あるがままを、あるがままに
仕事歴4年 清水景子さん 50歳
運命
泣いてお断りしましたが社務所に集まった役員は全員無言です。9月19日夜11時、静かに時が流れ、私が宮司を務めざる得ない空気が支配していきました。4年前、中島町熊甲大祭前夜のことです。兄が親戚である久麻加夫都阿良加志比古神社の宮司を務めていたのですが病気療養のため私に白羽の矢が立ったのです。私は禰宜(ねぎ)として参列するつもりではいたのですが、いきなりの大役に正直戸惑いました。
宮司の世界はほとんどが世襲制です。血筋と状況を鑑みると出来るとか出来ないでなく、逃げる事も避ける事も出来ない定めを感じ、あるがままを受け入れるしかないと諦めた瞬間、宮司としての覚悟が決まったのです。
人生は必然
私は兄一人、姉二人の末っ子で、能登部神社の娘として育ち七尾高校から国学院大学を卒業し会社勤めをしました。両親は二人の姉と同じように私にも平穏な幸せを望んでいましたが、私はお膳立てされた人生を歩むより、子どもの頃からの夢が諦め切れず獣医師を目指すことにしました。
この時、母は神主の資格をとることを条件に獣医への道を認めてくれました。何かあった時は兄を助けてやってほしいと言っていましたがまさか現実になるとは思いませんでした。父は女が神主にならんでもいいと大反対していました(笑)本当に人生はどう転ぶかわかりません。
小6の卒業アルバムに獣医になって動物をみまもりたいと書きました。「治したい」ではなく「看護りたい」です。その意味を今更ながら実感している自分がいます。今獣医師として毎日手術や治療をし、また最後を看取りますが、動物は亡くなる時必ずあいさつをしてくれます。
飼主は少しでも生きて欲しいと願うのですが、ペットとしての定めをあるがままを受け入れ最後まで飼主に寄り添い、心臓が止まるまで生き抜いて、自然体で寿命を全うしていくとき、私は「よく頑張ったね」と声をかけます。すると穏やかな目になり「ありがとう」と魂の声が聞こえます。あるがままの人生を受け止めていくということでは獣医も神職も通じるところがあります。
神に現世利益を願う人が多い昨今ですが、そうではなく今を生きる人々が、今のあるがままを感謝するのです。目に見えない存在に畏敬の念を抱き、手を合わせ、頭を下げ、恐れ多くもと、今のあるがままにご加護を願うのです。神職はその民の願いを神へ仲立ちするのです。
自然体で
平成13年に兄が宮司に就任したとき同時に私も禰宜に就任しました。平成26年に兄が他界し跡を継ぎますが経験が浅くとても不安でした。祭事の意味を理解しないまま形式的に祝詞を読んでいましたが当時はそれしか出来なかったのです。申し訳ないのと情けないので一杯でしたが、地元の皆さんに温かく見守って頂きなんとか務めてきました。
どぶろくで直会(なおらい)
どぶろくも母から受け継ぎ、祭事にて神と氏子に振舞うだけの分量を地元の新米で作っています。今、父や祖父の書き残した祝詞を読み返しそれぞれの神事に込められた意味の理解に努めています。歴史ある神社の宮司としてまだまだ造詣を深めなければなりませんが、獣医師としての勤めもありどちらも中途半端にならないよう臨んでいます。
やりたいことをやり、やらなければならないことをやる、そんな日々が続きますが何かに捉われることなく自然体で取組めるようになり幸せを感じています。氏子の皆さんと共に祭事を通じて今まで以上に親しみある神社にしていきたいと願っています。
厳かに参道を
中能登町 能登部神社 ☎0767‐72-2176