こみみかわら版バックナンバー
はい!社長です♪-スナック小よし-
鉄道郵便車 オユ10形
七尾ブルドッグ 男子
私の仕事は“農業”です
農業の仕事とは
スギヨファームでキャベツ、人参、玉ねぎなどの野菜を作っています。
きっかけ
元はスギヨに勤務していました。
平成18年にスギヨが農業に参入することになり社内に公募がありました。
趣味で家庭菜園をやっていましたし、農業に将来性を感じすぐに応募しました。
道のり
能登島の耕作放棄地を利用して畑を耕していきました。畑の面積が大きいので、家庭菜園の延長でのイメージと全然違いました。3人のスタッフ全員、農作業の未経験者です。道具の準備から話合いました。本当は指導者が居てくれればよかったのですが、スギヨでは伝統的に、「新しいことはとにかく自分達で挑戦していく、だからこそノウハウが蓄積ができるのだ」という考えがあります。
まさに0からのスタートでした。
最初の収穫
初めて植えた野菜はジャガイモでした。
しかし勉強不足のため不作でした。病気の防除の知識が無かったのです。それで、近所の農家の方に相談したところ、非常に親切に教えて頂きました。次に植えたキャベツが収穫できたときはとても嬉しかったです。
石川県では企業の農業参入はスギヨが第1号でしたので、この収穫の時、テレビ局が何社も取材に来ました。その時改めて事業としても成功させなければならないと責任も感じました。
大変だった事
当初は石の多さに驚きました。耕せど、耕せど石だらけの畑では、とにかく石の除去からです。野菜を運ぶ運搬機に石を積んでは、地道に除去していきました。また水の出ない畑では、500kgのローリー
タンクで水を何度も夜中まで汲んできては、星空を見ながら水撒きをしていました。
意外な話
能登島にこんなに広い農地があることにビックリしました。
初めて畑に立った時、北海道ではないかと思いました(笑)
4.8ヘクタールで始めた畑が、今では26ヘクタールもあります。
仕事の喜び
農業は畑を耕し、肥料を入れ、種をまき、水をまき、収穫となります。
手塩にかけた野菜が育っていく姿を見ることが楽しみであり、収穫した時にはひとしお喜びを感じます。
これから
3名から始めた能登島農場は、現在20名になりました。これだけ大所帯になるとは思っていませんでした。新卒や大会社からの転職など多くの若者が就農しています。
農業は数字に出てこない勘と腕前が必要です。
今までの経験を後輩に伝え、作るだけの農業から、作って、加工して、販売まで出来る農業生産者を育てることが使命だと思っています。
住所:石川県七尾市西三階町10号4-1
電話:0767-54-0831
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- Tags:
- 株式会社スギヨファーム
- 農業
第53回 七尾市青葉台町
在所の由来
下町と八幡町の山を開いて団地にした町でね、造成したのは福井県の三谷不動産でね、七尾の青い空と山の緑をイメージして、青葉台町と命名したと聞いとるよ。
昔と今
市議会で正式に青葉台町として認められたのは昭和55年でね。 まだ34年しか経っていないので、歴史は浅いんだよ。 売出し当初は3世帯しかなくてね、少しずつ家が建っていったけど、10年間は在所の形態がないまま、ただ住んでいるという状態だったよ。 まだ管理事務所があってね、管理人がお世話をしていたね。 当時は、広々としていて、ウグイスの声で朝を迎えるのが楽しみだったよ。 街の発展と共に自分の人生も発展していくんだという夢を抱か せる雰囲気があったね。 それと、今思えば バス停を設置する時も大変だったな。「人も居ないのに、まだいらないでしょ」となかなか相手にしてもらえなかったけど、バス停があれば人が増えるからと掛け合ってね。 昭和59年にバス停が出来たときは嬉しかったね。
町会の取組
平成10年によさこいのイベントをやって、それから町内会として結束してきたね。 今は、花見・消防団・お祭りなど皆で協力しているよ。10月5日の祭りでは、神社が無いので山車に神様に光臨賜り祭りをするんだよ。獅子舞は徳田町から教えてもらったんだよ。 次は神社を建てるか、神輿を作りたいね。
町の自慢
小学生までの子どもが27人いて、 子どもの行事も沢山あるよ。 この子達が青葉台の宝物で自慢だよ。 この子達と一緒に町の歴史を築いていくことが大事だと思うとるよ。
- Tags:
- 七尾市青葉台町
秋祭り!七尾市青葉台町のみなさんですっ!
七尾郵便局-郵便部-
はい!社長です♪-ヘアーマジック舞夢-
中能登町立 御祖小学校
中能登町男女共同参画推進員の会 むすびたい部会のみなさん
私の仕事は“レジ係”です。
レジの仕事とは
買物された商品を確認しながら精算をしてお渡し致します。
きっかけ
子育てしながら、手ごろな時間で何か仕事が出来ないかと探していたときに、どんたくの夜間レジ18時~21時を見つけて応募しました。
道のり
昔、レジはチェッカーとサッカー(袋詰め)の、二人一組でした。
近年、袋詰めはお客様自身でお願いしています。当初、私はチェッカー担当でしたが、当時の専務(現社長)から「どうや昼もやってみんか?」と背中を押して頂き、やる決心をしました。 お昼は10時~16時まで雑貨担当で、仕入れや陳列を任されました。
ある日、『サッカー』の応援に入って下さいと店内放送が流れ、先輩から応援に行くように促され、おっかなびっくり、初めて袋詰めをしました。お客様から「すごい上手く入れてくれたね」と褒められた時、なんと楽しい、こんな幸せな仕事があるのだろうかと思いました。
意外な話
レジの世界もどんどん進化しています。速さ、正確さ、接客が三要素ですが、常に改善されレジの打ち方、おつりの出し方などコンクールまであります。
社内では若い人が優秀です。私は自己流が変えられず、どんたくで一番へたくそなレジだと思っています。それでも、お客様の求めに応え、それが喜びになっている自分がいます。レジ係はお客様に育ててもらっているのだと思います。
仕事の大変さ
三人の子育をしながら、勤めてきました。 入社当時は10時~16時まで勤務、一 旦家へ帰って夕食や子どもの世話、また、18時~21時まで勤務していました。 その後、通常の勤務時間となり、28年間続けて来ましたが、 「やだ」とか 「大変」だと思った事がないんです。一日も欠勤したことがありません。朝、体調が悪くても制服を着るとシャキッとなってしまいます(笑) こんな気持ちで60歳を迎えられることに感謝します。仕事のおかげで子育ても大変だと思わずに、やってこれたと思います。
仕事の喜び
私は袋詰めが、お客様と心が通じ合う瞬間だと思います。
たとえば、「自転車ですか、歩きですか」と聞きます。そして自転車ならカゴに入れやすいように、歩きなら袋を二つにして重くならないよう、お客様の事を思いながら必ずお声をかけます。
毎日同じお顔のお客様も多いので気を抜けませんし、場合によってはより気を使うこともあります。そんな顔なじみのお客様が来て下さる事に感謝し、お顔を見られる毎日が本当に楽しいんです。
これから
来年60歳で定年ですが、65歳になっても70歳になっても、レジは続けていきたいと思います。
私はこれしか出来ないので、体が動く限り続けて行きたいと願っています。
住所:石川県七尾市作事町80
電話:0767-53-2727
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第52回 七尾市中島町横田
町名の由来
在所のすぐ隣にお熊甲祭りを司る神社があって、昔は熊木の郷の中心でね。 その神社の横に開けた田、横田となったと思うよ。
昔と今
生活は農作業を中心に営んでいた在所だよ。私の子供の頃、在所の稲刈り前に、お母さん方が加賀平野の稲刈りに出かけていたよ。一週間から二週間、その間は父ちゃんたちで子供の世話をしとったね。 そんな田んぼが生活の中心の在所だから、最初の耕地整理は昭和27年に完成してね、二回目は平成元年に完成したんだよ。 その時に熊甲祭り会館の用地を提供しているんだよ。 熊木川沿いに桜の木を100本以上植えてね、もう18年経っているから春には見ごたえがあるよ。 不思議な桜があってね、一本の木にピンクと白の花が咲くんだよ。カット石という民話もあってね、大きな石の中から金の鳳が飛び立ったという、その石が在所の二の谷にあり、今も語り継がれているよ。
町会の取組
環境保全会という組織を作ってね。在所の全世帯が参加して、田んぼの畦や農道の草刈、えほり、道路沿いの空き缶拾い、熊木川の掃除や桜の剪定などを行っているんよ。自主防災組織では、「自分たちの身は自分たちで守る」ということで、お母さん方で非常食を作ってもらって皆で試食したり、防災器材の購入整備も進めているよ。
在所の特徴
個性的な人が多いんだけど、非常に協調性の強い気質の在所やね。お互いに声をかけあってくれてね。だから在所の中では揉め事がほとんどないね。田んぼを生業として協力し合って来た歴史がそういう風土を作ってきたんだろうね。
- Tags:
- 七尾市中島町横田
袖ヶ江地区敬老会で七尾まだらを踊ったよ!-袖ヶ江保育園 さくら組(年長)さん-
北陸銀行 七尾支店
はい!社長です♪-おぶつだんの千徳屋-
能越幹線(送電線) 鹿島バイパス久江西 交差円の頭上にあります
鹿島バイパスから見える鉄塔群。2005年から運用され、志賀町から富山の福光町まで500KVでこの赤白塗装は昼間障害標示といって航空機に「送電線アリ」と伝えるものです。
第9回 七尾市民健康福祉まつり 実行委員会と出展者のみなさん
私の仕事は“革職人”です。
革職人の仕事とは
なめした皮で、革製品を製作しております。財布やハンドバック、革小物など、お客様のご要望にお応えしてセミオーダーやフルオーダーもさせていただいております。
きっかけ
子供の出産を機に、家で出来る仕事を模索していました。
そんな時、主人が革の小物に興味があるようで、中々自分好みのものがないと言うのを聞きながら、ある雑誌で女性の革職人がいることを知ったことは衝撃でした。その方にも子供がいて、生き方もかっこいいと素直に感じ、それ以上に「私もこうなりたい」と強く思ったのです。
道のり
早速、革細工のキットを取り寄せ、挑戦してみましたが、思った以上に上手くは出来なかったのです。小さな小銭入れでした。
簡単に出来ると思っていたのですが、難しかったのです。その奥深さを知り、逆にのめり込んでいきました。
最初は子供や主人の革小物を作りながら、これが仕事になればいいなぁと思っていました。
最初の仕事
お財布を作りました。最初のお客様は兄弟や友人です。そこから少しずつ口コミで広がっていきました。
当時は難しい要望だったらどうしようとの思いの中、すべて独学で手探り状態でした。今思えば、その時々に、私にチャレンジをさせてくれるお客様が絶えず居てくれたことが励みになり、今日まで続けてこれたのかなと思います。
仕事の大変さ
細かな仕事ですから、大変なこともあり
ます。
店舗販売や、web販売もしておりますから、作品を作るだけではなく、幅広く柔軟にお仕事をしていく必要があります。私たちの仕事が成り立っているのは、お客様があってのこと。
大変より楽しい!嬉しい!の方が多いのも続けていける大切な力となっています。
新しい取組み
大変ありがたいことに、主人は塗師と木工の経験がありましたので、その技術を革に取り入れることで新しい境地の製品が生まれます。オリジナルの革のi Phoneカバーなどは、主人の柔軟な発想・広い視野のおかげで世界初の革製品が生まれています。これからは主人と二人三脚で歩んで行きたいと思い、お店の名前をアイコからタソラに変更しました。田鶴浜の「田んぼと空」がモチーフです。
住所:七尾市川尻町へ8
電話:0767-68-2401
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- Tags:
- tasola(タソラ)
- 革職人
第51回 七尾市祖浜町
町名の由来
江戸期から明治22年にかけて村名が付けられたときは曽浜と書かれたそうやよ。詳しい由来はわからんけど、ここの海岸は砂浜で古墳時代から塩作りをしていてね。先祖から大事に受継いできた浜だったんで、先祖からの浜、祖浜となったんかもしれんね。
在所の歴史
縄文時代のイシノボリ遺跡があってね、多くの土器が今でも出土しとるよ。この土器で塩づくりをしとったそうやよ。 平安時代の集落跡もあってね、壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門が住み着き、開村したと伝えられとるよ。また江戸時代には、天領地となってね。隣の石崎町は漁業で栄えていくんだが、祖浜は漁業が許されんでね、塩づくりを担っていくんよ。古くから塩を作っていたんで、天領になったのかもしれんね。
在所の取組
「助け合う心」と「よい環境を子孫に残す」ことを信条に、町会運営を心がけとるよ。自分たちの住む在所は、自分たちで守っていこうということで、全世帯が協力しているんよ。 高齢者の一人暮らしや病気などで、神社や道路の整備などに参加できない場合は、出不足など徴収せず、その分担を壮青年団が出向き、協力してもらってね。昨年も原子力や津波災害訓練を町内総出で行い、津波避難道の整備も行ったよ。
在所の自慢
10月5日が秋祭りなんやが、今年は獅子頭、太鼓、天狗の面等を新調し、壮青年団が子どもたちに一ヶ月前から笛太鼓、獅子舞の踊りの練習をさせとるよ。 祭りも、奉仕作業もすべて一丸となって行うことで絆が強くなって、年寄りも若者も子ども達も一緒になって、声掛けや挨拶のできる在所なんだよ。それが最高に嬉しくて最高の自慢だよ!
- Tags:
- 七尾市祖浜町