こみみかわら版バックナンバー

ケーキ&カフェ Grern One

楠 雅美 (くすのき まさみ)さん

38才 B型

和倉温泉駅の横で、「ケーキ&カフェ Green One」を始め、地域のお客様に沢山きて頂き、もう三年目になります。

カフェスペースもあるので、気軽に遊びにきてください!ケーキとコーヒーで一息ついて、「よし!明日も頑張ろう!」と思って頂けたら嬉しいです。

ケーキも一つ一つ、正直、誠実に作っています。お客様にとって、温もりの場所の一つとなれればと思って頑張っています!



住 所:七尾市石崎町レ部31‐1

お電話:0767-62-1502


はい!社長です-株式会社 カワテン (テントとオリジナルTシャツの製作)


株式会社 カワテン (テントとオリジナルTシャツの製作)
井田 幸長(いだ ゆきなが)さん 44才 O型


社名のカワテンは、所在地の河崎とテントを組み合わせて、前社長である父が名付けました。当社は運動会で使う白いテントを専門に縫製しています。

私は東京のテント卸会社で18年間修業し、6年前に父とバトンタッチしました。千葉出身の嫁さんも、能登を気に入ってくれ、祭りや地域行事でみんなの心が一つになれればと、起業していたチームTシャツの製造販売を会社の一部門としました。

夫唱婦随で頑張っているところです(笑)


住 所:七尾市中島町河崎チ部29番地
お電話:0767-66-0701


第108回 七尾市一本杉町


在所名の由来


二説あってね、一つは小丸山公園の愛宕山に本宮神社があった時代、
そこに大きな一本の杉が立っていたそうだよ。
港に入った船はそれを目印として船着場に着いたそうで、
その一本の杉の袂の通りだったことから一本杉通りと呼ばれていったという説と、
北前船の全盛期、七尾はその寄港地として賑わって豪商の邸宅や遊郭なども立ち並んでいたんだ。
主に七尾からの積荷は、筵や米、日本酒などでね。
当時造り酒屋も二十軒以上あって、新酒の頃には青々とした杉玉が軒先に吊るされ、
杉の酒樽が積まれていたんだ。一本の通りに杉玉と杉樽が並ぶ、それで一本杉という説もあるんだよ。


一本杉通り


小丸山城下の街道で商店の街として発展し、
江戸時代後期には光徳寺が移転して来て門前町としても賑わっていくんだね。

文化の日に一本杉に露店が並ぶのは光徳寺の報恩講の大市なんだよ。
昭和42年に小丸山公園下にバイパスが出来るまでは軒先ギリギリにバスも通っていて、
本当に賑やかな通りだったんだよ。
昭和43年にいとはん、49年にユニーが出店してから人の流れが大きく変わってしまったんだね。


花嫁のれん


一時の勢いを失ったけど町会も振興会も復活を願う気運が高まってね。
まず歴史的建造物が多い事に着目して、平成16年に能登で初めて国の登録有形文化財の申請をし、
勝本邸、お茶の北島屋、万年筆の旧上野啓文堂、鳥居醤油店、高澤ろうそく店が登録されたんだ。

450mの通りに5軒、それも使用されている。こんな所はないんだよ。
次に立ち上がったのが町内の女将さんグループでね、花嫁のれん展を提案してくれたんだ。
初回から想像を超えて人が来たのでビックリしたよ。これで町内も活気づいたんだね。

翌年から花嫁道中を行い、だんだん評判になって全国から視察や観光客が訪れるようになったんだ。
それでお店には語り部処の看板を掲げ、訪れた人が気軽にお店に入って
一本杉や花嫁のれんの事を聞けるようにしたんだね。
昨年花嫁のれん館が完成し沢山の人が訪れているけど、多くの人が尽力してくれたお陰だね。


まぁの一言


母が持たせてくれた一枚の暖簾。
それぞれの人生が宿っている。


七尾能登島相撲クラブ


能登島相撲教室が前身で23年の歴史があり、石川県でも伝統あるクラブです。大相撲の遠藤や輝も小学生の頃、稽古に来ていました。七尾市内の各小学校から集まって毎週、水と金の18時~20時まで稽古をしています。小1から中1まで13名、内4名は女の子です。体が大きくなくても大丈夫。一度、見学に来て下さい。


七尾城跡


能登国の守護・畠山氏によって戦国時代に築かれ、全国でも屈指の規模を誇る山城。

本丸へは道が整備されており、立派な石垣が現存し、往時が偲ばれます。

地形を利用した堅牢な城で、名将上杉謙信でも攻めあぐねたと言われます。


七尾消防署灘浦分遣所

角口 和伸 (かどぐち かずのぶ)さん

24才 B型

東日本大震災が発生した時、私は消防士として働き始める少し前でした。被災地で活動する消防隊員の方々を食い入るように見ていたのを覚えています。

現在、救急車や消防車を運転する役割を担っています。緊急走行に関する知識や経験談を先輩方から教えて頂き、日々勉強ですが、とても充実した日々を送っています。

住民の皆様に安心していただけるよう頑張っていきたいと思います!



住 所:七尾市庵町井部11番3

お電話:0767-59-1190


はい!社長です-株式会社ダンボール・ワン


株式会社ダンボール・ワン ダンボールの製造・ネット販売
辻 俊宏(つじ としひろ)さん 34才 O型


「普通のダンボールでもネットで売れる。どう売るかが重要!」

11年前にネット通販事業をたちあげ、初年度の売上は7000円。周囲からも白い目で見られ、苦悩の日々でした。それから社員と アイディアを出し合い、自動見積システムや即日出荷サービスなど”売り方”で差別化していきました。

現在ではお客様が10万社にまで増え、2年前から台湾に進出するまでに成長しました。ここまで成長できたのも社員のおかげです。今後は能登から世界一を目指します。


住 所:七尾市下町丁32の1番地
お電話:0767-57-3002


第76回私の仕事は「映像クリエーター」です


不連続の連続を撮影


私の仕事は「映像クリエーター」です
粟津 賢栄(あわずさかえ)さん 40歳
仕事歴 14年


映像クリエーターの仕事とは


自然や風土、人の営みなど、その時代の証を、
映像として記録し、後世に伝え置く仕事です。


俺に出来るだろうか


先代の社長のアシスタントとして、和倉温泉の旅館で結婚式の撮影が始まる。

指示に従い三脚を立て、ケーブルを捌く。初めての撮影現場だ。
先代の後ろを追いかけるが、動きが読めない。走る、止まる、回る、あっという間に終わった。
  
「俺に出来るだろうか」未知の仕事であった。
 
翌日、事務所では先代がリニア編集のダイヤルを回す。映像をカットしたり、
繋いだりの作業だ。これはセンスがいる。
 
「俺に出来るだろうか」粟津賢栄、時に26歳。
右手でカメラを向けハンドルを握りながら、同時に小さなレバーでズームとアップを操作する。
 
左手でピントを合わせ、明るさを絞る。被写体の動きは一瞬、不連続の連続だ。
気が抜けない。神経を集中させる。今その技術と心構えを後進に伝えている。


運命の出会い


大学を卒業し東京の不動産会社で営業を始める。

人好きではあるが、朝から夜まで仕事に明け暮れる日々が3年間続き、
違う生き方をして見たいと田舎に返ることを決めた。
「あぁー、やっぱり故郷はいいなぁー!」しかし仕事のあてがない。

父の友人が田舎では珍しいビデオ撮影の仕事をしていた。後に義理の父となる粟津信一氏だ。
話を聞くと機場を廃業し新たにチャレンジした仕事だという。
「やってみたいなら一緒にどうだ」と言われ社長との二人三脚が始まる。
「俺に出来るのだろうか」との思いが、自分でカメラをさわり、編集を手がけるようになると、
どう見せるか、自分なりのこだわりが出てくるようになる。

「こんなことなんやぁ、おもしろいなぁー」と、のめり込んで行った。
そんな頃、時々事務所に出入りしては写真の編集をする一人の保育士が現れた。
先代の娘、現在の妻である。子どもが3人、
先代から会社を託され、故郷に帰り仕事と家庭を手に入れたのである。



能登で唯一


業25年が経ち、カメラも編集機器も進化した。
ドローンの操作も習得し空撮も行う。しかし現場での緊張感は変らない。
いや益々身が引締まる日々だ。今更ながらこの仕事の奥深さが身に沁みる。
 
対象が人であれ自然であれ、その一瞬は二度とない。
ビデオを見る人に、リアリティーとさらに感動を与えなければプロと言えないと自分を追い詰める。
 
普段は話好きで笑顔が耐えない賢栄だが、カメラを担ぐ眼差しは真剣だ。
テレビや映画も見ていてもストーリーよりも撮影テクニックやテロップの出し方を注視し、
飲食店に入ればメニューより先に店内の撮影アングルを考えてしまう。
 
走行中の道路でも、これを撮影するならアップから引きか、引きからアップかと自問する。
現場に到着するまでにストーリをイメージし撮影シナリオを完成させ臨む。
撮影、編集、原稿、ナレーション、ジャケットのデザイン、
全工程を通じお客様を最適化した映像を創り込む。結婚式、発表会、観光ビデオ、テレビCMの他、
最近は中能登町、志賀町、輪島市、宝達志水町のケーブルテレビの撮影で能登各地を飛び回り、
見える世界が実像なのか、映像なのか、時にこんがらがると笑う。
能登で唯一の映像クリエイターである。


田鶴浜町 ㈱エヌ・エー・ビデオプロダクション ☎68‐3195
2017年取材



空飛ぶカメラマン


ほまれの石像


能登の銘酒「ほまれ」。蔵本は、御祖(おみや)酒造です。

冬は日本酒が美味しくなる季節ですね♪

碁石ケ峰ヘ上がる、県道鹿西・氷見線沿いに立つ大きな一升瓶と石の顔。その真剣な表情は、まるで利き酒しているのかな?と思ってしましました(笑)


第107回 中能登町春木


町名の由来


平安時代、春枝王(はるえおう)又は(はるきおう)とも呼ばれる皇族が
能登国の19代国司として中央政府より派遣され、
この在所に館をおいて住んでいたんだよ。
その名前から春木になったという言い伝えがあるんだ。
この春枝王によって七尾に能登国分寺が出来たんだ。


春木の歴史


原始時代から中世までの遺跡が9ヶ所あり、昔からずーっと人が住んでいたんだね。
昭和30年に田んぼの中から珠洲焼きの甕(かめ)が大量に見つかって、
千年前の中国、宗の時代の古銭が6万枚も入っていたんだ。

在所にはため池が9個あり、田んぼの水を賄っているけど豊富な水は春木の悲願だったんだ。
江戸時代、八郎兵衛と三郎右エ門の二人の肝煎り(世話役)が
渓谷の山水を集めて池に入れるための隧道を掘ったんだ。
一番大きな新池はその時に作られた池で今でも枯れる事がないんだよ。
隧道は明治、大正、昭和と何度も崩落と修復を繰り返して来たんだ。
総延長1.8kmもあるそうだよ。子供の頃その隧道の中に入って遊んだこともあったけど、
江戸時代に燈明を灯し手で掘っていったと思うと、先人の苦労を忘れちゃいけないね。
産業は織物と瓦が盛んだったんだ。

明治から大正にかけて絹や麻を織り、昭和には合成繊維で東北からの
集団就職も受け入れ賑やかだったけど今は2軒だけだよ。
瓦も原料のしめ粘土が近くの山から採掘され大正から
昭和にかけて繁盛し瓦工場も7ヶ所あったんだ。
それと肥田電気の本社もあって何かと力添え頂いているよ。

昭和20年に軍需工場の強制疎開で大阪から来て根を下ろしたんだ。
今、在所では定年後の人たちで春木保存の会、里山を守る会を立ち上げて
県道や河川の草取や山の手入れをしたり、圃場整備した田んぼを守るため農業法人も立ち上げたんだ。
春と秋の祭りには、どちらか晴れた日に獅子舞を出す事にしてるんだよ。(笑)

「春木区」として地縁団体の登記をし、自治会規約も作ってあるけど、
高齢化が進む中、将来に向けてもうひとつ考えていかんとならん時代になってきたね。


まぁの一言


連綿と続く人の営み、悠久の歴史を感じる在所。
時代を生き抜く力強さ。人間ってすごい。


男子バレーボール部 七尾東部中学校


毎日競技力向上目指して頑張っています。今は自分達の課題を克服するように、日々の練習に取り組んでいます。少数精鋭で、練習中は学年の隔たりなく仲良く、試合になれば2年がチームを引っ張ってくれ、頼もしく感じると共に、全員の心身の成長を感じます。


高階地区 コミュニティーセンター

山岸 ひろみ (やまぎし)さん

52才 A型

昨年4月から公民館がコミュニティーセンター化し、スタート しました。生涯学習、地域づくり事業等地域の活性化に微力を注いでいます。

1月8日に新成人祝賀会を終え、2月の男性の料理教室やボウリング大会に向けて各部の皆さんと企画段階です。

これからも、菜の花プロジェクト事業や太鼓等のボランティア活動に参加しながら、地域で働ける事に感謝し、各事業をお手伝いしたいと思います。



住 所:七尾市町屋町に24

お電話:0767-57-3239


はい!社長です-家具工房 まるおか


家具工房 まるおか 丸岡 勝彦 (まるおか かつひこ)さん 44才 A型


氷見出身で工芸高校、短大を経て家具の業界に入りました。

今まで作成した家具は1000を超え、全てオーダーメイドです。
どれひとつとして同じ作品はなく、施主と一緒に作り上げます。その過程で、家具に求める機能性や良いこと、悪いことも含めて話し合い、空間に合ったものを提供していきます。

テレビボードひとつでも、ソファからの目線の位置やキッチンから見た時など色々なシーンがありますので、ベストを追及し、カタチに仕上げます。部屋に収まった時、ご家族みんなの笑顔がとても嬉しいんです。


住 所:七尾市万行町5部6の1
お電話:0767-57-5011


第106回 七尾市麻生町


在所名の由来


読んで字のごとく、昔は麻が良く生えていた場所だったそうだよ。
それで麻生となったと聞いているよ。


昔の在所


七尾城と灘浦を結ぶ中間地点で標高も298mあり、
見張りをするのに重要な場所だったことから人が住むようになったんだね。
佐々波で獲れたブリをお城に運ぶ道が通り、その中継地になっていくんだ。
在所で一番古い家が因幡さんで先祖は畠山の足軽だったそうだよ。
この辺の山間の在所はほとんど戦国時代の上杉や前田の家来か、
石動山から来た人たちがルーツのようだね。
こんな山の中だけど八幡川が流れ粘土質の田んぼが30丁部もあって生活の基盤はあったんだね。
ここの米は水もきれいでほんと美味いよ。

戦後は石炭の一種、亜炭の採掘が行われていたけど徳政組はここからスタートしているんだ。
世帯数は明治時代が13世帯で10年前までも
12世帯だったけど、人口がどんどん減ってしまってね。
明治で100人、私が子供の頃でも60人はいたんだ。
そんな時代は若い女の人は冬になると和歌山県へミカンもぎに行っていたよ。


現在の在所


平成10年に麻生山菜加工組合を作って、
山菜の漬物や炊込みご飯などを和倉の朝市や食祭市場、道の駅などで販売しているんだ。
主力商品は大根、かたは、きゅうりの糠漬で、
1年寝かせたずいきも珍しかったのか良く売れたよ。
かきもちは大寒に入ってから作るんだ。
過疎化していく在所の中に働ける場所があるということは有難い事だよ。
みんなが結束していけるからね。
ここは小さい在所ゆえにみんなで助け合ってやってきたんだ。

全世帯が黒崎の長正寺門徒だし、私の家も昔は大家族主義で
分家を出さず同じ家で暮らしていたと言うし、本当に団結力の強い在所だよ。
若い人は街へ出て暮らしているけど、祭りやお寺の行事、在所事には集まってもらうんだ。
今のところ獅子舞も出しているけど、次の世代になったときが心配だね。

在所の上を能越道が通って車の音が聞こえるようになったけど、
どうやって在所を存続させるか、若い人が定住できるのか、考えていかなならんね。


まぁの一言


道沿いに吊るした大根と炭焼小屋。
小径に黄色い落葉、郷愁を覚える。


焼肉 武蔵

東度 洋平 (とうど ようへい)さん

33才 O型

平成28年6月に旧ドライブインすぎもとを、焼肉武蔵としてオープンしました。私は焼肉を食べるのが大好きで、この喜びを皆さんにも味わってほしい!と始めました。オープンにあたり、多くの人に指南していただき、本当に感謝しております。

お店の看板商品は”武蔵カルビ”です。私が美味しい!と厳選したお肉をお求めやすいお値段で提供しています。念願だった焼肉店の開店から、妻と二人の娘にも恵まれ、私は幸せです。これからも、お客様に喜んでもらえるように精進して参ります。



住 所:七尾市大田新町ハ部9番地

お電話:0767-53-3722


藤瀬の霊水


病の治る水として知られており、遠方からも多くの人が中島町藤瀬にあるこの霊水を汲みに来ています。

近くには地元野菜の直売店があり、ポリタンクやペットボトルも購入することもできます。

近くに流れる川、緑も美しくとっても癒される場所です♪


第75回 私の仕事は「食育ヒーロー」です

健康は最大の幸福なり



私の仕事は「食育ヒーロー」です
スギヨ仮面さん 44歳
仕事歴 6年

スギヨ仮面の仕事とは

私は、良い子たちが、悪の一員イヤヨヤダーのスキキライビームを浴びて、魚や野菜が嫌いになった子ども達を助けるため、保育園、幼稚園、小学校を回り、食事の大切さを教えています。

子ども達が危ない

緊急指令が入る。七尾マリンパークで遊んでいた子ども達がイヤヨヤダーの
スキキライビームを浴びたのだ。すぐに現場に向うと少年が倒れている。
早く助けなければ。
しかしイヤヨヤダーが立ちはだかり邪魔をする。
よし瞬間移動でこの場から脱出だ。
なんとか逃れたが、少年は魚や野菜が嫌いになってしまっていた。
今、石川県全域にこんな被害にあう子ども達が急増している。
なんとかしなければ!

食 育

近年、生活様式の多様化に伴い、食事の取り方が昔と比べ随分と変ってしまっている。
飽食や孤食、栄養のバランスなど、子ども達に与えている影響は大きい。
子どもの躾の基本は食事を正しくすることから始まると言って過言ではない。
正しい食事をすることで、健康な肉体が出来、健康な肉体があって勉強も体育も頑張れる。
心身共に健全になってこそ大人になって活躍できるのだ。
だから子どもの時から食事についてしっかりと学び習慣化しておくことが大事なのだ。
そのような理由で今、
食育の必要性が叫ばれている。
そこで、明治時代から七尾でちくわを製造してきたスギヨが食品メーカーとしての使命として
6年前から食育の啓蒙活動を始めたのだ。
おかげで私の出番が増えたということだよ。

スギヨ仮面の旅

私は食べ物の好き嫌いを無くすため食育の旅を続けている。
石川県はもとより指令が入れば全国各地へ飛んでいく。

保育園や幼稚園、小学校では紙芝居、クイズ、DVDなどで楽しく遊びながら、

食べ物を大切にすること、一緒に食事をしている人に嫌な思いをさせないこと、
野菜を育てくれた人、魚を獲ってくれた人、食事を作ってくれた人がいることを忘れずに感謝すること、
好き嫌いをするとどんな影響がでるかということ、

お菓子ばかり食べていると体にも頭にも力が入らないことなどを教えている。
訪問した幼稚園で翌日、給食の食べ残しが無かったと先生から報告を受けた時は本当に嬉しかったぞ。

先日そんな活動を知った「茶神888」(さじん はちじゅうはちや)が来てくれた。
彼もまた食育活動をしている静岡県のヒーローなのだ。

私も石川県代表のヒーローとしてまだまだ頑張るので、食育に関心のある地元の関係者の皆さん!いつでも声をかけて下さい!!



宿敵イヤヨヤダー

日本では年間2000万トンもの食物が捨てられている。
食糧難で苦しんでいる国がある。

日本が豊かになり過ぎたお陰で自然発生したのがイヤヨヤダーだ。
世の中の子どもを好き嫌いのある子にするためここ七尾にも現れる。

私はイヤヨヤダーから子ども守るため必死に頑張っているのだが、
どういうわけか女子高生にはイヤヨヤダーが可愛いと人気があるのだ。
私が行くのは小学校までだが、
どれだけ可愛くても食べ物の好き嫌いはしちゃダメだぞ!女子高生諸君!



はい!社長です-久保電工


久保電工 久保 聡 (くぼ さとし)さん 46才 A型


24歳から電気工事の業界に入りました。それから38歳の時に、独立して今年で創業8年を迎えます。

私の作業は他工程の間に入ることが多いので、前後工程の業者の皆さんとの連携を密にとり、関係性をもち、お互いにスムーズに進めていけるよう気をつけています。その中でも特に挨拶を徹底しています。

創業時、身の回りで色々な事が起こりました。そんな時、いつも私を支えてくれた妻の"ひろみ"には感謝の気持ちでいっぱいです。二人の子どもにも恵まれて、家族そのものが私の支えです。


住 所:七尾市下町戌部14の52番地
お電話:0767-57-8015