こみみかわら版バックナンバー

第66回 「輝け!郷土の星」ジュニアマイスターの高野航汰くん


ジュニアマイスター顕彰制度で日本新記録

ジュニアマイスターとは工業系の高校生が国家資格や技能検定試験にポイントを付けて、合格したポイントでランキングされる制度です。航汰くんは高校3年間で43種類の資格を取得。過去最高261点の新記録です。

また全国工業高等学校長協会の生徒表彰にも県内からただ一人選ばれました。

高1の時、危険物取扱者乙種1類から6類をすべて一発合格し、さらに甲種全種目も一発合格したことで、担任の岩城宏志先生がジュニアマイスター顕彰制度でランキングがあることを伝えました。

決意

ポジティブ思考の航汰くん、面白い!どうせやるなら日本一と決意します。資格をリストアップし願書締日を確認、受験のスケジュールを組み、自らテキストを購入し、自ら勉強し、自ら試験会場に向かいました。

陸上部でも活躍する航汰くん、部活動が終了する3年生後半には毎週受験。一週間で効率よく勉強をしなければなりません。そのために試験ごとの傾向を調べ、過去問をやるのか、全体的な知識を得るのか、まずは最初に勉強方針を決めました。この時期は勉強中に机で寝落ちしてしまう日々が続きベッドで寝たのは月に数回でした。

昨年12月には高校生では県内で初めて難関の国家資格、消防設備士甲種第5類に合格しました。



文武両道

後期生徒会長にも選出され、3年間皆勤賞の航汰くん。

県高校総体では400mハードルで4位入賞し北信越大会へ出場。部活と受験を両立させるため受験スケジュールを調整してきましたが、総体の一週間前に試験日が入った時は練習と勉強どちらを優先するか顧問の向田先生とぶつかりました。最後は先生やチームメイトの理解を得て支えてもらいました。

東雲高校陸上部の旗印は乾坤一擲(けんこんいってき)です。勝負に命運を掛け強い心で挑戦するポジティブ思考が、ジュニアマイスター日本一を目指すエネルギーになったと言います。

電子機械科の課題で取り組む小型カメラを取り付けた自動走行のマイコンカーにも熱が入り放課後も積極的に研究に取り組む航汰くん。毎年全国の工業系高校生の中から1名だけ選ばれる経済産業大臣賞にノミネートされています。

航汰くんには9歳と6歳年上の兄がいますが、兄二人も東雲高校陸上部で活躍していました。そんな兄を慕い小学生の時から陸上を始め、中能登中学から迷わず東雲高校に進みました。

今春、金沢工業大学電気電子工学科に進学する航汰くんの夢は、工業の教員になり母校東雲高校で教鞭をとることです。自分を三年間導いてくれた担任の岩城先生のように、生徒に工業の面白さを教え、母校からジュニアマイスターに挑戦する生徒を数多く育てたいと新たな志を立てました。

陸上とジュニアマイスターで大きく成長した航汰くんです。



第110回 私の仕事は『鍼灸師』です


この道を歩む

仕事歴40年 道下 清治さん 71歳

きっかけ

十九歳の時、当時は砂利道だった庵町の国道をバイクで走行中カーブを曲がりきれず網小屋に激突。生死をさまよい臨死体験をしました。

命は助かったのですが、二年後に後遺症が現れました。ボーリング場で投げたボールが突然視界から消えたのです。眼科医に五万人に一人と言われる「視神経萎縮」と診断され、矯正は不可能と言われました。視力はほとんど無く五センチから十センチ寄らなければ顔の判別が出来ない強度弱視となり、二年間はうつ状態で引きこもり絶望的な日々でした。

その後名医のいる兵庫医科大学病院を紹介され開頭脳神経手術を受けましたが視力は戻りませんでした。盲学校入学を勧められましたがどうしても受け入れることが出来ず民間会社の障害者雇用で働きました。しかし、ある日突然会社のトイレで吐血、ストレスから来る胃潰瘍との診断でした。

その頃「克己の会」という地元の若い障害者グループとお付き合いし勇気を貰ったことで、二十七歳の時、生きる道を再考し盲学校の門を叩きました。四年間の勉学の後、鍼師、灸師、あんまマッサージ指圧師の国家資格を取得、金沢で修業し昭和五十七年塗師町で開業しました。

妻に感謝

昭和六十年に結婚しましたが、目の不自由な私と人生を歩む覚悟を決めてくれた妻のためにも、この道を究めなければと思いました。

そこで毎月金沢での研修会に通うため七尾駅近辺に住宅と診療所を求め平成元年に現在の南藤橋町に居を定めました。近年は晴眼者の鍼灸師も多く研修会もスライドで行われます。私は双眼鏡とルーペを使って研修会に参加しています。

家では妻が新聞を読んでくれ、外食してもメニューが見えずいつも二人で行動しなければなりません。私の手となり足となって、いつも明るく細やかに支えてくれる妻には感謝しかありません。



東洋医学

視力を悪くして一番ショックな事は学生時代七尾で個人優勝し、飯より好きな卓球が出来なくなったことです。

スポーツ選手が体を痛め練習が出来ず、試合に出られない悔しさが分かるので、何としても治してあげたいとスポーツ選手の治療も積極的に行ってきました。選手が完治し試合で好成績を収めたときは自分の事のように嬉しいです。

東洋医学は四千年の歴史がある経験医学で副作用が無く代表的なものが「内臓体性反射」にもとづく治療です。内臓に病気があると皮膚上の「穴」(つぼ)に現われ、そこを鍼灸で刺激すると内臓や全身の体調が良くなり免疫がつきます。風邪を引きにくくなり、血圧の調整、便通の改善、安眠等の効果があります。

お灸が適応する患者さんには、希望があれば自分で「艾」(もぐさ)を使って施灸する指導をしています。慢性的な膝の水や痛み、手指の腱鞘炎、バネ指、胃腸の調子、子供の成長痛は短期間で良くなります。

これまでにメニエル症候群、耳鳴り、痔瘻、蓄膿症、顎関節症、リウマチ、腰椎脊柱管狭窄症、ぎっくり腰、肩こり、頭痛、三日三晩続くしゃっくりも治してきました。逆子はへその緒さえ絡んでいなければ百パーセント近く治り鍼灸には不思議な力があります。

患部の皮膚、筋肉に手を当て中の状態を診ますが眼で表面を見るよりも触診力が大事です。それ故、視力障害の人が鍼灸マッサージ業に適していると思っています。

気を入れて、心を込めて、手当する。そうすることで自ずと治療効果が表れます。
自分にはこの道以外には進む道は無いのだ。やるからにはこの道を究めたい。
この思い一筋で現在に至りました。
これからも患者さんに貢献できるよう勉強し健康で頑張りたいと思います。

南藤橋町 道下治療院 ☎0120-53-3910


第202回 七尾市湊町一丁目


在所名の由来

七尾港に面して幕末から回船業者も多く港町として栄えていたから湊町じゃないかな。

元は東地子(ひがしじし)町だったのが、明治五年に湊町一丁目と二丁目、それと今町に別れたんだ。地子町とは殿様の所有地で職人を集めて住まわせた場所でね富岡町と魚町あたりが西地子町だったようだよ。

昔の在所

天然の良港で海運業が発達したから回船業やそれに伴う業種が混在して、通りにもいろんなお店が軒を連ねていたんだ。

昭和二十年には八百人くらいが住んで賑わっていたそうだね。昭和三十年代頃までは荷上場に砂利や薪、杉皮や炭などが積んであったよ。能登島から移住した人も多く、七尾の祭りには縁者が遊びに来て、墓参りには能登島へ行ってと交流が深かったんだ。

加賀藩主、前田斉泰(なりやす)が嘉永六年(一八五三年)四月四日に七百人の家来を連れて能登巡見の旅に出て、四月二十日に七尾で宿泊した、ちょうどその日に東地子町から出火して三百七十二軒が焼失したんだ。藩主の目をはばかり簀(すのこ)を張って一行を通したと記録があるよ。

大火の恐怖から中心地に防火池を作り夜回りの詰所を建てて番床(ばんどこ)と呼んでいたようだよ。私が子供の頃に番床は駄菓子屋の松野商店になっていたけど、大人も子供も駄菓子屋を「ばんどこ」と呼んでいたね。当時は子供も多く、「ばんどこ」は子供たちの楽しみな居場所で、よく五円のくじを引いていたなぁ。

現在の在所

袖ケ江も人口減少が進んでいるけど、ここはまだ人が残っている方だと思うよ。お涼みの祇園祭には湊町一丁目と二丁目の境の通称西浜に仮宮が建つので町内も活気が出るんだ。

山王神社の境内には湊町一丁目の金刀比羅神社があるんだけど、元はこの西浜あたりに建っていたんじゃないかとも思われているんだ。金毘羅は海の仕事に携わる人々がよく信仰する神様だから海運業で栄えた湊町の祭神にしたのかもしれんね。いろんな所から人が集まって出来た町で、それぞれが命を懸けて暮らしを立てていくとき、在所の宮が心の支えとなっていたと思うよ。

一昨年、金刀比羅神社の修繕をして気持ちもスッキリしたけど、将来的に金刀比羅神社を町内に戻せないかという声もあるんだ。ともあれ何事も結束して支え合って暮らしていくことが大事な時代になったようだね。

あきこの一言

港町七尾、その源流ここにあり
心意気が残る在所


七尾港


太田火力発電所に大きな石炭船が停泊。

七尾港は古くは香島津と称し天然の良港として、室町時代には越後佐渡、奥州をはじめ遠く中国大陸とも交易していました。

昭和22年貿易指定港に、昭和26年重要港湾に指定され、貨物量は平成19年には439万トンです。


田鶴浜高校 バドミントン部


元気で前向きな考えができる・個性豊かな部員です。

看護や介護の実習で、全員で活動できない事も多い中、練習時間を工夫し、目標達成めざし頑張っています。

部員間で練習や目標などの意見がぶつかった時は、相手の意見を取り入れたり全体で協力して、視野を広げています。

多く勝って悔いの無い試合をするのが目標です。

顧問:下原一馬先生

男子部長:蝦名 柊くん 女子部長:谷口 亜弥香さん


幼保連携型 和倉こども園


幼保連携型 和倉こども園 秀働 かのん(しゅうどう)さん 22才 A型

高校で進路に迷った時に、担任の先生に背中を押され、保育士になりたいという小さい頃の夢を叶えました。

「こんな事が言えるようになったんだ ! 出来るようになったんだ !」と子どもの成長を感じた時に、とても嬉しくまた頑張ろうと思えます。

子どもが安心して笑顔になり「今日も楽しかった !」と思えるように、愛情を持って関わって一人ひとりに寄り添う保育士を目指してます。

住 所:和倉町3部24番地
お電話:62-3360


はい!社長です-有限会社 山本建築


有限会社 山本建築 山本 仁志(やまもと ひとし)さん 43才 B型

先代の急逝で社長に就任し17年経ちました。 当時は何も分からず、周りの人や協力業者の方々に助けられてやってきました。

近所の方からも純和風住宅専門店と思われていますが、一般住宅の新築・リフォームも行っています。
お客様と細かく打ち合わせをして、思いを形に一棟限りの理想の住まいを提案しています。

これからもお客様や協力業者の笑顔を作っていきたいです。

住 所:中島町中島丙-36
お電話:66-0893


第65回 「輝け!郷土の星」トランポリンの田山雄貴くん


北信越ジュニアトランポリン競技選手権大会中学生の部で優勝!!

結果が良くても悪くても、常に情熱を持って全力で取り組むことが大事だと思っています。
そう話してくれた田山雄貴くん。10月に開催された第13回石川オープントランポリン競技選手権大会の13歳・14歳でも優勝しました。

競技を始めたきっかけはトランポリン世界選手権大会の日本代表選手で、全日本トランポリン競技選手権優勝者の父健朗さんの存在です。4歳から父が指導する中能登ジュニアトランポリンクラブに姉と共に通いました。

しかし、小学校に入学する時、股関節の骨が壊死するペルテス病を発症。入院して2年間松葉杖や車椅子での療養が続き辛い思いをしました。小3で回復の見込みが立ち練習を再開しますが、健康であることの有難さを実感し、練習はひときわ熱が入ります。

父の血を引く雄貴くん、小4で能登地区トランポリン大会に優勝し現在5連覇中です。小6では石川県大会で優勝、そして全日本ジュニア選手権4位と着実に実力をつけてきました。

中能登ジュニアトランポリンクラブ

金丸体育館で午後6時から8時まで、準備運動を行いトランポリンの点検をしてから技の練習を行います。

競技は16秒から20秒間に異なる10種類の技を連続して行います。縦4m28㎝、横2m14㎝のトランポリンで、高く飛び、綺麗に、宙返りやひねりを行い、着地を決めます。

雄貴くんは6mまで上がり、2回宙返り1回半ひねりの高度な技に挑戦しています。回転がかかりすぎても、かからなくてもバランスが崩れ、時には床に落下することもあります。

普段は部分練習で一つの技の習得に専念しますが、試合が近づくと10種類の技を連続して行います。微妙な変化で自分のイメージ通りにならず、今まで出来ていたことが出来なくなることがあります。そんな時は精神的に辛くなりますが基本に戻って練習をします。

トランポリンは体力と集中力、そして強い精神力が求められます。クラブの代表でもあり指導者の健朗さんは技の鍛錬だけでなく心の鍛錬も重要視しています。何よりもまず、気が入らない練習をしている時などは厳しく注意し、何事も一生懸命やることの大切さを教えます。

練習で使うトランポリンはオリンピック仕様の本格的なもので子どもたちに少しでも良い環境で練習させたいとの思いで購入しました。クラブでは元体操選手だった母も低学年の指導をして父をサポートしています。



強い気持ち

毎日24時間、365日、トランポリンが頭から離れない。
心が折れそうな時、ライバルの演技を見て刺激を受け精神を立て直すという雄貴くん。

踏み込みが浅くバランスを崩し落下した夢を見た。そんな時は夢を練習に活かし踏み込みに注意して練習をする。

歴史上の人物からも学ぶ。徳川家康の耐え忍ぶ力が好きだ。シェイクスピアの名言、「成し遂げんとした志をただ1回の敗北によって捨ててはいけない!」 強い気持ちを持ち続ける事の大切さに共感する。

いずれは父を超えたい!ロサンゼルスの次のオリンピックで26歳になる。日本代表が目標だと力強い。 トランポリン王国石川に生まれ、恵まれた環境に育つ。 夢ではない!


第201回 中能登町下後山


在所の由来

ここは旧鹿西町の中心地、能登部の在所に隣接しているんだ。その能登部の後の山だから後山と呼ばれたんだね。

元は後山一村だったようだけど、江戸時代中期に能登部下の枝村となって能登部下村後山分(わけ)と呼ばれ、その後、下後山村となったようだね。

能登部が能登部上と能登部下の在所に分かれているので、後山も上後山と下後山に分かれたんだね。

昔の在所

在所の島田さんの先祖が平家の落人でここを拓いたと伝わっているんだ。

島田さんの娘さんによると家の前の四枚の田んぼを四枚田(しまいだ)と呼んでいたから、苗字を名乗る時に島田としたらしいよ。その島田さんが後山の山持ちだったんだね。

林業が盛んな頃は氷見から木挽きを集めて住み込みさせて山仕事をしていたようだよ。在所の神明神社も元は島田家の守り神でね、そんな人がいたから小さな在所に真宗の西照寺が建立されたんだよ。

後山はころ柿の里として有名だけど、かつては在所中でころ柿を生産していたんだ。
元祖ころ柿の原木が西照寺の裏山にあってね、大きな柿の木だよ。近隣の在所からも接木にする枝を分けてもらうのに小豆や米をもってたくさんの人が来ていたそうだよ。ころ柿の品種は最勝柿、お寺が西照寺。なんか関係あるかもしれんね(笑)。

現在の在所

人口が五十年前の三分の一以下だよ。上棚矢駄インターも近くて交通の便も良く、暮らせば静かで良い所なんだけどね。

ここは星がとってもきれいに見えるんだ。特に冬の星座なんて本当に美しくてね、星が降りて来るようだよ。昔は金沢大学天文同好会が西照寺によく合宿に来ていたんだ。西照寺の山号は星洞山だから、昔から星の綺麗な土地なんだよ。

ころ柿の担い手が少なくなったけど伝承していきたいね。柿をとってきて、皮を手で剥いて、紐で縛って吊るして、手揉みでほぐすんだ。扇風機とストーブを使って除湿と換気をしながら乾燥させるけど揉めば揉むほど乾くね。二、三日おきに3回は揉むんだよ。出荷までに二十六日くらいかな。飴色の綺麗なころ柿に仕上がるんだ。

ころ柿のことを干柿とも言うけど、「星と干柿の里」として村おこし出来ないかなぁ(笑)。そのためにもまずは自分たちが故郷を愛して誇りを持っていかないとね。

あきこの一言

お寺の鐘を聴き、仰ぐ空。
お星さまがいっぱい、素敵な在所。


能登生國玉比古神社


2000年以上の歴史がある能登最古の格式高い神社です。地元では本宮さんと呼ばれ親しまれています。

羽咋市にある氣多大社に御祭神を分霊しているため氣多本宮とも称されます。

氣多大社と共に12月の鵜祭、3月の平国祭の神事も執り行われています。


七尾市地域おこし協力隊 高階地区


七尾市地域おこし協力隊 高階地区 高橋 雅人(たかはし まさと)さん 27才 O型

新しい事にチャレンジしたい! と思い一念発起し、七尾で地域おこし協力隊になる事を選びました。

協力隊の 仕事は簡単ではありませんが、地域に貢献できる仕事として、とてもやりがいがあります。

10月からの活動で、まだまだこれからですが小さなことからコツコツと活動していき、皆さんがより楽しく笑顔で暮らせる地域を目指しています。

気軽に宇宙旅行に行くのが夢です。

住 所:町屋町ホ部55番地
お電話:57-3239


はい!社長です-株式会社のとのと


株式会社のとのと 久保 晋(くぼ すすむ)さん 75才 B型

七尾駅前のビル、ミナ.クルの管理会社・(株)のとのとの社長をしています。

ミナ.クル1階の菜々屋もしていて昼は弁当屋・夕方から立呑屋、流行りの二刀流で営業しています。

最近はSDGs企業が重視されていますが、近江商人の経営哲学「三方よし」売り手よし・買い手よし・世間よしをモットーに、働き手よし、明日によしを加え「五方よし」の発想で経営をしたいと思います。

住 所:神明町1番地ミナ.クル3階
お電話:53-2020


七尾東部中学校 女子卓球部


月火木金に1時間、土曜に3時間練習をしています。

個性的で明るい2年生が9人います。2年生しかいない部活なので上下関係がありません。
なので、自分たちの考えた事を仲間にしっかりと伝えながら活動をしています。

メンタルの成長や勝つ事の喜びを得ていて、やりがいを感じています。
ぜひ卓球に興味を持ってください。

土曜は松島コーチと頑張って練習しています。

顧問:田尻ちあき先生

キャプテン:松島千夏さん 副キャプテン:松本華菜さん


2021年11月27日<385号>掲載 我が家のペット

チャリー(メス)

ミニチュアダックス

チャリーの顔を見ているだけで
みんな笑顔になります❤
我が家のマダムアイドルです♪

(石崎町 清水さん)



ナッツ(オス)

バニファドワーフ

ブルーベリーとトロピカルフルーツの
おやつが大好き❤
元気一杯のナッチャンです!

(矢田町 山田さん)


大吉(オス)

フレンチブルドッグ

5年前から家族の一員です。
普段はおとなしいですが、
いざとなったら男らしいです。

(小島町 谷口さん)


第64回 「輝け!郷土の星」やり投の青木朋矢くん(鵬学園3年)


JOCジュニアオリンピック第15回U18陸上競技大会で優勝

1m65㎝、84㎏、がっちりした体格の朋矢くん。10月に愛媛県で開催されたジュニアオリンピック陸上競技大会で60.66mを投げ全国制覇を成し遂げた。
夏のインターハイでは62.24mを投げ6位入賞だったので、記録は満足できないが、それでも全国大会優勝の嬉しさは格別だ。

七尾市小学生連合運動会100m走で若林スポーツ奨励賞の記録を出し、七尾東部中学で陸上競技を始めた。中3で400mと砲丸投で石川県2位になっている。

陸上でもっと高みを目指したいと鵬学園に入学した。投てき種目は、やり、砲丸、円盤、ハンマーとあるが助走して投げるのはやり投だ。自分の持ち味である走りも活かせるのではと考え、やり投を専門種目に選んだ。

孤軍奮闘

今や強豪校の鵬学園陸上部、体力とメンタルは島元コーチが全部員の強化を図るが、やり投の技術を指導してくれるコーチがいなかった。

朋矢くんはユーチューブで公開されている練習方法や一流選手の動画を参考に練習メニューを考えた。投てき、助走、ウエイトなどトレーニングの種類、強度、量、頻度などを手探りで練習した。試合が終わると結果を振り返り練習方法を修正した。

手の角度のほんの少しの違いでヤリに影響が出る。どれだけ練習をしてもイメージしたヤリが出ないときには、動画を撮って、良かった時の動画と見比べ、学校でも家でも一日中やり投げの動作を繰り返した。

陸上は順位を競う競技であるが、記録として数字が出るので個人目標が設定しやすい。高校では65mを目標にして粘り強く練習に励んだが、常に自分との戦いでもあった。

落ち込んだ時に諦めたらそのまま落ちていくだけだったと言う朋矢くん。どんな時にも諦めずに一人コツコツと励んで手に入れた全国優勝だった。

伝統を創る

ゼロからのスタートで指導者がいなくても結果を出した朋矢くんの後ろ姿は、チームメイトに全力を出して取り組めば何でもやれることを示した。強くなれないのは良い指導者がいないからという愚痴はだれも言えなくなった。

先駆者となった朋矢くんは4人の後輩を指導する。やり投は全身を使って投げる競技で、足の向き、腕の高さ、ヤリの角度など自分の経験を教える先に思う事がある。それは鵬学園陸上部が伝統校となるための礎を後輩たちに繋ぎ託したいとの思いである。

昨年、走高跳で亀田実咲選手が全国大会優勝し、今年もやり投で全国大会優勝ができた。2本の柱が立ったが伝統校と言うにはまだまだ新参者である。来年も全国大会で入賞者を出して欲しいと後輩に期待する。

島元コーチは恵まれた体格でもなく、指導者がいない中、悩み、研究して、自分で技術を磨いてきたからこそ、試合ではぶれない強さがあると言う。

負けには負けた必然があるが、勝ちには偶然勝利することがある。インターハイは62mと自己ベストで嬉しかったが6位だった。今回60mで記録は伸びなかったが意義ある全国優勝をした。

朋矢くんの不断の努力が運を引き寄せたのだ。



第200回 和倉中町


在所名の由来

温泉が湧く浦ということで古くは湧浦と呼ばれていたそうだよ。江戸時代に和倉に改めたらしいね。

和倉には現在七町会あるけど、元町、中町、東町が元々の和倉なんだ。元町は旅館や商店が多く、中町はお寺や神社が在り、東町は住宅が多いよ。中町の由来は元町と東町の間に挟まれているから中町だと思うね。

昔の在所

和倉で最初に温泉が発見されたのは平安初期で薬師岳の湯谷(ゆのたに)なんだ。ホテルなおきの社員寮があった裏山あたりでね。それが二百年程したら湯脈が海中に変わって海から温泉が湧くようになったと言われているんだよ。

明治四十二年、大正天皇が皇太子のとき七尾に行啓されたときに休憩所として建てられた御便殿が青林寺と信行寺に分けて移築されたんだ。青林寺のは京都二条城と同じ二重織り上げ天井で栃の木で作られ、廊下は秋田杉、柱は木曽の檜で、全部一流の材料で凄いよ。

子供の頃には路地裏の千鳥横丁もおでん屋や居酒屋、スナック、映画館まであって賑わっていたけど今は一軒もなくなったよ。

現在の在所

和倉七福神や御便殿があり観光客も散策するので中町の道路は緑色に舗装してもらったんだ。山裾の町内なので落ち着くかなと思ってね。

元町と東町と山に挟まれた町内だから住宅地が広がらないんだ。だから住民は昔からの顔なじみばかりでね。六十五歳以上の高齢化率は四十五パーセントに達しているんだよ。みんなの憩いの場が必要という事で旧和倉保育園の跡地に和倉中町公園を作ってもらってそこを町会で管理しているんだ。

年一回の花見をみんなで楽しんできたけど、もっと顔を合わせる機会があったほうが良いと思っていたら、家内が介護予防のグループデイ「なごまんかいね」を発足してくれてね。会員は町内を中心に二十名ほどいて週二回集まって折り紙やゲーム、カラオケに体操、地域行事に参加したりして楽しんでいるよ。ほとんどの高齢者が集まってくれるので元気度合いが分かり、町会としても助かるよ。

今年十周年を迎えたので先日和倉のコミセンで和倉地区社会福祉協議会の小田禎彦会長を招いて「残された時間を楽しく過ごすために」と記念講演をしてもらって式典を行ったところなんだ。高齢化はしょうがないけどみんな顔なじみで人情味があって良い人ばかりだから、この繋がりを大切に続けていくことが中町としては何より大事ことだと思うね。

あきこの一言

湯の街に、和んで暮らし
絆を大切にする在所あり


七尾東雲高校 ダンス部


1年生8名・2年生2名『能天気で可愛く、元気で個性のある』10名です。 規律の中で、自由気ままにK-POPを中心にしたHIPHOPを週4日練習しています。

部活後の汗のにおいに達成感を味わうと共に幸福感を得ていて、お客様の前で踊りきる事がやりがいです。 ダンス以外にも自信が持てる人になる事が目標です。 (下出楓雅)

顧問:池田陽子先生  副顧問:三浦暖加先生  コーチ:イトケン・伊藤健太さん

キャプテン:下出楓雅くん 副キャプテン:宮本湖心さん