こみみかわら版バックナンバー

姥浦建設株式会社

畑中 誠 (はたなか まこと)さん

30才 O型

羽咋工業から名古屋の専門学校へ、卒業して七尾へ戻りこの世界へ飛び込みました。
26歳の時、一級施工管理技士、さらには嫁さんも取得できました。(笑)

はじめの頃、現場で夏の暑さや、冬の寒さに大変な仕事だと思いましたが、今は人の役に立つものが形となり残っていくことが喜びです。そうは言っても、上司、役所、地元の間に挟まれ辛いこともあります。(笑)
それも一流の現場監督への登竜門だと思い頑張ります。



住 所:七尾市本府中町ヲ部6番地

お電話:0767-53-5962


第105回 田鶴浜白浜町


町名の由来


在所の海岸に黒岩と書いて「くるわ」と呼んでいる船着場があるんだ。
そこへ行くと黒くて大きな溶岩みたいな岩があるけど、
在所の神社の鳥居の前にも同じ大きい黒い岩があるんだ。
その間の距離が約500mあってね、実は地中でこの岩がずーと
直線でつながっていると伝わっているよ。
これが何を意味するかというと、在所の氏神、
白比古の神は石船に乗って黒岩に来臨し神社に入ったんだけど、
その石船が通った跡ともその石船だとも言われているんだ。
白比古の白、黒岩の浜、古文書や在所に伝わる話からすると、
どうもそんな神社の縁起が白浜の由来のようだよ。


昔の在所


特産として江戸時代にはみかんの生産が盛んだったんだ。
みかん祭りまでしていたというからね。
みかんと言っても青い密柑で、越中の修験者が持参したものを栽培したのが始まりで、
杉森町で作った竹籠に入れて金沢へ運んだり、
越中富山の薬の材料として白浜の港から小船で運んでいたと聞いているよ。

それと明治時代に大津潟を埋めて干拓事業を行っているんだ。
湾岸道路の 明治橋もその名の通りその時に架けられたんだね。


現在の在所


能登三十三観音霊場の二十二番札所、
白浜牛ヶ鼻観音堂に祀られている十一面観世音菩薩は、
三十三年に一回の御開帳で今年がちょうどその年だったんだ。
在所で奉賛会を立ち上げて厳かの中にも盛大に執り行うことが出来てホッとしたよ。
長谷部信連の子孫がここに祀ったのが始まりなんだ。
だから穴水の長谷部神社と同じ銭九曜の神紋だよ。

秋祭りは中島の熊甲祭と同じ枠旗祭なんだ。
田鶴浜では大津、深見、白浜が枠旗を出してるよ。
昔は白浜だけで、三本の枠旗を出したけど、
今は少子高齢化で一本だけど、隣の深見と合同で祭りを行って伝統を守っているんだ。 
ほ場整備に合わせて農業法人を立上げ準備中だよ。
先祖からの農地を荒らさないで繋いでいかんとね。

これから、どんな時代になるかわからんけど、足元に眠っている宝物を見つけて、
出来る事を一つ一つ、全力投球でやっていかんとね。


まぁの一言


岩船と十一面観世音菩薩。
伝説と歴史の在所。


小田中親王塚古墳


中能登町小田中に佇む親王塚古墳。崇神天皇の皇子、大入杵命の陵墓とされ、4世紀頃に造られたとされています。

塚には木が生い茂り、周囲には鯉が泳ぐ堀があります。

民家が並ぶ町中に、神聖な雰囲気を感じる場所があり驚きました♪


はい!社長です-尾崎設備


尾崎設備 尾崎 壽和 (おざき としかず)さん 40才 B型

高校卒業後、今の仕事に就き15年が経ちました。
当時、社長から直接指導を受け、仕事を任せられるようになってからは
「頑張ってこい!」のひと言でした。

今は独立して7年です。お客様を作る事の難しさと代表者としての責任を痛感しています。
お客様にイイ仕事をすること、笑顔を絶やさず接することを心がけ、
気持ちよく過ごしていただけることを意識しています。

何も分からない私を厳しく指導してくれた社長のおかげで今があると思い、
これからも精進して参ります。

住 所:七尾市天神川原町ル部7番地
お電話:0767-57-3611


絵手紙サークル 花*花


春の初め、夏の盛り、冬の最中など、季節折々の身近な花やモノを描けるのが、楽しみの一つです。気心の知れた仲間とそんな時間を共有できるのも良いです♪文化祭や文化協会の催物で展示や、能登島地区の65歳以上の一人暮らしの高齢者にお誕生日カードや年賀状を送る活動をしています。


第104回 中能登町久江


町名の由来


在所の山には三筋の谷があり、昔からよく地すべりが発生していてね、
崩れる山、くえる山、が転じて 「くえ」になったという説と、
もう一つは氏神様の 名前からだよ。
在所の久氐(くえ)比古神社の久延毘古神(くえびこのかみ)は古事記に出てくる神でね、
国造りをした大国主命に知恵を授けた物知りの案山子(かかし)が実は足が悪い学問の神でね、
それが久江の守り神なんだ。
この神様を主祭神としているのは日本中でここだけだよ。


昔の在所


この在所は山100丁部、農地100丁部と言われ、農林業と織物が盛んでね。
旧久江小学校の玄関は区の山の木を使ったんだ。
山には明神滝、桃ヶ滝、火乃谷滝と久江の三名滝があり、
豊富な水のお陰で田一坪から1升3合の米が採れて通常の3割増しだよ。
江戸時代には能登上布が織られ、明治に絹織物、昭和10年から合成繊維に変って
昭和60年頃には機場は40軒あったね。  

昔は百瀬川の桜が近郷唯一の名所で、
七尾や羽咋から薪が燃料のバスに乗って沢山の人が花見に来たんだ。
桃瀬川の改修工事で桜を切ってしまい、川の名前も久江川と変わったんだ。
道閑(どうかん)の話もしないとね。
加賀藩の中で鹿島半郡(はんごうり)は長連頼の所領で
ここだけ検地してなかったんだ。
検地の動きが出た時、道閑は十村(とむら)役と言って、
鹿島半群の庄屋の頭で、検地で年貢が上がると農民が
苦しむと反対したら捕らえられて磔の刑にされ、三人の息子も打首になったんだ。
「おいたわしや、とこやちの道閑様は、七十五村の身代わりに」と歌が伝わり、
在所には道閑公園を整備して偲んでいるんだよ。


現在の在所


移住者や交流人口を増やそうと農村ボランティア
を募って各地の登録者に年3回在所に来てもらい草むしりや
区民との交流を通じて久江を発信しているよ。

それと10年前から、まんぞう(万雑)の金額を自己申告制にしたんだ。
不動産、所得や年齢など考慮した算定基準を作り自分で計算してもらんだ。
そしたら収納率が80%から98%に上がったよ。
時代の変わり目だから在所の運営も色々手を打たんとね。


まぁの一言


案山子、道閑、百瀬川、
物語がいっぱい、久江の在所。


オフィス T & H 株式会社

桑原 智 (くわばら さとし)さん

42才 O型
金沢で薬の卸問屋に勤めていました。地元に帰り両親の近くに住まなくてはと思い始めたちょうどその時、保険の仕事を勧めてくれる人が現れこれは偶然ではなく必然だと直感しました。まだ駆け出しですが、仕事を通じ、人の営み、社会の仕組など奥の深さを感じます。

地域貢献が出来ればと思い消防団の東湊分団に入りました。仕事を持ち自分の時間を割いて活動する先輩の姿から、公私共に奉仕の精神がいかに大切かを学んでいます。



住 所:七尾市本府中町ヲ部6番地

お電話:0767-52-5030


ナナオニシキ


この貝の化石は、七尾市岩屋から世界で最初に発見され、「ナナオニシキ」と命名されました。

七尾市総合市民体育館の前に石碑があります。周辺には岩屋化石層があり、ウニの殻、サメの歯等が発掘されました。

地元にも古代の大発見があったんですね~!!


第74回 私の仕事は「ガラス作家」です

息を吹き込み魂を入れる



私の仕事は「ガラス作家」です
菊池 正博(きくちまさひろ)47歳
仕事歴 27年

ガラス作家の仕事とは

私の場合は、食器などの日用品の他、ガラス工芸品のデザインを描き、宙吹きという技法で息を吹き込み、完全手作りの作品を作ります。

東日本大震災

岩手県一関で工房を営んでいましたが、東日本大震災で取引先の廃業や復興の遅れなどで
経営危機に直面しました。

そんな時、能登島ガラス工房の創設者である由水常雄先生にお声をかけて頂き
能登島へ来ることになりました。

私は神奈川県出身です。
小さい頃から手先が器用で図工が得意でした。
進路を考えた時、得意なことを活かしたいと思い、当時日本で唯一のガラス専門学校、
東京ガラス工芸研究所へ進みました。
そこで2年間学び、北海道小樽の工房に弟子入りします。

親方は大変厳しく、よく怒られましたが、ガラスの光沢、繊細な輝きに強く引き込まれていきました。
小樽での3年間があったからこそ、今でもこの道を歩み続けているのだと思います。



ガラスの世界

コップからオブジェまで、ガラスは日用品にも、芸術品にも姿を変えます。
いったん竿に熱いガラスを巻き付けると、途中でやめることは出来ません。
思い描いたデザインを形にしていくため、息を吹き込み、大小様々な道具を使いながら
一心不乱に作業に集中していきます。

パーツを接続する作業は補助者の手を借りますが、
息が合わないと望んだものになりません。
理論を学び、経験を積んで、間合いと言うか、タイミングを見極める力を養います。

ガラス工芸はそんな勘所を共有するチームプレーでもあるのです。

色づけは金属を配合して酸化させます。銅はスカイブルーに、鉄は薄緑に、クロムは緑色になります。
色の濃淡は計算で出せるのですが、その酸化させたものを還元させる技法で
今度は計算できない不安定な色が出ます。
これを燿変と言い、自分の力の及ばない中、変化するガラスと作家の意志が融合して、
感じ入る色調や光沢が出たときには感動を覚えます。



能登島ガラス工房

32年前、廃校を利用して能登島ガラス工房が出来ましたが、
当時日本ではガラス工芸という概念がなく、ガラスは日用品であり
工場で大量生産をしていました。
日本で工場から工房という単位で製造が始まる先駆けとなったのがこの工房なのです。

隣に能登島ガラス美術館もあり自然環境にも恵まれているこの工房で、
作家として仕事が出来る事を大変有難く思っています。

ここではガラス職人養成の学校も併設して毎年全国から数名が入校してきます。
近年は大学にもガラス工芸の専攻科もあり、多くの若者がこの世界に入りますが
職業として残っていく人は1%くらいではないでしょうか。

ここではガラス体験も行い、直営ショップで販売もしていますが
アート、クラフト、日用品、区別することなくガラスの魅力を多くの人に知ってもらいたいと思います。

作家として思い描いたものが形になり、それがお客様に認められた時は嬉しく励みになります。
ガラスの世界も流行があり、新しい加工技術が開発されてきますので、
独りよがりにならず精進を続けなければと思います。



能登島向田町 (有) 能登島ガラス工房 ☎0767-84-1180


はい!社長です-カリヤマ・テクニカル・ラボラトリー


カリヤマ・テクニカル・ラボラトリー音響機器の設置・操作
狩山 和広 (かりやま かずひろ)さん 49才 B型


お客様に支えていただき開業12年目を迎えることができました。

御恩返しも含めて ”音” に携わる者として地域文化の向上と発展に貢献できれば、と考えています。そのために日々技術を磨き、深めるため研鑽を重ねています。

まだまだ馴染みの薄い職種ですので、後進の発掘・育成にも力を入れたいと思います。現在、多業種が集まる七尾商工会議所青年部に所属し刺激を受けながら、地域の未来のため、活動に仕事に奮闘中です。


住 所:七尾市阿良町53番地
お電話:090-3764-1761


HAIR CHIC ヘアー シーク

北野 美佐子 (きたの みさこ)さん

24才 B型

理容師の祖父母に憧れ、美容師になり気付けば6年目☆スタイリストとして、頑張っています!!
お客様をはじめ、マネージャー、スタッフ、に支えられ、ここまで来る事が出来ました★

「常に前へ前へ!!」 最高の技術を身につけられるよう、日々努力し続けて行きたいです。将来の夢は、「一瞬、一瞬を大切にし、笑顔あふれる毎日を過ごし、お客様を必ず、幸せにし、私生活も充実している美容師」になることです!!



住 所:七尾市光陽台41

お電話:0767-62-1201


第103回 七尾市半浦


町名の由来


昔は飯浦と書いて、「はんのうら」と呼んでいたそうだよ。
明治22年から現在の半浦に変わったんだ。
何で飯浦だったかというとね、本土から能登島に飯米を運んだ
浦だったからだという説と、隣在所の閨の鴫島で修業していた臥せの行者に
飯を運んだからだという説が伝わっているよ。


昔の在所


明治から昭和初期までリン鉱石の採掘を行っていたんだ。
現在の半浦港がその採掘跡でね、海底がすり鉢状になっているんだ。
港を囲む堤防は当時のままだよ。
日本はリン鉱石をほとんど輸入しているというから、珍しい鉱物が出ていたんだね。
私が子供の頃は、百姓が大多数で、刺網、蛸壺、
なまこ等の漁業、石切り場もあって、切り出した石を伝馬船で運んでいたね。
私の祖父さんも石切り場をやっていたんだけど、
田鶴浜三引の赤蔵神社の石段は半浦から運んだ石だと聞いてるよ。


現在の在所


在所の妙万寺は23代続く古いお寺でね、在所の全世帯が門徒なんだ。
それと古くからの風習で兄弟分や
烏帽子(よぼし)親子の契りを交わしている人が多い在所だね。
そんな絆があるから団結力の強い在所なんだと思うよ。

能登島の運動会や、いろんな作業ごとも含めて、
やらなければならないことは、みんな協力してやってくれるので心強いね。
在所の柴山神社は伊勢系列でね、年4回のお祭りの祈年祭、
春と秋の祭り、それと新嘗祭には五穀の5品と海の物1品、
酒二升に赤飯を神社にお供えして在所みんなでお参りをしているよ。
特に秋祭りは獅子舞のほかに馬踊りがあるよ。
かつては能登島の三つの在所で馬踊りがあったそうだけど、
今は半浦だけに残っているんだ。

能登島大橋の橋口から西湾に面した海岸線だけでも
5キロ以上あって、和倉や能登島大橋が見えて風景も良いし、
空気も良いので、佐原病院のビハーラの里や、
特別養護老人ホーの悠々ホームが建っているし、
最近は介護付き有料老人ホームも建ったね。

自然の中、のんびりとした空気は、人が暮らすには良い所だよ。(笑)


まぁの一言


対岸に和倉温泉を望み、喧騒を離れた海辺を歩く。
人と自然と人。遠き古えを想い人生を考える。


はい!社長です-有限会社 ワタナベ


有限会社 ワタナベ 渡邊 宗和 (わたなべ むねかず)さん 45才 A型


創業84年、3代目を務めて13年です。

従業員と共に創意工夫と反省を繰り返し、現在に至っています。お客様が最も目に見える部分であり、いつも真剣勝負です。目に見えない下地から仕上げを意識して取り組まないと最高の仕上がりにはなりません。

家が完成した後に、仕上がり具合の確認に行った時に、お客様から 「キレイになった! ありがとう」 との言葉を頂いた時、仕事冥利に尽きます。これからも、謙虚にして、驕らず、日々精進していきます。


住 所:七尾市田鶴浜町ハ部39‐1番地
お電話:0767-68-2055


古墳公園とりや


中能登町は古墳が多く、県全体の一割を占める約350基があります。

ここ古墳公園とりや周辺にも、約150基が集中しており、北陸最大規模の古墳群です!
園内にも古墳があり、楽しそうな遊具など、歴史にレジャーにと楽しめます☆


ミナクル70 ランニングサークル


多くの方に、ランニングを通じて仲間づくりのきっかけになればと思い、発足しました。定期的な練習会や親睦会を行う度、人との繋がりが増え、メンバーの方同士で自発的に活動の幅が広がる事が大変嬉しく思います。また地元の大会にも積極的に参加する事で、地域活性化に繋がる事を期待しています!