弘法の水
田鶴浜大津の在所に湧き出る名水。
約千二百年前、日照りが続き悪疫が流行し村人が困っていた時、
衣も破れた旅の僧侶が現れこの泉を掘って下さいました。
その僧侶が空海こと弘法大師だと知り村人は報謝のお堂を立て今でもお参りを続けています。
田鶴浜大津の在所に湧き出る名水。
約千二百年前、日照りが続き悪疫が流行し村人が困っていた時、
衣も破れた旅の僧侶が現れこの泉を掘って下さいました。
その僧侶が空海こと弘法大師だと知り村人は報謝のお堂を立て今でもお参りを続けています。
主演男役 陽月 れなさん
男役の私にまで「かわいいねっ」「頑張ってねぇー」と言って頂き、
こちらが元気を貰います(笑)。
老人施設などへ慰問する日は朝が早いので辛いのですが、最後にお年寄りと
握手をした時の温もりに報われます。
私はOSK日本歌劇団に所属していました。OSKとは大阪松竹歌劇団の略称です。
「歌の宝塚、ダンスのOSK」と称されていましたが二〇〇三年に解散したのを機に
当時の一部のメンバーで加賀屋の雪月花歌劇団として発足しました。
これはOSKの地方公演として以前から加賀屋のシアタークラブ花吹雪で
公演をしていたことがご縁になったのです。
横浜出身ですが、幼少の頃ディズニーのショーを観て私も踊りたいなぁと思っていました。
高校生の時ウエストサイドストーリーの映画を観てジョージチャキリスに憧れましたが、
それは異性としてではなく自分もあのようにかっこよくなりたいと思ったのです。
そんなことからOSK日本歌劇学校に入学し、ジャズダンス、クラッシックバレー、
日本舞踊、声楽と稽古を積みOSKに入団しました。歌劇はチームで舞台を創ります。
経験が浅くてもステージに立つということは先輩の技術に並ばなければなりません。
そのため先輩は後輩に厳しく指導します。注意され、時には叩かれ、今ならパワハラと
言われそうですが当時はそれが当り前の世界でした。
私は後輩にどこに力を入れて、どのタイミングで止まって、ここはワンテンポ待ってなど
具体的にコツをアドバイスしています。ステージでは男役と娘役に分かれ、ダンス、歌、舞踊、
殺陣など様々なジャンルを組み合わせ、型にはまらない独創性ある物語を演出します。
どのジャンルにも基本の動きがあり正しく出来ればキレイですが、
たとえダンスが上手でなくても芝居心のある人は踊れるようなそぶりで踊ってしまう。
そんなメンタルの人が歌劇をやれるのだと思います。
OSKでの初舞台が加賀屋のショーでした。そんなご縁で何度も和倉に来るようになりましたが、
ある時「あの子が将来ここのトップとして来る子だ」と言って頂きました。
その頃の私は、次世代のトップスターを目指し努力していたのですが、その言葉を聞いた時、何故か
将来地方公演先のトップをやるのかもしれないと予感が走りました。
導かれていたのでしょうか、今こうして雪月花歌劇団として十六年が経ちました。
花吹雪のステージ
これからはコアなファンや観光客だけでなく地元の皆様にも今まで以上に
私たちの事を知って頂き、地元で歌劇の裾野が広がるよう努力をしなければと思います。
老人施設への慰問もその一環ですが、子供たちにも見てもらえる場があればと思います。
写真でなくライブのワンシーンを見ることで理解が深まります。
吹奏楽部の生演奏でショーをしたり、ママさんコーラスといっしょにショーをする。
また幼稚園のお遊戯会で歌手として参加するなど様々な団体とコラボできればいいなぁと思います。
私たちは午後三時に楽屋入りし、夜八時半からショーが始まり、後片付けをして家に帰るのは
深夜という毎日ですが、時間を作り市民の皆様と交流を深められればと思います。
また全国でも数少ないプロの歌劇団が七尾にある事を知って頂き、地域の活性化に
役立てて頂ければとも思います。そんな思いを巡らせているとあっと言う間に朝になり、
青林寺の鐘が聞こえてくることもしばしばです(笑)。
寿老園を慰問
加賀屋雪月花歌劇団
☎0767-62-4111
ムーミンなかがわに集まりました♪
なぜ富岡になったかわからないけど、小丸山の城下町に東と西に地子町があって
ここは西地子町の一部だと聞いているよ。
その中でもここは明治の初めごろまでは通称で瀬戸浜と呼ばれていて、
遠浅の砂浜で小船の陸揚場となっていたそうだよ。
ちなみに地子(じし)とは領主が田畑や屋敷地などを賃貸料として課す地代のことだけど、
町名となるのは城下を作るときに商人や職人を多く集めるために地子を免除する町を作る場合もあって、
その代わりに町には人足役や伝馬役、領主御用達の負担が課せられるという話だよ。
七尾の東西の地子町がどの辺りか、どんな制度だったか詳しく知りたいね。
在所の西宮神社のすぐ裏が海だったよ。
貸ボート屋も何軒もあって海水浴もしていたし、タコもよく釣れたね。
桟橋もあってポンポン船が能登島と行き来していたけど、
ここは能登島の西島にルーツを持つ人が多いよ。
お盆に墓参りに帰る時は手土産に肉を持って船が沈むくらいいっぱい人が乗っていたよ。
そんな時代は府中の波止場に能登島会館があって高校生の寄宿舎になっていたんだ。
西宮神社は石動山のお寺を移築し恵比寿様を祀ってあるんだ。
恵比寿様は商売繁盛の神様なので建立のとき御祓地区のお店が商売繁盛を願ってこぞって勧進したんだ。
昔の秋祭りはすごかったよ。
本宮神社に向うとき亀山町から馬出の橋までの直線を白木の神輿を松本町の人と三、四十人で
担いで勢いよく走るんだ。橋を渡るなと止め戻されるので、亀山町まで戻ってはまた突っこむんだ。
三回目で御祓川に腰までつかり体を清めて川を渡ることが出来たんだ。
前日には川底の石をあげて準備していたね。
先輩から聞いた話では戦時中に国から配給のサツマイモを町内の砂利道に並べて家族の人数を聞いては
配っていたらしいよ。終戦直後には小学生たちが線路沿いを歩き徳田にある軍の弾薬庫に行って、
三十センチの砲弾を持ってきては信管をはずし火薬を取り出して道に並べて遊んでいたんだ。
そんなある日砲弾が炸裂して子どもが一人亡くなる事故が起きているんだ。
そんな時の砲弾が西宮神社の社殿に箱に入れて飾ってあったけど、昨年自衛隊が回収していったよ。
近年は少子化で年寄りの多い町になってしまったけど、それだけに防犯防災の意識は高くて
お膝元の恵寿病院の災害時の訓練に参加してトリアージの患者役をやったり、
AEDの訓練をしてもらったりしているんだ。今は神社の改修工事をしているけど
人が暮らす限り歴史は刻まれていくから過去も未来も大事にしたいね。
城下の一角にて存在感を示してきた在所。
車とは移動手段はもとより、乗る人にとっては「特別の空間」だと思います。
多くの人は車に乗る場面を想像するとき、そこには幸せな空間をイメージしているはずです。
一人音楽を聴きながらのドライブ、友達と目的地に向うワクワク感、
そして大切な人とかけがえのない時間を過ごす空間など。
そんな車の魅力をお客様のニーズに合わせてお伝えできればと頑張っています!!
住 所:七尾市八田町ロ部1-3
お電話:0767-57-3550
先代の舟塚先生より引き継いで3年目になります。
月に3回第1・2・3木曜日の午前中、「かな文字と漢字」を練習しています。
書く事が好きな人が集まっているので仲が良く、色々な話が出来るので楽しみです。
9月27日~29日「石川一東会社中展」が矢田郷コミュニティセンターで開催されます。
是非ご高覧ください。 (講師 得能 路雪)
明治創業の会社で基本理念に「五心」を掲げています。
五心とは、感謝の心、素直な心、謙虚な心、反省の心、奉仕の心です。
時代は令和へと移りましたが、この間、京都から能登へ、綿反から和装へ、
そして洋装、寝具、健康食品へと営む場所や扱う商品も変化してきました。
時代や商品が変わっても「五心」を大切にして地域の皆様に感謝し笑顔をお届けしたいと思います。
住 所:七尾市神明町ロ部2-9
お電話:0767-52-1185
タケノコで有名な七尾の千野町には、孟宗竹の竹林が広がります。
加賀藩では金沢の別所、氷見の宮田、七尾の千野がタケノコの三大産地でした。
赤土の土壌で育つ美味しいタケノコは市場でも人気で1割高の価格でも
買い求める人が多かったと言います。
21チームが参加した第51回交通安全子供自転車大会で朝日小学校の永江史乃さん、多村知聡さん、豊島颯斗くん、橋本和香さんのチームが優勝し見事に団体2連覇しました。そして史乃さんも個人優勝を成し遂げ全国大会へ石川県代表として出場しました。
この大会は競技を通じて小学生の自転車事故防止活動の一環として交通安全協会が主催し50年を超える歴史ある大会です。競技は交通規則などの学科問題、交差点の正しい通り方などの安全走行、そしてS字走行やジグザグ走行など技能走行が採点されます。
史乃さんは4年生から競技を始めました。キッカケは「県大会で優勝したらディズニーランドへ行けるよ!」と朝日子供自転車クラブへの申込み用紙に書かれていたキャッチフレーズを目にしたからです。競技のことよりディズニーランドへ行きたい!が一番の動機でした(笑)。
実は史乃さん、学校のマラソン大会では最下位、ドッチボールではすぐに当てられてしまう運動が大の苦手の女の子でした。クラブに入るまでは家で本を読んで過ごす事の多かった史乃さんですが、ディズニーに行きたいと積極的に練習を始めました。競技用の自転車はママチャリで4年生の史乃さんの足が床に届きません。まず乗れるようになることからでした。お母さんは史乃さんが小1のとき自転車に乗る練習で補助輪をはずしたとき恐がってなかなか乗れなかったので、どうせすぐに辞めるだろうと思っていたそうです。
団体・個人で優勝!
高階地区は交通安全運動が盛んで、10年ほど前から自転車大会に参加し熱心な指導を行ってきました。そんな環境で史乃さんはメキメキ上達しました。特に技能走行のデコボコ道走行が面白くゲーム感覚で練習が出来たそうです。
4年生で団体5位に入賞したことが自信になり、ますます自転車競技が好きになります。そして5年生で団体優勝し東京ビッグサイトでの全国大会と念願のディズニーへ行く事が出来ました。
6年生となった今年、団体優勝はもちろん、個人優勝も大きな目標になりました。こうなるとゲーム感覚での練習ではありません。「やらなければ!」という強い思いで練習を重ねました。そして迎えた7月の県大会で思わぬアクシデントに見舞われます。前年チャンピオンの朝日小が一番走行です。会場の産業展示館の床がワックスで滑りやすくなっていたのに気がつかず安全走行で転倒したのです。史乃さんは頭が真っ白になり、周りの人たちも「えっ!」と目が点になりました。「優勝を逃す、何とかしなければ…」と焦る史乃さんでしたが、日頃の徹底した練習のおかげで瞬時に体勢を立直しました。減点されましたが得意の学科で満点を取り無事優勝をし、全国大会でも個人188人中30位の成績でした。
運動嫌いでスポーツに縁の無かった史乃さんが、自転車競技で仲間と一つの目標に向って力を合わせたことで、七尾市の若林スポーツ賞を貰いました。「何事も頑張ればやれる」を見せてくれた史乃さんです。
朝日子供自転車クラブ
48年ぶりに奉燈を新調しました!
人と触れ合い・人の役に立つ仕事を志して看護師になり、
人とのつながりの大切さや人生観などを教えられました。
能登病院では看護師たちが、公民館や集会所を訪れ、「出前保健室」を開催しており、
認知症予防のお話や栄養相談が人気です。
地域の皆さまとの楽しい時間が、私たちのやりがいに繋がっています。
ぜひ、健康増進・リフレッシュに「出前保健室」をご利用ください。
住 所:七尾市藤橋町ア部6番地4
お電話:0767-52-6611
小学校から野球を始め、先輩方の姿を見て中学でも続けています。
仲間と力を合わせて県大会出場に向けて頑張っているのがすごく楽しいです。
一人一人の声かけや挨拶がしっかりとしているし、練習前の準備も全力で、
各々が手を抜かずに頑張っている部です。
先輩後輩関係なく仲が大変良くて、練習もスムーズに進められます。
(キャプテン 大野 獅凰)
ドッグラン♪
年寄りが一人亡くなれば図書館が一つ無くなると言われるんですよ。
昔は爺ちゃん、婆ちゃんが、家の事、地域の事を孫に語ると三世代で100年、その孫が年寄りになって自分の孫に語るとまた100年、計200年間は伝承できたのです。
現代は学校を卒業すると家を出て帰らない子どもが多いので20年間しか繋がらない世の中となって、郷土の歴史が一年一年と失われていく危機に焦っているんですよ。と語る唐川さんです。
時折メディアに登場する唐川さんは中島町を中心に能登の歴史や風俗など幅広い知識を元に様々な活動を行なっています。日本考古学協会に所属し、地元では中島ささゆり短歌会と中島町植物の会の会長を務め、朱鷺棲む里山釶内クラブを主宰しています。
郷土の歴史に詳しい唐川さんですが子供の頃から知らず知らずに興味を抱いたと言います。それもそのはず父親が「加能民族の会」に所属し民俗学を中心に地域の歴史を書いており、家では寝ころがって手を伸ばせば父の書物に手が触れる環境だったとのこと。
そして鹿北商工会に勤務し地域の皆さんと世代を超えてふれあう中で様々な事を知り、疑問に思ったことは図書館で調べ、そんな積み重ねで造詣が深まったと言います。
歴史研究の方法は文献史学と考古学があり、文献史学は書類に書いたものを読み解いて歴史を解釈していきます。考古学は事物を対象にして、いつ頃のものか、材質は何か、何に使われていたか、どのように使っていたかを調べていきます。歴史上の書類には偽物もあり、たとえば紙に墨で書かれた文献が見た目ではその時代の内容に合致していても、そこに考古学でアプローチし紙と墨を分析するとその時代と文章の内容が合わないことがあります。
このことからも歴史は塗り替えられていくことがあると思われます。また民俗学では気候風土の違いで風俗や生活様式などが異なりますが、同じ土地でも時代の移り変わりの中でそれらも変化していくことが分かります。
さしずめ現代なら車がモデルチェンジしていくとか、流行のヘアースタイルが変化していくような感じです。
このような様々なアプローチで歴史が補完されていき、長い年月の積み重ねで今日の段階でこんなことが分かった。ということが歴史研究であり終わりはないと話します。
唐川さんは経験から活字で残す、写真で残す、絵で残すことが大切だと言います。
人間は生きた事実があっても、記録を残さず死ぬということは、生きた証を残せないと考えるからです。少子高齢化が進みどの在所も連帯感が薄れ、共助の力が弱まり、歴史を語り継げない現実をどうしていけば良いのか…。
結論は伝統の「祭り」にヒントがある。人が少なくなっても「祭り」は実施した方が良い。神輿や枠旗が出せないなら代わりうるものを考える。
たとえば高さ1.8mの赤い旗を各家が持ち出し鉦太鼓を鳴らし参列する。日常に感謝し、神と人が一体となり、心を合わせることの出来る最後の砦が「祭り」だと言います。失われつつある故郷の歴史を少しでも後世に残したいと活動を続ける唐川さん。
今、中島町の各地区を訪れ、集落内の通称名、家の屋号、門徒寺の聞き取り調査を進め、またお年寄りからは人生の経験、知識を伝承してもらうべく話を聞き出して記録している。
唐川さんの活動は失われる歴史を留めるだけでなく、お年寄りにとっても生きた証を確認し、人生を振り返る貴重な時間となっている。 「生きてきて良かった」と。
この春「れんげや」が良川に移転した時から、店長&店員として働いています。
キッカケはオーナーにスカウトして頂き、未経験の業種でしたがチャレンジしました。ご家族やお友達など大切な人との幸せな時間を過ごして頂けるお店にしたいと努力しています。
お客様の笑顔を見ると私も楽しくなります。休憩時間なしで開いていますのでお腹がすいたらお気軽にお立寄り下さい。
住 所:中能登町良川庚61-2
お電話:0767-74-0554
平成29年、七尾市津向町に突如現れた巨大な太陽光発電。
ひよこのイセ食品が遊休地を活用して建設しました。
地球の温暖化対策の一環でもある太陽光発電です。25haと広大な敷地で年間に
一般家庭で約9000世帯が使う電力を発電します。
子供の頃、両親が共働きで妹の食事を作っていたことで料理好きになりました。
七尾工業を卒業し大阪の料亭で5年間修業し、金沢の居酒屋で13年間勤めていました。一昨年母が亡くなったので父のことを考え七尾へ戻りました。
2月にオープンしましたが七尾は美味しい食材が豊富で料理をしていてもとても楽しいです。
お客様に喜んで頂ける一品を心がけています。
住 所:七尾市相生町63木谷ビル1F
お電話:0767-57-5191
中島すこやかなかよしクラブで、月と金に手芸を楽しんでいます。
着物をリサイクルして吊り飾り、七宝毬、タペストリーなど作ります。
手芸が好きな人の集りで、和気藹々とお弁当を食べおしゃべりをして本当に楽しいです。
作品は秀楽園と寿老園へプレゼントしました。
手先と頭を使うので健康にもいいんですよ。(澤野 和歌子)
鎌倉時代には沢野村があったそうだけど由来となるとよくわからんなぁ。
尾根沿いの在所で川が無く沢が流れているので地形的に沢野になったのかもしれんね。
それと戦国時代に畠山の家臣でここの在地領主として沢野殿がいたそうだけど、その沢野殿がずっと以前からここを支配していて、その苗字が在所名になったのかもしれんしね。
城山からの尾根沿いに、松尾、上沢、中村、栢戸(かやど)と広範囲に四つの集落が点在するけど、お寺を中心にして成り立ってきた在所だよ。
在所の真證寺が五百二十年以上経っていてほとんどが門徒だから、仏事を中心にまとまっていたんだろうね。
特産品は昔からごぼうでね。土壌が適しているので大きいごぼうが育つんだ。
江戸時代には藩主前田家へ献上したごぼうが加賀藩の特産品として徳川将軍家にも献上されたんだよ。
今では太いごぼうが有名だけど、最初その価値がわからなくて公設市場に細い普通のごぼうを出荷していたんだ。市場では群馬産が人気で沢野のごぼうは売れなくて、花を買った人におまけにつけて配っていたくらいだったよ(笑)。
そんな時、中日新聞が山に捨ててある太いごぼうを撮影して記事にしたら加賀屋総料理長の宇小さんの目に止まってね、すぐ持ってきてくれと連絡があったんだ。
私と白井さんとで細くてきれいなごぼうを何十本も持っていったら、違う!と言われてね。料理に使うのだから京都の堀川ごぼうのように太いごぼうが必要だと教えてもらったんだ。
それで沢野ごぼう生産組合では太さ三センチ、長さ七十センチを沢野ごぼうの規格品とし、みんなでなんとしても沢野ごぼうを世に出したいとグリーンツーリズムなど様々なプロモーションを試みたら知名度が上がったんだよ。
祭りの余興で小四から中三までの男の子だけで演じ、ラッパ、警察官、お猿のかごや、でかんしょ、桃太郎などの演目で全部に教えがあるんだ。祭りに演じると祝儀をもらえてね、翌日には集った祝儀でお菓子を買ってリーダーが分けるんだ。子供の自治なんだよ。
百海や庵の海にみんなで歩いて海水浴にいったりして上下関係を築いていたんだね。
そんな中で事の善悪を学んでいくんだけど、子供が少なくて二十五年前に寸劇が出来なくなったんだ。
伝統が途絶える事は寂しいけどね。この先とにかく平和で暮されればと願うのみだよ。
ごぼうを作って、お参りし、
祭りを楽しんだ山の在所。
七尾地区の高校にはソフトボール部がなかったのですが、
指導経験のある田畑先生が着任され、今年同好会として発足しました。
部に昇格するために多くの困難もあると思いますが、
自分達でゼロからチームを作っていく事ができるのでやりがいがあります。
新人大会は飯田高校との合同チームで挑みます。(キャプテン 越中 華)
顧問:田畑 龍一郎先生
リーダー:越中 華さん