七尾東部中学校 元3年5組有志たち
希望の丘公園でテレビでおなじみの逃走中やりました!
卒業しても仲良し♪
希望の丘公園でテレビでおなじみの逃走中やりました!
卒業しても仲良し♪
七尾北湾に面し、島の中央にある向田町。ガラス工房やガラス美術館、また近くの海には、バンドウイルカが生息しイルカウォッチングに訪れる人が多い町です。
さっそく町会長の高橋さんにお話しを伺います。
かつて伊勢神宮の御厨だったことから神田と呼ばれ、それが向田になったと言われている。
古くは縄文時代から人が住んでいたようだね。昔の交通は船が中心だったから便利で人口も多かったみたいだよ。
家の前がすぐ海でね、手作りの竹竿で魚を釣って遊んでいたよ。夏は、田んぼにホタル、そわじ浦にも海ボタルがきれいだ。近年、またホタルが増えてきたよ。能登島大橋ができた時は、「うれしかったっ」しかし、人口の流出は止まらなかった。その代わり、増えたのが交流人口だよ。
料理人 ガラス職人、 陶芸家 カヌー制作者など新しく向田に住みついた人が20人はいるかな。「住みたいけど、仕事がない」これが現実だ。だから能登島ロードレースとか里海里山事業などを通して交流人口を増やし、仕事を増やし、結果、定住者が増えるという活動をしているよ。
青い海と空。一度来たら、また来たくなるのが能登島向田町ですよねー。
理学療法士とは、
動作や運動能力の回復を図る為、体操や温熱電気療法など用いて、リハビリテーションの指導や助言を行うことです。
目のリハビリ
高校卒業後、工場で働いていましたが、検品作業で目の負担が大きく退社。その後、病院で目のリハビリを開始。リハビリという言葉から理学療法士という仕事を知りました。
理学療法士への進路
いろいろバイトをしながら自分の仕事を探しました。迷った末に、国際医療福祉専門学校 七尾校に入学。理学療法士になるため、自宅から三年間通いました。
始まり
地元石崎奉燈祭りに参加していた縁で、北村病院に働くことになり、現在三年目です。
よろこび
患者さんと共にできなかったことができた時、喜びを分かち合えることが幸せです。
理学療法士の意外な世界
リハビリと言う言葉は、みなさんに知られていますが、リハビリテーションの中に理学療法が含まれていることは、あまり知られていません。痛みは、ありがたい体の情報。痛みによってリハビリの方針が決まります。
心がけ
常に学ぶこと。「歩きたい」「手を上げたい」「食べたい」など、患者の切実なニーズに応えられる理学療法士を目指しています。
未来
今月、僕は
結婚式をあげます。家庭を持つことで、さらに患者さんのために精進していこうと思います。
人生の喜び
よき仲間達と共に働いています。やりがいのある理学療法という仕事に出会えて幸せです。結婚したら、妻子と
旅行に行きたいです。まわりのすべての人たちに感謝します。ありがとうございます。
竹内 祐満 28才 北村病院勤務 三年目
医療法人社団 豊明会 北村病院 ☎0767-52-1173
七尾のゆるきゃら・わくたまくんと記念写真が撮れるよ。
芝生が敷き詰められてて今からの季節、ピクニックもって来いだよ♪
古賀裕貴キャプテン
転校して来てすぐ上級生に誘われて楽しかったので入部しました。
毎日の練習を活かしてめざせ優勝!
北橋譲監督から
優勝めざして頑張れ!
(卒業する子へ)中学に行っても野球頑張れ!
夢に向かって!
七尾駅より東側2㎞ほどに位置する、上は希望の丘公園から下は海の手前までその長さ4㎞もある大きな町。西側には赤星川、東側には臼池川が流れています。
昔は竹藪が多くてね隣に行くのにも隣が見えなくて大回りせな行かれんかった。その名残でこの地区は竹垣が多いね。世帯は610世帯で人口は約1700人。区画整理のおかげで増加しとるよ。
今、サンタウン万行という大きな住宅地が整備されとるよ。区画整理で遺跡が発見されてね。遺跡があるということは、昔から住みよい場所やったんやね。今もほどよい距離に七尾駅があるし、スーパーやドラッグストアも近くにあって、買い物にも便利で住みやすいと思うね。希望の丘公園そばに能越自動車道の七尾城山ICが開通予定で、交通アクセスもよくなるよ。
この辺は、なんといっても百姓が多くてね。農薬を減らして、エコ農業にも取り組んどる。自然の生き物を増やして、人と自然が調和した町を目指しているよ。
遺跡と竹垣、昔からの文化が素敵ですね!
消防士とは
みなさんの命や財産を、火事などの災害から守ります。病気やケガをした人の手当をしながら病院へ搬送します。危険な場所からみなさんを救助します。
町を守る男への憧れ
大学を卒業後、社会福祉施設で8年間勤務。結婚を機に、これからの人生を考えた時に、何の努力もせずやりたい仕事をあきらめてしまうことが「悔しい」と感じました。
決意
消防士の試験を受ける決意をした私は日中は仕事、夜は筋トレと勉強。長年のデスクワークで、懸垂が一回も出来ないほど体がなまっていました。しかし、「もうあきらめたくない!」と筋トレをやり続けました。
始まり
合格して半年間、消防学校で勉強した後、七尾消防署勤務、現在二年目です。
よろこび
救助を求める方を救出できた時、「消防士になった」と実感しました。
仲間
市民を守る為、災害時には私たちは危険な現場に行かなければなりません。市民だけでなく、仲間も守ることが大切です。私が仲間を信頼するように、「私も仲間から信頼されたい」そう思います。
消防士の意外な世界
消防の世界は、とにかく「厳しい」というイメージでしたが、仲間たちがとても「明るい笑顔」をしているのが意外でした。
心がけ
私たちが出動した時には、危険な現場で重い装備を身に着けて活動しなければなりません。
しかし、「助けを待つ人はもっと辛い思いをしている」どんな状況でも助けを待つ人への思いやりと「絶対助けるっ、あきらめないっ」そんな気持ちで挑んでいます。
人生の喜び 人生の喜び
高齢の方も子供たちも安心して生活できる地域を私も一緒に作っていきたいと思います。
人生の喜び
よき仲間達と出会い、一緒に汗を流して笑いあえる。そんな消防士になって本当によかった。
今年生まれる子供にも、「自分の夢をあきらめないっ」そんな風に生きてくれれば幸せです。
私を後押ししてくれた妻に感謝します。
森 宣聡 30才 七尾消防署 勤務二年目
夢おりもの展示館が併設されててホーム側にショーウィンドウがあるよ。
また、ホーム端は緩やかなカーブなので電車を撮影するには最高よ♪
山岸太一キャプテン
できることが増え、自信につながった!
チームプレイの大切さ、みんなで頑張ることを学びました。
橋爪潤監督から
バレーを通して礼儀を重んじる立派な大人になってください。
新入部員募集中!
スキー合宿に行ってきたよ♪
熊木川沿いに上って赤い欄干が目印の天神橋を渡ると昔ながらの商店街、中島大町の通りが現れます。能登演劇堂まで、
歩いて5分の位置。
この中島大町は23世帯64名。小さい町やけど、通りの商店率が高い町やね。昔ながらの個人商店がならんどるよ。
お寺が近くにあって門前町として人が寄る町で、昔は交通の便も悪かったからみんなこの辺で民泊したんよ。それをまかなうために商店が出来たんやね。鉄道が出来る前は天神橋が船着き場で、荷揚げの拠点になっとった。奥能登から塩干物とか持ってきとった。自分の祖父はそこから船で七尾まで学校に通っとったって聞いとるよ。
もともと空き家率も多くなってきとったんやけど、能登沖地震の被害で家屋にヒビが入ったりして、それがきっかけで壊して空き地にしたところも多いよ。通りの7割から8割の商店率が今は3割から4割になってきた。今はまだ限界集落じゃないけども、65歳以上が4割おる。
商店のお客さんがご近所さんやからコミュニケーションは取れてるよ。ここが商店の町のいいところやね。毎日、顔合わしているからね。これからも、自然に助け合って生活できると信じているよ。
ありがとうございます! 天神橋が船着き場だったとお聞きして、味わい深い町だと感じました!
鍼灸師とは
身体の都合が悪い方に鍼やお灸を用いて施術すること。また大きな病を予防することです。
きっかけ
中学の野球練習で半月板を痛め、数々の治療院に通ったけれど治らず、悩んでいたら、友人のお母さんから、鍼灸を勧められた。するとすっかり良くなり、おかげで高校でも野球が出来た。それが鍼灸との出逢いで鍼灸師になろうと思った。「今も社会人野球でピッチャーを続けています」
鍼灸師への進路
「僕の場合は、高校を卒業後、鍼灸院に勤めながら鍼灸専門学校へ通いました」
大変だったこと
朝、鍼灸院勤務。昼から夕方は、学校。夕方から鍼灸院勤務。夜、身体のつぼ、解剖生理学など勉強。
僕の場合、三年で国家試験に合格し資格を取得。そのとき21歳。「結婚も重なり、大変だったけどゴール出来ました」
鍼灸師としての始まり
「富山の治療院で、最高の師匠に学び、その後、中能登で開業しました」
よろこび
日々、患者さんに施術して、楽になったと言われるのが幸せ。
鍼灸の意外な世界
「保険が適用されます」(医師の同意書が必要) 「鍼が実は髪の毛ほどの細さで痛くないんです」
「お灸も、火傷するほど熱くはありません」
「鍼灸の各種疾患予防効果は日本より海外の ほうに、より高く認められています」
心がけていること
「痛みは、その人のストレスから来ているケースも多く、だから僕は治療中の会話も大切に思っています」
未来
「日々、痛みの原因を広く学びながら、ひとりでも多く、痛みに悩んでいる方を助けたいです」
人生の喜び
妻と子供二人が僕の喜び。子供は、あと二人ほしい。休日は家族と出かけたり、一緒に過ごす事。「鍼灸師になって本当によかったと思えることが幸せです。僕に起きたすべてのことに感謝しています」
坂井 亮太 27才
中能登町 サカイ鍼灸院
昇降客のほとんどが鹿西高校生(たぶん)!跨線橋からは眉丈山が見えますよ。
駅にはギャラリーがあり、おにぎりの化石のレプリカや能登上布織機も展示!