こみみかわら版バックナンバー

第46回 「輝け!郷土の星」走高跳の亀田 実咲さん(鵬学園2年)


石川県総体優勝・北信越総体3位入賞

5月の県総体1m66で優勝、6月の北信越総体1m67で3位入賞、インターハイ出場を決めた実咲さん。インターハイでどんなジャンプを見せてくれるのか期待が高まります。

実は実咲さん、宇ノ気中学3年生の時にジュニアオリンピックで1m70を飛んで全国チャンピオンになっている期待の選手です。走高跳を始めたキッカケは中学時代に体力をつけたいと陸上部に入部。
最初は短距離を始めますが、なぜだか「走高跳したいなぁ~」と思いが募ったそうです。

小学生の時から、跳んだりはねたりして、落ち着きの無い子だと言われていたので、跳ぶことが好きだったのかもしれませんね。と可愛く笑う実咲さんですが、話を聞いていくと驚きの事実が…! 父方の祖母、母方の祖母、二人のおばあちゃんが走高跳の選手だったのです。
実咲さんはその事を後になって知ったそうです。こんな偶然があるのかと思いますが、だからこその必然だったのかもしれません。

鵬学園陸上部

進路を星稜高校陸上部と考えていましたが、競技会などで顔を合わせていた1年先輩で羽咋中の麻生京花さんが鵬学園で走高跳をしており、ここは一人一人にしっかり指導してくれるので良いよと誘われ、鵬学園に進学しました。

部員は男子5名、女子8名の少数精鋭の陸上部ですが、今春の県総体では3年生の麻生京花さんが走高跳で3位、宮脇愛果さんも走幅跳で3位、2年生の浜辺ひかりさんが400mで4位と活躍しています。1年生の時は自分の事でいっぱいでしたが、2年生になって後輩に声をかけチーム全体の事を考え、明確な目標も口にできるようになった実咲さん。
島元コーチは身体能力がまだ全体的に低いので、3年間で結果を求めるのでなく、7年スパンでのパフォーマンスに期待したいと話します。



さすが!みんな足が長い!!

走高跳

中1で1m45、中2で1m60、中3で1m70と順調に記録を伸ばしてきましたが、高校に入り自己ベストを更新できていません。走高跳はひじょうに繊細な競技で、スタート位置、歩幅、踏切位置、助走のスピード、リズム、跳ぶフォーム、全てがオリジナルです。
ビデオ撮影して、これで跳べた、これで跳べなかったと原因を探り、自分の型を探りながら確立していきます。今日はこれで良いとイメージしても、高校生の身体は日々成長していくので、そこにまた微妙なズレが生じます。

実咲さんは100mが14秒台から13秒台になり助走も力強くなりましたが、その勢いを跳躍にどう活かすか研究中です。練習は城山グランドで行ないますが、毎日跳ぶと逆にバネが無くなるので大会スケジュールに合わせて週1回から3回と調整しています。

何より跳ぶことが楽しいと思っている実咲さん、今井監督や島元コーチの時に厳しい言葉も総べて自分のために言ってもらっていると素直に受け止めます。走高跳で辛いと思ったことは無いと言い切り、 「1m75、日本一!」 と明確な旗を立て、「大ジャンプします!」 と取材を締めてくれた。あっぱれ!



精鋭!鵬 陸上部


LUNA STELLA


LUNA STELLA 野村 聖子(のむら せいこ)さん 34才

姉のエステティックサロンでスタッフとして働いています。中学生の頃に姉とメイクのしあいっこした時に、幼い顔が段々と大人っぽい表情になっていきメークでこんなに雰囲気が変わるんだと思いました。
メイクの仕方をちょっと変えるだけで違う雰囲気になり、お客様が喜び輝いていく姿を見てメイクの面白さや奥深さを感じます。 将来はLUNA STELLA Hawaii店を出したいと思っています。

住 所:七尾市矢田町33孫助14-40
お電話:090-4686-2114


大津潟の天然うなぎ


大津潟には近くの弘法の水と水源を同じくする名水が流れ込み、川エビや御所守貝などが生息し、うなぎが育つ環境があります。稚魚を放流し後は自然に任せて成長を待ちます。
春彼岸から秋彼岸までが漁期ですが、中島町の割烹お富で食べられます。


はい!社長です-株式会社れん


株式会社れん 宮本 満寛(みやもと みつひろ)さん 50才

精神科領域に特化した訪問看護ステーションを開設し6年目を迎えることができました。入院中心から地域中心へと医療も変化し、在宅医療の一端を担わせていただいております。
『住み慣れた地域で安心して暮らしたい』そう願う皆様に、少しでもお力になれるよう出会いに感謝し、絆を育みながらご支援させていただきます。

住 所:七尾市塗師町37番地
お電話:0767-57-5736


2019年7月27日<349号>掲載 我が家のペット


ミケ(メス)

とってもシャイで
優しいです。
赤ちゃんと一緒に
遊んでいます♪

(中能登町 本殿さん)



ちゃ太郎(オス)

ごはんの待てで
震えながら待っている
姿が可愛らしい♪
我が家のマスコットボーイ

(石崎町 じゅあんさん)



寅次郎(4才オス)

やさしい性格で
人間が大好きです。
近所の子供たちに
好かれています。

(郡町 沢野さん)



モカ(2才オス)

人がいたら
走って来るほど
人間がすきです。
大らかな性格です。

(八田町 高塚さん)



ココア(オス)

息子の置き土産
世話をしているつもりが
逆に旦那と私に癒しを
与えてくれています。

(津向町 津田さん)


第167回 七尾市中挟町


町名の由来

はっきりした由来は伝わっていないけど、地図で見ると面積の広い八田町と江曾町にすっぽり囲まれているのがわかるよ。そんなところから考えると両隣の大きな在所のちょうど中間に挟まれた小さな在所なので、中挟と呼ばれたんでないかなぁ。

昔の在所

在所の藤原四手緒神社は元々は第九代当主畠山義綱が建立した由緒ある神社だったんだ。明治維新の神仏分離で御神体の一部が民家に移管されていてね。昭和五十七年に町出身者にも呼びかけて在所一丸となって全面新築したのが現在の神社なんだよ。

小さな在所だけど神事は伝統を守ってしっかり行なっているんだ。伝統行事の虫送りも6月の第一日曜日の午前中に行なっているんだけど、本宮神社からお札を頂いて竹の棒に縛って在所の田んぼ五箇所に立て、そこを太鼓たたいて子供たちが大きな声で「田んぼの虫でてけー」と廻るんだ。
中挟では天保五年の凶作の時、豊作を願って私年号の久宝元年と改元しているんだ。飢饉の時には朝廷の正式な年号を勝手に変えてまで状況を変えたかったんだろうね。昔の人の苦労が偲ばれるよ。

現在の在所

少子高齢化が進み、時代も変わってきたので、昔のまま何も変えずにいる事には限界があると思うんだ。
祭りの世話をする藤神会から神輿を担ぐ人が少なくなったので台車を作ってほしいと町会に要請があったので昨年ついに作ったよ。獅子舞の踊りは男の子だけを貫いているけど、これもいつまで続けられるか時代に合わせて考えていかなければと思うね。

七尾更正園と災害時の協力協定を結んで防災避難訓練も合同で行い、在所は初期消火、避難誘導を手伝い、園には避難場所として給食や給水をお願いしてあるのだよ。七尾更正園の盆踊り大会には在所の人も招待してもらいたくさん参加しているし、なかばさみ里山保存会は田植えや稲刈りなどで交流しているよ。
今年は町会長と理事五名の改選が十二月にあるけど住人の四十歳以上七十歳未満の男女から選挙で選らばれるんだ。誰が町会長になっても、時代を読んで、時代のニーズに合わせて、みんなで明るく住みやすい中挟にしていかないとならんね。

あきこの一言

山の麓、古きを大切にしつつ
新しき時代に向って歩む在所。


健康麻将サークル


田鶴浜金ヶ崎分館のサークルとして今年4月に発足しました。
マージャンを賭け事だと想像する人がいますが、とても有意義な遊戯です。
ねんりんピックの正式種目で、文部科学大臣杯の全国大会もあります。

指も動かし頭も使い、作戦を考え、4人で競いながら会話も楽しみます。
最高のボケ防止遊戯なんですよ(笑)。(山口伸二)


第103回 私の仕事は『茶道教授』です。


縁に導かれ

仕事歴22年 室木 宗美さん

出会い

人生の不思議を感じます。金沢市宝町で生まれた私は父の仕事の関係で小中高と七尾で暮らしました。
中島高校一年生の時、父の勧めで裏千家のお稽古を始めます。型にはめられることを好まない私は、たかがお茶一服になんでこんなに決め事があるのか不思議に思ったくらいでした (笑)。
金沢に戻り短大で茶道部に入ると学生同士の会話も楽しく、熱心な先輩とのお稽古やお茶会に参加するうちに茶道の道理が少しずつわかるようになり、自分でもビックリするくらい稽古にのめり込みました。

卒業後銀行に勤め、また稽古を始めたいなと思っていたとき、高校の同級生と竪町でばったり出会います。さりげない立ち話の中で「お茶したいんや」と言ったところ、「それなら宗和流を習えば」「先生紹介してあげるよ」と言ってもらい、そんなご縁で宗和流の出島社中に入門したのです。

茶道宗和流

創始者の金森宗和は飛騨高山城主の長男でしたが京都に上り宗和流を興しました。京では公家の間に広まり、三代藩主前田利常も金森宗和の長男七之助を招聘したことで石川県にも根付きました。
武士点前で袱紗(ふくさ)を右につけるのが特徴で、道具揃いも雅やかなことから姫宗和と呼ばれています。

私は茶道宗和流に導かれたのか、それが偶然なのか、必然だったのか、宗和流を勧めたあの同級生と結婚しました。嫁ぎ先の母が宗和流の教授でしたが、お茶については一切何も言いませんでした。
最初の師が金沢の出島先生であり筋を通してくれたのです。母は自宅で、私は熊木公民館で稽古を行っていましたが、四年前に母も師も亡くなり、今は主人と母のお弟子さんにも助けて頂き中島宗和会を引き継いでいます。

師の言葉・母の姿

師から「あんた師範や教授の免状貰ってうれしい顔しとってもダメねんぞ、責任がついてくれんぞ」と、師を支え、裾野を広げ、宗和を守ることを諭されました。
私はその言葉を胸に十年前より中島保育園の年長さんにボランティアで茶道を教えています。園児に楽しくて自信がつくように教えるためにどうするか考えたとき母の姿が浮かびました。



小学生と園児のお茶会

お稽古やお茶会から、ほっぺを真っ赤にしてルンルンで帰ってくる母は本当に楽しそうでした。母にお弟子さんがたくさんいたのは母自身がお茶を楽しんでいたからだと思います。それで教えるのではなく、私自身が園児たちと楽しもうと思いました。子供たちは純粋で褒めれば褒めるほどコツを掴みあっと言う間に覚えて、お茶を立てお運びが出来るようになりお茶会を楽しみます。
卒園後引続きお茶を習う子も多く、中島宗和会では小中学生の稽古日を設けています。そして五月の蓮浄寺の花まつり、八月には保育園で小学生が浴衣を着て後輩の園児たちに、十月の熊木フェスティバルでは敬老会や地域の人に来て頂き、年三回の子供茶会を行なっています。子供たちも本当に楽しそうで、茶道は敷居が高いという先入観が無くなり、大人でも出来ないことをやっているんだと自信を持ちます。

師の言葉をどこまで実践できているのか自問しますが、今の私に出来る事はこれくらいかなと思って頑張っています。少子化が進み、華道、書道など「道」の稽古をする人が少なくなっているように感じますが、この子たちが小学生、中学生と茶道を続け、高校や大学を出て地元に戻ったとき、また宗和に戻ることを願っています。



中学生のお弟子さんと

茶道宗和流 中島宗和会
☎0767-66-0117


所司久雄税理士事務所


所司久雄税理士事務所 所司 安輝朗(しょじ あきお)さん 37才

私で三代目です。東京で15年間修行して2年前七尾に戻りました。
令和は大きな時代の転換点だと感じます。 超スピードで進む技術革新、価値感の多様性など社会の構造が大きく変化していく中、私たちの暮しがどう変わるのか、時代を担う世代として真剣に考えなければと思います。
まだまだ微力ですが、仕事を通じて地域の皆様に貢献できるよう誠心誠意取組んで参ります。

住 所:七尾市国分町ラ部2-2
お電話:0767-52-2211


出会いの虫送り


中島町の小牧と外地区の伝統行事で6月第2土日の2日間行なわれます。鐘太鼓を打ち鳴らし、松明を掲げた老若男女が 「どろ虫ゃ、出てけ~」「うんか虫も~」と大きな声で畦道を進みます。
終盤二つの地区が合流し幻想的な灯りが里山に揺れます。


はい!社長です-ノトノオト


ノトノオト 小山 基(こやま はじめ)さん 34才

里山里海での暮らしに憧れて4年前に家族で東京から能登島に移住してきました。
自分が移住したいと思った「能登の暮らしの魅力」を伝えたいと思い、能登島を巡るサイクリングツアーをしています。 お客様のほとんどは外国人です。
みなさんがあたり前だと思っている日々の暮らしが、世界中の人が興味を持つほど素晴らしいということに気づいてもらえると嬉しいです。

住 所:七尾市能登島曲町6-77
お電話:080-2065-5542


第166回 七尾市熊淵町


町名の由来

若い頃に年寄りに聞いたけど、山の中で熊がいたからかなぁと、今ひとつはっきりしなかったよ。
鹿島郡誌によると、昔、荒熊を阿良加志比古・小彦名神が退治したからという説と、高麗(こま)ヶ淵がクマブチに転化した説が書かれているようだよ。

高麗は朝鮮の高句麗のことでそんな文化が伝わっていたのかも知れんね。高麗犬は神仏を守る獣だけど、ここは神仏に縁の深い在所だから高麗ヶ淵から熊淵に転化した説に興味を覚えるんだよ。

昔の在所

熊淵川の下流から生出(おいで)、仏前(ほとけのまえ)、熊淵と川沿いに三つの集落が点在する長細い在所なんだ。この世に生まれ出てから、仏の前に行き、そこを高麗ヶ淵と呼び高麗犬が守護している熊淵。
そんなストーリーを想像するんだよ。在所に伝わる話だけど、昔、仏前は熊淵川を挟んで今の反対側の斜面にあったんだ。そこに祀られていた馬頭観音が、ある晩、庄屋の夢枕に立ち地滑りが起こるから今すぐ避難せよと告げたんだ。

庄屋はその言葉を信じて住民を起こして向かい側に避難したら、その直後に大きな地すべりが発生して集落は壊滅したんだ。その馬頭観音を三十三年に一回御開帳して今も大事に祀っているんだよ。
十九年前に百二十名分の芳名録を用意して御開帳と稚児行列をしたけど、当日は県内外から七百名以上が参詣に来たので住職もビックリしているし、なぜこんなに人が来たか今でも不思議でしょうがないよ。
富山に出稼ぎに出る人が多く父親も黒部ダムが完成するまで出稼ぎに出ていたし、中三の時に熊淵川が氾濫して橋が全部落ちて黒崎の涛南中学から帰れなかったこともあったよ。

現在の在所

獅子舞を保存するため在所を出た若い人がいつでも気軽に里帰り出来るようにと山吹会を結成し飲み会など交流を続けてきたけど、そのメンバーも年老いてついに祭りが出来なくなったんだ。存続が危ぶまれた頃に宮を出る所から戻るまで全部ビデオ撮りしたんだよ。

今は春祭りには老いも若きも、男も女も全員参加で集会所に集まりそのビデオを観ながら酒を飲んで一日中ドンチャン騒ぎをし、秋祭りは囲炉裏が切ってある神社に女の人も上がってお供えの鯛を骨酒にして和気藹々と祭りを楽しむんだ。
顔を合わせることで状況も分かるし普段の会話も取りやすくなるからね。在所の存続を担う若い人に熊淵の団結力を繋いでおきたいと願っているんだよ。

あきこの一言

山間に団結する小さな在所、
神仏に護られ今に暮す。


七尾市役所 商工観光課


七尾市役所 商工観光課 向田 拓海(こうだ たくみ)さん 22才

市役所には観光や教育など、興味ある部署が多くあり、七尾市に貢献したいと思い志望しました。
大学を卒業し、今年の4月から商工観光課で観光関連の業務に携わっております。
お祭りやイベントなど様々なもの全て市民の皆様のご協力によって成り立っている事に気付かされます。
微力ながら七尾市の魅力を全国発信していく一助になれるよう、日々業務に取り組んでいます。

住 所:七尾市袖ヶ江町25
お電話:0767-53-8424


岩屋の清水


藤橋町能登病院口の交差点脇にある岩屋の水は岩窟の中から湧き出でる清水です。
古くから飲料水や酒造りに用いられて来ました。
明治に入り港に寄港する船が多くなり飲料水を補給するため木管をつないで水を送りました。
七尾の水道の始まりです。


七尾ブルドック


平成7年に発足し男女とも全国大会に何度も出場しています。
低学年はバスケを好きになるように、高学年は個人目標、チーム目標を自分たちで決め練習をします。
年3回の公式戦を目指し、練習に励んでいます。

大会の成績よりもバスケを通じ、
「諦めない気持」、「仲間を思う気持」、を養うことを大切にしています。


第45回 「輝け!郷土の星」郷土研究部の梅野 乃愛さん(七尾高校3年)


石川県高等学校文化連盟郷土部で優秀賞

「郷土部」聞きなれない言葉ですが、高文連に部会として昭和35年に正式に発足した文化系の部活動です。高校生が郷土の歴史や文化、地域企業とのつながりなどから、自らテーマを設定し研究活動を行ないます。
昨年秋の研究報告会「能登の和菓子」をテーマに研究成果を発表、見事優秀賞に輝いた七尾高校郷土研究部。
7月に佐賀県で開催される全国高等学校総合文化祭に石川県代表で出場します。今回は部長の梅野乃愛さんにお話を伺いました。

陰の部活

乃愛さんが入学した時、部活紹介で当時部長だった後山愛先輩が、ここは学校中から「陰の部活」と揶揄されていて、目立たない存在感の無い部だと説明を受けました。
しかしそのプレゼンがとても上手だったことに惹かれて逆に面白そうと入部しました。先輩の研究は真剣で斬新でした。

新年度に研究テーマを決め、その中に潜む問題を探し出して、高校生なりの提言をすることを目的に活動します。
そのためにテーマについての知識が必要になりますが、先輩はインターネットの百科事典、ウィキぺディアのコピーは絶対ダメ、自分達で文献を探してこいと指導します。
文献を探すため関係者へ電話し聞取りから始まりますが、この時、郷土について知ることの難しさを実感したと振り返る乃愛さんです。



スティーブジョブズになれ!

能登の和菓子

これまでの2年間「おもてなし」に関する研究を行い、能登の旅館でのおもてなしの一つに「お着きのお菓子」があることや、校内アンケートでもおもてなしから連想するものに和菓子という回答があること、そして部員で杉森菓子舗の息子、開くんが何にもわかっていなかったことで(笑)、「能登の和菓子」を研究テーマに決めたと言います。

和菓子は金沢が有名なので加賀から能登に入ったと思いましたが、歴史が古いのはなんと能登だったことに驚きました。諸説はありますが鎌倉時代に能登の地頭、長谷部信連(のぶつら)が源頼朝に大豆飴を贈ったとあり、金沢は前田利家が入府した時に片町で餅菓子店が出来たのが始まりのようです。また洋菓子が普及し和菓子離れが進み能登では和菓子屋さんが減少していることも分かりました。そこで「能登に和菓子屋を残していくための選択」を提言しようと、機械化が進む「みそまんじゅう本舗竹内」と職人の手作業が多い「杉森菓子舗」にインタビューを行ないました。
それぞれに良さがあり判断することは難しかったですが、和菓子の歴史を調べる事で故郷の魅力に気づくことができました。

今後は能登の和菓子の魅力を多くの人に知ってもらうため、歴史やマナーなどを書いた小さなカードを作って和菓子屋さんに置いてもらう予定です。
七尾高校郷土研究部は顧問中山先生の「スティーブジョブズになれ!」を合言葉に、研究成果を総べて頭に叩き込んで資料を一切見ないで発表する姿は審査員からも高く評価されています。 
一見地味、でも、もう陰の部活とは言わせない! 目が輝く、乃愛さんです。



研究発表した6人


第165回 七尾市和倉町ひばり


町名の由来

元々は和倉温泉に通じる昔の細い県道沿いに田んぼと珪藻土の山があった場所でね、その山にひばりが沢山いたことから地元ではひばり山と呼んでいたんだ。その山を拓いて区画整理したときに山の名前にちなんで、ひばりと名付けたんだよ。

昔の在所

ひばりという町が出来る前はここに住む人は和倉東、石崎、奥原などバラバラに所属していたんだ。
石崎和倉土地区画整理組合が立ち上がって区画整理が行われ、三十二年前に一つの町が誕生したんだね。当時の制度は区画整理地の中に田んぼを残すという制約があったんだ。

おかげで現在和倉地区に田んぼのある町は、ひばりだけなんだよ。私が初代町会長として十二年間務めさせてもらったけど、この四月から二十年ぶりに二度目の町会長に就くことになってね、平成元年、令和元年と時代の移り変わるときになぜだか町会長を仰せつかっているんだ(笑)。
和倉地区では、ひばりの後に光陽台、泉南台と区画整理された町が誕生していくんだけど最初に町会長をした当時は六十四世帯だったよ。現在はアパート十六棟も含めると二百四十九世帯と四倍に増えているんだ。それでもまだ土地はいっぱいあるから歓迎しますよ(笑)。

現在の在所

和倉小学校もここに移転して、かんぽの宿の跡地に足湯のある広々とした公園が出来て、県道と市道が通り住みやすい街になったと思うよ。和倉には、よさこい、花火、マラソンと大きなイベントが行われるので、町会としても和倉観光協会の会員となって応援しているんだ。単独の行事は親睦旅行ぐらいだけど和倉校下の行事には全部参加しているし、祭りは和倉小比古那(すくなひこな)神社の氏子で、和倉八町会全体で春と秋に神輿と獅子舞で和倉全域を回るんだ。

初代町会長の時、いつかは集会所を建てなければと基金を作って積立ててきんだ。大きな集会所まではどうかと思うけど、ひばり町内会事務所として今年あたり建設が出来ればいいなと思っているんだよ。新興の町だけど住む人みんなが愛着と誇りを持って、型苦しくならず気楽に和気藹々と、規律を守って協調して暮らしていける町会でありたいと願っているんだよ。

あきこの一言

小鳥の声、爽やかな風、足湯につかる
あぁ~いい気持ち、 ひばりの在所。