こみみかわら版バックナンバー

2018年2月24日<315号>掲載 我が家のペット

ココ(オス ♂)

寂しがり屋で甘えん坊のココ。
一緒に布団に入って寝るのが
大好きです♪
我が家の大切な宝物です♡

(藤橋町 前田さん)


ジャム

3月で14歳になります。
車の音が聞こえたら急いで
玄関でお出迎えの準備を
してくれます。長生きしてね♡

(湊町 松野さん)


クリ(オス ♂)

子どもとパンが大好きなクリ。
毎日の散歩がとても大変ですが
クリの為に頑張っています!

(鵜浦町 松村さん)


トト(オス ♂)

オスですが大人しくて
気が弱いです♡

(矢田町 山口さん)


第136回 七尾市藤橋町


町名の由来

藤橋の土地は随分と広い範囲にまたがっていてね、
地番は能登総合病院周辺まで広がり、昭和25年までは馬出町や御祓町も藤橋だったんだ。
かつて国分寺と小丸山城址公園の愛宕山にあった本宮神社を
一直線で結ぶ道路が通っていてそこに旧家が並んでいたんだ。
小丸山城の外堀が在所の中にあり、そこに藤の橋が架かっていたことが
町名の由来だという説があるけど、どのあたりに架かっていたかは定かでないらしいよ。

昔の在所

一昔前までは竹薮と田畑しかない矢田郷の在所だよ。
大正14年に耕地整理を完成させているくらい旧家はみんな農家でね。
高度成長期に田んぼを埋めて住宅が建ってきたんで、境界が不明確になることを心配して、
在所の事業として昭和52年に耕地整理の境界杭を入れなおして測量をしたんだ。
お陰で里道水路と田んぼの境界を確定した図面が在所にあってね、
七尾中学校の用地買収もその図面を参考に測量したんだよ。

藤橋は野菜作りが盛んでね。粘土質の土地に適した野菜は何か、
商品価値を高めるにはどうするかなどを在所の高島さんの
親父さんがガラスのハウスを建て研究を始めたら、
みんな高島さんの所で一緒になって勉強してね、
それでキュウリやトマトなど野菜作りが本格的になって苗まで販売していたよ。

これから

住人は農家、非農家、アパートの3グループで構成されて外国人も多いので、
協力する部分と割り切る部分とのバランスが必要だね。
それでも夏祭りは在所あげての盆踊りに屋台を出して、打ち上げ花火と盛大だし、
町内会の旅行も毎年バス2台で行けるから嬉しいよ。

ここの子どもは山王小、七尾東部中へ進学するんだけど、
在所に七尾中学が出来たもんだから今は小丸山小、
七尾中へも希望すれば進学できることになったんだ。
運動場の照明とパチンコ店のネオンで夜も明るい在所に変わってきたよ(笑)。

東屋の旧家が並ぶ通りは11体の地蔵様が点在する地蔵通りなんだ。
なんでこんなに地蔵様があるのかわからないけど、
昔からこの在所の歴史を見守ってきた地蔵様なんだ。
広い藤橋に人が集まり、北、南、西と町名を分けなければならないことになったけど、
地蔵様だけは分かれることなくここに留まってくれたんだ。
どんな時代になっても末永くご加護を頂きたいと願っているんだよ。

あきこの一言

あっちにも、こっちにも、お地蔵様。
どんな歴史を見てるのかな…?


東嶺寺


鹿島半群(はんごおり)59ヶ村を治めた長連頼が父・連龍の菩提を弔う為に
開いたお寺です。
本堂には360年前の建具が残っており、田鶴浜建具の発祥のお寺でもあります。
以前、古刹の趣が素晴らしいと、水戸黄門のロケが行われました。


三味の音(しゃみのね)教室


藤本流の三味線で6才から75才までが集まり、和気あいあいと週2回お稽古をしています。
今年36年目の教室から18名の名取が育ちました。
まだら保存会や城山民謡会の皆さんと共演したり市民音楽祭などで発表しています。
現在5名の準師範がいますので、それぞれがお弟子さんを持って邦楽の輪を広めて
頂ければと思います。(師範 藤本 秀美由)

師範:藤本 秀美由さん (本名 久保 由美子さん)

お問い合わせはフォーラム七尾 (☎52-5222) まで  お気軽にどうぞ♪


丸果七尾青果㈱

川内 友晴(かわうち ともはる)さん

32才 A型

七尾青果市場で働いています。
能登の良き食材が地元の若い人に知られていないように思います。 それで
若手の生産者やシェフと市場が一体となって保育園から高校生までに能登の食材の
魅力を伝える活動と生産・流通・消費の新しい流れを作り上げているところです。

青果物を通して能登の魅力を発信し続ける事で、七尾の活性化に貢献できればと
思って頑張っています!



住 所:七尾市大田町111部25番地

お電話:0767-53-7575


はい!社長です-小原鉄工株式会社-


小原鉄工株式会社  小原 賢一(おはら けんいち)さん  49才 A型


祖父が鍛冶屋から始めた会社です。
20数年前は、ほとんどが織機の部品でしたが、現在は半導体製造装置関係の部品が50%以上で、あとは食品機、建設機械など様々です。

お客様の95%以上が企業様ですが、個人的に農機具、鍬(くわ)鎌等も頼まれます。

製造中止になった機械の部品にもオーダーメイドで対応しています。街の鉄工所として地元の皆様のお役にも立てればと思っています。


住 所:七尾市田鶴浜町カ‐16‐5
お電話:0767-68-2063


第90回 私の仕事は「建築家」です。


新たな文化に遺産に挑戦!


私の仕事は「建築家」です。

岡田 翔太郎(おかだ しょうたろう)
仕事歴 4年


建築家の仕事とは


建築物はその地域を豊かにもダメにする力があります。

人や地域の未来をかたちづくるため、風土、文化、自然、あらゆるものと対話し、
その場所にしか成立し得ないものを建造する仕事だと思います。


メッセージ力


博多の街で遊んだ事はありませんでした。ラーメンを食べたくらいですよ(笑)

九州大学の芸術工学部環境設計学科で建築を学びましたが、
4年間殆ど学校の製図室に籠っていました。
丹下健三先生の弟子で鵜飼哲矢教授の研究室で指導を受けました。
授業では私が制作した模型を見て「あなたの考える建築が社会に対して
どんなメッセージがあるか伝わってこない。全然面白くない、やり直しなさい」
とこれだけです。こうしたら良いという指導は無いのです。
お陰で建築を通して社会の課題を見出す力や、
建築でどう解決するのか考える力が養われたと思います。

戦後広島平和記念公園を作るとき、市民にも原爆ドームを
忌み嫌い取り壊そうという意見もある中、
多くの建築家は原爆ドームに目を向けませんでした。
ただ一人目を向けたのが丹下健三先生だったのです。
原爆ドームに一本の軸線を決め、建物の位置、公園の広がり、
視点がドームに集まる設計でした。後世に何を残すべきか、
原爆ドームは壊してはいけないというメッセージであり、
その場所でしか成立し得ないものを作ることの大切さを今に物語っています。


日本一決定戦へ


大学では先輩の卒業制作を手伝う文化があり、
1年生の時何日も徹夜で取組む先輩を手伝い、
建築ってこんなに大変でここまでやるのかと驚きました。

毎年仙台市で開催される卒業設計日本一決定戦では、
全国から500作品が集まり10人が選ばれプレゼンします。
その中に先輩が選ばれた時、自分も先輩のように輝きたいと目標が定まったのです。

この地でしか成立しないもの、文化を守り、現代を生き、
後世に残すもの、そんな課題で故郷を見つめた時、
でか山という文化と七尾の活性化に建築家としてどう向き合うか。

構想を練る中で府中町のでか山に1年を通して参加させてもらい、
山町ではでか山が日常の存在であることを知りました。
七尾の街で、七尾の暮らしで、でか山が日常になり得る建築物、
それを私の卒業制作にしました。
先輩と同じように出品した日本一決定戦で、
でか山の構造と空間が街並みと合体する生活空間を表現した
作品が日本一に選ばれた時は本当に嬉しかったです!



故郷を世界に



白川郷の合掌造りのように七尾の日常に人々が訪れ
感動する建築物を建てることを生涯の目標にし、
卒業後すぐに七尾に戻り事務所を開設しました。

素材、文化、人を活かすコンセプトで古民家再生も手がけています。
私は施主様とは徹底して話し合います。
一生の買い物である家に悔いがあってはなりません。
模型を作り具体的にイメージし納得が行くまで向き合います。
そんなスタイルを評価して頂き、最近は県内外の一般住宅のほか、
和倉温泉多田屋のレストランや市内の店舗を手がけています。
私は施主様の思いをより有意義に具現化することが建築家の役目だと考えています。

2年前に若手建築家U‐35の大会で「これから日本で活躍する建築家6人」の
中に選んで頂き大変光栄に思っています。
夢は色々ありますが、その実現のためにも、驕らず、焦らず、
今を直視し目の前の課題を見据えて、努力を怠らず故郷の大地に
しっかり足をつけ歩んでいけたらと思っています。


矢田新町 岡田翔太郎建築デザイン事務所
☎57‐5954


はい!社長です-㈲インテグレイテッドシステムズ-


㈲インテグレイテッドシステムズ 櫻井 浩一 (さくらい こういち)さん 42才 A型


櫻井醤油の長男ですが、IT技術屋になりました。

「ネットがつながらない」、「そもそもパソコンは何するもの?」など初心者から、大学・研究機関の大規模システムまで、色々な「ITの困った」に、対応させて頂いております。

地球全体を一瞬でつなぐインターネットが普及し、ITはビジネスの世界に欠かせない時代になりました。 地方都市だからこそITをもっともっと活用して、能登を元気にしましょう !


住 所:七尾市相生町1番地
お電話:0767-53-0680


田鶴浜高校 女子卓球部


専門高校なので関連行事が多く、限られた時間で濃い練習が出来るよういろんな
メニューを考えています。部員それぞれが目標、課題を持って日々取組んでいま
すが、看護や介護で身につけた観察力で相手を思いやることが自然にでき、小さ
な変化にも気付くので部員間のコミュニケーションが大変良く、強い信頼関係が
築けています。 (富永華菜)

顧 問:辻屋先生・金谷先生・大田先生
キャプテン:富永 華菜さん


第135回 中島西谷内


町名の由来

ここは三方山に囲まれた盆地で地形の谷内にちなんでいるんだ。
隣の熊木郷に谷内という在所があるので江戸時代に
そこと区別するため西谷内としたそうだよ。
最初は西谷としたそうだけど、いつしか西谷内と書くようになったということらしいよ。

昔の在所

まずは西ヶ谷城のことを話さないとね。
昔は城跡に畑があり子供の遊び場だったけど、近年は荒れ放題でとても人が
入れるような状態ではなかったんだ。それが朱鷺棲む里山釶打クラブで郷土史に
詳しい地元の歴史家唐川明史さんに話を聞いて、大変な城だったんだとビックリしたんだ。

それで平成28年に在所を上げて城跡を整備したんだよ。
1年がかりで間伐して遊歩道をつけ看板も立てたんだ。
その事がニュースに出たら城ブームもあって人が訪れるようになったんだ。

室町時代に畠山一族の城として築かれているんだ。
整備したら外堀、内堀が何重にも掘ってあったよ。
郭跡も見受けられるし、水が湧き出ているし、本格的な居城としての構えがあったんだ。
七尾城が上杉謙信に攻められた時ここも落城したんだよ。

昔ここは中島と富来を結ぶ街道で茶屋があって釶打地区の中心地だったんだ。
役場の支所、中学校、旅館、酒屋、呉服屋、雑貨屋、床屋、畳屋、
映画館まであって中島まで行かなくても事が足りていたんだよ。

昭和23年までは羽咋郡だったくらいで富来との交流が深くて
新宮の枠旗祭りには富来の氏子も枠旗を持ってきて一緒に祭りをしていたんだ。

これから

ここ5、6年で急に高齢化が進んでね、80歳前後が半分、70歳で若い方だよ(笑)。
若い人たちの多くは中島か七尾で暮らしているんだ。
そして猪や狸、狐が在所の中を堂々と歩くようになってきたよ。

昨年から3年計画で猪対策を始めたんだ。
今は山裾を幅40m伐採して農地との間に緩衝地帯を作っているんだ。
その後電気柵を取り付けていく予定だよ。それと今年から圃場整備も入る予定でね。
西谷内川の源流の水で美味しい米が採れる在所なんだよ。

それにしても、まぁー寂しくなってきたよ。
どーにもならんけど死ぬまでここにおるがやから、
おるもんだけで、一生懸命やっていくだけだよ。
朗らかに暮らして出来るだけ健康寿命を伸ばして、
動かれる間は在所のために尽くす覚悟だよ。

あきこの一言

訪れた在所で故郷の歴史を知る。
しばし城跡で先人の営みに想いを寄せる。


旧久江小学校


木をふんだんに使ったモダンな校舎平成6年に建てられました。
中能登町久江は100町歩の山林が有り、玄関に使用した木材は全て在所の
山の木を使いました。
 平成27年に閉校し、現在は児童館、体育センターとして使われています。


ここーね

鍛冶 亨 (かじ とおる)さん

33才 A型

原因不明の病で体調を崩しましたが、食生活を改善し、健康を取り戻せ
ました。自分と同じような人が一人でも救われるようにと「お惣菜や」
のお店を始めました。
お客様に食材の説明をして、食べて頂き、元気になっていく姿を
見るのが喜びです。

食を通しての、健康な人作り・町作りのパイプとなるお店にする事が夢です。
お客様の喜ぶ顔を思い浮かべながら作っています。



住 所:七尾市相生町27‐1

お電話:090-2127-4826


第30回 「輝け!郷土の星」相撲の谷口 愛さん(中島小5年)


第20回全日本小学生女子相撲大会で優勝

小さい時から口数が少なく、おとなしい性格の愛さんですが、体が大きかったこともあり小4の時、お父さんの薦めで七尾青年会議所主催のわんぱく相撲に出場しました。小丸山城址公園の愛宕山相撲場で162cm、75㎏の愛さんは男女混合の試合で4位となり、男子に勝てる楽しさと、優勝できなかった悔しさを経験します。

七尾能登島相撲クラブの新崎監督はそんな愛さんの素質を見抜きクラブへ誘ってくれました。監督の指導のもと四股、すり足、ぶつかり稽古と相撲の基本を忠実に稽古するとメキメキと力が付き、5年生のわんぱく相撲七尾大会、県大会と見事優勝。この時愛さんは嬉しくて土俵下で泣いてしまいました。

男子は国技館でのわんぱく相撲全国大会に進むのですが、女子は8月の全日本女子相撲郡上大会に出場することになります。勢いに乗る愛さんは、この大会でも優勝し、さらに10月の大阪で開催された全日本小学生女子相撲大会5年生の部でも優勝しました。

女子相撲

大相撲は男だけの世界ですが、女相撲は江戸時代から行なわれており全国各地に伝統行事として数多く残っています。またヨーロッパなども女子相撲が盛んで世界大会も行なわれています。

一昨年モンゴルで開催された世界ジュニア女子相撲選手権では金沢学院高校の山下紗莉奈さんが優勝しましたが、彼女も小学生の頃は宝達志水町から七尾能登島相撲クラブへ出稽古に来ていました。また大相撲で活躍の輝関はお姉さんが女子相撲をやっていたことがキッカケで相撲を始めています。



団体・個人男女・完全優勝!


恵まれた環境


身近に女子相撲の先輩が多くいることも愛さんにとって恵まれていました。全国大会の会場では石川県の中学や高校の女子相撲の先輩が愛さんを可愛がってくれ、試合前の調整をしたり、土俵に送り出したりと面倒を見てくれます。県内の大会ではその運営や審判員には顔見知りの地元の大人達がいることで、雰囲気に飲まれることなく安心して臨む事が出来ます。


お父さんはそんな環境も相撲王国としての層の厚みであり、伝統を繋いできた関係者のお陰であり、愛は本当に恵まれていると言います。新崎監督は愛さんに期待をしながらも、あくまでも本人の自覚を促しながら指導を試みているようです。

今年全国2連覇を目指しますが、ライバルは愛さんを研究して挑んできます。愛さんは恵まれた身体能力でスピードとパワーに勝りますが、全国大会では小さい時から柔道やレスリングをやっている選手がほとんどで、まわしを取られると苦戦が予想されます。この冬減量を指示した新崎監督の胸の内には二連覇に向けての思いがあるようです。

全国大会決勝戦、「勝って帰るぞ」と監督の小声、「うん」と頷き土俵に向う愛さん。 絶対的な信頼感が結果を引き出すのである。二人だけに通じる気脈がある。



七尾能登島相撲クラブ


はい!社長です-寺坂接骨院-


寺坂接骨院  寺坂 行一 (てらさか こういち)さん 57才 A型


1歳の時に大阪から母の実家である和倉温泉に移り住みました。

能登七尾の風土の中で育てられ「能登はやさしや土までも」の優しさと、「相撲王国七尾」で相撲道を通して勝利への厳しさを学びました。

柔道整復師の道を目指し東京に出て資格と技術を習得し、再び七尾へ戻り開業、今年30周年を迎えます。 今後も育てて頂いた七尾に報恩感謝の思いでこれからも精進して参ります。


住 所:七尾市魚町ル107
お電話:0767-53-7788


七尾中学校 男子バレー部


13名の部員が田村コーチ指導のもと、高い意識、考えるバレー、を心がけ練習に
励んでいます。 目標は県体優勝、全中出場です ! 課題を一つ一つクリアして目標
を実現し、伝統を復活させたいと思います。 また部員は学習面、生活面も大切にし
ています。 キャプテンとして何をしなければならないか常に考えて、チームを盛り
上げたいと思っています。

顧 問:西 賢治先生
コーチ:多村 行利先生
キャプテン:野田 拓海さん


第134回 七尾市女郎浜通り


町名の由来

府中町には5つの町会があるんだ。府中とは古代国府に由来した名称で、
国分町から古府・本府中・山王からここら辺りまで府中だったらしいよ。

前田利家が城下町を作る時に、府中の海岸地帯を割いて
城下町の府中町としたことから、府中村と府中町が分かれたんだね。
女郎浜通と記載された江戸時代の絵図があるよ。
女郎浜というから遊女が暮らしていたと思う人もいるようだけど、
そういう話しは何処にも伝わっていないんだ。それと気多本宮縁起の中で府中の浦、
上古、穢土鼻、女郎浜より毎年2月酉日に女子1人を御供に備え、
神秘の祭礼を行なっていたと書かれているけど、ここでの女子が由来に関係しているやもしれんしね。

最近は市役所からの通知が、女が良いの女良浜となって届くよ。
女郎という言葉のイメージが好ましくないと計らっているのだろうけど、
こうして歴史が上書きされて、だんだん本当の所が分からなくなるんだろうね。

昔の在所

畠山時代から海上交通の玄関口で、前田時代には経済、文化の中心地として栄えたんだ。
1862年にイギリスの軍艦が3隻も港に入って来て町中大騒ぎになったらしいよ。

府中といえば印鑰神社だけど、実は江戸時代に187年間は女郎浜通の東端、
ちょうど私の家の辺りにあって、そこから現在の場所に遷座したと
山王神社の大森宮司から聞いているんだ。波止場を中心に経済が活性化しいろんな職業が集積して、
七尾を代表する旦那衆も沢山いたと聞いているよ。

子どもの頃の女郎浜は通りのほとんどがお店でね。荒物、左官、建具、飴屋、和傘、
糸屋、仕立屋、畳屋、小間物、銭湯もあったよ。
それとここは能登島の縁者が多いのも特徴なんだ。

これから

子どもの声は聞こえないし、高齢化は進むし、班が成り立たなくなってきたよ。
同じ悩みを持つ他の町会と話し合わないと町会運営も難しい現実があるよ。

でか山と奉燈祭、それと青壮年会が催すお盆のバーベキュー大会には、
帰省した人も参加するのでそこで町の絆を確認できることが
唯一の救いだと思っているんだ。私は転勤族で全国を回って来たから強く感じるけど、
歴史、文化、自然とこんなに恵まれた場所は他に無いよ。
故郷をなんとしても守っていかんとね。

かよの一言

府中の浜に、人が行き交い、街が出来た。
今に続く、女郎浜の通り


輪島大士(ひろし)顕彰碑


第54代の横綱で石崎町出身です。初土俵から3年半で横綱になり、
蔵前の星、黄金の左、と称され14回の優勝。
横綱北の湖と共に一時代を築き、引退後はプロレスラーに転身し、
タレントとしても活躍。
 碑は能登香島中学の後に建立されています。