こみみかわら版バックナンバー

第53回 「輝け!郷土の星」相撲の 久木 愛心さん (中島小6年)


第22回全日本小学生女子相撲大会準優勝

女も相撲取れらんけ? 相撲大会で女の子が相撲を取っているのを見た愛心さん、女子選手が優勝トロフィーを手にするのを見て私もあんなトロフィーが欲しいとお母さんに告げました。

愛心さんは男二人、女二人の四人兄弟の末っ子です。お父さんの義雄さんはかつて石川県代表の国体選手で旧中島相撲教室の監督をし、現在も能登島相撲教室でコーチをしています。すぐ上の兄も相撲をしていたので小学校2年生から相撲を始めた愛心さん。

昨年の第41回石川県少年相撲選手権大会女子5・6年の部で優勝し、全国大会で準優勝を果たしました。

七尾能登島相撲クラブ

月水金と能登香島中学の相撲場で行う稽古は男女混合で同じ内容です。四股を踏み、すり足を行い、ぶつかり稽古では男子にぶつかっていきます。

辛いと思ったことなかった?と質問すると、愛心さんは、「めっちゃ、あった!」と大きな声で答えてくれました。低学年の時は、指導されると怒られたと思いよく泣いたそうです。お父さんにやめたいと言うと、やめたければやめればと言われましたが、他の女の子が頑張っているので自分だけやめることはできないと続けてきました。

一生懸命に稽古に励んできた愛心さん、今では154センチ、57キロと体も大きくなり実力もついてきました。大きな大会で男の子に勝った時は会場の歓声も凄くとても嬉しい気持ちになりました。

七尾能登島相撲クラブは現在小中学生16名が稽古に励んでいます。その内4名が女の子です。新崎総監督は相撲を通じて強い体を作り、社会に出て通じる礼儀礼節を覚え、学校でもハキハキ大きな声で返事が出来ることを念頭に指導を行っています。



貫禄が出てきました

相撲を取る娘

今春から中学生になる愛心さんですが、女の子の相撲は稽古が辛いだけではありません。高学年になり心身ともに成長しくると、男女混合の相撲はお父さんに言えない悩みも出て来ます。そんな時はお母さんが相談に乗ってくれます。また中学校で相撲を続けられるか悩みました。部活動のスポーツと二股かけて耐えられるのか。どちらも中途半端になって悲しい思いをするのではないか。今、愛心さんは自分の心に正直に進もうとスポーツは相撲一本に決め、中学では文芸部に入る予定です。

相撲の稽古で体力が付き走るのも速くなった愛心さんは七尾市の水泳や陸上の大会にも学校代表として出場します。お母さんは擦り傷は当り前の稽古から帰ってくる愛心さんに、お風呂を沸かし食欲がない時はあっさりメニューで、寒い時は温かい食事を準備します。
お父さんからもっとアドバイスをもらいたいと思う愛心さんですが、お父さんは勝負にこだわった物言いではなく、楽しんでやってくれた方が良いと期待をしながらも温かく見守ります。

最後に愛心さんが、「支えてくれてありがとう!」と言いました。思わぬ言葉に押し出されたお父さんとお母さんは、とても嬉しそうでした。



群上大会 石川県代表
前列3人がクラブ所属


第179回 田鶴浜舟尾


町名の由来

約四百五十年前、織田信長時代の古文書に舟尾という名が出てきているそうだよ。
舟尾水門の辺りを白門場(しろもんば)と呼んでいるけど、昔はこの辺りはまだ海で、
そこに船着場があったそうなんだ。
長右衛門船、弥三右衛門船という二隻の百石船がつながれ、越中と交易していたという記録も
あるので、在所では船着場があったから舟尾になったのではないかと言っているよ。

昔の在所

約百七十年前に肝煎りの佐近四郎を中心に二ノ宮川から灌漑用水を引くため山を貫通するマンポを
造っているんだ。マンポは七十メートルで大小二本あって大きいほうは直径四メートルもあるんだよ。
それで舟尾川が造られて四十四ヘクタールの新田を開発しているんだね。

大正時代から牡蠣貝の養殖も始め生産地として栄えていたようで、多い時で十五軒、
昭和五十七年には九軒あって牡蠣剥きする共同作業場を建ててやっていたけど、
今は担い手がなく一軒もなくなってしまったよ。

それと明治時代は和倉、奥原、舟尾、新屋、川尻、垣吉の在所が集まった
端村(はしむら)だったんだ。その中心地が舟尾で小学校や役場があったんだけど、
昭和十二年に分けられそれぞれ七尾と田鶴浜に合併されたんだね。

現在の在所

ご多分にもれず少子高齢化は否めず、祭りの存続が危ぶまれてきたので、昨年から祭り保存会を
立ち上げて区民みんなで参加して盛り上げていこうということになったんだ。
それと自治公民館行事として三世代ふれあい祭りを開催しているよ。
納涼祭では盆踊りとカラオケやゲーム、飲んで食べてみんなが楽しみ、秋にはグランドゴルフ大会を
やって高齢者が楽しみ、十二月には臼と杵でもちつき大会をやって子供達が楽しんでいるんだ。

平成十三年に田んぼの土地改良した時にグランドゴルフ専用の広場、鶴の里公園を
造ってもらったけど、三十二ホールもある立派なゴルフ場で毎年大きな大会も行なって
近隣からも多くの人が集まるんだ。一昨年から大晦日に神社に初詣にくる人たちに
年越そばを振舞っているんだよ。付き合いが希薄にならないようにあの手この手で
在所の中のコミュニケーションを深めていかないとね。

マミのひと言

大きなマンポで新田開発、
今も力を合わせ志を引き継ぐ在所。


2020年2月8日<362号>掲載 我が家のペット


レン(オス)12才

ミニチュアピンシャー

内弁慶で元気です。
孫たちが宝物のように可愛がっています。

(府中町 土谷さん)



ハチ(オス)9ヶ月

ミックス猫

ひめお姉ちゃんが大好きな暴れん坊で
甘えん坊な長男です(´▽`)

(下町 大高さん)



はち(オス)1才

柴犬

食欲旺盛で落ち着きがないですが、
人が大好きな子です。

(赤浦町 川島さん)



こたろう(オス)3才

バーニーズマウンテンドッグ

体は大きいですが、雷がこわいです。
高い高いと言ったら両手を伸ばして
大人の顔の高さまで体を伸ばします!

(本府中町 成田さん)



メリー(メス)15才

柴犬

とてもやさしくて賢いです。
猫3匹とも仲良く暮しています。

(中島町藤瀬 座主さん)



モージョ(オス)13才

ミニチュアピンシャー

優しくて人なつこいです。ジャンプが得意で、
ピョンピョン飛び跳ねて遊びます。

(馬出町 ダグラスさん)



マミー(メス)11才

四国犬

おとなしく、優しくて
人なつこいです。

(大田町 松本さん)



レオン(オス)11才

ミニチュアダックフンド

恥ずかしがりやさんで、人見知りしますが、
お留守番の時は、ワンワン吠えます。

(阿良町 沢野さん)



らぶ(オス)6才

ラブラドールレトリーバー

甘えん坊で臆病、慣れるまで吠える
「民家食堂らぶくんち」の見習い店長
僕に愛にいらしてくださいワンワン

(藤橋町 滝沢さん)


寺坂接骨院


寺坂接骨院 寺坂 勇人(てらさか はやと)さん 25才

負傷者を懸命に治療する父の姿が人を助けるヒーローと重なり憧れ、同じ道を進んでいます。
感謝の気持ちを忘れず、あらゆる身体不調・ケガに対応できるヒーローになります。

学生時代のラグビー経験を生かし有志と共に今春、能登初のスクールを開校します。
ラグビーを通し仲間を守り、楽しく危険を回避する能力を身に付けれる様に、
指導者一同全力で取り組んでいきます。

住所:七尾市魚町107
お電話:0767-53-7788


弁慶の割石(江曽町)

江曽川の上流の山に真っ二つに割れた巨石があります。
割れた面がまっすぐでみごとです。片方は山の下にあります。

その昔、弁慶がこの地を通りかかった時、山の神にどれほどの力持ちかとからかわれ、
怒った弁慶が大長刀で割ったと伝わっています。


温故知新(第8回)しょうぶ湯は女のまつり


塚林康治さん(72歳)

七尾の習俗を40年間に渡り500人以上から聞き取り調査研究してきた塚林さん、この度「しょうぶ湯は女のまつり」と題しシリーズ3冊目が発刊されました。

私たちが暮らす故郷に昔から伝っている年中行事を初め、衣食住、信仰、伝説、方言などが時代と共にその姿が変わりやがて消滅していくことを危惧し、後世に伝え残すための記録としてしたためました。

囲炉裏に足を入れると田んぼにカラスが入るぞ

農家で育ち学校から帰ると家の縁側で祖父母から、在所に残る言い伝えや道徳的なことなどを何回も聞かされ、いつしか地域の歴史に興味を持つようになった塚林さん。

小中学校の教員として旧市内各地に赴いたとき、その土地の風習に興味を持ち生徒の祖父母から話を聞かせてもらいメモを取りました。同じ年中行事でも地域によって違いがあることが分かり興味が募ります。

真剣に調べ始めたのは33歳の時、昭和45年から6年間勤務した石崎小学校時代です。子どもたちと郷土クラブを作り毎日のようにお年寄りを訪ねて聞いて回りました。毎日が楽しくてしょうがなかったと振り返る塚林さん。ついには「かつぎ」のおばあちゃんを2年間密着取材し行商先の能登部までついて行きました。

立山が見えれば、翌日は春なら晴れ、秋なら雨

風の動き、潮の流れ、波の形、太陽、月、それらを勘案する石崎漁師の気象予知も凄く、イソライトの煙突からでる煙のたなびきで急変する天候を予知します。

現代はスマホで天気予報を調べ魚群探知機で漁場を探し便利になりました。ただ便利になった分だけ人間の能力が退化していると思います。同じように地域に伝わる年中行事も利便性を求めた生活様式に変化していく中で多くが簡素化され割愛されています。

歴史とは古文書に書かれてあることだけではありません。今を生きている人々から、先祖が伝えてきた事を聞き取り、そこから当時の人々が何を考え、どう暮らしてきたか、その心情面までを探ることも民俗学的アプローチによる歴史なのです。


集落という共同体がなくなる時代

自分は自分、人は人。人工知能やモノのインターネットが急速に普及しついていけないくらい便利な世の中になってきました。しかしどこか寂しい気がします。人と人の会話が無くなり、敬虔な気持ちが無くなり殺伐とした時代になるのではないでしょうか。

様々な年中行事にはすべて意味がありますが、今はその意味が分からないまま形だけ行なわれていることも多いです。
昔、元日は寝正月と言って、動かんもん、働かんもん、鍋釜使わず、掃除のほうきを使うと福の神が逃げていく。出歩くと、一年中出歩く癖がつく、お金も出て行くといったことが各地に伝えられています。これは門松を立て、しめ飾りを吊るしてお迎えし、その家を一年間守ってくれる年神様に慎みを持つために、仕事を休んで神社やお寺参り以外は出歩かないようにとの戒めです。

また田植えの前日は稲様三束を神棚にお供えし、翌日に田んぼの水口にその三束を植え祝詞を上げてから田植えを始めました。稲刈りが終わると最後の稲三株を床の間に飾って感謝を捧げています。農薬も肥料もない時代、豊作は神仏に祈るしかなかったのです。しかし便利な世の中になっていつしか信仰心が薄れていったことは否めません。

祈りは感謝の心を育みます。決まった日に、決まった所作で、決まった食物で、各地で様々な年中行事が執り行われてきました。その意味を知り、時代が変わってもその本質は伝えていかなければならない正念場にきていると思います。


鹿西高校剣道部


「至誠一貫」
自分で決めたことは正しい心で最後までやり遂げること。をモットーに部活に取り組んでいます。

男女、初心者、経験者と少人数ですがバラエティー豊かなメンバーで稽古をしています。
学校のために何ができるか自分たちで考え行動する「朝徳」など稽古以外でも学ぶことの多い部活です。

新入部員募集中!!


はい!社長です-立川建具


立川建具 立川 美治(たつかわ よしはる)さん 57才

石川工専の機械工学科で100分の1の金属加工を学んだ後、建具職人に。
尺貫法のギャップを乗り越え、技術は先輩から盗んで覚えました。

生活様式の変わる中、CADを使い設計士のデザインにも対応し
建具の技・組子を使った木工品や家具も作ります。

田鶴浜の伝統工芸なので周囲が盛り上げてくださり感謝しています。
組子を生活空間に、技の伝承が課題です。

住 所:七尾市川尻町チ-8-3
お電話:0767-68-3011


はい!社長です-ノトアフィットネスクラブ


ノトアフィットネスクラブ 小梶 崇(こかじ しゅう)さん 39才

アメリカで最先端の運動を学び現地でレッスンをしていました。

大阪から七尾に来て11年、温かい地域の皆様に支えられ教えて頂き、
本年1月より社名変更と共に社長を引き受けることとなりました。
県外から来た私を信じて大役を任せて頂きとても感慨深く思います。

休日は地域の為に色々な形で楽しく頑張っている
人達と飲んだり話したりして過ごすことが多いです。

住 所:七尾市竹町大天神山26
お電話:0767-53-5671


前田利家ご両親の墓


山の寺の休嶽山長齢寺にあります。
利家は天正9年10月能登23万石の国持ち大名となったことで七尾に両親のお墓を作りました。
父は名古屋で、母は岐阜で亡くなっています。
利家は45歳から1年半七尾で暮らし、金沢へ移りました。


第178回 七尾市国下町


在所名の由来

能登国の国衙(こくが)が置かれたことが由来だとする説があるけど、
そのことが書かれた文献がないので事実かどうか分からないんだよ。

国衙とは日本の律令制において地方を治めるために置いた役所のことなんだ。
近くには国分寺や古府など能登国の中心地があったから、なんらかその一角の役割が
あったかも知れないし、役人が住んでいる場所を国衙と言うこともあったらしいいから、
そこに勤める役人が住んでいたのかもしれんね。
そういえば加賀藩の古い地図には国ケと記されていたよ。

昔の在所

六七三年、延宝三年の江戸時代、この辺りに松が植えられたと記録があるんだ。
これは天領となった下と八幡に接する加賀藩領徳田の各在所との境に双方の在所が
立ち会って百姓が納得の上、境に松の木を植えたんだ。その数二三五本だと書いてあるけど、
徳田地区ではその内の一本を名残の松として八幡交差点の近くにて植えて伝えているんだ。
それで八幡の交差点の地下道が一本松と名付けられたんだね。

多くは百姓をして暮らしていたけど大工も二人いたから在所の古い家は二パターンあって、
二人の大工が建てた家はそれぞれに部屋の間取りが全部同じなんだよ。

現在の在所

平成四年に国下の集会所、さんご会館を建てたんだ。
さんごの由来は当時在所の世帯が三十五軒だったことと、徳田小学校のシンボルで校歌に歌われる
珊瑚樹から名付けたんだよ。

さんご会館では総会をやって、若御講には八田の乗龍寺さんと千野の正福寺さんに
交替で来てもらい、百歳体操は毎週行なっているんだ。それと平成2年に結成したH2の会の
お母さんたちが集まってかぶら寿司や蓬莱を作ったりしているし、お盆の納涼祭には里帰りした
人たちも子供を連れて集るからこの時ばかりは活気があり嬉しいよ。

どちらかというとおとなしい町だけど、その分意見がまとまりやすくみんなで
協力し合っているんだ。平均年齢も六十八歳ともう限界集落やね。
獅子舞も私が中学の時に踊ったのが最後だったなぁ。一度復活を試みたけど結局は続かなかったんだ。
それでも田んぼはちゃんと維持して耕作放棄地を出さないでいるんだよ。
この先のことは分からないけど、隣の千野町さんにそのうち交じてくれと言っているんだ(笑)。

まなかのひと言

小学生の時、一本松地下道を歩き通学
今、その意味を知る。


なかのと音楽教室


なかのと音楽教室 須藤 慶子(すどう けいこ)さん 49才

神戸出身です。
関西で十数年間演奏や教室をしており、いつか能登でも同じ様な活動がしたいと思っていました。
自分で畑をしたい思いが募り、祖父が志賀町にいるご縁で移住を決意しました。
音楽教室のかたわら、畑や田んぼを手伝っているので毎日が忙しいですが、
気持ちはゆったりしています。
大人から子供まで、ピアノで好きな曲を奏でるよろこびを体験して下さい!

住所:中能登町良川庚61-2
お電話:080-5363-6700


琴修会 石川織姫会


30年前からスタートしたサークルで、現在10名が集います。

練習は毎月第2、第4木曜日の午後1時半から3時まで中能登町の
カルチャーセンターで行なっています。
毎年町の文化祭と能登食祭市場で発表しています。

楽しんで曲を奏でると身も心も嬉しくなりボケ防止にもなりますよ(笑)。
メンバー募集しています!


第52回 「輝け!郷土の星」駅伝の 垣田 愛さん (七尾中学3年)


第27回全国中学校駅伝女子準優勝

前回3位の七尾中女子駅伝チーム、次は優勝をと期待された中で1年間練習に励んできた。結果は42分8秒、25秒差での準優勝だった。

滋賀県希望が丘文化公園には各県代表校ののぼり旗が並び太鼓が響き声援がこだまする。エースが横一線に並びスタートする注目の1区はキャプテンの垣田愛さん、先頭集団を走り4位でたすきを渡す。
2区は妹の垣田奏さんが頑張り2位に浮上。
3区は新野莉璃さんが粘り3位でつなぐ。
4区は津田千空さん区間賞で3位をキープ。
アンカー示野悠奈さんデッドヒートを制し順位を上げゴール。
全員が区間10位以内で走り底力を発揮した。しかしメンバーに笑顔が無く涙した。

日本一しか見ていなかったので2位の瞬間は悔しかったですが、地元に帰ると多くの人が笑顔で迎えてくれ、沢山の「おめでとう!」を言ってもらい改めて全国2位の凄さを実感できました。今は嬉しさも感じています。と愛さん。

ワンテームに

春夏のトラックシーズンは各自の種目で大会に臨み、10月から駅伝チームとして練習が始まる。前年のメンバーが3人残っていたが、挑戦者という気持ちでスタートしたのだがチームはバラバラだった。

山口監督はチームの一体感を求めた。この状態で駅伝まで引きずることは出来ない。愛さんは合宿で全員に紙を配り、お互いに気にかかることを書いてもらった。それを集め張り詰めた空気の中で読んだ。「自分が走れないからと泣くのはやめて」「調子が悪いからと暗くなるのはよくないよね」「練習始まる前から今日の練習キツクないなどネガティブな発言はやめよう」愛さんにはキャプテンとして「もっと厳しく注意して」など意見が出された。

愛さんはその後何度もミーティングを行ないチーム作りに頑張った。シーズンに入るとチームは夏とはまったく違うムードになり、県大会、北信越大会と優勝、全国2位となった。そしてキャプテンとなってメンタルも成長した愛さんです。



先頭集団を走る

田鶴浜スポーツクラブ

七尾中陸上部の中長距離選手は田鶴浜スポーツクラブの山口監督から指導を受け練習をしています。

山口監督は全国大会優勝をと言うが大変な事だと思う。プレッシャーの中で1年間モチベーションを維持して厳しい練習を頑張ってきたことは偉いと思うとメンバーを称えます。

また愛さんは口に出さずに一人コツコツと練習コースの芝を刈り、穴があいていたら埋め、グランドをならしている監督の後姿を見て感謝しかないと言います。
そして保護者をはじめ地域全体でチームを支え応援をする田鶴浜の地域力があってこそ駅伝の名門チームが育ってきたのです。

そんな温かな環境の中で育った愛さんですが、今春は高校進学です。学業も優秀で金沢の強豪高からスカウトもされました。しかし愛さんは地元の皆さんがこんなに応援して喜んでくれる、そんな地元をもっともっと盛り上げていけたらとの思いで、考えに考えた末に卒業する3年生メンバー3人と共に鵬学園に受験することに決めました。

次の目標は地元高校から冬の都大路を走ることを狙いますと愛さん。中学生とは思えないほど、とても、とても頼もしく感じました。



かわいくて、速い!


湯川温泉の源泉


崎山川の中から涌き出る源泉です。湯川町の町名の由来となっています。
北陸では珍しい天然ラドン含有温泉で火傷などの皮膚病に効果があるといわれ、
江戸時代には湯治場として多くの人が訪れていました。
現在は龍王閣で入浴することができます。


第107回 私の仕事は『オーナーシェフ』です。


料理で表現する能登の自然

仕事歴10年 平田 明珠さん 34歳

地元食材にこだわる

もうズタボロでした。一年間はマイナス意識になり本当に辛かったです。
何とかなると思って二〇十六年九月にオープンしたのですが甘かったです。
地元のお客様は牛肉やフォアグラなどの普段食べられないイタリアンを求めて来店されるのですが、
私は地元食材にこだわっていたので、そのギャップが生じてしまったのです。

それでも恵まれていたのは移住者がお店を開くということで多くのメディアに取材された事と、
二〇一七年のRED U‐35(三十五歳以下の全国料理人コンペティション)でベスト二十二人に
入選したことがキッカケで全国からもお客様が来て下さるようになりました。
ただオープン時には自分の思う料理がまだ未完だったのです。

移住のキッカケ

私は東京出身です。
明治大学を卒業して会社勤めをしていたのですが、組織で働く事がしっくりこなく辞めました。
大泉学園の小さなお店で修業を始めイタリア生活の長い女性シェフから基礎をみっちり教わりました。
そのお店は流行のものでなくイタリアの田舎料理を得意としており、食材も自家菜園で栽培し
生ハムなど加工品も自家製でした。厳しいシェフで聞く前にまず自分で調べるよう指導を受けました。
今思うとそれが良かったんです。

二軒目に入ったお店で転機が訪れました。全国の生産者回りをするお店だったのでその時に能登を訪れ、
七尾では宮本水産、高農園、鹿渡島定置、蛸漁の平山さんなどとお会いしました。
東京での開業を思っていたのですが、そんなご縁もあって地方に魅力を感じたのです。

色々な地域で色々なお店がありますが、私が影響を受けた二人のシェフがいます。
和歌山県で農業をやりながら料理を作る。その人にしか出せない世界感、オリジナルに憧れました。
自分だけの何種類もの野菜パウダーが絵具のパレットのようでした。
それは東京では出来ない料理のスタイルでした。
もう一人は淡路島で地域に溶け込んで生産者と小学校で食育を行い、地域で楽しそうに
暮しているシェフです。魚の内臓の料理もそこでしか食べられないものです。
そんな地方の料理人の生き様が魅力的で、私も土地の食材を使って地方でお店を出したいと
移住を決意したのです。



非日常の価値

三十歳で自店は早すぎると思いましたが、人生で一番濃い三年半でした。
今ようやく自分の確立した信念、世界感が見えて来たと思います。
オープン時は地域貢献として地域食材の活用を目標にしていましたが、今は自分の世界を
求めていくプロセスに地域食材があり、地域食材へのアプローチが自分の道になってきました。
全国で地方レストランが注目されていますが、美味しいだけでなく、地元の食材、土地の文化、
料理人の個性などトータルで磨かれていかないとなりません。
山に入り、畑に入り、仕入れの中で見る景色や感じた事を料理に変換し、三十人以上いる
地元生産者の方々と能登の里山里海の恵みに感謝して、一緒になって自然豊かな能登を
表現することが私たちの目指す料理の形です。

オープンした時は地元と県外のお客様に対してどちらにも中途半端だったと反省しています。
今は自分の表現したい料理を研ぎ澄ませ、非日常の価値を提供して、時間をかけても
全国に向けてお客様を作っていくと決めています。
方向が決まった事で徐々に県外からのお客様が多くなり、地元の方でも地域の魅力が再発見できる
と楽しみに来て下さる方も増えてきました。自分の世界感を完成させるため努力を続けます。



白馬町 ヴィラ・デラ・パーチェ
☎0767-58-3001


第177回 七尾市青山町


在所名の由来

昭和二十二年、満蒙開拓団・青少年義勇団の引揚者が立ち上げた自行農事実行組合と地元農家の
二男、三男と疎開者、引揚者の青山農事実行組合が合併して直津と池崎の山を開拓したんだ。
その時の組合名の青山が町名になったと思われるけど、組合名の由来までは聞いてないんだ。

満蒙開拓団

私で三代目だけど、祖父は鹿島町井田の出身で満蒙開拓団の一員として満州に渡っているんだ。
汽車で下関へ向かいそこから船で満州に渡ったそうで母親が泣いて見送ったと聞かされているよ。
満州に到着すると寝泊りする施設も無くマムシが一杯いる橋の下で何日も寝泊りしなければならず
話が違うとみんな泣いたそうだよ。
引き揚げて来る時、馬から落ちて下半身不随になった男を連れて帰ってきたそうだけど、
当時は足手まといになる人間は見捨てることも多い中、その男は感謝して泣いていたと言っていたよ。

祖父の話の端々から満州では想像を絶する苦労があったと思うんだよね。そんな絆で結ばれた
人たちが開拓してくれた在所だけど、今では開拓当時を知る人が少なくなってしまったよ。

当波元造さんに聞く

父の当波与吉は池崎の出身で東京江戸川に住んでいたんだ。
昭和二十年三月十日の東京大空襲に遭い三月十八日に故郷へ疎開し徳田駅から
歩いて帰って来たと聞いとるよ。そしてこの開拓団に加わったんだね。
開拓団が自前で電柱二十本を立て電気を引いたし立山神社も建てたんだ。
当時は食料が無いからまず自給のために働いたんだね。
白菜や大根、ジャガイモ、サツマイモ、麦と何でも植えたんだよ。

時代が良くなると兼業するようになってね、そうなるとここは不便な所で七尾へ八時に着くには
六時半のバスに乗らなければならないんだ。
それで二代目が嫁さんを貰う時にみんな池崎、松百、石崎へと出て行ったんだね。

現在の在所

五十年前に水害防止のためにと開墾した畑に一万二千本の植林をしたんだ。
それを今年の春先に二十日間かけて伐採したんだ。二十戸以上あった家も今では四世帯になったし、
祭りも私が子供の頃にはもうお参りだけだったよ。

栄枯衰勢は世の習いだけど、ここは苦労人が多く、人情味があってみんな優しい人ばかりだったので、
今も住んでいる人は、みんな仲が良いんだよ。

あんなのひと言

生きるために働き、
苦労したから得られるものがある。


七尾高校吹奏楽局


定期演奏会も32回に達する伝統の吹奏楽部です。

部員17名、活動時間も少なく、環境としては決して恵まれているとは言えませんが、
「みんな」でより良い部活動創りを目指しています。

演奏者も聴く人も双方が楽しめるパフォーマンスをすることをモットーに
挨拶感謝を大切にしています。 個性的な部員が多くとても楽しいです。