袖ヶ江地区子ども会 運動会
みんなで汗かいたよ
楽しかったよ
みんなで汗かいたよ
楽しかったよ
庭師とは、
造園の知識をもとに、作庭、庭の手入れをします。
進路
大学中退後、稼業の機場(はたば)を手伝うが。29才の時、父親が工場を廃業。今度は、「静かで屋外で働きたい」と造園会社に就職する。4か月が立ち、会社に出入りしている庭師と出会い、その人を師匠として弟子入りし、三年間造園を学びました。しかし、貯金も使い果たし、今度は志賀町の個人造園に就職する。そこでは、作庭の仕事が多く、三年間で作庭を学びました。
平成3年独立
中古のクレーン車を購入し、造園業としてスタート。35歳でした。最初はご近所さんにかわいがってもらい仕事をいただきました。
平成15年
思い切って庭木や灯篭の 在庫を持つことにした。そのうえで展示会をしたところ、広範囲のお客様がついてくれました。
平成23年
一念発起でコンテストに挑戦。花嫁のれんをテーマに挑んだところ東京都知事賞をいただきました。それに勇気を得て西部ドームで里山里海をテーマに出場を獲得。一日三万人の来場者でにぎわい本当にうれしかったです。
作庭のこだわり
「完璧な庭園ではなく、お客様が手をいれて楽しめる部分を残すように心がけています。」
人生のよろこび
「両親と妻と子、家族とともに人生を生き抜いていることに感謝しています。」庭師としては
お客様と一緒に庭を作り上げていくよろこび。「お客様が100人いれば100の庭があります。ひとつひとつに気持ちを込めて作庭しています。ありがとうございます。
庭師歴22年
武原俊彦 55才
武原造園 ☎0767-74-0059
南は田鶴浜に隣接し東は七尾湾に面する、海・山・田んぼが望める景色のいいところです。
町会長の中村與作(ヨサク)さんにお話を伺います! ヘイヘイホー!
笠師の村、菅ヶ谷にいつからか菅を栽培して笠を編むようになったから笠師といわれているらしいよ。
笠師地区は、美味しい牡蠣の生産が盛んでね。笠師川と塩津川の真水が流れ込んで海の塩水と混ざっておいしい牡蠣ができるよ。
笠師にある大覚寺は慶長7年創立で400余年の歴史があってね。能登七福神霊場巡りの一つで毘沙門天が安置されとるよ。他に町指定の名勝史跡の北國八十八ヶ所霊場があるよ。住職と檀家代表の人たちが四国八十八ヶ所を参拝して各寺に挨拶して御仏の土を持ち帰って埋めて作られたんよ。この北國八十八ヶ所を参拝したら四国と同じ功徳を仰ぐと言われとるね。
世帯数は172戸で約480人の住民がおるよ。そのうち小学生が24人、園児が10人。夏には大きい祭りが二つあってね。
7月の納涼祭と、9月の枠旗祭り。町民みんなで楽しんでいるよ。
町なかには、げんきバスが走ってるし、幹線道路があって、能登空港もすぐだよ。山の景色、海の景色、夏は田んぼの川にホタルが飛んでるよ。ほんとに住みやすくて、愛する町やよ。
涼しくなったらパワースポットに行ってみたいです。
この線路は、昭和59年に廃止された七尾港線の一部。
廃止になった路線を再使用するのは全国でも殆ど例が無いとか…。
毎日決まった時間に6両編成のサンダーバードが、道路ギリギリまでやってくるよ。
堂谷内康生キャプテン
野球が大好きです!ヒットを打ったり、
チームの勝利に貢献できたらとても気持ちがいい!
竹島幸治監督
感謝・礼儀・挨拶・元気をモットーに、
仲間・自分を信じて、みんなで勝利をつかもう!
能登演劇堂にて 6/28・29 定期公演「里見八犬伝」
夢は県大会勝ち抜いて
国技館!!
のと里山里海街道の別所岳SAにある展望台。
七尾湾と能登島、能登半島を一望できる!!
エレベーターで一気に展望台まで上がれますよ。
天候次第で立山連峰も見られます!
中能登町と羽咋市との境の町。昭和30年代の市制で鹿島郡と羽咋市に分かれて中能登の曽祢と羽咋市の下曽祢になりました。
曽祢の区長 前田さんにお話を伺います
この辺は…鳥屋あたりもそうなんやけど、機場で栄えた町なんよ。40年ほど前まで、機場のおかげでこの辺はどんどん家が建てられたね。ガンガン儲かって和倉温泉に通ったもんやね。和倉温泉が栄えたんも少しは機場のおかげじゃないかねえ 笑 今は機場もめっきり少なくなって2・3軒ぐらい残っとるくらいやね。
曽祢にはお寺がなくてね。毎月班ごとに『班御講』言うて、月ごとに持ち回りでお宮さんを預かっとるんよ。この辺は春祭りと秋祭りがあるんやけども、その祭りの翌日に預かる半年ごとの持ち回りの預かりもあるんよ。曽祢では葬式の後の自宅での弔いに地区中の老若男女が大勢集まってお参りして送るんよ。寺はないけど、信仰心が厚い在所やね
この曽祢の世帯は約95世帯あるね。子どもは15人くらいかな。空き家率が少なくて2・3軒くらい。休耕田が結構あったんだけど、みんなで協力しあって耕しとるよ。6月中ごろには田んぼも青々としてキレイやよ。ホタルも光って、いい風情や。お互いが助け合う心豊かな地区に生まれ育ったことに誇りを感じとるよ。
休耕田を利用した畑のメロンが楽しみですね♥
バス運転士とは
お客様の依頼により、様々な目的地へ時間通り安全に快適にお連れすることです。
小さい頃より
物を動かすのが大好きで、普通自動車免許を始め、大型トレーラーなど各種取れるだけの免許を取得しました。
バス運転士に
大型トレーラー運転士として20年働いた時、会社からバスを運転してくれないかと言われ、バス運転士になりました。バス運転士になるとトレーラーとちがい、乗せるのはお客様。接客業として笑顔を心がけるようになりました。
心がけと工夫
お客様を快適にお連れするためにスピードの加減、ルートの選択、車内の掃除、到着時間、そんなことを注意するようになりました。
バス運転士のよろこび
なんといってもお客様から感謝の言葉をいただいた時です。
また、無事に帰社した時、仲間の運転士とお互いの無事を確認しあってホッとします。
仲間
同僚の整備士たちがキチンと仕事をしてくれるから安全に運転できます。感謝しています。また、同僚の運転士たちとの情報交換も大切に思っています。
運転士の意外な世界
いろんな観光地に行きますが、目的地に着いたからと言って終わりではなく、例え、ホテルに着いても、バスの点検、洗車、ワックスがけ、掃除、ルートの確認など、することはたくさんあります。
人生のよろこび
車の運転が好きで運転士として30年以上、生きてきました。
会社からバス運転士を勧められ、素直に従ったところ、人とのふれあいがうれしく幸運だったと思います。会社の仲間に支えられて仕事をしています。「ひとりじゃない」最近、ますますそんな幸せを感じています。
トレーラー運転歴20年 大型バス運転歴10年
前田 雄一郎 54才
おおくら観光 ☎0767-52-0455
山王・天神山・小丸山小学校の男女・1年から6年まで合同で
毎週火曜・金曜の18時半から七尾武道館で稽古をしています。
剣道を通して礼儀も身につくようにみんなで頑張っています。
七尾市役所と七尾湾の中間に位置する橘町を訪問しました。
そんな橘町の町会長 杉村さんにお話を伺います
昔は大工町と呼ばれていた職人町でね。自分が小学校のころに橘町という町名に変わったんやわ。最近まで、のこぎりの目立の出来る職人がおったよ。一本杉からうちの町内を通って万行・佐味・庵と抜けてくバスがあってね。数十年前は七尾のメインストリートやったんよ。
でか山の時期になったらでか山ストリートのところどころに提灯があるやろ?あれを最初にやったのがうちの町内!自分が言いだしっぺなんよ。町内をでか山が通るんやけど、朝山は夜中の運行やからね。真っ暗で街頭しかないから少しで運行を楽にしたいと提灯を吊り始めたんよ。次の年に隣の塗師町さんも吊ってくれてね。うれしいことに、他の町にも浸透して提灯の数も年々増えとるよ!
町内も出入りがないからね。橘町もどんどん平均年齢があがるね。それはしょうがないことやわいね。60歳過ぎても遊びたくてね。自分の娘のような歳の人らがおる店やとやっぱ入りにくいやろ。だからね、年寄連中が楽しく飲めるところを求めて彷徨っとるね。笑 七尾にも朝から開店しとる飲み屋もあれんよ。朝から年金族の開店待ちで並んどる。いつまでも元気におるために、わが町にもそんな寄合所がほしいね。そこで楽しく面白く年を取っていくのがいいよね!
でか山の提灯に、でか山への愛を感じました!
青木舞華キャプテン
お父さんとソフトバレーをしていて楽しかったので始めました。
毎日練習したいほど大好きです☆
青木茂之顧問
保護者会の応援Tシャツのように
仲間との『絆』・親との『絆』・指導者との『絆』を
大切にバレーボールに携わってください。
加賀藩が幕末の海防政策として1862年に設置。
その後七尾語学所が開設、高峰譲吉など多くの著名人を輩出したが!
廃藩置県により加賀藩がなくなり、軍艦所は廃止となった。