こみみかわら版バックナンバー

北陸銀行七尾支店

林 泰生(はやし たいせい)さん

25才 O型

「故郷である北陸に貢献したい」「お金の事をしっかり学んで周りの人の力になりたい」との思いから
、銀行員となり4年がたちました。

経済知識や法律など勉強すべき事も多く挫けそうな時もありましたが、お客様のお言葉や職場の同僚
に支えて頂き、少しずつ成長する事ができたかなと思います。

札幌から七尾に来て1年がたち、これからは能登の皆様に恩返しができるよう走り回ります!



住 所:七尾市一本杉町118番地

お電話:0767-53-2200


はい!社長です-ファイブエイト合同会社


ファイブエイト合同会社 山本 徹彦(やまもと てつひこ)さん 46才 O型


二十歳の頃から建設業に関わり、周りの方々の後押しもあり、今年の9月にファイブエイト合同会社を設立しました。

事業内容は主に土木工事で、擁壁、水路、住宅基礎などなどです。 現在は2人ですが、来春には長男も加わり3人体制になります。

仕事も人材も厳しい業界ですが、支えて下さった方々に恩返しできるよう日々精進し、地域に根差していきたいと思います。 


住 所:中能登町西馬場ハ‐53
お電話:0767-72-2577


第153回 中能登町 能登部上


在所名の由来

鎌倉時代の古文書で能登部村という文字が初めて出てくるようだけど、雨の宮古墳があるから古墳時代から人が住んでいたことは確かだよ。野球部やサッカー部など部とは集団を意味する言葉でね、数軒ずつが点在して暮らしていた時代に、何か目的をもってかなりの人数が集まっていた場所だと思うんだ。

山の頂上にあれだけ大きな古墳があるから、当時能登を支配していた王がいたと想像できるので、かつてここが能登の中心地で多くの民が暮らしていたのではないかと思っているんだよ。

雨の宮古墳

子どもの頃はあれが古墳だとは知らんかったよ。山のてっぺんに土俵があって毎年8月14日に相撲大会をしていた場所なんだ。その山が前方後方墳で能登最大級の古墳だと言うので驚いたよ。

能登部神社の3代前の宮司で、能登部町史を編纂した清水一布さんが何かを感じられて県に調査を促したんだ。県と明治大学が平成4年から本格調査を始めたら、すでに誰かにほじられていたことがわかったんだ。国の重要文化財になっている神獣鏡など、副葬品まであと数十センチで手が届くところまでほじってあったそうだよ。

今は綺麗に整備されて多くの観光客も訪れているし、14年前から雨の宮を護る会を結成して、毎年古墳まつりを行っているんだ。

在所の今昔

まだ誰も織物に携わっていない明治時代に、当時24歳の丹後徳蔵さんが手織12台の機業場を創設したんだ。幾多の苦労を乗り越えて大きな会社に育て上げ、中能登の繊維産業のパイオニアだよ。そのお屋敷が町に寄贈されていて国の登録有形文化財にも登録されたんだ。今、趣ある通りを文化財にしようと文化庁に申請する準備をしているけど、その要の建物なんだよ。

11月19日の夜、この通りを密かに歩く「ばっこ祭り」があるよ。能登部神社の男神が、隣の西馬場の愛宕神社の女神を迎えに行き、能登部神社奥の院へ連れて入り逢瀬を楽しむんだ。行列は無言で、行列を見た人は目が潰れると言われているから犬が鳴いても人は誰も出てこないよ。足跡から女神を連れていったことがばれないように帰り道はわらじを前後逆さまにして履くけどこれが痛いんだよ。あの痛さは履いた者しかわからんよ(笑)。歴史ある在所なので一丸となって末永く栄えていく努力を続けないとね。

あきこの一言

神がいて、王がいて、民が暮らす
悠久の歴史の中に活かされ、今を生きる。


のと里山里海ミュージアム


能登歴史公園内に完成した博物館。能登の自然の中で育まれた祭りや、
生活様式など、能登ならではの文化歴史に触れる事で、能登に暮らし続
けた能登人の偉大さを改めて確認出来ます。

私達も故郷に誇りを持ち、未来に繋がなければなりませんね。


第39回 「輝け!郷土の星」放送(朗読部門)の畑中 愛さん(七尾高校1年)


11月石川県高校放送コンテスト新人大会朗読の部で優秀賞

66名がエントリーした大会で、金沢泉丘高校、北陸学院高校の生徒と共に優秀賞に選ばれた愛(めぐみ)さん。アナウンス部門では常連の七尾高校放送局ですが、朗読部門での優秀賞受賞は久しぶりです。

学校では全校集会や体育祭などの行事で司会やアナウンスなど行いながら、来年2月の北信越大会、7月のNHK杯、8月の全国総文に向けて練習に励んでいます。

七尾高校放送局

「放送部ではなく放送局なんですよ」と愛さん。全校集会で司会をする先輩の品位に惹かれ放送局に導かれました。入部すると過去の題材でアナウンスと朗読をそれぞれ行い先輩が適正を助言します。アナウンスは自分で取材したエッセンスを原稿にして1分半以内で伝える力が求められます。大変ですが自分の得意なことや個性を表現できます。 朗読は決められた5冊から1冊を選び、どこを読むか決めます。 朗読時間は1分半から2分間、字数で600字から800字くらいです。 愛さんは先輩の助言で朗読部門を選びました。

練習はまず腹式呼吸の会得です。アナウンスも朗読も第一に良い声、通る声でなければなりません。 早口言葉で滑舌のトレーニングをし、NHK日本語発音アクセント辞典で正確なアクセントを覚えます。やさしい言葉、悲しい言葉、それぞれに声色を変え、セリフの文章は感情移入し、セリフでない地の文は感情を入れ過ぎず、さりとて棒読みになってもいけません。 大会では様々な評価項目で点数がつけられます。大会前日は学校のホールで他の部員に聞いてもらい課題を確認し本番に臨みました。



3名が受賞しました。(田渕さん・吉野さん・畑中さん)

将来の夢

自分が? まさか! ビックリしたと言う愛さんです。1年生で受賞とは天性の才能があったに違いないと、顧問の屋敷先生に伺うと 「入部した時はまったくの普通の生徒でしたよ」 とのこと。

5作品の注釈を読み内容を理解した上で、自分の声に合いそうだと感じた宮下奈都さんの「羊と鋼の森」を選びました。何度も読み返すと、自然と口ずさむ感じで筋書きが覚えられたと言います。その中から更に自分に合った部分を抽出して大会に挑みました。「初めての大会なので全力を尽くそうと練習を重ねてきましたが、本番では緊張したことしか覚えていないのです」 と愛さん。「前日の練習では上手くいかない箇所がいくつかあったのに、当日は全部クリアしていたので驚いた」 と屋敷先生。

小学生の時、図書館司書の先生から児童文学作家、岡田淳さんの「小学校のふしぎな話」をテーマにしたファンタジーを薦められ大の読書好きになった愛さんですが、岡田淳さんの本との出合いが夢の出発点になったと言います。 それ以来、 図書館司書になることを夢見て沢山の本を読んできた愛さんだからこそ、 初めて臨んだ大会で体は緊張状態でも、心は落ち着いていたようです。 読書に宿る力と、 愛さんの努力が結び、引き寄せた優秀賞だと思います!



声の妖精 七尾高校放送局員


第152回 能登島町 閨


在所名の由来

昔は閨と無関が一つの村で、室町時代の古文書には禰屋牟関と書かれているようだよ。閨の入り江の中にある鴫島で行者が寝ながら行う心行をしていたんだ。それで臥(ふせ)行者と呼ばれ、その場所には今でも行者が寝ていたと思われる石畳が残っているよ。

鴫島は今陸続きになっているけどそこを行者鼻と呼んでいるんだ。行者が寝て修業していたので寝屋とも呼ばれ在所名の由来になったようだね。

昔の在所

島八太郎の一人で水蔵右衛門という人が閨にいたようだよ。子孫は残っていないけどね。元の在所はフィッシングパーク辺りにあったと聞いているけど江戸中期以降に今の漁港のある場所に移ったと思われるんだ。それは閨には古屋八郎兵衛と和田磯五郎の二名が流刑されているけど、今の場所に一番先に入った家が古屋さんだと伝わっているからだよ。

石屋、大工、鍛冶屋、木挽き、桶屋などの職人と半農半漁で暮らしを立ててきた在所でね、昔は鱈漁が盛んで丸木舟を漕いで穴水の近くまで行って漁をして船一杯にして帰ってくるんだ。浜に集まった人がそれを貰って軒下に吊るして干してあった風景が懐かしいよ。

松茸もよく採れてね、在所の松茸山は青年団が管理して山ごと入札するんだ。それが若い衆の収入源で北海道や九州に一週間旅行に行っていた時代もあったよ(笑)。雑苔でも採るように竹かごに一杯採れた松茸は味噌漬けにして、干した鱈とが弁当のおかずだったけど最高だったなぁ…。

各家には田んぼを耕す牛を飼っていてね、子どもは朝と学校から帰ってから餌の草刈りが日課だったよ。これをやらないと青柏祭や明治節に七尾へ出かける小遣いが貰えないんだ。七尾で山藤のうどんを食べるのが楽しみだったよ。

現在の在所

ゴルフ場が出来たり、別荘地が出来たり、道も良くなって働きに出て現金収入を得ることも出来るけど、あくせく働かなくてはならない時代にもなったね。

あぜ道を歩いて学校に通っていた子どもの頃のあのチベットのような情景が懐かしいね。にぐ縄を編んでわずかな現金収入を得て支払いは盆暮れのあんな時代に戻れば良いと思うこともあるんだ。そうは言っても前向きに進まないことにはね(笑)。

今在所では耕作放棄地をこれ以上増やさないためにも圃場整備を進めようと話が進んでいる所だよ。

あきこの一言

鴫島に残る史跡と豊かな自然。
人良し、空気良し、水も良し。


日本一小さな茶室


城山の懐古館前にある茶室。汽船会社で一代を築いた市内旧樋爪家の
庭園にあったもので大正末期に京都高台寺の傘亭を手本に造られました。

亭主は、かなりの腕前でないと点前が務まらないと言われる半畳台目、
逆勝手の造りで、日本最小の茶室です。


ダシの三幸(さんこう)

谷上 奈鶴子(たにがみ なつこ)さん 

34才

創業61年を迎えるだしパックの製造会社が、初めて店頭販売することになり
今年3月にオープンしました。 回転寿司での接客経験もありましたが最初は
戸惑いました。それは試飲してもらわないと美味しさを伝える事が出来ない
からです! なので積極的にお声かけをしています。

最近は外国人も多く、「フィッシュスープ ! NO.1!」とジェスチャーを
交えて話しかけ、試飲してもらっています(笑)



住 所:府中町食祭市場1階

お電話:0767-58-6158


鵬学園 サッカー部


サッカー部では練習だけでなく、礼儀礼節など人としての基本も大切にしています。
そのおかげで部員は私生活においても礼儀正しくなります。

個人的にはプロになる夢を叶えるため、朝練夜練と欠かさず全力で取り組みました。
サッカーで自主性が身につき、何事も高い意識で継続すれば必ず成長できることを
学びました。(輪嶋 拓海)

顧問 赤地信彦先生


はい!社長です-磯野工業


磯野工業 磯野 大介(いその だいすけ)さん 41才 O型


建築測量、墨だしの会社を設立して10年。ゼネコンや工務店などの他種多様な施主様のご要望にお応え出来る様に社員共々、常に最先端の技術を極めながらスキルの向上を目指しています。

仕事を通じて人と人のつながりの大切さを日々実感しております。
出会いに感謝しその方々から多くを学ばせて頂き、一人の人間としても成長をしていけたらと思っています。


住 所:七尾市神明町ロ2-7
お電話:0767-53-7088


第97回 私の仕事は『料理人』です。


仕事歴 11年 黒川 恭平さん 30歳 

緊張の瞬間

肉の塊をカットしその断面を見る時が一番緊張しました。魚料理が済み、次は肉料理をお出しするのですが、時間を逆算して肉に火入れをしておき直前にカットします。お客様の好みの焼き加減に仕上げなければなりません。これで大丈夫だと思っていても焼損じる時があります。そんな時シェフから怒られるのがとても怖かったです。パリの二つ星レストランでの修業時代です。

日本では火入れするポジションで牛を焼いていたので自信があったのですが、フランスでは子羊、うずら、鳩、鹿など初めて扱う食材が多く火の入りも違うのでその感覚が身につくまでが大変でした。

道のり

保育園の時、将来の夢が「コックさん!」でした。両親が営むレストランは夜も営業して家族団欒の時間がとれない環境でしたが、働く両親の背中を見て育った私は中学生の時に料理人になると決めました。七尾高校理数科に入学しましたが担任の先生に大学には行かず料理の専門学校へ進みたいこと、フランスで修業したいので英語だけは一生懸命頑張ることを宣言し理解してもらいました。野球部にも入り七高初の県大会準優勝もでき、本当に英語と野球だけに専念した高校時代でした(笑)。私は目標を立てないと物事が進まないのです。目標が立てば次に何をするかが決められ、それに向かって進めるのです。

京都調理師専門学校に入学した時に、5年間日本で修業しそれからフランスへ行く目標を立てました。京都のフレンチ懐石「祇園おくむら」で5年間修業しますが、この間にソムリエの資格とフランス語検定3級を取得しました。そしてフランス料理界の巨匠、吉野建さんのパリのステラ・マリスに勤めることが決まりました。しかしそのお店のスタッフ全員が日本人だったのです。会話も当然日本語でフランスへ来た意味を考えると少し違うと感じシェフに相談して結局2週間で辞める事にしました。次のお店ではテスト期間として肉を焼くのですがシェフに怒られ続けた1週間でした。それでも何とか頼み込み雇ってもらいました。ここでは美味しく召し上がって頂くために少しの妥協も許さないシェフの姿勢から星付きのレストランとはこういうことなのかと気付かされました。

それで私は2時間半の昼休憩に肉屋から苦手な肉を買ってきて練習を始めました。そんなことからシェフの見方も変わり信頼関係が築けたように思います。帰国の際には送別会をしてもらい包丁を頂きました。実力不足を実感しパリでの先輩の紹介で大阪のラ・シームで働くことにしました。しかしシェフの育てたいがための厳しさに耐えられず、また同い年の同僚とも上手くいかなくなり挫折して辞めてしまったのです。傷ついた心を癒やしたいと気軽なビストロにしばらく勤め故郷に帰りました。



香箱カニのフラン

能登に生きる

七尾へ帰ると大阪のラ・シームが二つ星にランクされ、その同僚が日本代表で出場したコンテストで世界チャンピオンになったのです。挫折した自分が甘かったのかと葛藤し、結果を出さなければとの思いで日本最大級の料理人コンペティション「RED U‐35」に出場しました。

昨年はかすりもしませんでしたがリベンジした今年は3次審査まで進み567人中ベスト22人に残りました。大会には七尾から日本料理の川嶋亨さん、イタリアンの平田明珠さんも出場しました。今3人で料理を通じて能登の素晴らしさをもっともっと発信しなければと交流を深めています。



優雅なひとときを

和倉町 レストラン ブロッサム
☎0767-62-2410


遊覧船「Sea Bird」


能登食祭市場横の船着き場から、遊覧船の「Sea Bird」が出航しています。

出航するとウミネコが追いかけて来て手でかざした餌をついばみ、
とってもスリリングです。

和倉遊覧コースでは能登島大橋を見上げる事ができ、その迫力に驚きます!


フィットネスガレージななお

北澤 佑美 (きたざわ ゆみ)さん

23才 A型

学生の頃、打ち込んでいた弓道をもう一度したいという思いと、フルマラソンを
完走した事を機に、もっと自分自身を高めていきたいと思い、スポーツに携わる
今の職業に就きました。

自分自身トレーニングしながら、その経験をもとにお客様の健康づくりを
お手伝いできたらいいなと思っています。

夢は能登の豊かな自然を満喫しながら、たーっくさん遊んで、笑って生きる事です !



住 所:七尾市竹町大天神山26

お電話:0767-53-5671


西湊ダンス教室


毎週火曜日の19時から、素敵な音楽に合わせ、ワルツやタンゴ、ルンバなど
60代から70代が中心になって和気あいあいと活動しています。

社交ダンスはとても楽しく健康維持にも良いのですが、最近は認知症予防や
寝たきり予防にとても効果が高いと注目されています。

興味のある方は自由に見学に来て下さい。  (会長 柳瀬卓也)


はい!社長です-リックスやまざき 山崎酒店-


リックスやまざき山崎酒店 山崎 一也 (やまざき かずや)さん
59才 A型


大学を卒業後、他店で修行し24才で地元に帰ってきました。
この仕事に就いてから早40年。 3代目としてお客様に信用と信頼を頂けるよう、毎日笑顔で明るく清潔な店づくりを心掛けて仕事をしています。

これからも美味しい日本酒、珍しい焼酎を取り揃えてお客様に愛される店作りに努力していきたいと思います。

忙しい毎日の中、畑仕事や趣味の植物を育ててリフレッシュしています。 


住 所:中能登町金丸204
お電話:0767-72-2057


第38回 「輝け!郷土の星」バスケットの青山 大地くん(七尾中学3年)


念願の全国大会出場

七尾中学校バスケ部は昨年の女子に続き、今年は男子が全国大会に出場しました。実は石川県大会、北信越大会ともに決勝戦でライバルの美川中学に敗れ準優勝での全国大会出場です。

結果は予選リーグ、中国代表の玉島北中に77対60、東海代表の真正中に61対60と惜しくも敗退し、決勝トーナメントへ進む事が出来ませんでした。ベスト16を目標にしていただけに悔しい結果でしが、キャプテンの大地くんには今年何としても全国大会へ出場したいという強い意思がありました。

七尾ブルドック時代

地くんは保育園年中の時、兄が通うミニバスの七尾ブルドックを見学し、「自分もやりたい!」とバスケを始めます。ブルドックでは小3でユニフォームを貰い佐藤監督にバスケを叩き込まれました。小6の時、全国大会出場へ大きな期待がかかりました。過去2年間決勝で敗れ涙を呑み、今年の実力なら大丈夫と全国大会へ行く気満々で臨んだのですが負けてしまいました。この時チームメイト全員で泣き、全国大会出場の難しさを思い知らされたのです。この時のメンバー全員が七尾中学バスケ部に入り、その悔しさをバネに中学でも全国大会出場を目指し頑張ってきたのです。

大地くんは身長170cm、体重60kgと選手としては小柄です。中学生でも190cm前後の選手もいるので、スピードで勝負しなければなりません。ブルドック時代の佐藤監督は素早く動き回り、その試合運びも自分たちで瞬時に判断出来るよう、大地くんを司令塔としてのチームを作ってきました。



インタビューに答える大地君

キャプテンとして

大地くんのポジションはポイントガードです。ここはチームの司令塔でゲームを作る役目があります。顧問の門前先生は今年の3年生はとにかくバスケが大好きで本当にチームワークが良いと話し、大地くんについてはガードとしては大変素晴らしく、チームをまとめる力があり、頼りになるキャプテンだと高く評価します。

練習も七尾高校と金沢学院高校の胸を借り、プロバスケットBリーグ金沢武士団(サムライズ)の飴谷アシスタントコーチの指導を受けワンランク上の練習メニューをこなしてきました。大地くんはメンバーに対し練習で気付いたことや、思うことは遠慮せずにアドバイスすると言います。後輩からは怖い先輩だと思われているようだと笑いますが、目標の石川県ナンバー1、全国大会出場を成し遂げるためチームを強くしたいのと、後輩に上手くなってもらいたいため、中途半端な気遣いをしていてもいけなかったと言います。

そんな大地くんに将来の夢を聞きました。すかさず「夢はBリーグでバスケしたいです!」と元気よく答えてくれました。そのため来春はバスケットボールの強豪、金沢学院高校へ進学を目指します。高校でもバスケットを続けるため、今も勉強の傍ら、3年生や下級生に声をかけ田鶴浜体育館で週2、3回の自主練習をしています。5歳から始めたバスケットボールを通じ、目標を成し遂げる強い意思、そして逞しいリーダーシップ力を身に付けながら、益々成長を続ける大地くんです。



七尾中男子バスケットボール部