こみみかわら版バックナンバー
はい!社長です♪-池田建築-
セメント工場のサイロ
私の仕事は バスガイド です
バスガイドの仕事とは
バス旅行が、楽しく安全に運行され、楽しい旅の思い出をお客様と一緒になって作っていくことです。
きっかけ
七尾商業の修学旅行で九州に行き、一週間共に旅したガイドさんに多くの生徒が涙を流し別れを惜しみました。 バスガイドさんはこんなに人に慕われる職業なのだと感激し、「よし私もなろう」とその時、決意しました。 しかし、高校では簿記、珠算を学んでいるのだから銀行など事務職へ就職するのが一般的でした。 学校では「変わった子」となり、親も親戚も心配して反対です。 なんとか私の思いを理解してもらい、近江鉄道に入社することが出来ました。
道のり
当時全国でも珍しい1年教育の会社でした。 「バスガイド、見てきたような嘘を言う」と川柳にもありますが、歴史、観光などマニュアルを覚えます。 しかしこの会社では「雪」について5分間話して下さい、「桜」について3分間話して下さい、という訓練をしました。 これは臨機応変な対応能力をつける上で貴重なトレーニングとなりました。
大変だったこと
若い頃、酔っ払ったお客様の、バスガイドを見下し馬鹿にした言動に、悔しくて、悔しくてそのままバスを降りてしまおうかと思いました。 その時、ドライバーが「後2時間」 「後1時間」と小声でささやいてくれ、なんとか我慢できました。 まだまだ未熟だったんですね。 今ならそんなお客様でも、愛嬌で手のひらに乗せ、度胸でひっくり返しちゃうんですけどね(笑)
仕事の喜び
とにかく自分もお客様も共に楽しむことなんです。 自分がお客様に溶け込んで一緒に楽しまなければお客様も楽しむことは出来ません。 そういう事に、ある時気付いたのです。楽しんでいるお顔やお姿を見た時、そこに本当に喜んでいる自分自身がいるのです。
心がけていること
家庭との両立が求められますが、生活感が出ないよう、どれだけ疲れていても、清潔にし、身だしなみを整え、どのようなお客様に対してもキビキビと笑顔で対応することを心がけています。
これから
これまで続けられたのも家族、先輩、同僚のおかげだと本当に感謝しています。 また専務から「北陸交通のお母さんや、まだまだ頼むぞ!」と言って頂き、ご恩返しをしなければと思います。 健康で元気な間は若いガイドさんに経験を伝える役目と、個人的には新幹線開業で能登に来るお客様とご一緒し、生まれ育ったふるさと能登をご案内できればと思います。
第56回 七尾市所口町
在所の由来
所口は由緒ある地名なんだよ。 もともと、気多本宮神社は小丸山公園の愛宕山にあってね、その付近一帯を所口と呼んでいたそうだよ。 前田利家が小丸山に築城の際、本宮さんが現在の場所に移ったんだよ。 昔、七尾のことを所口と言っていた時代もあってね、明治時代に正式に七尾と呼ぶように決めたそうだが、本宮神社のあるこの在所が所口という地名を引き継いだんだね。
昔と今
この辺りは明神野(めじの)と呼ばれた野原でね、田畑を中心に生活していたよ。 駅のすぐ近くだけどまだまだ田んぼもあるよ。 近年は利便性が良いのでアパートが多くなったね。金沢駅に西口が出来て街が発展しているのを見ると、七尾駅にも南口が出きれば、まだまだ発展していけると思うよ。 今も昔も、本宮さんの行事を中心に在所が力を合わせとるよ。 3月の平国祭(おいで祭)、4月のちゃんちき山、7月の西の奉燈、12月の鵜祭と、とにかく本宮さんの行事は在所として主体的に参加しているよ。本宮さんを守ってきたし、守っていかなければならないし、守ることを引継ぐ使命のある在所なんだよ。
在所の取組
高齢世帯が増えている中、本宮保育園の園児との交流や、道路清掃、防災避難訓練など通じて世代を超えて交流しているよ。世帯が少ないので子ども会や老人会はお隣の藤橋町の行事に参加させてもらい町会を超えて、「楽しく、なごやかに、みんな仲良く」をモットーに取組んでいるよ。
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- 七尾市所口町
ジュニエコカレッジinななお 実践販売を行いました!
国際医療福祉専門学校七尾校 作業療法学科
はい!社長です♪-(株)清水電機商会-
海上出荷設備
鵬学園高等学校吹奏学部
私の仕事はJR西日本七尾鉄道部の運転士です
きっかけ
学生時代は、機械の分解や自動車が好きでしたので、その方面に進むことを普通に考えていました。 あるとき、母方の伯父から「駅員さんばかりでなく、車掌や運転士の仕事もあるよ」と言われ鉄道に興味がわきました。
初めての仕事
国鉄入社後は、金沢車掌区で「荷扱い手」として、小荷物専用列車に乗務し、大阪から新潟まで集配する仕事を約3年間。その後、 車掌を12年勤め、 平成4年に運転士となり、現在21年が経ちました。
運転士への道のり
大阪の鉄道学園で研修を行いました。
安全や基本動作、電車の機器構造・運転法規・運転士の心構えについて、とても厳しく教え込まれました
仕事のよろこび
七尾を定刻に発車して、時間どおりに金沢に到着することに尽きると思います。
途中には速度制限箇所、信号機の表示、ATSの動作、津幡駅付近にある電源切り替え操作などに神経を使います。 何事も無く業務を終えたときの乗務員詰所での一口のコーヒーが大変美味しく感じます。
仕事の大変さ
駅間には運転時分が各列車に定められているのですが、何分何秒にこだわった運転操縦やブレーキの扱いを常に意識しています。
事故!?
まだ新米運転士だった頃、特急「雷鳥」で小松駅に停車中、ホームには新婚さんのお見送りでたくさんの方が門出を祝福していました。 その時突然、運転台の制御電源が切れ、赤い事故表示が点灯!運転不能となったのです。 頭が真っ白になりながら一両一両確認してみると、祝福で鳴らしたクラッカーのテープが架線や車体に触れた為と判明! まもなく復旧しましたが、その時流した、冷や汗は今でも忘れません。
以後はホームでのクラッカーは禁止となったはずです。
将来
来年には北陸新幹線が金沢まで開業です。 それに伴い七尾線にも今まで以上のお客様が見込まれます。 新観光列車「花嫁のれん号」も走り、七尾線は変わります。 お客様の思い出に残る、楽しい旅のお手伝いが出来るよう、我々一同、全力で頑張ります!
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- JR西日本七尾鉄道部の運転士
- JR西日本七尾鉄道部運転科
第55回 七尾市緑ヶ丘町
在所の由来
昭和47年に緑ヶ丘団地として開発されてね。 七尾市初の大規模新興団地なんだよ。 戦後の団塊の世代が家を建てる時期と重なってね、造成と同時にすぐに家が建っていったよ。 当時ここは矢田町の一つの班だったんだけど、世帯が増える中、独自の町会の必要性が出てきてね、平成6年に矢田町から分町して七尾市で51番目の町となったんだよ。 今年で20年、 今月9日に、創立20周年記念式典も行ったところだよ。
昔と今
当初は都会的な付き合いだったけど、子どもが交流する中でお互い助け合う気風が高まってね。 同世代が子育てを通して融和が深まっていったよ。 町内会としても夏祭り、旅行などのレクリエーションの実施、草刈など環境整備を行い、また、矢田郷地区のいろんな行事にも声を掛け合って参加し、在所としての形態が出来てきたよ。 今はね、「和とルール、健康と環境をだいじにする町」 「緑豊かで子供と高齢者の笑顔がこぼれる町」 緑ヶ丘町というスローガンがあってね。 それで、役員会の構成として総務委員会、防犯防災委員会、健康親睦委員会、環境保全委員会と四つの委員会に委員長がいて、それぞれに責任を持ち運営しているよ。
在所の自慢
世代間のつながりが強いことだね。40年の間に3世代が住む町にもなったよ。子ども会、青年団、女性会、みどり会、福祉推進チーム、町会が一緒になって様々な交流をしてるよ。 新しい町だけど、町ぐるみでお年寄りを大切に、子どもには行事を通して事の善悪を教えていける、そんな古き良き時代の在所のようだよ。
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- 七尾市緑ヶ丘町
「青山彩光苑太鼓クラブ」と「高階くれない太鼓」のみなさん
洋服のAOKI 七尾店
はい!社長です♪-鍼灸マッサージ 道下治療院-
等伯 光・プロムナード
祓友会ジョギング倶楽部
私の仕事は“カーディティーリング”です。
カーディティーリングの仕事とは
ディティーリングとは「細かい、詳細」という意味です。車を綺麗に、美しく快適に乗るために、コーティング・カーフィルム・車内清掃・さび止めなどを施工します。
きっかけ
高校を卒業し、金沢の佐川急便で15年働いていました。 地元に帰って何か事業をしようと思っていましたが、何をすれば良いのか模索していたとき、集配先でこの仕事を知り、車好きだったこともあり、これだと思いました!金沢で技術を学び、知縁の無い七尾で開業しました。
写真見本と料金表を作って車屋さんを回りました。 家賃を払うにも困るような時もあり、またドライバーに戻ろうかと思った事も何度かありました。 石の上にも3年と言いますが、私はお客様に認めてもらえるのに7年かかりました。
仕事の大変さ
車はあでやかになりますが、作業工程は繊細で神経を使います。 ほこりや砂が舞わないように真夏でも閉め切っての作業をすることもあります。 水を使うことも多く、冬はなんせ冷たい!
しかし、車と向き合う時は常にワクワクな毎日であり、楽しい仕事です!
意外な話
コーティングする時は、新車でも塗装を磨き直します。 磨きをかけ、車体をベストコンディションに仕上げた上で、ガラスの膜をコーティングすることで、より高品質に仕上がります。
仕事の喜び
お預かりした車を、納車する際にお客様が大変喜んでくださり、その姿を見ていると感無量の喜びを感じます。 仕事にやりがいや達成感を感じる瞬間です。
心がけていること
朝礼で「物の整理は心の整理、感謝を込めて後始末」と唱和しています。
車一台を綺麗にするために、部位ごとに、タオル・クロス・スポンジの使い分けや、道具類が多いので、工場の整理整頓は徹底しています。 結果が見える仕事なので、仕上がりはみんなで厳重にチェックします。
未来
ご縁を頂いたお客様には徹底したアフターケアを行うこと。 作業風景や仕上り具合など写真と気付きをブログで毎日続けていくこと。 道具の改良や仕事の手順の研究を日々改善していくこと。
それらを総合的に合わせた、独自ノウハウを確立させニッチトップ企業を目指して行きます。
住所:七尾市八幡町ロ25-1
電話:0767-57-3040
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- イリオスNOTO
- カーディティーリング
第54回 中能登町能登部下
在所の由来
近郷で部とつく在所を見ると、鹿西の能登部、鹿島の武部、羽咋の若部と中能登を横断する形で並んでいるんだよ。部とは職業や住居地などで同じ目的のための集団を意味してね、大和朝廷時代に国の統治のため作られたと辞典に書いてあるよ。歴史的・地政的に考えれば大和朝廷の防衛拠点だったかもしれんね。能登部はいつの時代かしらんけど、上と下に分かれたようだよ。上区の能登部神社で男の神様を、下区は能登比咩神社で女の神様を祭っているんだよ。男の神様を上に、こちらは下になたと聞いとるよ。
昔と今
200年も前から織物の村として発展してきてね、能登上布発祥の地だよ。昭和の初めには能登上布の機場が100軒以上もあったらしいよ。子供の頃は通りに店もいっぱいあって、織機の音と人通りではんと賑やかだったけど、今は静かになってしまったね。機場も5軒程だよ。町では伝統を守るため能登上布会館を建てで当時の織り方を継承しているんだよ。
在所の自慢
祭りだね。神輿と獅子舞で春と秋に行うよ。その時、神社の境内で火渡りするんだよ。春祭りには、3、4歳の男の子が二人して「乙女の舞」を踊るんだよ。それと小学校5年生で長男という条件で選ばれた子が「三番叟」を舞うんだよ。長い歴史の中で栄枯衰勢はあるけど、神社を大事にして祭りという心棒で在所がまとまってきたと思うとるよ。
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- 中能登町能登部下