お熊甲祭 熊野と浜田の若衆
やっぱり祭だぜ‼
やっぱり祭だぜ‼
若い頃からお風呂が大好きで、県内外の日帰り温泉や岩盤浴などいろいろ体験し身体を癒していました。
5年前に初めて米ぬか酵素風呂に入り、衝撃を受けました。
たった15分入っただけなのに、汗が止まらず。
汗が引いた後は、頭のてっぺんからつま先まで全身スッキリ。
頭も軽くなり、お肌ツルツル。
今は疲れたお客様が米ぬか酵素風呂に入り、元気を取り戻して帰る姿を見て私まで元気をもらっています。
住 所:郡町26-1
お電話:090-2837-2914
アメリカ発祥の歩くダンスで、マスゲームのような意外性もあり老若男女問わず世界各国で踊られています。
全国のパーティや研修会などで、新しい友達が増えたり刺激し合いレベルアップしています。移動中もパーティ中もずっと笑顔~間違えても笑顔、それがまた楽しいです。
頭と体を使うことで、日常生活に張り合いが出ます。
リーダー:高田君子さん
10月22日(日) 10:00~15:30 スクエアダンスパーティ開催♪ 見学自由です。
お電話:070-4442-6831(高田)興味のある方はぜひ!
食祭市場の横にあり七尾湾に面した広々とした公園。
避難場所にも指定されていますが、ジャズフェスティバルや港まつりなどのイベント会場としても活用します。
ふっと立ち寄りベンチに座り海を眺めると一瞬どこかへ旅に来たような錯覚に陥ります。
笑顔が花咲く学校へ
七尾は豊かな自然と歴史ある文化が魅力ですが、それを十分に発揮できておらず、 大好きな町の将来に不安を感じていました。
リフォーム業で皆様のお困りごとに寄り添ってきた誇りを胸に、さらに町を元気にする為に仲間と力を合わせ、新築分譲事業に挑戦しています。
若い世代に魅力的な住まいを提供し、事業を通じて地域に貢献していく決意です。
常に学び、前進し続ける企業でありたいと思ってます。
住 所:大田町111部15番
お電話:57-5311
元美術科教員で七高同窓美術会展や志賀町展に出展していました。
高卒50年・半世紀を記念し、これまでの生き様の一部・途中経過報告として、感謝を込めて「二人展」を開催致します。 相方の裏正博君は七高美術部員同級生です。
AIの時代ですが絵を通して体験を重ねイメージを膨らませ、心の宇宙を拡げて元気になって欲しいです。
生活をより豊かに想像的に創造していきたいです。
住 所:七尾市桧物町35番地 のと共栄信用金庫本店2階
のとしんギャラリーかわも
お電話:090-6272-1895
この秋、国民文化祭の七尾市メイン事業として仲代達矢演出、無名塾による「等伯-反骨の画聖」が能登演劇堂で公演される。
昭和60年に仲代達矢氏が主宰する無名塾が中島町に合宿を始めたことで、七尾に演劇の文化が根付いた。無名塾のロングラン公演では多数の市民エキストラが参加し、県内外から多くの観客が訪れる。
そして今、「ノトゲキ」が動き出している。日本大学芸術学部演劇科の学生が中島町で合宿し、地元の人々との交流を深め、公演を重ねている。その仕掛け人、俳優の瀧腰教寛さんにお話を伺った。
中島中学校の時、初めて能登演劇堂で観劇した。その時はまさか自分が俳優の道を歩むことになるとは思ってもいない。それよりも音楽に夢中だった。
高校進学は石川県立工業デザイン科に進みたかったが家族が大反対。ちょうど中島高校普通科演劇コースがスタート。それならばと入学し第1期生となる。
演劇を指導する酒井藤雄先生も音楽が好きな事もあり、5人の仲間とバンドを組んでギター三昧の楽しい3年間を過ごす。
日本大学芸術学部演劇科に進学するも、都会へ出て音楽で飯が食えるようになってみんなに一泡吹かせてやりたい!そんな思いが強かった。
しかし、全国から集まった同期はみな演劇に真剣であり本気度が違っていた。授業で海外の現状や、演劇界の苦労の跡を知るにつれ、演劇とはこんなに奥が深いものなのかと初めて感じ、生半可で演劇をするわけにはいかないと悟る。
すぐに日芸で一番厳しいと言われる「殺陣(たて)同志会」に入部。軍隊のような上下関係、週4日午後6時から9時までの3時間、罵声が飛ぶすごく厳しい鍛錬だ。
真田広之、古川登志夫など芸能界で活躍するOBも多い。4年間続けた。おかげで殺陣の振付けを演じられる役者になり指導もできる。
卒業して同期と二人で劇団「動/Note」を立ち上げた。給料をもらって演じるより自分たちの演劇を追求したいと思った。
5年間の活動で、演劇人コンクールや演劇祭など登竜門となる舞台出演で注目され始めたが、ちゃんと飯を食っていけるのか不安は付きまとう。
自分たちのカンパニーを育てたいという夢があるが、稽古場の手配や団員との人間関係などで疲弊していく自分がいた。
そんな時、映画の出演依頼があった。千葉県館山市でのロケ現場、殺陣のアクションで高所から飛び降りた瞬間、背中に激痛が走った。
第一胸椎骨折、3ヶ月間の入院。病室の天井を眺め今までを振り返った。
演劇は自分にとっても、社会にとっても必要だし発展させなければならないという理念がある。
自分の使命は何なのか?考えるため劇団を辞めフリーとなった。自分を俳優へと導いてくれた環境が故郷にある。
無名塾が能登の豊かな自然の中で人々と交流を深め演劇文化のすそ野を広げてくれた。
微力でも第二の矢を放ち故郷に恩返しをしたい。「ノトゲキ」を立ち上げた。
第1回は日芸の後輩17名が参加し一軒屋で1ヶ月間共同生活をして祭や職業体験をもとにした創作劇を上演した。
今年で5回目となったが課題も多い。ノトゲキも分岐点として検証が必要だし、自分自身も舞台俳優として見つめ直してみたい。
将来は国内外で活躍する演劇人がこの地に風の人となり訪れ、時に土の人となって暮らし、一年中どこかしこで演劇の花が咲いている、そんな街づくりに貢献していきたい。
熱く語る俳優に地元の理解と応援が必要なのは言うまでもない。
解らないんだよ。誰に聞いても由来は聞いていないと言うからね。
ここは地勢的にも早くから発達した地域で文化的にも栄えた場所だったので中心地という意味で元となっていた所だと思われるんだ。
「世の元」といったら大げさかな(笑)。
万葉集、大伴家持の能登国の歌三首に、「梯立の熊木酒屋にまぬらる奴わしさすひ立て率いて来なましをまぬらぬ奴わし」とあり、熊木の酒屋で怒鳴られているドジな奴、できることなら誘い出して連れて来てやればよかったと詠まれているから、奈良時代から酒屋が並んでいたんだね。
在所の殿山(とんやま)は城跡で鎌倉初期に長谷部信連が能登の地頭になった時に最初にここに住んでそれから穴水に移ったといわれているんだ。
南北朝時代に熊木左近将監(くまきさこんしょうげん)が城主となって熊木荘を支配していくんだ。この熊木左近将監が禅宗を好み京都の東福寺から月浦宗暹(げっぽそうせん)という僧侶を招き開基したのが在所の古刹、臨済宗定林寺なんだよ。定林寺には七尾市指定文化財の仏像や絵画があるよ。
江戸時代に大阪と北海道を結ぶ北前船が日本海を航行するようになると富来福浦港で揚げた荷物が運ばれ、熊木川から七尾西湾に出て各地を結ぶ水上交通の要衝となり、宿場としても発展していくんだ。
昭和五年の商店街の大火災は五月二十四日午後零時半頃出火して折からの強風にあおられ板葺き屋根に一気に火が広がったんだ。百二十五棟が焼けて代本も数軒を残しほぼ全焼しているんだ。商店街で道路幅が広くなっているところが大火の区域なんだよ。
この大火にも燃えなかった大きなタブの木にしめ縄をして保存しているけど不思議にこの木から桜の花が咲くんだ。
その横のお舘の水は生活用水でみんな汲みに来ていたけど、渡辺のジュースの素や春日井のシトロンソーダを溶かして飲んだもんだよ。
宿場の名残で石川亭、水月、藤吉、かんべ、そうすけ、てがら、ゆがみなどの料理屋、茶屋、置屋が並んでいたし、映画館や銭湯もあって水銀灯が並び七尾の大手町みたいに賑やかだったよ。
鉄道や車の時代になり中島駅も国道も近くに誘致したけど結局離れて出来てしまい商店街は衰退していったんだね。
激動する環境でこの先の事は分からないけど、今を生きている人が協力して、今に感謝して暮らしていかないとね。
小さな在所に悠久の歴史、
これからも続く人の営み。
12人の部員が月2回、外部講師の守克代先生(嵯峨御流)の指導を受けています。 日本の伝統文化に触れ、花を愛で、心が和らぎます。
季節ごとの草花や樹木の名前を覚え、花言葉について考えたり、自然の植物を大切にしようと思うようになりました。
部活動で生けた花は毎回、能登部駅ギャラリーに展示させてもらています。
8/27~28文化祭で作品を発表展示します!
外部講師:嵯峨御流 守克代先生
顧問:中山昌美先生
部長:天野結梨さん 副部長:上村芽生さん
恵寿の検診センターで保健師として働いていました。
母が倒れたことで、自分が出来る事は多くの人への健康づくりの提供だと思うようになりました。
40才を前に「いつやるの?今でしょ!」とボランティアの保健室を開設しました。
音楽健康指導士として指導も行います。 身近で誰もが気軽に健康相談できるような場所にしたいです。
私自身はマラソンやダンスが好きなマイペース人間です。
住 所:矢田町
お電話:080-4870-9537
まだまだ現役です。 昨年、40周年を迎えた能登島大橋が架かる前は、船会社として七尾港と能登島をつなぐフェリー事業を行っておりました。 今は13台のバスで「路線バス」と「貸切バス」を運行する、地元では歴史のある会社です。
「運行の安全」を第一に、令和5年3月には「55年間死亡事故ゼロ」を達成!!
社員一同ますます気を引き締めて業務にあたり、地域と共に変革する交通を目指しております。
県大会3連覇! 全国大会 団体24位!
応援ありがとうございました!
来年の県大会、いっしょに4連覇をめざしませんか?
詳しくは七尾鹿島交通安全協会
電話53-4147(石坂)まで!
七尾市と中能登町を火災から守っています。
組織として3消防署、3分遣所3消防団、そして29の分団があり消防体制を確立しています。
火事の他にも救急車の出動や防災対策など24時間、365日休むことなく住民の安心安全を見守っています。
3月に開催された全日本競歩輪島大会5キロ競歩(高校生の部)21分14秒で全国3位となり、5月の石川県総体22分22秒で優勝、続く6月の北信越大会でも22分11秒で優勝した楓也くん。夏のインターハイでも入賞を目指します。
昨年は北信越2位でインターハイへ出場しましたがレースの駆け引きに負け実力を発揮することなく予選通過できませんでした。
今年はその雪辱を果たすために練習にも気合が入ります。
子供の頃から走ることが好きだった楓也くんは小6の時友達に誘われ城山アスリートクラブに入り益々走ることが好きになりました。
七尾中学では迷わず陸上部に入部して長距離を走ります。しかし七尾中学は駅伝が強く長距離の速い選手が何人もいたため、トラック種目であいているのは競歩しかありませんでした。しかたなく競歩をエントリーしたのでしたが、七尾中学の山口監督は競歩が上手くなると走りも上手くなる、競歩の記録が伸びれば走りの記録も伸びるという理論を持ち競歩を重要視しています。
そういう環境で始めた競歩ですが初めての大会を終えて「競歩は楽しい!」と思いました。それで2年生になっても競歩をエントリーしたいと監督に申し出ました。楓也くんの競歩への情熱もあり、世界陸上選手権50km競歩の元日本代表で現在金沢学院大学の谷内雄亮コーチ(当時は輪島市)に指導を受けました。
競歩は一定の歩き方で歩行しタイムを競う競技です。歩形のルールは厳しくどちらかの足が地面についていなければなりません。両足が地面から離れると「走った」と見なされロスオブコンタクトの警告を受け、度重なると失格になります。またベントニーといって前足が地面に付いた瞬間から地面と垂直の位置になるまで膝を伸ばした状態で歩かなければなりません。
谷内コーチから競歩の基本フォームや練習方法の指導を受けました。その結果、中学3年の県大会3000m競歩で15分04秒を記録し全国ランキング1位になりました。またその年の駅伝大会でも2区を走り石川県優勝を成し遂げました。
高校でも競歩を続けたいと思っていたところ、鵬学園で長距離部が発足する事を知り入学しました。
高1、高2の時は1年先輩の鵬学園の山本乃愛さん(インターハイ9位)、そして星稜高校の櫻井健太選手(インターハイ7位)の背中を目標として頑張ってきました。
今年は自分が石川県代表として全国で結果を出さなければと使命を感じています。鵬では山本伸幸コーチが指導します。フォーム、体力、スピードなど練習課題がありますが、大会での嬉しさや悔しさをモチベーションに、次はどうするか本人の考えを尊重して練習を見守ります。
山本コーチはスピードも体力もあるので全国で十分戦える力が備わってきていると評価し、後は歩形の維持をしっかりすることだとアドバイスします。競技場では5人の審判が選手の歩形を見張っています。全国大会では審判員の目も厳しいので注意が必要です。
今年こそ駆け引きにも負けないレース運びで結果を出すと誓う楓也くんです。
和倉東町の世帯が増えてばっかいできなくなったので、町を分けようという事になってね、平成七年に新しい町として誕生したんだ。
その時に町名をどうするかという話し合いで、東新町とかいくつか案が出ていたんだけど、新しい町の役員で長老の古川正俊さんが和倉の和、温泉の泉、をとって和泉(いずみ)を提案したらみんな賛同して和倉町和泉に決まったんだよ。
お祭り会館と湯っ足りパークと和倉小学校に囲まれ、温泉街の中心から少し離れた場所なので古くから和倉に住み着いていた家は少ないんだ。
小学校グランド横の高台が和倉団地として開発されたので私の親の代からの人が多いんだよ。主に旅館関係で働く板前さんやマッサージさん、接待さんなど近隣と奥能登や全国各地から集まってきて家を構えたんだ。
町が出来て二十九年目なので歴史的なことや伝統的なことは特にないけど、新しい町を盛り上げようという心意気があったから、まとまりのある町内会だよ。
初代町会長の平沢さんが十年やって、二代目が森本さんで二年、三代目の野崎さんが六年、四代目が私で十一年目になるんだ。
和泉誕生五周年には茶碗を配って祝ったり、二十周年記念には「町民の集い」と銘打ってカラオケ大会や流しそうめんなどやったよ。新幹線開業の年はバスで金沢駅まで行って、富山まで新幹線に乗って、そこからまたバスで観光しながら帰ってきたんだ。
かつては道沿いにある菖蒲田では菖蒲湯の菖蒲を栽培していて各旅館に配っていたんだ。
町内行事は主に和倉コミセン(公民館)主体の行事に参加することと、年二回の大掃除なんだけど、高齢者中心にだいたい参加してきちっとやるんだよ。道路わきの草木を切ったら軽トラ八台も出てリサイクルセンターへ運んだんだ。
敬老の日の招待客は和倉では和泉が一番多く高齢化率が高いのだけど、七尾市の統計では低いんだ。それは加賀屋さんの男子寮と女子寮があるので住民の平均年齢を押し下げているんだね。
実際は古くからのアパートでは一人暮らしの高齢者が増えてきているんだ。民生委員がお世話してくれているので本当に感謝ですよ。みんなで支え合いながら高齢化社会を乗り越えて行きたいと思います。
古くて新しい町に、
温泉街の歴史を感じる。
能登島の北端にある小さな海水浴場。
富山湾に面して水質が良く透明度が高く白い砂浜は遠浅で家族で安心して楽しめます。
県内外からの常連も多く人気のスポットです。
地元の人たちで運営管理し、今年は7/23~8/15まで開設予定です。
私達、七尾少剣から剣道を始め七尾中で共に汗を流した仲間です。
高校は違えどインターハイ目指し精進し、辛く苦しい時も、思い通りにならずもがいた日々も今まで培った努力と精神で乗り越えてきました。
それぞれの指導者のもと練磨を重ねインターハイ出場を勝ち取りました!! 頂点を目指し全力を出しきって頑張ってきます。
個人出場 男子 七尾高校3年 辻 俊之介(つじ しゅんのすけ)くん
団体出場 男子 羽咋工業高校3年 時國 彪(ときくに あきら)くん
羽咋工業高校2年 高橋 利空(たかはし りく)くん
団体出場 女子 羽咋高校 3年 仙本 万尋(せんもと まひろ)さん
羽咋高校 2年 杉本 良美(すぎもと よしみ)さん
七尾市少年剣道教室 吉田隆顧問
練習日:火・水・金
小学校3年生から6年生の男女
テレビやビデオに興味がありこの仕事に就きもう30年近く経ちました。お店での接客や配達で多くの人と接しています。
電化製品も進化して便利になった反面、操作が難しく感じる高齢者もいます。親切に説明してあげると喜んで頂き「有難う」の言葉が嬉しいです。
趣味はアウトドア派でロードバイクや登山にツーリング、そして祭りです。
4年ぶりの祇園祭では湊町一丁目、出し切りました(笑)。
住 所:古府町チ1‐1
お電話:52-0066
春蘭の里で5年間営んだ民宿を閉める時の最後のお客様が中能登町の人達でした。「閉めるなら是非、中能登で宿をやってほしい」と、熱心に頼まれ、囲炉裏のある素敵な古民家を紹介していただきました。
町では小さな修学旅行の受入れを目標に「宿プロジェクト」を推進中で、経験を活かして若い女将さん達のフォローもしています。
中能登町は自然・歴史・文化の宝庫です。 その良さを皆さんに伝えたいです。
住 所:中能登町末坂ツ部70-1
お電話:74-2377