こみみかわら版バックナンバー

高浜虚子の句碑


和倉弁天崎公園、高浜虚子の句碑。
正岡子規に従事し、「ホトトギス」を継承した俳諧の巨星。

昭和24年能登路を巡り、詠んだ「家持の妻恋舟か春の海」は奈良時代の歌人大伴家持の歌を追憶して、和倉の海を讃えました。


第90回 能登島 祖母ヶ浦


在所名の由来


飛鳥時代、女性の天皇である持統天皇が女性の僧を各地に派遣し、
生活文化の向上を図っていたんだ。そんな尼僧の一人がこの地に来て、
点在する村人を現在の場所に集め漁業や農業を教えたんだ。
人々は尊敬し御祖母様(おんばさま)と慕って呼んだんだね。
それが祖母ヶ浦の由来なんだよ。


昔の暮らし


半農半漁の生活をしていたね。ここは七尾北湾に突き出て、
あいの風も下り風も通り抜けるので良い漁場がいくつもあるんだ。
二人で仕掛ける小規模の定置網が並び、刺し網、採介藻などで蛸やイカ、
ナマコ、サザエ、あわび、天草、もずく、エゴなんでも獲れたよ。
木の「とろ箱」に魚貝を入れて、毎日2~3箱くらいを定期船で七尾の作事町へ卸していたもんだよ。

御祖母様のことをもう少し話しておかんとね。
即身仏の行をしているんだ。地面の中に入り竹筒で空気を取り込んで
禅定の内に亡くなっていくんだ。その間、鈴を鳴らすのだけど
7日間とか10日間鳴っていたと伝わっているよ。
それを伝え聞いた比叡山天台宗の5代目座主、智證大師がこの地を訪れ祠(ほこら)を建て、
人々にお参りするよう勧め、それが在所の専正寺の始まりなんだ。
能登島で一番古いお寺で、天台宗で24代、浄土真宗に改修してから
25代という由緒あるお寺なんだよ。
寺にある御祖母様の木像は、御祖母様が自ら彫ったもので、形見として残して下さったんだよ。
在所では15年前にお墓も新しく整備し、専正寺では大晦日は御祖母様の
法要を行ってから除夜の鐘が鳴らされるんだよ。


現在の祖母ヶ浦


民宿が6軒あるけど、鰀目、長崎と一緒に岐阜県の中学生の
体験学習を受け入れているんだ。釣り、塩づくり、刺し網、
イルカウォッチング、魚のさばき方など体験するんだ。
毎年5月から6月にかけて千人以上の生徒が来てるけど、
自然豊かな環境を活かして交流人口を増やし、
地元の若い人も活躍できるような場をもっともっと創らないといけないと感じるこの頃だよ。


まぁの一言


持統天皇と御祖母様、小さな事にとらわれず、
みんなが幸せになるように尽くした女性。
大きく広い心、利他の精神、素敵ですね。


はい!社長です-有限会社 日動ファミリー


有限会社 日動ファミリー 竹田 直秀 (たけだ なおひで)さん 43才 A型


創業者の父が七尾店、私は内灘店を拠点に業務活動しています。仕事を通じ多くの方とお話しますが、業種業態が無くなるのではと思える程、時代の端境期を感じます。

私達の業界も保険会社の再編、保険業法の改正など、激しく変化していますが、働き盛りの私たちは家族、会社、地域を守る使命があると思います。

現在七尾商工会青年部で異業種の仲間と交流し、今を生きる私達、将来を担う子供達、持続可能な地域づくりを目指して本気で頑張っています(笑)


住 所:七尾市小丸山台3‐9
お電話:0767-54-0978


-Rock’n Roll Band- MH (Monday High Daily)


学生時代にバンドをやっていた者たちが、いい歳になって社会人として再会し、「なんかまたやりたいねー」というノリでやってます。結成して1年ほどですが、老体にムチを打って頑張っていきます!5月15日(日)道の駅 織姫の里なかのとにて開催の音楽フェスに参加します。来てね~♪こみみフェイスブックに練習動画あります♪


放課後等 デイサービスあおば

座主 由紀子 (ざす ゆきこ)さん

63才 O型

ハンディを持つ子供の親御さんが、共働きのため、放課後に預ける場所に困っていることを知り、「あおば」でのデイサービスを始めました。子ども達のハンディは様々で、遊び、音楽、ゲーム等も多種多様です。

公園で一緒に遊ぶ時は、体力の限界を感じますが、子ども達の無邪気な笑顔に元気をもらい、年を忘れてしまいます(笑)

子ども達を楽しく、安心して預けれる場所を提供できるよう、6人のスタッフと工夫を凝らしながら頑張っています!



住 所:七尾市石崎町香島一丁目106番地1

お電話:0767-57-5521


的場孫三の顕彰碑


旧豊川小学校の運動場に建つのは的場孫三さんを称える顕彰碑です。

孫三の名は襲名で、5代続き、約180年間に渡り日用川一帯を埋め立て、田んぼを作りました。

私財を投げ出し村人のために尽くした人生はまさに能登の二宮尊徳ですね。


第67回私の仕事は「お茶屋」です

お茶を通じて街づくり



私の仕事は「お茶屋」です
北林 昌之(きたばやしまさ ゆき)さん(76歳)
仕事歴 50年

お茶屋の仕事とは

私の場合は、
選んだお茶を問屋に缶詰にしてもらい、小売をしています。

石臼挽き体験

平成十六年、
第一回花嫁のれん展が成功し一本杉が注目をされます。

取材に来たテレビ金沢の若い女性アナウンサーが店飾りとして
置いてある石臼を見てこれでお茶挽き体験をしたらどうかと勧めてくれました。

私は島根県奥出雲の出身で、
標高350m、中国山脈の山中で育ちました。

小さい頃から田畑や家畜の世話をし、
団子を作るのに米を石臼で挽く手伝いをしていました。
友達が遊びに来ても石が重くて挽き終わらず遊びにいけません。

そんな「いやな思い出」が石臼だったのですが、
若い人の言う事を素直に聞く事が必要だと直感したのです。

おかげで今では
観光客や小、中学生の体験学習など
多くの人に石臼で抹茶を挽いてもらっています。

お茶屋を継いで

婿養子として北島屋のお店を継ぎました。

お茶の事は素人でしたが実家ではお茶も栽培しており、
朝飯前にお茶を摘み、
せいろで蒸して、
縁側の一畳程の炉に助炭をかぶせ蒸したお茶を揉むと
夕方には乾燥したお茶が出来上がっています。

新鮮なお茶を朝、昼、晩と飲む土地柄で育ったおかげで、
お茶に対しては舌が肥えていたのだと思います。

お茶屋は問屋から仕入れる際に、
拝見盆の上で葉の出来具合を見て、水色、香、味を見て品決めしますが、
私はまず味を見て善し悪しを即決します。
自分が飲んでこれだという本物を飲んで頂きたいのです。

昭和四十年頃までは一本杉も賑っていましたが、
ジャスコ、ユニーが出来てから人の流れが変わり、
何か手を打たなければとお茶を缶詰にした商品を開発します。

しかし外商で回ってもお茶の缶は要らないと断られます。
どの家にもお茶を入れる缶があり、
缶の分だけ高いと思われたのです。

それでもお茶の品質を話し、
缶、缶、缶と説明を続けていたので今ではお店の定番商品になっています(笑)



一本杉と共に

花嫁のれん展の継続で視察団が訪れるようになり、
町会長として案内をした時の事です。

仏壇屋で
職人さんの話を聞いていたとき時間が来てもなかなか帰ろうとしません。

そのときハッとしました。
自分の町のことを自分が語られるのかと。

それで「語り部処」を立ち上げ、
質問されて解らない事はわからないと答え、
次には答えられるように勉強しようと仲間を募りました。

語り部処の成果はすぐ確信できました。

それは一本杉通りを石畳にするのに
平成十六年から5年間かかりましが、その間ずーっと工事中です。

しかし観光客は一人も文句を言わないのです。
「語り」に満足すれば道路はどうでも良いのです。

今では観光客が一本杉に年間に2万人も来るようになりました。

石臼を挽いて飲むお抹茶、
その御菓子に七尾名物の大豆飴、
それに挽いたお抹茶を振りかけて召し上がって頂くと大変喜ばれます。

それがきっかけで「ふりふり」というオリジナル商品に繋がりました。

何事も自分の損得より、まず全体の事を思うことが、
結果として自分自身も救われるのではないでしょうか。
これからはそんな時代だと思います。



一本杉町 北島屋茶店  ☎0767‐53‐0003


第89回 七尾市深浦町


在所名の由来


浦とは入り組んだ海岸線のこと、その中でも特に奥まった深い入り江。
その入り江を囲むように人が住んだ在所だから深浦なんだね。


昔の暮らし


昔は漁師町で殆どが漁業を営んでいたよ。牡蠣の養殖、
ぼら待ち櫓、ナマコのタテ引き網、地引き網、刺し網など、家庭菜園ではないけど、
自分の家で食べるだけの牡蠣養殖をみんなやっていたよ。深浦は魚が周ってくる場所でね。
戦後すぐにクジラとイルカの大群が深浦に入ったことがあってね、
その時は湾の入り口を藁縄の網でふさいで逃げられないようにしてから、銛で突いたらしいよ。
海が血で真っ赤になったと聞いているよ。
本当かどうかわからんけど、湾の対岸まで鯨の上を歩いて渡ったという話を聞いたよ。
その時鯨を突いた銛が実は鹿追いの槍らしいんだ。

年寄りに聞くと、昔はこの辺りに鹿がいたというんだ。
西岸の他の在所にもその槍が残っている家もあったから、
地区のみんなで鹿を捕まえていた時代があったんだろうね。
その槍を持ってクジラを突いたというんだ。
獲ったクジラを浜に上げ解体した肉を在所中に配ったと聞いているよ。
私が高校生の時もイルカの大群がきているしね。


現在の深浦


ご多分にもれず、少子高齢化になっているよ。何の活動するにも工夫がいる時代になったね。
祭りの人足が在所で揃わないよ。他の在所から応援に来てもらったり、
青年団が友達を連れてきて何とかやっているよ。
今思えば昔の年寄りは、海や山で体を張って仕事をしとったから強い体しとったなぁ。
お熊甲の祭りでも肩にこぶを作って背中を出して神輿や枠旗を担いでいたけど、
今はあんな真似誰もできんね。在所では菜の花を植える取組を始めているよ。
のと鉄道で中島駅から西岸駅に向って最初に見えてくる海が深浦でね、
電車から見下ろすといい風景なんだ。
そこに市の花、菜の花を植えていこうということなんだ。

いろんな工夫が必要だけど小さな在所だけでは限界があるんで、
今、西岸地区の8つの在所で西岸地域づくり協議会を立上げ、
問題を整理して共通のテーマや目標を決めて行こうと話し合いを始めたんだ。
伝統を守りながらも時代にあった改革が求められていることを実感してるよ。(笑)


かなこの一言


上杉謙信から逃れた洞穴、弁慶の足跡石、
古き深浦を訪ねれば、歴史に想いが馳せます。
温故知新、地区の皆さん頑張って!


ストナビキッズ


2年前にアルプラザで開催されたTAKE先生のダンス教室に参加して、ダンスが更に好きになりました!先生がとにかく面白く、そしてダンスもかっこいいです。最初から最後までノリノリで保護者も知らずにリズムを刻んでしまうほど(笑)ダンス初心者大歓迎です♪一緒に楽しむことでダンスを好きになれること間違いなしです!(長坂加代子)


㈱ヴァケーション 旅行サロン鹿島

松栄 亜沙美 (まつえ あさみ)さん

28才 A型

非日常の雰囲気を体験できる旅行に興味を持ち、旅行会社に就職しました。この仕事を知れば知るほど、世界は広く、勉強すべきことがたくさんあります。

お客様の想い出づくりをご案内するお仕事なので大変なこともありますが、それがこの仕事の楽しさ、やりがいだと感じています。

今では旅行の魅力にはまっています。これからも皆様の大切な思い出に残る旅のお手伝いができるよう頑張ります♪



住 所:鹿島郡中能登町井田と1-1(アルプラザ鹿島)

お電話:0767-76-2351


寄合い処みそぎ


花嫁のれん館の建設にあたり、馬出町の集会場だった旧徳沢荘を取り壊し、代わりに建てられました。

色々なイベントに利用して頂けます。

4月9日、花嫁のれん館のオープンに合わせ、お茶会が催されました。


第10回「輝け!郷土の星」卓球の平泉 心那さん (徳田小5年)


伝統の石川県選手権で優勝!

昨年12月、第75回石川県卓球選手権カブ女子シングルスで見事優勝した心那さん。

保育園児だった心那さんは兄の通う教室へ連れられて行くうちに、
自分も卓球をやりたいと思うようになる。

卓球は園児を含む小学2年生以下のバンビ、3、4年生はカブ、5、6年生がホープスというクラスに分かれる。
バンビは卓球台の高さが10cm低くなるがそれ以外はラケットもボールもラバーも同じだ。

心那さんは小さな体でボールに飛びつき練習を続ける。
結果が出たのが小学2年生、県大会で優勝、3年生、4年生と優勝を続け3連覇だ。
個人戦はもとより、団体戦の石川代表にも選ばれて全国大会に出ている。

しかし全国の壁は厚い。

3度出場した個人戦、1勝が出来ない。
今年5月に行われる全国大会予選の石川県小学生大会で勝ち、
7月神戸で開催される全日本卓球選手権大会で1勝することが当面の目標だ。

松平スポーツ卓球教室

心那さんは週3日教室に通って約1時間半の練習のほか、松平先生から個人指導も受ける。

その練習は容赦ない叱咤が飛ぶ。
先生の手元から飛び出すボール、それに反応する心那さん。

「ボールを追っかけてどうする!」 「どこにボールが来るか先を読まんかい!」 そんな声が続く。

「練習は辛くないの?」
「ハイ、楽しいです」 「どうして楽しいの?」 「勝ったとき嬉しいからです」

心那さんは、自分が強くなるために先生が厳しく指導していること、
そして、その先の自分の姿を見つめているのだ。
松平先生は倉庫精練の実業団選手として活躍した後、七尾に戻りスポーツ店を開き、
傍ら能登の中学、高校の卓球部へ出前指導を続けてきた。

そして21年前、お店の横に卓球場を建て教室を開く。
そしてこの教室から、息子であり、日本を代表する松平賢二、健太の一流選手が育っていくのである。

先生は県大会優勝は努力の範囲でなれるが、それ以上目指すなら卓越した俊敏性、
反射神経など卓球センスがないと厳しく、 努力 + 素質、そこにどれだけの伸び代が
あるかだという。
ハードな練習だけでなく、心身の成長に合わせて上手に、伸び代を伸ばしていく、

ここに松平流指導の極意があるように見えた



アスリートの資質

石川佳純選手が好きだという心那さんは、笑顔が可愛い小学生だ。

疲れた顔も見せず、先生のアドバイスに耳を傾け淡々と練習する。
勝つことがモチベーションとなり目標に向って、全てを自分の事として向き合っている。
それこそがアスリートとしての資質の源なのだろう。

サーブの瞬間、ラケットの動きを見て回転を読み、瞬時に反射する卓球は神経戦でもあり、
小さな台の上で繰り広げるボールの打ち合いは、正に格闘技でもある。
心那さんの練習を見て、卓球はボールの回転より速い、 頭の回転が求められる競技だと知った。


私が知っている、 ピンポン とは、まったくの別物であった。



はい!社長です-武原造園


武原造園 武原 俊彦 (たけはら としひ)こさん 58才 O型


35歳で独立。庭師として経験を積み、更なる高みを目指し、一念発起で臨んだコンテストで東京都知事賞を受賞した時は嬉しかったです。

私は作庭に入る前に、まずお客様に思い出をお聞きします。作り上げるお庭には、お客様が自分の手を入れて楽しむ部分も作ります。お客様の心や感性が時間と共にお庭を仕上げていく喜びを感じてもらいたいと思って
いるからです。

これからも、庭師として皆様の思い出をお庭に表現していきたいと思います。

住 所:中能登町春木ム部94番地
お電話:0767-74-0346


日用川の桜まつり


4月10日に日用川の桜まつりが行われました。

春風が気持ちい~ね!


第88回 中能登町高畠


在所名の由来


全国に多い地名でね、実り豊かな環境を総称して高畠と呼ぶそうだよ。
この辺りは松本川と地獄谷川が流れ肥沃な土地柄で農作物も良く育ち、
また宿場として栄えたことから、高畠という在所名になったという説に頷いてるよ。


宿場街道の町


七尾、金沢、氷見への交通の要衝で、鎌倉時代にすでに
宿があったというから、宿場町として発展したんだね。
全盛期は江戸後期だというよ。

黒船来航で幕府から石川県全体の視察を命じられた十四代加賀藩主、
前田慶寧が総勢八百人の家臣と高畠に宿をとった記録があるんだ。
これだけの人数を受け入れる組織力のある在所になっていたんだね。
宿場とは街道を徒歩か馬で旅し各地と交わる、そういう中で育った文化であり、
街づくりだったんだね。旅支度がここで全て整えられるよう様々な職人がいて、
人が集まるから飲食、娯楽も栄え、私が小さい頃でも御祖(みおや)の
高畠へ行けば何でも揃うと言われたくらい賑わっていたんだよ。

舳倉島の海女さんがシーズンオフには料理屋のお接待として来ていたしね。
ミニ七尾って感じかな。戦前は芸者さんの稽古事の音色が
聞こえていたというから風情がある街並みだったんだろうね。


最近の取組


昨年、御祖小学校が統合されて子供の声が聞こえず寂しくなったけど、
民生委員が中心となって「カフェたかばたけ」をオープンしたんだ。
これが評判良くてね。第一水曜日の午後1時から4時まで、百円でコーヒー、
お茶、お菓子などを頂き、顔を見て、健康を確認し、
話を楽しむのだけど、三十名以上集まるんだよ。

それと碁石ヶ峰の頂上の鳥居を二十年ぶりに建替えたんだ。
この頂上は高畠と羽咋の神子原、氷見の寺尾で雨乞い神事の場所として
共同管理してるけど、昔からの取決めで高畠は鳥居の管理ということなんだ。

時代が変わって宿場の賑わいが無くなり、人が集まる魅力はなくなったけど、
中能登町民として高畠区民としてみんなでやるべき事をコツコツとやっていく中で、
在所の人が笑顔になることが一番大事なことだと思っているんだよ。(笑)


かなこの一言


宿場街道、すごく歴史を感じます。
どこか昔の名残が漂う街並み。ちょっとした
タイムスリップ感、なんだか新鮮でした。


なかのと ミュージックアカデミー


最初は音楽セミナーの一環として始めましたが、次第に劇団四季で培った力が騒ぎだし、子どもたちが音楽って楽しい、そして中能登町が音楽で活気づけたい!との思いが強くなっていきました。音楽を通して「思いやり」「心」を養ってもらいたいと願っております。3歳から中学3年生の子たち、みんなで楽しく稽古しています。


cafe lotta

滝田 愛美 (たきだ まなみ)さん

24才 O型

2015年11月に中島にcafe lottaをオープンしました。親と過ごす時間を大切にしたいと思い地元に戻りましたが、カフェで働く夢も叶えたい。なら自分で開こう!と決心しました。

老若男女問わず色んなお客様が遊びにきてくれるカフェです。「見た目からおいしい」をモットーに全て手作りで提供しています。

ゆったりした時間の中で「なんかイイなぁ」と思って頂けるよう、メニューや雰囲気でお手伝いできたらと思っています。



住 所:七尾市中島町小牧ナ-36-1

お電話:0767-66-0054


九月十三夜仁忠作


1577年秋、七尾城を攻める上杉謙信が詠んだとされる漢詩。その石碑が七尾城資料館の庭にあります。

激しい合戦の合間、大自然に包まれ凛とした夜の静寂、世の哀れを感じたのだろうか。詩に寄せた想いを思いつつ…