津向のメガソーラー
平成29年、七尾市津向町に突如現れた巨大な太陽光発電。
ひよこのイセ食品が遊休地を活用して建設しました。
地球の温暖化対策の一環でもある太陽光発電です。25haと広大な敷地で年間に
一般家庭で約9000世帯が使う電力を発電します。
平成29年、七尾市津向町に突如現れた巨大な太陽光発電。
ひよこのイセ食品が遊休地を活用して建設しました。
地球の温暖化対策の一環でもある太陽光発電です。25haと広大な敷地で年間に
一般家庭で約9000世帯が使う電力を発電します。
大津潟には近くの弘法の水と水源を同じくする名水が流れ込み、川エビや御所守貝などが生息し、うなぎが育つ環境があります。稚魚を放流し後は自然に任せて成長を待ちます。
春彼岸から秋彼岸までが漁期ですが、中島町の割烹お富で食べられます。
中島町の小牧と外地区の伝統行事で6月第2土日の2日間行なわれます。鐘太鼓を打ち鳴らし、松明を掲げた老若男女が 「どろ虫ゃ、出てけ~」「うんか虫も~」と大きな声で畦道を進みます。
終盤二つの地区が合流し幻想的な灯りが里山に揺れます。
藤橋町能登病院口の交差点脇にある岩屋の水は岩窟の中から湧き出でる清水です。
古くから飲料水や酒造りに用いられて来ました。
明治に入り港に寄港する船が多くなり飲料水を補給するため木管をつないで水を送りました。
七尾の水道の始まりです。
鳥越の在所に咲く絨毯のような芝桜。
国の制度補助を利用し、在所で参加出来る人たちが一年を通じ四季折々の花が観られる所をと整備を進めてきました。
芝桜5,050株のほか、紫陽花しだれ桜にツツジ、紅葉やシャクナゲなども植えられています。
石崎町出身の力士で現役時代の最高位は関脇です。
十両優勝2回殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞を1回と活躍しました。
七尾商業から拓殖大に進み、学生横綱にもなりました。
現在は春日野部屋竹縄親方として後進の指導をしています。
能登島の閨(ねや)にある行者鼻は昔は小島で、ここに行者が修業していました。
この行者は白山を開山した泰澄大師弟子で寝ての修業ばかりしていたので、
村人は臥(ふせ)の行者と呼んでいました。
閨の地名も行者の寝屋が由来になったようです。
七尾市黒崎町で生まれた杉森久英は昭和37年、「天才と狂人の間」で直木賞を受賞。
少年期は母の実家の一本杉や阿良町等で暮らし、父の転勤で10歳から金沢へ。
東大国文科卒で作家を志す。平成4年妻杉森喜久代さんと黒崎町有志で樫の木を植樹。
能登島町「ガラス工芸の島」構想でまずガラス工房を誘致し、平成3年ガラス美術館が開館しました。
建物のモチーフは宇宙の流れで、自由に変化する象徴として館内には「雲」をイメージしたオブジェや装飾が施されています。いくつあるか探してね。
嘉永6年4月、加賀藩12代藩主の前田斎泰(なりやす)が能登の海防状況視察のために通った道で、中島町笠師から奥吉田間の1200mが現存し一部が石畳になっており、殿様道と呼ばれています。
この年ペリーの黒船が静岡県浦賀に現われています。
七尾駅構内にある33kgのレール。
日露戦争に勝利した日本は、戦利品として明治31年に七尾港へ持ち帰り、
大正3年頃に七尾線全線に敷設されました。
その後取替えが進み、穴水輪島間最後の900mが昭和49年に撤去されました。
渡り鳥が集まる七尾西湾。波静かな海に並ぶ水田、肥沃な土壌の干潟、里山里海を凝縮した公園です。
池や草木を施し野鳥が飛来しやすい環境を整え、まさに野鳥の楽園。
観察施設もあり気軽に観察できます。希少種の渡り鳥も飛来することで有名です。
中能登町瀬戸にある名水。珪藻土や火成岩の活断層を逆浸透して山腹に自噴。
無雑菌で腐らず、健康水として多くの人が汲みに訪れます。
武士の霊場で畠山家臣の菩提寺として栄えた十劫坊ですが、七尾城落城の24年
前に、内紛にて焼損瓦解しました。
お七の父は七尾出身の加賀藩足軽。参勤交代で江戸に出たときに脱藩し、本郷駒込で八百屋を開業。
成功して財を蓄えましたが、娘お七は恋する人を想い放火。そして火あぶりの刑に。
母の発願で隠密裏に供養塔を建立。約330年前に建てられています。
大谷川の源流、城山の奥深くにある20mの滝。その急峻な山肌に掘られた祠に安置された不動明王。
大正14年ここで雨乞いの神事を行うと雨が降り、そのお礼に安置しました。
今は古城の真舘家と城山を愛する会、妙観院とで毎年法要を行っています。
能登歴史公園内に完成した博物館。能登の自然の中で育まれた祭りや、
生活様式など、能登ならではの文化歴史に触れる事で、能登に暮らし続
けた能登人の偉大さを改めて確認出来ます。
私達も故郷に誇りを持ち、未来に繋がなければなりませんね。
城山の懐古館前にある茶室。汽船会社で一代を築いた市内旧樋爪家の
庭園にあったもので大正末期に京都高台寺の傘亭を手本に造られました。
亭主は、かなりの腕前でないと点前が務まらないと言われる半畳台目、
逆勝手の造りで、日本最小の茶室です。
能登食祭市場横の船着き場から、遊覧船の「Sea Bird」が出航しています。
出航するとウミネコが追いかけて来て手でかざした餌をついばみ、
とってもスリリングです。
和倉遊覧コースでは能登島大橋を見上げる事ができ、その迫力に驚きます!
石川県で唯一の水族館です。昭和57年に開館して36年経ちました。
今年の4月に回遊水槽をリニューアルし、日本海側の水族館では初めての
プロジェクションマッピングと合わせて、まるで海中散歩をしている気分で、
泳ぐ魚たちを観る事ができます。
御便殿とは皇族が休憩する建物です。
明治42年、大正天皇が皇太子の時、和倉行啓の際に建てられました。
当時珠洲から千人、鳳至から二千人の小学生を集めて市内のお寺で宿泊し、
袴を履きお迎えしたそうです。
昭和51年に青林寺に移築されました。