こみみかわら版バックナンバー

はい!社長です-民宿すがの


民宿すがの 菅野 伸悟(すがの しんご)さん 39才

祖母がはじめ、私で3代目になります。 飛騨高山で修業し、社長になって10年経ちます。
自家栽培の野菜、刺し網漁に自家養殖のカキなど、四季折々の味覚と恵まれた自然で、一期一会のおもてなしをしています。
豊かな海と美しい緑、澄んだ大気に包まれた能登島の魅力を発信していきたいと思っています。誘われてはじめたゴルフで、改めて人との繋がり・ご縁の不思議さに感謝しています。

住 所:七尾市能登島閨町ハ-5
お電話:0767-85-2323


第102回 私の仕事は『看護師』です。


この道を歩む

仕事歴31年 種谷 敦子さん 52歳

キャンディ♡キャンディ

「笑顔が変わらないなぁー」と二十五年ぶりにお会いした元患者さんに言って頂きました。
私が能登病院に勤め始めた頃、病棟で「その笑顔で元気になれるわー」とよく言ってくれた人です。

私は神奈川県川崎市出身ですがご縁があって七尾へ嫁ぎました。
看護師になるきっかけは小学生の時、少女漫画なかよしに連載されていたキャンディ・キャンディの従軍看護婦の話を
読んで憧れ、その時に自分は将来看護婦さんになるんだ!と決めました。
高校を卒業し迷わず北里大学病院付属看護学校に進みました。
お転婆で世話好きな一人っ子の私は、とにかく小さな子供が好きだったこともあり
卒業と同時に北里大学病院の小児病棟に勤務しました。

小児病棟

幼児病棟に配属され保育園児くらいの子のケアをします。
骨折、白血病、心臓病などの入院患者には、家族は面会が出来ても付き添う事は出来ません。
病棟の看護師は時には保母さんやお母さんの役割で子供たちに接し病気と成長を見守ります。
生まれてから一度も病院を出た事のない子を散歩や幼稚園見学に連れて行くうちに家族同然に成長の喜びを
感じるようになり、今でも交流が続いている家族もあります。
子供たちに頼りにされるので頼りにされる努力を惜しみませんでした。

夜の見回りの時泣く子をおんぶして回り、本を読み聞かせ通常の生活に近い状況を作り
笑顔を絶やさないよう心がけました。
ご家族にも子供たちにもどうやって安心してもらえるか?頼られるためにどうするか?、
を考え続けた三年間でしたがそれが私の基盤となりました。
能登病院が平成十二年に現在の高台に移転した時、
小児科の清酒外文先生と古田揮美子婦長と一緒に小児科病棟を立ち上げました。
昔の経験を活かして子供たちが安心できる病棟を目指し、病室はクマさんの部屋、ゾウさんの部屋などとし、
プレールームには季節ごとに飾りつけをしました。

ドクターヘリ

小児科勤務が多かったのですが現在は救急救命と認定看護管理者として仕事をしています。
前院長の橋本正明先生が「能登の命も都会の命も同じ」、都会で出来る事は能登でも出来るように
頑張ろうなと言われ十年も前からドクターヘリの署名活動を行ないました。

ようやく昨年九月に石川県ドクターヘリが導入され珠洲から救急車で二時間弱がヘリなら十五分間で到着します。
救急救命はどんな患者さんが運ばれてきても助けなければという使命感が強くチームとしての一体感があります。
治療中に看護師の勘が働くことがありますが、あれっ?と思ったら必ず立ち止まり、
必ず口に出して二人で確認します。大きな変化ではないけれど、何かが潜んでいる場合があるからです。



ドクターヘリ

地域医療

若い人がどんどん都会に出ていきますが、自分が生まれ育った故郷がここにあります。
父母、祖父母、友人の命を守るのはここに生まれ育った人間が良き人材となって担うことが大切だと感じています。
時代の変化に合わせて若い医療従事者が活躍しやすい環境や、地域の人々が暮しやすい医療システムを早急に築かなければならない時代に入り課題も山積みです。

そして看護師には夜勤があり、また災害が起これば家庭を置いてでもやらなければならない使命がありますが、
家族の協力があってこそ仕事に打ち込めます。
本当に家族には感謝しています。



公立能登総合病院
☎0767-52-6611


七尾東部中学校 女子バレーボール部


小学校からのバレーボール仲間と一緒に入部しました。

部活を通じて沢山の友達ができ、みんなで協力する事や整理整頓・挨拶など生活面に関しても学んでいます。
遠征や日々の練習の中で培った協力性を活かして試合に勝てた時にやりがいを感じます。

キラキラ笑顔で各自が真面目に取り組むチームです。(部長 瀧まこと)


鳥越の芝桜(中島町釶打地区)


鳥越の在所に咲く絨毯のような芝桜。
国の制度補助を利用し、在所で参加出来る人たちが一年を通じ四季折々の花が観られる所をと整備を進めてきました。
芝桜5,050株のほか、紫陽花しだれ桜にツツジ、紅葉やシャクナゲなども植えられています。


加賀屋の若手研修


地元を知って、お・も・て・な・し♪
七尾市観光ボランティアガイドの佐野会長、一本杉の魅力を!


第164回 能登島須曽町


町名の由来

弘法大師空海が教えを広めるためこの地に来た時、在所を流れる衣川に遡上する鮭を所望したところ、村人がこれを拒んだら「衣川裾ほころびて鮭もあがらず」と詠じたことから、裾の「すそ」が地名の由来だと伝わっているんだ。
事の信憑性はわからないけど、欲深いと結局は本当に大切なものを失ってしまうから、あまり欲なことはしてはいけないよという教えだと思うね。驚いたけどその衣川に昨年鮭が遡上してきたんだ。吉報だね(笑)。

昔の在所

ナマコ漁と田んぼで暮らしてきた半農半漁の在所でね、衣川のお陰で水は豊富なんだけど離れた田んぼに水を回すため、山に二箇所マンポを掘って用水を通しているんだ。家の裏山に横穴を掘ってあるけど、そこから滴り落ちる一滴一滴の水を貯めて飲み水にしていたし、雨が降れば屋根からの水をバケツに入れては風呂に運んだよ。

昔は須曽の松茸は有名で沢山採れたんだ。しいたけくらいの扱いで味噌漬けにしていたけど本当に美味しかったなぁ。
観光客を入れて松茸狩りをやったら、あっという間に無くなってしまってね。十五年前に松茸再生事業に取り組んだけど上手くいかなかったよ。能登島大橋が架かる半浦の山は断崖絶壁で山肌が見えるけど、あれは山を崩して七尾港の埋め立てに運んだ跡だと母から聞いたよ。

現在の在所

須曽蝦夷穴古墳が昭和五十六年に国指定史跡になり、平成元年から整備されて綺麗になったけど、子どもの頃は鬱蒼と茂っていて、夏休みの夜に分校裏の細い山道を登って肝試しした遊び場なんだ。古墳は七世紀頃のもので雌穴と雄穴の二つ石室があって珍しく、構造も朝鮮半島の高句麗古墳に似ていると言うので渡来人の有力者の墓かもしれんね。
石室に積まれていた安山岩は、たぶん在所の岬「ゲンロク」から運んだと思うよ。そこは板状の石がカパカパ剥がれるので在所の人も剥がしてきては庭や玄関に敷いていたんだ。

老人の在所になったけど地域づくりは経済中心に考えんでも良いと思っているんだ。
分校時代は雪が降ればソリを作り雪を踏み固め一日中ソリで遊んで、暑い日は海で丸一日遊んでいたけどそれが授業だったよ(笑)。里山里海の中で欲を持たずのんびり落ち着いて暮していく幸せもあるので、今のこの良い雰囲気が継続できればと思っているんだよ。

あきこの一言

朝鮮文化が伝来し、海上交通の拠点となり
歴史を生き抜き、今穏やかなる須曽の在所。


七尾市地域おこし協力隊


七尾市地域おこし協力隊 本谷 智子(ほんたに ともこ)さん 39才

両親が故郷にUターンしたのを機に大阪での暮らしを離れ、子どもの頃何度か訪れていた中島に、地域おこし協力隊として2017年に移住しました。
恵まれた自然と歴史の中で培われた文化、地産の食材など全てが魅力的です。
そんな田舎暮らしを体験し中島の良さを知ってもらえればと、今は体験メニューを作っています。
古民家のゲストハウスを開き人が集る拠点を作りたいです。

住 所:中島町釶打地区
お電話:090-5909-2008


はい!社長です-エニネスト


エニネスト 吉田 翔 (よしだ しょう)さん 34才

デザイナーとして立体・平面を問わず様々なデザインを担う中で、仕事の幅をマーケティング・アートディレクターなどにも広げてきました。
特に近年はふるさと七尾市や石川県の持つポテンシャルを食・スポーツなどの文化面から最大限に生かし世界と繋げていく事業を中心に担っています。
デザインとは物の形を決定するだけでなく、その関係性を見直し世界を変えていく行為だと思っています。

住 所:七尾市八幡町二-3番地
お電話:0767-57-2766


第44回 「輝け!郷土の星」ボートの谷一 菜緒さん(七尾高校3年)


石川県高等学校新人大会ボート競技で優勝

昨年、女子シングルスカル(一人両手漕ぎ・1000m)、4分40秒10の記録でついに優勝を成し遂げた菜緒さん。1年生の新人大会はダブルスカルに出場するも最下位、2年生の県総体でシングルスカル3位と徐々に地力をつけてきました。ボートは後向きでオールを漕ぎます。
競技で先頭に立つと他の選手の動きが見えるので心に余裕が生まれますが、最下位だと状況がまったく見えない辛いレース展開になります。

菜緒さんは今大会スタートで遅れを取ってしまいましたが、後半500mを過ぎてから先頭を捉え追い込んでいきました。
固定されたオールで水を掴み、全身の力で一気に加速し、加速しきったらオールを水から上げる一連の動作を繰り返し、体力の限界まで全力で漕ぎ切り津幡高校の原田選手に9秒差をつけての勝利でした。

きっかけ

中島中学3年生の時、父に誘われて海釣りに出かけ漕いだボートが面白かったことがきっかけとなり、ボート部がある七尾高校に進学を決めました。
部活体験では釣り用のボートと違って凄く細いボートにまずビックリします。
オールも長く、水面にも近いので恐さも感じましたが、漕いでみるとやはり楽しかったと言います。

晴れの日は七尾湾にボートを出し1時間半、雨の日は室内でウエイト、サーキット、エルゴメーターでのトレーニングです。
試合は湖水や用水路など水面が穏やかな漕艇競技場で行なわれますが、七尾高校は海での練習を余儀なくされます。波があるとバランスが崩れ思い通りの練習が出来ません。
監督の上田先生はボート競技の経験がありませんが、2級小型船舶の免許を取得し救助船を出して練習を見守ります。
めったに無い七尾湾が静水する日、「人とボートが一体となりリズミカルに水面を進む爽快感は何とも言えないんです」 と笑顔で話す菜緒さんです。



目指すはインターハイ!

七尾高校ボート部

現在、男子10名、女子12名の七尾高校ボート部は、旧制中学校の端艇部にさかのぼり100年以上の歴史を刻みます。
戦後七尾中学が新生七尾高校として発足するや昭和24年に漕艇部として復活し数々の戦績を残し平成に入りインターハイや全国高校選抜で優勝を重ね「ボートの七尾」と定評を得てきました。

昨年もOGで金大生の柿島麗さんが全日本新人選手権のシングルスカルで3位入賞をしています。
今年七尾高校120周年記念としてボート部OBよりシングル1艇と救助艇が寄贈されましたが、先輩から後輩へ物心両面に支援を続けるOBの存在が七高ボート部の伝統を支えます。

現在コーチ不在の中、見よう見まねの練習しか出来ず、技術は下手な方で力任せで漕いでいると自覚する菜緒さんですが、石川選抜に選ばれ強化練習に参加できるので、そこでしっかり学び獲得した技術を後輩に伝えたいと話します。
ボート競技は身長が高く足の長い方が有利です。160cmの菜緒さんは大きい方ではありませんが結果を出して伝統を繋ぎたいと決意します。
6月1日インターハイ予選、期待を背負い、挑む菜緒さんにエールを送ります。


伝統を繋ぐ、ボート部員!


PFU


PFU 松井 駿(まつい しゅん)さん 28才

現在ネットワークセキュリティ製品に組み込まれるソフトウェアの設計開発を行っています。
セキュリティという分野は日進月歩で変化していくため難しく、学ぶ事が多いですが、情報インフラの重要な役割を担っているので、やり甲斐を感ます。
仕事で地元七尾に直接関係する事は少ないですが、毎年参加している青柏祭を通じて七尾を盛り上げていきたいと思います。

住 所:かほく市宇野気ヌ98-2
お電話:0767-283-1212


はい!社長です-細江酒店


細江酒店 細江 隆志(ほそえ たかし)さん 69才

細江酒店の三代目です。 焼酎と日本酒の専門店として各地の逸品を取り寄せて販売しています。
友人から宮崎県の焼酎、甕雫(かめしずく)を貰い飲んでその美味しさにビックリ !!
それがきっかけで全国の蔵元へ足を運び獺祭(だっさい)や魔王など手に入りにくい品も扱えようになりました。
お酒を通じて生活に潤いを提供できる店にと、スタッフも利酒師の資格を取得しています。

住 所:七尾市矢田新町チ部6-5
お電話:0767-52-1332


FC七尾ウエスト


中島小年サッカーを引き継ぎ3年経ちました。

市内の各小学校から33名が集り(水)と(金)の19時~21時、
旧田鶴浜中学のグランドで練習をしています。

今月開催されたJCカップU11石川県大会で優勝しました。
「みんながプレーして楽しい」「みんなが見て楽しい」サッカーを合言葉に頑張っています。

☎090‐3765‐8658(小浦)


栃乃洋関の顕彰碑

石崎町出身の力士で現役時代の最高位は関脇です。
十両優勝2回殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞を1回と活躍しました。
七尾商業から拓殖大に進み、学生横綱にもなりました。
現在は春日野部屋竹縄親方として後進の指導をしています。


第163回 中島町上畠


在所名の由来

虫ヶ峰山麓のなだらかな傾斜地に畑が連なり集落まで続いているんだけど、
集落の上に畑が連なる景観から上畠となったようだね。

昔の在所

釶打地区で一番畑が多い在所でね、稲作するには水不足で昔から畑で暮して来たんだ。戦後は横田や町屋の畑を借りてまで、葉たばこ、大根、白菜、スイカなど作付けしていたし、中島菜を商品化したのもここなんだよ。昭和三十年代、政府の所得倍増計画で世の中みんな勤めに出るようになり、釶打を出たバスが横田で満員、列車も中島駅で超満員、奥吉田の坂を上がらないほどだったんだ。

そんな時代でも上畠では先祖が苦労して拓いた畑を維持するため勤めに出ることが出来ず、それで大工や左官の仕事をしながら畑をしていたんだね。平成四年当時でも二十四軒中、十一軒が大工だったよ。
今となれば結果的に良かったと思うね。昭和五十二年に上畠農業機械利用組合を発足、現在は「農事組合法人なたうち」として田んぼ、畑、採れた野菜の加工品や味噌なども販売もしているんだ。大工が多いので格納庫や出荷場、ライスセンターなど夜なべしながら自前で建てたよ(笑)。
今日まで営農組織を四十二年間も続け、田んぼも二十二町歩あるけど、休耕田が一つも無いことが誇りなんだよ。

現在の在所

昨年神社を建て替えたけど、みんなで十五年以上貯金してきたんだ。農業で結束し、もう一つ祭りで団結力を高めているんだよ。九月二十三日の新宮(しんごう)の祭には金沢大学の学生に来てもらい枠旗を担いでもらっているし、八月十四日の「お涼み」の奉燈の灯りはろうそくを替えながら「やんさこ」を唄い情緒豊かに行なっているんだ。

小さな在所なので明治時代から横田と「ゆい」を結んでいるんだよ。農業の担い手不足が心配される昨今だけど、金沢のボーイスカウトが毎年田植え、草取り、稲刈りに来ているし、 ターンや移住者など若い農業従事者が増えているので嬉しいね。昨年も京都と大阪から移住希望の若い女性が農業体験に来ていったよ。高齢化は否めないけど住み慣れた故郷で、みんなで住み続けられればと願っているんだ。

あきこの一言

時流に乗らず田畑を守り続け、
結束力で新たな時代を拓く上畠。


鵬学園高等学校 硬式テニス部


昨年、コーチに花井俊一郎氏を招き19年ぶりに復活した能登地区唯一の硬式テニス部です。
主に和倉温泉テニスコートで練習しています。技術指導、体力強化はもちろん、
礼儀礼節など「心」の教育にも力を入れ、部活を通じて「心技体」すべてをレベルアップする事ができます。
感謝の気持ちと誇りを持ち、日々成長を目指します。

顧 問:川越 進之介さん、松本 真衣さん

コーチ:花井 俊一郎さん


温故知新 第5回 能登上布


発祥は古代と推定される能登上布。能登部地区を中心に昭和3年には25万8千反の生産量を誇っていましたが、合成繊維の登場で昭和35年頃には1万2千反にまで減ってしまいました。
石川県の無形文化財にも指定され生活の必需品から伝統工芸となりましたが、能登上布はその技の追及や道具の開発など先人の苦労によって築かれてきた稀有なる織物です。

その技を伝承し、絶やさないためにと地元の女性十数名が能登上布会館で昔ながらの技法で手織りしています。そして上布の販売や作業の見学、機織り体験のお世話もしています。その中の一人、花澤久子さんにお話を伺いました。

好きだからこそ

大正生まれの花澤さんは子どもの頃から能登上布と共に人生を歩んで来た第一人者です。
昭和15年頃は仕事が無い時代で、能登部地区を中心に後山、矢駄、木津辺りまで、多くの農家が内職で機織りをしており、織元から男衆が自転車で各家まで糸を届けたそうです。家では朝の4時、5時から織っていたと言います。
子どもは学校へ出かける前に管巻きの手伝いをしました。

能登上布はとても手の込んだ下仕事を要します。麻糸を糸繰りし、緯糸と経糸を整経し、染め、乾燥、蒸しなどなんと20もの工程を経てやっと手織りにかかれます。それらの工程を織元の親方が采配し皆で分担します。親方は工程の担当者が休んだ時は代役に必ず花澤さんを指名したそうです。
いきなり言われて「そんなん出来ん」と言うと、「人がやれていること、なんで出来ん!」と言われながらも「手の皮が剥れ、手がカチャカチャになるほど、なんもかも習った」と述懐する花澤さん。

そうして全部の下仕事を経験して来た花澤さんは、「ひとつ、ひとつ覚えさせてもらった、それがご縁やった。親方が見込んで、仕込んでくれたお陰で今がある」と話します。そんな花澤さんの「能登上布はそんなに容易いものでは無いんや」という言葉にズシリと重みを感じます。それでもここまで続けて来たのは「やっぱり能登上布が好きやったんやね」と笑顔で話してくれました。



凄技

上布とは麻織物の中でも特に上質なものです。肌ざわりが良く夏の着物として重宝され、お盆には旦那様や奥様は上布の着物でお墓参りをしたと言います。
内職をしている家では、くず糸を拾って普段着用に織りましたが縞(しま)しか出来ません。絣(かすり)は柄(図案)が決まっているので、生地になった時にその柄になるように前もって糸を染めて織るのです。

花澤さんは、絣は伸びない糸を使っているが、どうかすると緩みがきてその調整が難しく、今はもう大きい柄の上布を織れる人はいないと言います。花澤さんがかつて仕上げたそんな逸品が能登上布会館に展示してあります。
その技の凄さは地元の織物工場の経営者が、「上布は凄い技や!ちょっと考えられん、ものすごく高度な技術なんだ」「我々に今からそれをやれと言ったら、宇宙に行けというくらいの事なんだよ」と話します。

伝承

上布を織る人がいなくなった今、大昔から続いている織物を絶やしたくないとの思いで集まる女性たち。
織りは柄さえ合わせられれば出来るようになるが、下仕事はどれも容易いことではない。弟子たちにその道理を教えなければと上布会館に足を運ぶ花澤さん。

高齢の師を仰ぎ休憩時間には和気藹々と、仕事中は黙々と手織りする女性たち。
織り姫となり、語り部となり、能登上布を繋いでいる。



2019年5月11日<344号>掲載 我が家のペット


シュポ(オス)

最近とてもヤンチャで
元気一杯です。

(小丸山台 長坂さん)


ガク(オス)

おもちゃが大好きで
真剣に遊んでいます。

(津幡町 亀井さん)


アキ(オス)

番犬みたいに
めっちゃワンワンします。

(小竹 高田さん)


りんご(オス)

15kgと大きいですが、
人が大好きでなつっこいです。

(氷見市 上野さん)


ハル(メス)

明るくて、ボール遊びが
大好きです。

(金丸 堀内さん)


アンズ(メス)

警戒心が強く、
おとなしいです。

(高岡市 島田さん)


サミー(オス)

仲間と遊ぶようになって
やんちゃになりました。

(志賀町 小林さん)


マロン(メス)

食べる事が大好きなので、
チワワなのに大きいです。
只今ダイエット中!

(金沢市 田中さん)


ミルテ(メス)

まだ赤ちゃんで、おっとり
していてビビリーです。

(かほく市 青崎さん)


アリーシャ(メス)

何にでも興味津々で
突進していきます。

(能美市 中田さん)


ロージィ(メス)

人と犬が大好きで、
見かけたら走っていきます。

(能美市 中田さん)


茶々(メス)

マイペースな性格で
おっとりしています。

(横浜市 島田さん)


空(メス)

シュルティーとプードルの
混血です。雷が恐くて
しょうがないみたいです。

(内灘町 石井さん)


モカ(メス)

大人しく、お散歩嫌いで、
抱っこして散歩しています。

(小牧 畑中さん)


行者鼻


能登島の閨(ねや)にある行者鼻は昔は小島で、ここに行者が修業していました。
この行者は白山を開山した泰澄大師弟子で寝ての修業ばかりしていたので、
村人は臥(ふせ)の行者と呼んでいました。
閨の地名も行者の寝屋が由来になったようです。