こみみかわら版バックナンバー

みれんぼ橋


標高564mの石動山にはかつて36のお寺と三千人の僧侶がいました。
一人の僧が里の娘と恋に落ちますが女人禁制の石動山。
逢瀬を重ねる二人ですが戻る僧とは、この橋でお別れ。
切ない、辛いと未練が残ります。と、みれんぼ橋。


七尾観光ボランティアガイド はろうななお


七尾観光ボランティアガイド はろうななお 永田 もり(ながた もり)さん 68才

七尾の文化や歴史などを、もっと知りたいと思い勉強して、ふるさと検定を受けて上級に合格!
ボランティアガイドへ入会する、きっかけになりました。

会員の皆様と勉強会など楽しくやっています。 観光ガイドをして3年になりました。
「有難うございました! 良かったです」の言葉を聞き、励みになります。

これからも諸先輩方を見習って、笑顔とおもてなしの心で頑張ります。

住所:七尾市神明町1
お電話:0767-53-8815


和倉昭和博物館とおもちゃ館


平成17年4月28日、昭和の日にオープン。
広岡館長が40年間に渡って収集したコレクションです。

懐かしいと大人は感激し、珍しさと新鮮さに若い人は驚きます。
約1万点が常設展示され、昭和の街並や玩具が勢揃いして見所満載です。


和倉フレッシュテニス


七尾市のニュースポーツ普及で、平成3年にスタートしました。

年令も様々な男女12名が和気あいあい・年令とレベルに合わせ、
勝負よりもナイスプレーを目指しています。競技指向も対応しています。

各種大会に参加する事で友達作りができ、体力の面では同年代に勝っていると思います。
メンバー募集中です! ( リーダー 橋場 弘)


はい!社長です-橋本仮設工業


橋本仮設工業 橋本 学(はしもと まなぶ)さん 36才

この世界に飛び込んだときは「辛くてこんな仕事続けられるのか」
と思いましたが18年間続けて来ました。
独立して10年経ち現在5名のスタッフで頑張っています。
新築する時の外壁、瓦、大工などの職人さんがそれぞれに使いやすいように足場を組みます。
まだまだ事業を伸ばしていきたいと思いますので、若い人募集中です。
やる気があれば素人でも大丈夫ですよ。

住 所:七尾市矢田町1-122
お電話:0767-53-3150


第182回 津向町


町名の由来

西暦七一八年、養老二年に能登国が出来た時、能登国の港としての国津(くにつ)を
七尾の港に定め香島津と名付けたそうだよ。
その国津のちょうど向いに位置する在所だったので津の向い、津向と呼ばれたのではないかと
考えられているんだよ。

昔の在所

津向町は海辺にあった十七軒が始まりで半農半漁の暮らしだったんだ。
それが昭和四年操業の岩城セメント子会社の七尾セメントが出来る時に用地買収されて
現在の旧道沿いに全戸移転したんだよ。
そこは小島と津向の地番が交互に入り組んでいるけど町会としては津向町になっているんだね。
セメント工場へ熊淵水上の奥山から石灰石をケーブルで運んでいたけど家の上を通っていたし、
工場にはドイツ製の高い高い煙突が二本立っていたんだ。
当時小学校で家の絵を描かせたら津向の子どもはみんな屋根を白く描いたんだ。
石灰の粉塵が積もっていたんだね。

戦時中にはイセの太陽光発電所の場所に軍隊がグライダー基地を置いて訓練していたそうだよ。
それと旧西湊小学校裏の山を開いて競馬場や射撃場などの娯楽施設があってね、
そこへは常磐町のお姉さんたちも遊びに来ていて当時から津向の若い衆と交流があったんだ。

現在の在所

そんな名残があって今でも秋祭りには神輿を担いで常磐町へ行くんだ。
その時ばかりは台車を使わず威勢よく担いで行くのが慣わしなんだよ(笑)。
青柏祭は唐崎神社のお水取りの神事から始まるけど、その水を津向の「紅葉の池」から汲んでいるんだ。
池の底には五十センチ程の紅葉の形をした石があってきれいな湧水でね、昔は唐崎神社の宮司が
深夜人目にふれないで汲んでいく秘儀だったんだけど近年は日中に行なっているよ。

ここは事業所が多いのでいろいろ協力してもらえるので町会費も年間三千円と安いんだ。
四十年前に在所の風通しを良くするために津友会(しんゆうかい)を発足したけど今でも
二ヶ月に一回集まってわいわいと懇親を深めているんだ。
おかげで総会は和気藹々の内に成立していくんだよ。先輩方が在所の年間行事を絶やさないよう
頑張ってきたので、少子高齢化の中だけど引続きやっていかなければと思っているんだ。

あきこの一言

半農半漁から商工業地域となって、
歴史と近代が交錯する在所。


第54回 「輝け!郷土の星」ミニバスケットの 岩下 大翔さん (中島小6年)


第27回石川県ミニバスケットボール選抜大会優勝

今年は県内でも地元七尾の3チーム、中島男子ミニバスクラブ、田鶴浜ヒート、七尾ブルドックの下馬評が高く、どのチームが優勝してもおかしくない状況の中、トーナメントの組み合わせで地元勢が片寄ってしまい試合が始まります。

中島男子ミニバスクラブの1回戦は田鶴浜ヒート、35対28で勝利します。
2回戦は七尾ブルドックに35対31と接戦を制し、
決勝戦では千代野に39対34で競り勝ち見事に優勝を果たしました。

キャプテンの大翔くんは小学1年生からミニバスを始めました。低学年の時は楽しく面白いと思っていましたが、学年が上がるにつれだんだんと練習が厳しくなります。そしてキャプテンに選ばれると、一番の怒られ役となり辛いと感じる事もありましたが、全国大会出場を目標にリーダーとして全体を引っ張ってきました。

大会では仲間を信じていたので自信があったと言います。努力の甲斐あって県体優勝し全国大会出場を決めましたが、新型コロナウイルスの影響で東京代々木体育館での大会が中止となりました。

大翔くんは残念ですがこんなことはめったにないことなので、特別な年であったということを記憶に留めて中学でも頑張っていくと前向きに話してくれました。

中島男子ミニバスケットボールクラブ

中島町は中学、高校、一般と伝統を誇ってきたバスケットボールの地です。そこにミニバスが発足したのは47年前、現在は宮本一正監督ほか10名のコーチ陣が男子30名、女子21名を指導します。

月水金は中島体育館で午後6時半から8時半まで練習し、土日は練習試合や各種大会に参加します。保護者も練習の送り迎え、試合でのドリンク準備など裏方で支え、冬はインフルエンザ、夏は熱中症対策などに配慮します。また遠征や大会に出かけるときは交通事故のリスクを減らすため現在は各自で現地に向かいます。

宮本監督は少子化が進む田舎の小さな学校ではスポーツで結果を出す事が難しいが、だからこそ「やれば出来る」ということを子供たちに教えたいと言います。そのために自らもルールが変更した時などはいち早く勉強します。そして苦しくても最後まで諦めない底力をつけるため、子供たちには保護者の前であっても厳しい熱血指導を行います。
これは、監督、コーチ、保護者、子供たちが互いに信頼し結束している証です。



キャプテンとして

中島ミニバスクラブのキャプテンは投票で決まります。164cm、42kgの大翔くん、フォワード、センター、ガードのポジションで活躍し、学校でも常に積極的なことから、人望を集めキャプテンに選ばれました。

選ばれるとリーダーとして監督、コーチから期待され、より厳しい指導が入ります。自分がどんなに辛い時でもみんなを助けてあげなければと、副キャプテンの加賀喜智くんと共に積極的に声掛けをしてチームを盛り上げます。

将来はプロ選手として活躍したいと目標を持つ大翔くんは、バスケットボールを通じ、男として逞しく成長していく、そんなオーラがすでに漂っている頼もしい少年でした。



次も頑張るぞぉ〜!!


能登島地区コミュニティーセンター


能登島地区コミュニティーセンター 出島 暢香(でじま のどか)さん 31才

代理で青年団会議へ参加した時に職員を募集しているのを聞き、
コミュニティセンターに就職しました。

能登島地区では、ロードレース大会やふれあいまつり等の沢山のイベントがあり、
毎日忙しいですが職場の人たちに助けてもらいながら頑張っています。

もっと能登島の魅力を発信していきながら、地域の皆さんと交流を深めていきたいと思っています!

住所:七尾市能登島向田町ろ部8-1
お電話:0767-84-1110


夫婦榎(えのき)の木


湯川に一対の夫婦榎がありました。
追っ手を逃れた侍大将がこの地に逃れひっそり暮していましたが、見つかり殺害されてしまいました。
村人が手厚く葬りその上に榎を植えたのです。

今は道路工事により一本の株を残して奉っています。


ブレイクダンスクラス


1970年代ニューヨークブロンクスで生まれたストリートダンスで、
ステップや逆立ち、頭でクルクル回ったり全身を使って踊ります。

現在7名の小中学生が練習に励んでいます。
2024年のパリオリンピック競技に決まりました。

第2、第4土曜日の午後から練習していますので興味のある方は見学に来て下さい。
☎54-0004(ナスポ)


はい!社長です-日本エアートラベル


日本エアートラベル 大根 喜義(おおね きよし)さん 71才

1970年に七尾駅前の日本旅行に入社。 大阪万博に35回以上添乗致しました。
「誠心誠意をもち顧客を大切に」を信条に独立して30年です。

七尾市政50周年で中国を親善訪問した6日間は最高の思い出です。

昨年は七尾市連合老人会文化祭に同級生と初出店し、次の出店も計画中です。
信頼を大切に2025年開催の大阪万博まで頑張っていこうと思っております。

住 所:七尾市石崎町香島2-164-2
お電話:0767-62-2680


第181回 能登島佐波


町名の由来

ハッキリした由来は伝わっていないんだ。
ここは山が海岸まで迫って集落が海岸沿いにある在所だけど、
その裏山に笹がいっぱい生えていたことから沖を通る舟や漁師がそれを
目当てにして岸に舟を寄せていたので、笹山に寄せる波がいつしか笹波となり
佐波と呼ばれていったのではないかという年寄もいたけどね。
実際、佐波神社の裏山には笹がいっぱい生えていたよ。

昔の在所

佐波遺跡があるけど、これは六千年も前の遺跡で七尾市内では
最も古い縄文時代早期の集落跡なんだ。
そんな貴重なものとは知らず子供の頃は土器など掘り出しては遊んでいたよ。
明治三十一年から裏山で乾電池を作るマンガンが採掘されていたんだ。
在所の人たちも従事してたけど、ばあちゃんが草鞋(わらじ)の時代に
地下足袋(じかたび)が支給されてとても嬉しかったと話していたよ。
今でも山はマンガンを掘った穴だらけなんだ。

昭和四十一年に七尾の波止場からフェリーが一日五往復就航して
佐波が能登島の玄関口になったんだ。
忘れてならないのが昭和二十年八月二十八日。
勤労動員の能登島や鵜浦の人たちが家へ帰るのに乗った第二能登丸が矢田新埠頭から
佐波の久美に寄って次に向う途中の寺島付近で機雷に触れて爆破したんだ。
米軍が終戦の年に七尾湾に四百個以上の機雷を投下していたんだ。
ドドーンと大きな水柱が上がったと言うよ。佐波の人が舟を出し救助し、
おかゆを炊き出し救援したけど二十八名が犠牲になって浄覚寺前の浜に莚(むしろ)を
敷いて並べられたという悲しい出来事があったんだよ。

現在の在所

寺島、カラス島、嫁島、コシキ島が海に浮かび、「ひょっこり温泉」や
「マリンパーク海族公園」もあり、民宿も三軒あって訪れる人も多いよ。
山を開墾した「のとじまファーム」ではブルーベーリーや野菜を栽培し、佐波漁港から
数人だけど船を出して漁をしているし、近年は数人の移住者が暮らし始めているし、
昔ながらの半農半漁の暮らしが出来る良い所だと思っているんだ。

高齢化が進み現状を守っていくしかないので、神仏に手を合わせ
みんな仲良く暮して行きたいと思っているんだよ。

まみの一言

数々の歴史に人の営みを感じる、
風光明媚な佐波の在所。


袖ヶ江みなとこども園


袖ヶ江みなとこども園 河上 恵理奈(かわかみ えりな)さん 28才

子どもが大好きで、子どもと関わり、笑顔があふれる中で仕事をしたいと思い、
保育の仕事を選びました。 自分の関わりによって、子ども達が喜んだり、
「楽しい!」と笑顔になったり、「大好き!」と言ってくれる事がとても嬉しく、
子ども達が笑顔で過ごせるようにと、毎日関わっています。
ピアノが苦手なので、弾けるように頑張っています。 将来の夢はみんなに信頼される保育教諭です。

住所:七尾市郡町弐部113-1
お電話:0767-52-1420


釣り広場


大田火力発電所の温排水口の周りが釣り広場として開放されています。
排水口からの流れが強く渦を巻いています。
クロダイやメジナが良く釣れ、太公望が集るスポットで常連も多いです。

今年は発電所業務の為、7月31日まで臨時閉鎖となります。


中島中学校 バドミントン部


部員11名で楽しく活動しています。バドミントン部は練習がハードなときには、
部員全員がお互い声をかけ合って日々団結力を高めています。

また、時間を有効に使って部分練習をするなど、全員が一生懸命頑張っています。
一人一人がその努力の成果を試合で出せるように、仲間と協力して頑張ります。
(部長 菅田 妃菜)


はい!社長です-RTHA るた(美容室)


RTHA るた(美容室) 大森 千裕(おおもり ちひろ)さん 46才

京都で生まれ育ち、好きな髪色にしたいと邪な考えから美容師になり、
人見知りの自分でも技術を通して人とのコミニュケーションを取る事が出来る様になりました。

七尾出身の主人と出会い、嫁いで10年目、主人や多くの方々のお力添えで、
府中町でRTHAを開業。

お客様との出会いもお互いに必然であると思いながら、出会いを楽しみ、感謝する毎日です!

住 所:七尾市府中町254番地
お電話:050-3700-1203


第180回 中島町浜田


町名の由来

熊木川河口付近に広がる浜辺を開拓して田んぼにしたことから浜田と
呼ぶようになったと言われているんだ。
鎌倉時代親鸞さんが教行信証をしたためた頃と同時期の古文書に熊木荘の浜田里という
地名が出てくるので、この辺りのことではないかと推定されているんだよ。 

昔の在所

江戸時代後半には稼ぎとして縄やわらじなどが記録されているけど、
わら草履(ぞうり)の産地として古くから「浜田草履」として名を残していたそうだよ。
昭和の初めまでは鉄道が無く、浜田の天神橋下から定期船が出て七尾と結んでいたんだ。
昭和三年に能登中島駅が開設し国道二四九号線も通ったら戦後どんどん人が集まって、
中島町の四十五町会の中で一番大きな在所になっているんだよ。

つの時代かわからんけど二月二十日に浜田に大火があったらしくて、
二度と火を出さないようにと毎年その日には火祭りをやっているんだ。
七月の納涼祭も、かつては熊木川に灯籠を流し、舟を出して奉燈や鉦太鼓を乗せて
川下りをして盛大だったけど、今は残念ながら行われていないんだよ。

現在の在所

ここは牡蠣の養殖業者も多くシーズン中は町内外からカキ貝を食べに
数千人が訪れて賑わっているんだよ。
大雨になると熊木川がよく氾濫するので拡幅工事が行なわれるんだけど、
天神地区の登録有形文化財の室木邸をはじめ十戸ほどが移転しなければならないんだ。
転出を予定する家もあり人口減も心配だけど、一方で十五年前に出来た新興団地の
「向陽タウンはまだ」には在所外から移り住む若い人らも多く、今では壮年団の
主流メンバーとなって祭りや社会体育大会などの行事に頑張ってもらっているんだよ。

熊甲祭りの大旗は町で一番大きく、祭りをしっかりやらなければという自負があるけど、
在所の半分が六十五歳以上と高齢化が進んで運行が難しくなってね。
ひょっとしたら今年の祭りであの大旗が見納めになるかもしれないから
九月二十日にはぜひ見に来て下さいね。
在所が広いので新旧住民の付き合いが疎かにならない為にも祭りは大事な交流の場なんだよ。

まみの一言

見栄も張らず、媚びもせず、
大きな大旗、大らかな在所。