へ上がると闘争心にスイッチが入り表情が一変する様はあの松本薫選手のようである。
熱い想い
嬉しかったことはと質問すると、「県大会優勝」それと「練習で今まで投げられなかった相手を投げたとき」とはにかみ、練習の無い日は弟とゲームしているという望愛さんは本当に可愛い女の子である。それでも柔道で強くなりたいという志は強く、お母さん相手に毎日寝る前15分間は投げ込みの練習を続けている。
望愛さんの活躍で弟も柔道を習い、家族で全日本柔道選手権のビデオを見てイメージトレーニングをし、練習や各種大会に出かける。一人の少女の熱い想いが家族全員を巻き込み絆を深め、七尾分団から全国大会出場という初めての快挙に松木監督も期待を隠さない。
将来はどうなりたいの?という質問にも、笑顔ではにかむだけで大きな夢は語らず、ただ目の前の試合に勝つことだけを考えて練習しているという。そんな彼女が一度畳の上に立つと、格闘家としての風格すら漂ってくるのである。柔道着姿の望愛さんにはなんとも不思議なオーラを感じるのである。
編 集 後 記
7月8日(土)取材に七尾武道館へ訪れました。
練習日は通常、火曜日と金曜日の午後18:30~20:30ですが、
前日7日(金)は大相撲七尾場所が隣の体育館で開催されていたため、
土曜日の午前中に変更になっていました。
さっそく、松木監督とお父さんにご挨拶し、望愛ちゃんとご対面。
柔道着が似合う可愛い女の子というのが第一印象です。
話かけると、ニコニコ笑顔ではにかみながら応えてくれ、
この時点では、普通の小5の女の子という感じでしかありません。
しかし、取材を進めていくうちに、
望愛ちゃんに不思議なオーラを感じてきます。
何がこんな可愛い女の子の闘争心を搔き立てるのか・・・。
柔道を始めるキッカケはオリンピック金メダルの松本薫選手。
柔道を知っていたわけではないという。
たまたまテレビで松本選手の眼光鋭く野獣的な闘争心むき出しの試合を見て、
彼女の中の何かが目覚めたようである。
「かっこいい! 自分もやりたい!」
その瞬間、画面を指さし「これやりたい」と両親に訴えた。
両親は、「この子何いうとらん」「ほんとうかいねっ」と驚いたという。
その時、望愛ちゃんはまだ小学校2年生なのだ。
お母さんが柔道教室を調べると
七尾では全日本柔道少年団七尾分団が唯一の教室であると知り、
さっそくそこへ連れて見学に行くことになる。
七尾武道館2階の柔道場は2面あり広々とした恵まれた環境である。
見学に行ったのだが、見るだけでなく体験させてもらうことになった。
柔道場の周りを走り、回転運動をし、少しだけ受身の練習もしてみた。
入団することに何の憂いも無かった。
七尾分団には市内各小学校下の幼稚園~小6までの児童が集まる。
現在35名の団員がいる。
底辺はこれだけいるのに、七尾市の場合、中学生の柔道人口は極めて少ない。
理由は市内の中学校で柔道部があるのは七尾東部中学だけなのだ。
どうしても柔道をやりたい生徒は校区を変え七尾東部中学へ進むしかない。
大方の生徒は中学へ進む時点で、違うスポーツに変更を余儀なくされているのである。
昔はどこの中学にも柔道部はあったものだが、少子化の中で仕方がない。
さて、望愛ちゃんだが、
小2、小3とコツコツ練習に励んできた。
3年生の終わりくらいから頭角が現れる。
県大会の団体戦は4年生、1名、5年生2名、6年生2名で編成するが、
男女、階級が問われない。当初監督は男子での選抜を考えていたが、
戸澗選手の実力と負けん気を評価し最終的には彼女を選抜した。
7月に行われた錬成大会では、対戦した相手は70キロの男子だった。
普通なら本人が「怖い」とか、「もう諦めた」となり
指導者も「怪我をしないよう無理するな」となるのだが、
一旦畳に立てばどんな相手にも闘争心が剥き出しになり立向うのだ。
8月に出場する、全国小学生学年別柔道大会は5年生、6年生だけの学年別、男女別、体重別の大会なので望愛ちゃんとしては十分に力を発揮できるのではないかと期待がかかるのである。
しかし、七尾分団としても、松木監督としても初めての全国大会であり、
全国のレベルは未知数である。
全国の柔道教室では指導者により柔道スタイルが様々にあるようだ。
七尾分団では「しっかり組んで投げ、一本を決める」というスタイルである。
あわよくばと期待もするが、まずは初出場なので気負わず全国をじっくり見てきて欲しい。
大会は8月30日(日)
山梨県甲府市 小瀬スポーツ公園 武道館で開かれる。
戸澗選手の初戦は、栃木県代表と京都府代表の勝者との対戦から始まる。
松木監督は、戸澗は柔道向きというか格闘技向きの性格をしている。
負けん気が強く、きかん子や これは教えても教えられない部分で、立ち技のセンス、寝技の努力、それらを下支えする闘争心の強さが最後の勝負を決めるが、そこが並み外れて強いものが備わっているようだ。天性のもんやと思う。
畳の上に上がるとスイッチが入るようだ。とコメントします。
松木監督率いる全日本柔道少年団七尾分団は、昭和41年、前身の山本道場からスタートして現在に至っています。
全国大会出場者を輩出するのは今回が初めての快挙であり、8月3日に分団OBの山崎智之市議随行で、宮崎博七尾市柔道協会会長、松木尊紀法(ときのり)監督、戸澗望愛選手、戸澗選手のお父さんの5名で七尾市教育長を表敬訪問して来ました。
また戸澗選手は、
北信越強化指定選手として県内女子選手5名の内の1人として選出されています。
武道館を取材した時、女性の指導者がいました。
実は松木監督の奥様も現役時代に大変活躍された名門津幡高校出身の選手でした。現在は内灘中学校の教諭で、柔道部の監督をしており、(現在は育休中)
北信越大会や全国大会へ内灘中学を導きました。
優れた選手が誕生するためには、
本人の努力のみならず指導者、施設、家庭など含めた
練習環境が整っていることが大切だと思いました。
取材を進めるうちに、
望愛選手の父方、母方の二人のおじいちゃんが共に柔道をやっていたという情報が入ってきました。特に母方のおじいちゃんは七尾分団前身の山本道場の門下生であったということです。今、孫の望愛さんの活躍をことのほか楽しみにしているそうです。
しかし、本人はおじいちゃんたちが柔道をしていたことは知りません。
おじいちゃんから柔道の話も聞いたことなければ、勧められたこともありません。
それなのに、松本薫選手のテレビを見て
小学2年生の女の子が「これやりたい」と言ったということは、
理性ではなく、血のなせる業(わざ)のような気がします。
搔き立てるものの正体、それは血脈であり、
「血の繋がり」ということの不思議さを改めて感じました。
平成27年8月8日(土)取材
こみみ情報局 津田 均
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はい♪社長です -(有)神谷ルーフ-
チャリティライブ in サンビーム日和ヶ丘
飯川神社の大ケヤキ
PAINT WORK(ペイントワーク)
第72回 中島町熊野
在所名の由来
昔この地区の岡、岩崎、下の三つの集落を合わせて山谷(やまんたん)と呼んでいたんだけど、明治二十二年の町村制実施に伴い、この地区の熊野神社の名前から在所名を熊野とつけたらしいよ。今でも山谷(やまんたん)と呼んでいる年寄りも多いんだよ。一村一字の名残で住所は字熊野ではなく中島町字中島なんだけどね。
昔と今
ここは中島商店街の外れに位置した里山で農業が中心だったね。特に岡地区では中島菜の栽培が盛んでね、ここの土壌が一番適していて美味しいということで、日航の国際便の機内食のお漬物に使われていたこともあったよ。昭和三十二年町営住宅一号、昭和四十三年中島初の企業誘致もこの在所だったし、役場庁舎や能登演劇堂も出来て、何かと動きのある在所だよ。ただ少子高齢化の波はどうしようもないね。子どもが少なくなっていくことは寂しいよ。そんな中、中島中学校が旧役場に引っ越す予定なので、在所の中に子どもの元気な声が聞こえる事は活気があって嬉しい事だよ。現在は老人会から引継いで国道の清掃や花壇の草刈など年に三回実施しているけど、自分たちの住む地域は行政と連携の上、出来る事は自分達でという考えが必要な時代じゃないかなぁ。今、「熊野いきいき事業」として環境美化、防災対策、高齢福祉を掲げて取組んでいるよ。
在所の自慢
在所世帯の三分の一が移転して来た人たちだけど、子ども達がすぐ仲良くなって、昔からの人と新しい人との融和が進んでいくんだね。在所の中が和気藹々やっていっていることがなにより嬉しいね。在所も子はかすがいということだよ。
私の仕事は「森林施業プランナー」です
森林施業プランナーの仕事とは
山主に間伐、枝打ち、伐採、植林など森林の手入れを提案しその計画、実施までを山主に代わって行い森林全体の保全・活用を行います。
きっかけ
二十八歳まで金沢の建築設計事務所で働いていました。長男であり結婚を機に七尾へ戻る時、地元で生涯働ける仕事は何か考えました。記事で林業の担い手不足を知って、色々調べるうちに興味が湧き、森林組合に就職しました。父は公務員ですが、祖父は木挽きだったのでその血が騒いだのかもしれません(笑)。
道のり
山へは四、五人の班体制で入り、班長の指示で下刈り、枝打ち、植林などの作業を行いますが、これまでの人生で鍬すら持ったことがありません。ましてや下刈り機やチェーンソーなど扱えないので苗木や肥やしを運ぶことが初仕事でした。線を引く仕事から力仕事ですので最初は辛かったです。しかし山の仕事は日々メリハリがあります。汗を流し仕上がっていく達成感、成果が目に見える満足感、仕事を終え家で飲むビールの美味さ、心身ともに健康になっていきました。現在はプランナーとして組合員さんに山の保全と活用を提案し施業の実施計画を立てています。
心がけていること
ちょうど慣れて来た頃です、枝打ち機で指を切りました。見ると皮一枚で指先がぶら下がって血が噴き出しています。それを見た途端、気絶しそうになり、同僚におぶってもらい病院へ運ばれました。幸いに皮一枚でぶら下がっていたのは手袋で指は大丈夫でしたが、その時の傷をお守りとし、いかなる場合でも安全第一を心がけています。
意外な話
山の境界がわからない山主さんが増えています。そんな場合は法務局の公図を見て現地調査します。尾根や沢を歩いて境木や境石を探したり植生を見たりして隣の山主に確認します。昔はサラリーマンでも休日になると山に入り手入れをしていましたが、世代が変わり放置された山が増えているのです。森林組合で施業した山は簡易GPSで測量し、将来のために管理図面を作成しています。
これから
担い手不足、木材の採算割れなど林業が衰退してきていますが、日本の国土の約七十%は森林で、その恵みは計り知れません。息苦しそうな山を見ると不憫でなりません。まだまだ手入れ不足の山が多くあります。日差しが入り、風が通り、杉の枝が青々として、下草も程良い感じで生えた健康的な山。故郷の山を保全し活用し管理することが私の使命だと思っています。
中能登森林組合七鹿支所 ☎0767‐57‐0600
フォーラム七尾-ライリッシュ・オカリナ連盟-
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フィットネスガレージななお-YAWAYAWA部-
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- フィットネスガレージななお
2015年 能登よさこい祭り 祭りの國 能登の賑わい
私の仕事は「第一種電気工事士」です
第一種電気工事士の仕事とは
電気事業は発電、送電、受電と分類され、電気工事士は受電を担当し、電柱から家までの外線工事、照明、空調設備など家の中の電気工事の施工・保全を行います。
きっかけ
高校を卒業し、ルネスかなざわに就職しました。そこで施設の管理をすることになり、ボイラー技士と第二種電気工事士の資格が必要となり取得しました。
道のり
二年間勤務し、地元に戻る際、取得した資格を活かそうと考え、職安でのご縁で昇陽電機に勤めます。ルネスでは簡単な修理でしたが、ここでは技術が商品です。初仕事は能登島の雇用促進住宅の配線です。先輩の指示に従いコンセントとスイッチの取付けを毎日丁寧に一生懸命やりました。戸建の内線工事を中心に二年間、三年目から北陸電力の委託で電柱から家までの外線を取付ける仕事に取組みました。現場が学びの場であり先輩の下でも自分ならこうすると常に考えました。この時期に第一種電気工事士と一級施工管理技士の資格を取得しました。おかげで現在は中間管理職として現場に携わりながら、施工と安全の管理、顧客対応、後輩への助言など毎日がとても忙しいです(笑)
意外な話
設計図を基に照明やコンセントを所定の位置に取付けるのですが、現場は様々な工事が同時進行しています。その状況を見ながら配線の段取りを考えますが、まさに腕の見せ所だと思います。単に電気工事をするのではなく、日々変化していく現場状況の中で品質と納期の最適化を目指します。それには電気工事の技能や知識だけでなくコミュニケーション能力がとても大切です。私の場合ルネスかなざわで接客業に携わったことが、今となってお客様や工事関係者との打合せに役立っています。
心がけていること
電気は目に見えません。現場では誰がどのような状況で接触するかわかりません。それで様々な視点で危険予知を想定するのですが、私は心配性なので最悪な状況をイメージし、その場合の対応まで考えます。考えすぎると夜も眠れなくなってしまうので、帰宅してからは頭を切替えて仕事のことは考えないようにしています。子どもが三人いますが、妻から子どもが四人いると言われています(笑)
やりがい
どの現場もそれぞれ特徴があって面白いです。特に住宅配線は構造に合わせて計画します。大工さんにも色々教わりながらどんな配線、こんな配線と考えることが面白く私の頭は常に3Dで配線が巡っています。自分がお客様の立場だったらどうするか考え、見えないからいいかではなく、見えない所にこそ手をかけます。工事が完成しお客様に喜んでもらえたとき、その笑顔を家族に報告し、お酒を嗜む瞬間に幸せを感じます。
昇陽電機株式会社 ☎0767‐52‐6719