人生、なんとかなるさぁ!
私の仕事は「生活支援員」です
山科ゆかり(やましなゆかり)さん52歳
仕事歴 1年半
生活支援員の仕事とは
私の場合は
怪我や病気で身体に障害を負った人が社会生活に復帰できるよう
作業療法士(OT)、理学療法士(PT)と共に
機能回復の支援を行っています。
リハビリの難しさ
立てば膝が折れ倒れ込む、このままでは車椅子の生活になるかもしれない。
そんな人が、3月12日の万葉マラソン5kmウォークにエントリーし驚きました。
特別な訓練をしたわけではありません。
補助道具としてシルバーカーを提案したのです。
それで頑張ろうと思ってくれたのですね。
体が不自由になると心も気弱になります。
本人の状態や家族の状況など様々ですが、
利用者の方に寄り添い、家族が出来ないような支援をします。
リハビリは障害があっても基本的には自分で動けるし喋れる人です。
してあげなければと思う気持ちと、
自立をしてもらうというバランスが難しいです。
提案しても出来ん、出来ん、無理!無理!と言う人もいれば、
余計な話しはしたくないと心を閉ざす人もいます。
言葉一つで関係性が悪くなったり、また回復したりします。
私は通所の8人を受持ちながら、全体で割振られたプログラムも担当します。
1時間単位の訓練が9時半か午後3時まで続き、
その後は送迎、4時からデスクワークです。
信頼関係を築くためコミニケーションはとても大切です。
時間に追われる毎日ですが、
受持つ8人とはお昼時間や送迎時を利用して出来るだけいろんな会話をします。
きっかけ
高校を卒業してから8番目の仕事です。
結婚、自営の廃業、不景気での解雇など、転職を繰り返しました。
8年前、
ハローワークでオムツの配送の求人があり、
家で2トン車の経験があったのでドライバーならと応募しました。
恵寿総合病院の関連施設、田鶴浜のワークセンターです。
ところが職業指導員をする事になり2年間、
更に袖ヶ江の障害者生活支援センターに移り4年間と福祉の仕事に携わりました。
実務5年で介護福祉士が受験できる制度が無くなる最後のチャンスだと勧められ
大原学園金沢校の国家試験対策講座へ毎週日曜日通い昨年試験に合格しました。
青山彩光苑では介護福祉士としてではなく、
生活支援員としてリハビリテーションセンターに配属され1年半が経ちました。
家族の介護
介護をと思った訳ではなく、
配送の運転手と思って応募したら自然とこうなっていったんです(笑)。
これは偶然ではなく必然なのでしょうか。
嫁いでから波乱万丈いろいろあり家族全員で働きました。
子育ては奥ばあちゃんが面倒みてくれ、
義理の父は私が仕事から帰るのを待ち一緒に晩酌を楽しみました。
そんな二人が相次いで倒れ、
病院や自宅での看病や介護ためパートに転職したのですが、
自分の時間が束縛される中で、
気持ちがあっても十分に寄り添ったケアが出来ているのか、
理想と現実の狭間で苦悩しました。
当時入院先で見様見真似で介助していると、
看護師さんから
「あら上手ですね、介護士さんですか」
と声を掛けられました(笑)。
今は二人とも施設にお世話になっていますが、
家族のそんな姿を見て来た息子は
国際医療福祉専門学校七尾校に進み
現在は救急救命士です。
私も好むと好まざるとに関わらず、
何かに導かれているのかもしれません。
何があっても全力を尽くす突破力が私の取り柄です。
公私共に、
まぁー、なんとかなるさぁ!
と頑張っているところです(笑)
青山彩光苑 リハビリテーションセンター ☎57‐3309
2017取材