こみみかわら版バックナンバー

はい!社長です-USICベースボールアカデミー


USICベースボールアカデミー 小杉 啓介(こすぎ けいすけ)さん 34才 A型

2年前に野球を通じて人材を育成する会社を設立しました。

プロ野球選手を目指し社会人野球でプロテスト中に、家業の再建のため帰省しました。 家庭を持ち子育てする中で数々の失敗も成功も体験し多くを学びました。

芯ある人材を育成したいとの思いが募り 「チャレンジする事で人は育つ!」そんな理念を掲げ、スポーツを通じて次世代を担うジュニアを育成しています。

住 所:国下町を部7‐2
お電話:090-7086-1809


鵬学園高校 バドミントン部


男子14名、女子8名の個性豊かな集団です。

練習は決して楽ではありませんが、練習を通して諦めない気持ち、仲間とのコミュニケーションの大切さを学びました。 そして、明るく元気な仲間たちときつい練習を乗り越えたり、試合を通じて切磋琢磨できることが楽しいです。

目標達成に向けてチーム一丸となって頑張ります。


顧問:曽我亮太先生・福原聡先生

男子キャプテン:岩本拓海くん 女子キャプテン:守﨑唯さん


第111回 私の仕事は『医者』です


仁愛・信頼・貢献

仕事歴40年 円山寛人さん 70歳

流れの中で

帰宅して車を車庫に入れたとき「車は玄関先に前を向けて駐車しておけ」と父に怒られました。「夜、往診の電話があったら、その家族が受話器を置いたときに玄関先に先生がいたというくらいの心構えでいろ」と教えられ、その言葉が今の私の原点になっています。

私は平成四年に金沢医科大学病院の勤務医を経て七尾へ戻りました。医者の長男として周囲も私自身もごく自然に将来は医者になるのだと思っていました。

私が子供の頃の父は家庭医のような存在で歯が痛いのもまずは父に診てもらうという感じの患者さんが多かったように思います。
当時は具合が悪くなったらとりあえず往診で診てもらい、必要があったら救急車を呼ぶという時代でした。
父は真夜中でも往診は絶対に断りませんでした。

昭和二十八年開業当時は馬で往診に出かけ、それがバイクになり、車は知事か市長くらいしか乗っていないような時代から往診のためにと購入していました。

地域医療

私は当初外科医を志したのですが父の町医者として地域に関わる姿を見ているうちに、跡を継ぐのならやはり内科医しかないと思いました。
ただ外科医に未練もあり外科的要素もある循環器内科を専門としました。

地域医療は患者や家族とのお付き合いが深く長いものになります。それで父と同じように往診はどんな時でも出向くことを心掛け、二十四時間、三百六十五日、一日たりと気が休まる日がありませんでした。

ある時、往診で処置したお爺さんが元気を取り戻し、医者冥利に尽き家を出ようとした時、玄関まで見送りに来たお婆さんが、大きなため息をついて「あぁー、こんでまたどこも出かけられんわ」と呟きました。
その当時は在宅で病人や老人のお世話をし、最後も家で看取っていくことが多く、その間お世話をする家族も大変な時代でした。

私は退院して家へ戻ってもケアが十分でなくまた悪化してしまう姿を見るにつけ、医者は病気を治すだけでなく患者やその家族も含めて生活を支え、守ることも大切だと思うようになりました。

特段の能力があるわけでもない私が、周りの人に支えられ医者にさせて頂いたと思っています。その恩返しをという気持ちで高齢者の健康維持のため千野町で通所のデイケアセンターを開設することにしました。

デイケア開設には医師が必要だったことから併設でえんやま健康クリニックを開院し消化器内科医の妻にお願いしました。そうした中で入所が必要な人のために介護老人保健施設(老健)を増設し、超高齢化社会を迎える中で終の棲家となる介護老人福祉施設(特養)「千寿苑」も併設しました。

父が地域に根差してきた医療を継承し、患者とその家族にどう寄り添えるのか、何ができるのか。すべてが必要性ある中で自然と裾野が広がってきたように思います。



でか山

常々医療を通じて地域が元気になってもらいたいと願ってきましたが、同時に町を元気にするためには住む人が絆を育むことが大切だと思います。

今、府中印鑰神社奉賛会の会長を仰せつかっていますが、祭りは年代や職業を超えて住民の絆を結ぶ唯一のものだと思います。ただこの二年間はコロナ禍で「でか山」が運行できませんでした。
今年はコロナの状況にもよりますがPCR検査や人員の制限など感染防止対策を徹底して講じながら三町で山車を曳く予定です。

単に祭りを楽しむということではなく、室町時代から続く伝統の技をすたれさせないために、そして何より住民の絆を強く結ぶことで、七尾の町に元気を呼び戻してもらいたいと思います。

府中町 円山病院 0767-52-3400


第205回 七尾市八田


在所名の由来

矢田郷から分かれた村で八田(やた)と書いて(はった)となったとか、八田三助という郷士がいたとか、八幡町から出た人がここで田んぼを開いたとか所説あるようだけど本当の由来はわからないんだ。

昭和二十八年、平城京跡の発掘調査で能登郡八田郷と書かれた木簡が出てきたんだ。木簡とは地方から奈良の都に税として物品を輸送する際の荷札のことだけど奈良時代にはすでに八田という地名があったことは確かなんだよ。

昔の在所

江戸時代後期、水不足が深刻で二百九年前に山の奥に三ヶ村池という二段構えの池を作ったんだ。八田と国下、中挾の三村共同で二年間に六千七百五十人の人足が出たと記録があるよ。

この池の土地が江曽地内だったことから八田の乗龍寺にあった自慢の大太鼓を江曽村に譲り渡すことになったんだ。その太鼓は今も江曽の妙楽寺にあって戦前までは正午の時を告げていたらしいよ。

太鼓の話がもう一つあるよ。三ヶ村池から流れ出る水が笠師川となってその中流に滝つぼの蛇池があるんだ。昔ここで七日間に及ぶ雨乞いを飯川村光善寺第二十五世住職の観常にお願いして執り行ったんだ。

その時打ち続けた太鼓が今も光善寺にあるけどこの太鼓は中島町西岸の室木助左衛門(明治の館)が百八十三年前に光善寺に寄付したものなんだ。

室木家と光善寺の繋がりが不明だけど、八田にも室木家と同じく廻船業の八田助五郎という人がいたので縁を取り持ったのかもしれんね。

現在の在所

近年八田の棚田米が全国の品質審査大会で数々の賞を貰っているので嬉しいね。

担い手の高齢化が進み跡取りがいないのが気にかかるけど、標高二百メートルの棚田は寒暖差があり石動山系からの湧水なので美味しいんだよ。
棚田は農機を入れにくいし労力をかけても採算が合わないという苦労もあって耕作放棄地になりやすいんだけど、八田の農家はその保全に価値を見出そうと頑張ってくれているんだ。

毎年東雲高校の生徒も来て田植えから稲刈りまで全部手作業で米作りを体験しているけど、昨年はその米が全国農業高校お米甲子園で最高金賞を受賞したんだよ。

若い人が居ないと在所が活性化しないので、妙案はないけど農業を楽しめる環境を作って次世代に何としても引き継いでもらいたいとみんなで願っているんだ。

あきこの一言

棚田あり、水あり、人あり 
自然を活かす八田の在所


雌島・雄島(めじま・おじま)


大田火力の沖約1kmに浮かぶ溶岩の小島。
大きい雌島で約90種・小さい方の雄島で10種余の原生植物群は市の天然記念物。

雌島に高さ約10mの灯台が昭和27年に建立。

二つの島の間は浅瀬で危険です。巷では間を通ると不吉な事が起こるとの噂があります。


なかのと奏友会(音楽団体)


なかのと奏友会(音楽団体)荒川 裕介(あらかわ ゆうすけ)さん 40才 O型

石川県でも珍しい低音金管楽器のユーフォニアム・テューバを使ったアンサンブル活動を2010年より行っております。

毎週土曜日夜、能登・加賀のプレイヤーが「音楽を真剣に楽しもう!」の考えで集まり、楽しく活動中です。 主な活動は、演奏会の開催、コンテストや地域イベントへの参加などです。

若いプレイヤーと共に末永く演奏を楽しんでいくことが今後の夢であり目標です。

住 所:中能登町井田4部43番
お電話:090-3768-5608


第204回 七尾市竹町


在所名の由来

室町時代ここは畠山城下でその家臣の館(やかた)があったことから、館(たて)町と呼ばれそれがいつしか転化して竹町になったという説があります。
江戸時代から明治二十二年までは竹町村と呼ばれていたと記されています。

昔の在所

城山の麓で山仕事や畑仕事で生活してきた在所です。昔は用水不足で近隣の在所と紛争が絶えなかったという歴史があります。

そんなことから嘉永年間(江戸時代)に二枚田に竹町、府中、藤橋、所口、天神川原、古府、国分の七か村で共同のため池を作りました。「シチカムラの池」と呼ばれ三百五町歩の田んぼを潤したといいます。この池は遠浅の部分もあり小学生の頃は海水浴のように泳いだり、池にせり出した木の上から飛び込んだりして遊びました。

この池も昭和四十七年ごろから不燃物ゴミ処理場として埋め立てられ、今は市立二枚田運動場(ソフトボール場)となっています。

等伯の達磨図を所蔵する山の寺の龍門寺は最初竹町にありました。上杉謙信が攻めてきたとき一時能登島の閨に移転し、その後山の寺に再建されたそうです。在所には龍門寺という小字が残っていて付近の田んぼから五輪塔の石が見つかっています。大天神山の外れには処刑場があったと伝わっています。

現在の在所

本家筋で十六代、十七代と続いている家が七軒残っている古い在所ですが、かつては山の麓の竹町の場所を教えるのが難しかったです(笑)。今は農免道路と城山線が整備され城山交差点が出来て場所が分かりやすくなりました。

能越道が開通し城山インターへの通り道になってから交通量が格段に多くなり、交差点に信号機が付くまでは本当に事故が多かったです。

小学生の頃は春と秋の祭りは神輿が出ていましたが今は松尾天神社でお参りするだけになりました。新しい人も入ってきて人口も年々増えてきましたが、顔を合わす機会が少なく道路と河川の愛護デーで顔を合わせるくらいです。

古いしきたりやしがらみがないので新しい人も案外生活はしやすいのではないかと思います。田んぼも広がり空気も良く、学校や商業施設も近く便利で住みやすい場所になりました。

いずれにしろ住む人みんなが公平で平和に暮らしていける町であり続けたいと願っています。

あきこの一言

七尾城の麓、歴史が漂う在所
田舎の都会、ゆったり暮らす


中能登中学校 剣道部


「剣道=生活」を実践し、各自がクラスや学年で活躍しています。

剣道は日本の文化で世代を超えて学び合う道でもあります。「技」を通じて「道」を求め、自分を高めていくところが楽しいです。 試合で、自分の不調時にチームが助けてくれて、仲間の大切さに気付けました。

厳しい稽古で得た事を発揮し勝利する時がやりがいです。

顧問:本吉 秀光先生(剣道七段)、能山 公介先生(剣道五段)

男子主将:中橋 宙くん(剣道初段) 女子主将:中村 朋香さん(剣道初段)


清水電機商会


清水電機商会 清水 宏司(しみず こうじ)さん 45才 B型

家業を継いだ三代目です。 でか山の町、府中に生まれ大の祭り男に育ってしまいました(笑)。今年は若衆頭を仰せつかる予定です。

コロナ禍が長引き気にかかる所ですが、今年こそは鍛冶町、魚町と共に三台で曳きまわそうと話し合っています。 十分な感染対策をして郷土の文化遺産と市民の絆を守りたいです。

好きな言葉は、「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め!」です。

住 所:府中町員外26
お電話:53-3226


はい!社長です-戸田時計店


戸田時計店 戸田 和貴(とだ かずたか)さん 36才 O型

一本杉通りの入り口、仙対橋のたもとに130年続く時計屋の五代目です。

日大を卒業し東京で不動産の仕事をしていましたが家業を継ぐために29歳で転職。 東京で技術が高いオグラ眼鏡店で修業し一昨年帰郷、昨年社長を引き継ぎました。

眼鏡は個性を引き出す大切なアイテムです。 鯖江産の高品質な眼鏡も揃えてお顔に似合う眼鏡を手厚くサポート致しております。

住 所:生駒町8-1
お電話:52-0420


水白鍋山古墳(みじろなべやまこふん)


全長64mの帆立貝形古墳で築造は5世紀前半。 明治39年に頂部から石棺や銅鏡など多くの副葬品が発掘されました。

古墳全体にソメイヨシノが植えられています。春になると田園にポッコリと美しい桜の山が現れます。
東往来、車中からの眺めが素敵です。


2022年2月26日<388号>掲載 我が家のペット


こたろう(オス)

柴犬

ドライブとコタツが大好き♪
甘えん坊の、おじいちゃんっ子です!!

(池崎町 山口さん)


パピ(オス)

パピヨン

おとなしくて、人懐っこいです。
チョウの羽のような耳なので
フランス語のパピヨン(蝶)です。

(中島町上町 石田さん)


第203回 七尾市桜町


在所名の由来

昭和四十年に桜川河口右岸を埋立て出来た土地でね、それにちなんで桜町だそうだよ。

桜川の拡幅工事で立ち退きになった人の代替地としたり、七尾市が宅地として分譲してできた町なんだ。

昔の在所

子供の頃いかだを作って遊んでいた海が埋め立てられ、気がついたら家が建っていたよ(笑)。当時は人口増の時代で小島町など近隣の町内の人たちが宅地を求めたんだね。

埋立したばかりの時は地面がまだ軟弱で買った人が地盛りをしてから家を建てていたんだ。能登沖地震では電柱の根元が液状化していたよ。

昭和四十年に秋元さん世帯が第一号の住人となって、第二号は立山堂パンの若林さん、昭和四十四年には六十三世帯と一挙に家が建っていったんだ。海辺には造船所や鉄工所、製材所なども進出したんだね。

初代町会長は河元さんだったよ。神社はないけど昭和五十四年に奉燈を新調して西のおすずみで町内の結束を図ってきたんだ。子供もいっぱいいて五年生にならないと笛太鼓は出来ないと言っていたんだ。

町内のメイン道路で水入れリレーの練習をして御祓地区の運動会に参加していたけど、若い人が多かったので綱引きは強かったなぁ。今では六十歳以上の熟年玉入れも普通の玉入れもメンバーは同じなんだよ(笑)。近年は最下位かブービーだけど参加することに意義があるんだよ。

現在の在所

皆で積み立てをして平成十一年に二軒長屋を買って会館が出来たんだ。平成二十六年から月に一回、高齢者の寄り合い場として会館に集まり、お菓子やお弁当を食べて歌やゲームをしているよ。

二月の餅つき大会と六月に多根の山びこ壮へ日帰りで行くふれあいの集いで楽しんできたけど、今年は新行事として夏にサマーフェスティバルを計画したんだよ。

桜町青壮年会会則では年齢制限があって四十五歳までだけど、今は会長が一番若くて五十歳、六十代、七十代の会員二十四名が気持ちだけは青壮年で頑張っているんだ(笑)。

恵寿総合病院があるので災害訓練のトリアージに参加して防災意識を高めているけど、高齢化が益々進むので自助、共助で支え合っていかなければと思っているんだよ。

あきこの一言

新しい町も はや半世紀
触れ合いを大事にする在所


七尾高校 女子バスケットボール部


1955年の県選手権で準優勝の記録が残り、創部はそれ以前です。

どの部員同士でも仲が良く、試合では互いのプレーの良し悪しに声を掛け合い、チーム一丸で頑張っています。

なかなか練習時間が確保できない中、上達を目指して努力する事で集中力が身に付きました。 総体までに何とかベスト16に入れるようになるのが目標です。

顧問:濱岡 駿一先生

キャプテン:住 和樹さん


ピアノサロンすずらん


ピアノサロンすずらん 帽子山 佳代(ぼうしやま かよ)さん 38才 B型

看護師勤務していた3年前「ピアノで癒すこと」が使命だと確信し、音楽療法を学び始めました。

「心身を癒す」個人ヒーリング(オンラインOK)や「繊細な子(発達障害さん)が、音楽で自分らしい表現を楽しみ、自己肯定感がアップする」ピアノ教室をしています。

来る方が、みんな笑顔になって帰る姿に、喜びを感じています。 日々自分磨きをしながら「心に響く演奏」に努めています。

住 所:古府町に部42
お電話:090-2838-1404


はい!社長です-株式会社 森村自動車商会


株式会社 森村自動車商会 森村 透(もりむら とおる)さん 42才 A型

地域の皆様に支えられて来年12月で50周年を迎えます。100年続く会社にするのが私の夢です。

自動車業界は大変革の時代で、これを生き残る為に自分と会社を成長させ、お客様にさらに喜んでもらえる仕事をしていきます。

車を好きになって貰いたくてリースを始めました。コンセプトは「乗るだけ」 車の面倒な事は全てお任せ下さい。 車の運転が楽しい!を広めていきたいです。

住 所:中島町横田乙-107
お電話:66-0326


七尾タワー


NTTの電波塔。
昭和27年に日本電信電話公社が設立され、昭和38年に この鉄塔が建設されました。

地上83m、七尾駅前のシンボルとして七尾タワーの愛称で親しまれています。

高度成長時代から現在までの七尾を見守ってきました。御年59歳。