こみみかわら版バックナンバー

はい!社長です-俺たちのステーキ 堂口亭


俺たちのステーキ 堂口亭 堂口 輝雄(どうぐち てるお)さん 45才

高卒後、県外に永らく暮らしていましたが長男なので故郷へ戻りました。

個人的には魚も大好きなのですが、国産ロースをリーズナブルな価格で身近に
味わって頂きたいと思いステーキのお店を昨年2月にオープンしました。
とにかくお米と肉にこだわっています。

1月に長男が生まれ、忙しい毎日ですが癒やされます。
店も家庭も頑張らなくてはと身が引締まります。

住 所:七尾市国分町ラ部20-1
お電話:0767-58-6080


恵寿総合病院


恵寿総合病院 鈴木 杏奈(すずき あんな)さん 23才

私の目標は食に関わる仕事をすることで、今年の4月に静岡県から移住してきました。
臨床栄養の雑誌で恵寿総合病院特集に魅力を感じ、病院の管理栄養士として就職しました。

見ず知らずの土地での生活は、文化や方言の違いに戸惑いもありましたが、
職場環境に恵まれ、地域の方々の優しさに支えられ充実した日々を過ごしてます。
成長のため勉強を頑張ります。


住 所:七尾市富岡町94
お電話:0767-52-3211


第50回 「輝け!郷土の星」柔道の 水道 啓人くん (天神山小5年)


全国準優勝!

第16回全国小学生学年別柔道大会に出場した天神山小学校の水道啓人くん、見事に準優勝しました!この大会は各県で優勝した選手しか出場できません。
5年生と6年生の男女2階級あり石川県からも毎年男女8名の選手が出場していますが、1回戦突破が難しい大会です。

啓人くんは七尾幼稚園の時から体が大きく何かスポーツをということで2才上の兄と柔道を習い始めました。現在は中能登柔道教室で週3回の稽古を続けています。石川県大会では小1から負け知らずで優勝を続けてきた啓人くん。早く5年生になって全国大会へ出場したいとこの日を待ち続けて来ました。

初陣の全国大会

身長155cm、体重100kgの啓人くん、立派な体格です。しかし会場は全国大会、雰囲気が違います。

緊張の面持ちで1回戦に臨みます。相手は優勝候補の一人、千葉県の久保選手です。得意の払巻込で技ありを2回、合わせ一本で勝利しました。最初の難敵を倒したことで気持ちに少しゆとりがでました。
2回戦の相手は佐賀県の福田選手です。小外掛、払巻込で合わせ一本。
3回戦高知県の山中選手には後袈裟固で一本、
4回戦宮城県の太田選手とは3分間の激闘の末に判定勝ち、
5回戦いよいよ準決勝です。大阪府の松林選手に払巻込で技ありを取り、そのあと押さえ込んで袈裟固に入り10秒で合わせ一本。

さぁ、ついに決勝戦!相手は兵庫県の吉田征矢選手です。体重70kgの試合巧者で優勝候補です。実はこの顔合わせ初めてではありません。過去6回対戦してきました。しかし一度も勝った事のない相手なのです。いよいよ試合が始まり両親をはじめ50名以上の応援団も固唾を呑んで見守ります。啓人くんが引き手とつり手を取って組もうとしますが、吉田選手は大人びた試合運びで組ませてくれません。そうこうしている内に啓人くんに指導が入ります。

3分間の戦いは指導ひとつ受けた啓人くんの判定負けです。投げられたのなら諦めもつきますが、悔やんでも、悔やんでも、悔やみ切れない決勝戦となりました。試合が終わり控えに戻った啓人くん、柔道で初めての悔し涙を流しました。



日々精進!!

オリンピックを目指す

悔しかった!と一言、来年は絶対に優勝すると啓人くん、夢はオリンピックと歯切れが良い。憧れは金メダリストの井上康生日本代表監督と全日本優勝の原沢久喜選手だ。

練習は辛いと思ったことはない。と言うが、合宿での朝練習のランニングだけが苦手ですと笑う。今までは勝つ事でモチベーションを維持してきたが、今回負けたことで更なるモチベーションアップになったようだ。今回の戦績により12月と来年2月の日本柔道連盟による小学生の全国強化選手合宿に招聘されている。

強さだけでなく、礼儀礼節を教え一人前の社会人となることを目指す中能登柔道教室。北野監督はまだ小学生なので今は正統な柔道を学ぶことが選手として息が長くなると先を見据える。素質はあるので中高で体力と精神がどう成長するか努力次第だと期待を寄せる。大きなお茶碗で朝晩3杯のご飯を食べる啓人くん。大きく、大きく、羽ばたいてほしい!



監督・コーチのおかげです!


赤浦潟


昔は海の入り江でしたが、防湖水門が出来てから、
海水と淡水の汽水湖になり、今では完全な淡水湖です。
一周約4、4kmあり、毎年鯉の稚魚とワカサギの卵を放流します。
かつて赤浦の祭りでは真紅の旗を立て神輿船と囃子船で潟を回りました。


第174回 七尾市南藤橋


町名の由来

昭和二十五年に藤橋町から分町した町でね。
藤橋町の北に位置するのにどうして南藤橋なのかと言えば、分町する区域の中を更に区分けして
北、南、西と分けたからだよ。だから南藤橋の北に北藤橋町、西側に西藤橋町が誕生したんだね。

ちなみに藤橋は文禄四年、一五九五年に前田利家が小丸山城を作る時そこに住んでいた人を
こちら側に移して、城の外堀に藤の橋を架けたことが由来らしいね。

昔の在所

ここは昭和十年に鉄道公舎が建ってから住宅が増え続けてきたんだ。
それで分町することになったんだろうね。いわゆる新興住宅地で寄せ集まりの在所だったんだね。
若い世代が多いので、とにかく名前と顔を覚えようということでいろんな行事をやってきたんだ。
聖母幼稚園で盆踊り大会をしたり、鵜浦や千里浜へ海水浴に行ったり、町内全域で宝探し大会を
したけど、当時は子供でいっぱいだったからね。

それとこの町は政治家が育つ街かもしれんよ。
かつて市議、県議、国会議員と政治家が出ているからね(笑)

現在の在所

人口がこの十五年間で二百人も減っているんだ。小学生も百人以上いたけど今は三十人ほどだよ。
聖母幼稚園と近くに七尾中学、七尾高校があるので賑やかな感じはするけど六十五歳以上が
百三十八人と高齢化は否めないね。夏祭りにはここで育った二代目、三代目の若い人が帰省して
奉燈を担いでくれるので盛り上がっているよ。

鉄道の電化で奉燈が電線につっかえて三島町の仮宮まで行けなくなったので今は町内を隅々回る
ことにしているんだ。近年は恒例のバス旅行と平成二十九年より百歳体操を週一回行っているよ。
ここは従来からの班が十八、マンション、アパートの班が十五で合計三十三班あるけど、
外国人も多くごみの問題なども含めどう交流するか課題もあるんだ。

それともうひとつ大きな問題が能登唯一の開かずの踏切だね。
回送電車など駅構内での入替などもあり、何分間も踏切が上がらないことが日に数回もあるんだ。
町内の道路は狭いし、踏切を渡れば右折、左折と混み合い、そこに自転車と住民や高校生が並んで
本当に危ないんだ。駅前と駅裏を結ぶ陸橋を架けるか地下道を作ってほしいと町内では願っているんだ。

七尾の中心地をどう描くか今こそ行政と政治が一体となって力を発揮して頂きたいと思いますね。

あきこのひと言

新しい街、生まれて暮せば、
かけがえのない故郷。


バトントワーリング


能登で唯一つの教室で現在は小学生1名、中学生2名で頑張っています。

大会には金沢教室のメンバーと合流し先日の北信越大会では金賞でした。
今日本のバトン技術は世界一のレベルになっており、柔軟性、リズム感、協調性などが養われます。

七尾のさくら祭りや、ちょうちん行列などのイベントにも参加しています。


はい!社長です-かねしげ


かねしげ 田中 愛(たなか あい)さん 41才

祖父母が昭和25年に七尾銀座で八百屋を始めます。
両親が惣菜を始めますが当時は珍しかったそうです。

私は辻調理師学校を出て金沢でケーキ屋さんと東急ホテルでフレンチを担当していましたが、
昨年の3月に三代目として店を引き継ぎました。

毎日来て頂いても飽きないように新メニューを心がけています。
父母の築いたお店を汚さず守っていきたいと思います。

住 所:七尾市小丸山台2-42
お電話:0767-52-1134


西湊地区コミュニティセンター


西湊地区コミュニティセンター 西川 尚美(にしかわ なおみ)さん 49才

失業中、友人に紹介されて当時の西湊公民館へ。
今のセンター長に「すぐ仕事に来てくれ」と言われ嬉しさのあまり、仕事内容も全く知らず就職を決意。

初年度に一大イベントを成功させ、人生初の胴上げを経験し早3年です。
人をまとめ事業を成し遂げる事の難しさに直面する度くじけそうになりますが、
スタッフに手を差し伸べられて奮起する日々です。


住 所:七尾市津向町松山部1
お電話:0767-52-2623


座主家(中島町藤瀬)


江戸時代の口能登地方の標準的農家で入母屋平入り造りの合掌茅葺の建物。
昭和46年に国の重要文化財に指定されています。
昭和54年に座主家当主に月光観音のお告げあり「病の治る水」藤瀬の霊水が発見されました。


第105回 私の仕事は『移動スーパー』です。


何でもお申し付け下さいませ!

仕事歴3年 道下 利明さん 54歳

移動スーパー「とくし丸」

「また来て~、待っとるよー」そういう言葉が嬉しくて毎日がとても充実しています。
前はお弁当のお店をやっていたのですが体調を崩して辞めました。
ちょうどそんな時に移動スーパー「とくし丸」がテレビ東京の番組「ガンブリア宮殿」に
紹介されていたのを見たのです。あんなに喜んでくれる人がいる仕事なら自分もやってみたい
と思っていたところ、どんたくが「とくし丸」をやるということをメディアで知りすぐに
話を聞かせて頂き、石川県初の移動スーパー「とくし丸」一号車を担う事になりました。
その三ヵ月後に金沢で二号車が走り現在五号車まであります。

それぞれが個人事業主となっての独立採算制です。
能登地区では今のところ私一人です。エリアは七尾市街地を中心に近郊を週五日間回っています。
「とくし丸」とは徳島県が発祥の地であることと、買物弱者の救済ということから篤志の意味も
込めて名付けられたそうです。

無駄な買い物はさせない

全国的な高齢化の中で買物が自由に出来ないお年寄りが急増しています。
便利な世の中になったのですが生活に必要な魚・肉・野菜の生鮮三品すら
買えない人たちがいるのも現実です。
冷蔵設備が付いた軽トラの「とくし丸」に刺身、鮮魚、肉、惣菜、豆腐や油揚げ、野菜に果物、
卵に醤油や味噌、お寿司、お米、飴にジュース、トイレットペーパーやシャンプー等の
生活必需品を一杯にして決められたルートを時間通りに移動していきます。
皆さん心待ちにしていて二十人も集まる場所もあります。

私は商品を用意して売りに歩くのではなく、買物に出られないで困っているお年寄りに代わって、
どんたくから買い物をして届けているという、いわゆる買物代行だと思っています。
お米でも調味料でも人それぞれに好みが違いますが、そんな声を聞かせて頂いて
後日届けるようにもしています。買物とは本来楽しいことなのに、
お客様が自分の思いと違う物を我慢して買っていく姿は悲しいことです。
欲しいものを喜んで買っていく時の笑顔が私の喜びとなっています。



さぁ、出発!

もう一つの価値

この仕事をしていて感じるのは、直接的であれ間接的であれ人は多くの支えがあって
生かされているということです。私自身多くの人との出会いから絆が生まれ、
やさしい笑顔や言葉を頂き生きる勇気や元気を貰っています。
朝どんたくベイモール店で今日回るお客様の顔を思い浮かべながらピッキングして
「とくし丸」に積み込みます。
出発するときどんたくの女性スタッフさんが笑顔で「いってらっしゃい」と声をかけてくれると
「よし!今日も頑張るぞ!」という気持ちになります。移動先では常連となった地域の方々から
色々な事を教えてもらいます。



支えあいの「とくし丸」

私は食習慣に片寄りがないか、食が細くなっていないかなど感じることがあればアドバイスし、
「元気でおってね」「体に気をつけてね」と声掛けします。
また常連さんの顔が見えないと「あの人どうしたんね?」と聞いたりします。
まさしく、とくし丸が井戸端の役割も果たしているのです。
そんな事から警察の方々と協力して地域をゆるやかにですが見守る役割も担うようになりました。
またラジオ七尾の番組「七尾もしもし探検隊」で移動先から電話中継もしています。
お顔の見えるお客様に、見て、触れて、感じて、選んで、楽しんで買って頂くために、
雨の日も風の日もそして雪の日も走り続けたいと思っています。

「とくし丸」一号車
☎090-2121-7533


第173回 田鶴浜川尻


在所名の由来

明快だね。ここは七尾湾西湾へ流れる二宮川の河口付近に成り立った在所だから、
川の先っぽ、川の尻ってことなんだろうね。それしか考えられないよ(笑)。

昔の在所

古文書からの推測によると関が原の戦いの前後数十年の間に川尻村が出来たらしいよ。
驚いた事に江戸時代から世帯数がほとんど変わっていないんだ。人口は半分になったけどね。

田んぼと漁で暮らしを立てて来た在所で江戸時代には新しく開いた田んぼの灌漑用水を確保するため
八間(十四・五六メートル)の掛樋(かけひ)を川に掛けて用水を渡していたそうだよ。
今は圃場整備をして水は行き届くけど今度は雨水が自然廃水できないんだ。
オランダのように大きなポンプを二台も設置して七尾湾に汲み上げて排水しているんだよ。

明治時代には雑魚やエイ、タコ、立貝の漁業許可を得て漁をしていたんだ。
海は遠浅で子供の頃にはアサリが一杯獲れて海岸で流木を燃やして焼いては食べていたけど懐かしいね。
すだれのように竹を編んだものを設置する「やな」と呼ぶ定置漁法も盛んだったよ。元は端村の川尻で、
明治9年には和倉町の川尻になって、明治十四年から田鶴浜の川尻になっているんだ。

在所の自慢

在所の荒石比古神社は総持寺の山門や東嶺寺を手がけた名工柴田真次が建てたんだ。
莚(むしろ)で囲って完成するまで中を見ることならずで、完成して宮が現れたとき、
あまりに立派だったのに村人は皆ぶったまげたと伝わっているんだ。
この神社は伝承によると神功皇后征韓の帰り嵐で船が難破してここに漂着し、その部将が
垣吉に居住し守護神を奉納したことが始まりでそれを現在地に移しているんだ。
それで神社の扉には菊の御紋が掘ってあるよ。

小学生3人、中学生3人、若い衆3人、残念ながら今年の秋祭りは初めて獅子舞を中止したんだ。
昔は祭だといえば学校も休ませてくれたけどね。今は人足が集るように祭りを土曜日に変更しても
学校の行事や大会と重なって祭りを優先できない時代になったね。
ここの獅子舞は氷見の阿尾の人に泊り込みで来てもらい習った越中獅子なんだ。
獅子が本当に生きているように踊り、かつては鹿島郡の獅子舞大会で優勝したこともあったよ。

職場でもそれぞれが棒を持ち木のコロやカンナを持っては振り付けを練習してみんなが熱かったよ。
そんな時代がだんだん遠のいていくけどしかたがないね。

あきこのひと言

川と田と海に囲まれる在所
人々が由緒ある神社を囲む。


ナインアーチ


ナインアーチ 中島 美紗(なかしま みさ)さん 39才

以前金沢で勤めていましたが、地元が中能登町という事もあり、
帰省時にはよく「れんげや」に遊びに行ってました。
沢山の出逢いもあり“中能登町に戻ろうかな~”と思っている時に、
エステサロン・ナインアーチのオーナーからお誘い頂いたのをきっかけに戻りました。
れんげや2階に併設されたサロンでお客様に喜んで頂けるよう、日々技術を磨き勉強しています。


住 所:中能登町良川庚61-2
お電話:080-9994-9679


はい!社長です-和風旅館 花ごよみ


和風旅館 花ごよみ 北村 金次(きたむら きんじ)さん 63才

昭和48年に母が始めた北村旅館が前身です。
平成元年に今の旅館を建設し「花ごよみ」として私が二代目を任されました。
この世界にいると時代の流れを敏感に感じます。

平成を振り返っても地元の忘新年会から学生旅行と移り変わり、新幹線効果も薄れた今、
和倉はサッカー合宿で訪れるお客様が増えています。

身の丈にあった家族経営を心がけています。

住 所:和倉町カ部13番地
お電話:0767-62-2083


ラージボール西湊


ラージボールとは卓球のボールより一回り大きく、重さは軽いオレンジ色のボールを使用します。

30年程前から普及してきた高齢者向けのスポーツです。
卓球の経験がない初心者でも十分に楽しめます。

60代から80代のメンバー13名で火・金・土の午前中に練習しています。
ランチや日帰り旅行なども楽しんでいます。


城山陸上競技場


昭和30年代自衛隊により後畠町の原野を開き作られました。
平成15年に全天候型グランドに改修し判定カメラも備え日本陸連公認競技場となり、
平成19年に北陸マスターズ陸上選手権が開催され女子800mで公認の日本新記録が出ています。


第49回 「輝け!郷土の星」三段跳の 花島 育斗さん (七尾高校3年)


県体優勝・沖縄インターハイ出場

ホップ!ステップ!ジャン~プ!
小学校、中学校、高校と跳び続け、インターハイ予選の北信越大会で14m18の自己ベストで6位入賞を果たし目標にしてきたインターハイ出場を決めた育斗くんです。

小4で陸上を始め6年生のときには80mハードル石川県代表で全国大会へ出場したことが陸上を続けるキッカケになりました。志賀中学時代はハードルで県体入賞できず幅跳で4位入賞。心がモヤモヤします。もう少し上を目指したいと迷わず陸上の環境が整っている七尾高校に進学しました。

三段跳

高1の県総体12m80でデビューし、秋の新人戦では13m52で優勝、続く北信越大会で4位となり順調な滑り出しでした。しかしこの時期に疲労骨折します。

三段跳は助走でかなりのスピードで走りその勢いでホップ、ステップとジャンプします。体にかかる衝撃は想像以上です。そのため普段の練習も走りが中心で跳ぶのは週に1回か2回です。陸上は冬季にどれだけ練習したかで春の記録が決まりますが、育斗くんは治療のため冬場の練習が出来ませんでした。2年生の総体では13m01と8位です。骨は治っているのですが実力が戻りません。不安ともどかしさの中で県新人戦3位となり、北信越では13m32を跳び回復を実感。この冬を練習さえできれば来年は絶対にいけるという手応えを感じます。

冬場の練習は怪我をしないように補強をメインのメニューを組みました。育斗くんは自分で練習メニューを考え練習も一人で行ないます。それは大学でも三段跳を続けていくつもりなので自分で理論を勉強し自分で試し三段跳を探求するためです。そんな志を監督の中西先生も認めて育斗くんの自主的練習を見守っています。



怪我を乗り越え

自己ベストでインターハイ

3年生となったこの春、石川県総体では三段跳13m90の自己ベストで優勝、走幅跳も6m66と僅差で2位でした。北信越大会では三段跳に賭けますが出場者ランキングは10位、インターハイ出場は6位入賞までです。

大会は雰囲気も違い気持ちが上がり楽しいと言う育斗くん、少しは緊張したものの北信越大会に照準を合わせてやってきて体調も良いので記録がでるという確信があったと言います。会場の長野県松本市の陸上競技場は風速7mの突風が吹いたりやんだりの悪コンデションです。風速5m以上の強風が吹くと追い風でも向かい風のように感じてしまうという三段跳。走りから踏込みの感覚が狂いバランスが崩れます。みんな同じ状況の中で戦うのですが普段の実力が出せない選手も出てきます。

スピード、跳躍力、精神力、その総合力で1cmが勝負の分かれ目になります。前日には女子400mハードルで七高陸上部の吉本陽菜さんがインターハイ出場を決めています。育斗くんはどんなことがあっても絶対にインターハイへ行くのだと強い意思で挑みました。予選1本目で14m02と自己ベストが出ます。続く2本目が14m18と更に自己ベストを更新。この記録が6位入賞となり念願のインターハイ出場が決まりました。

育斗くんの次なる目標は体育教師になって陸上競技の指導者になることです。
人生の明確な目標が、三段跳によって導かれているかのようです。



目標に向かって!