御料理 吾・いち
大島 吾一郎 (おおしま ごいちろう)さん
43才 B型
料理を作る際、大切にしていることは「季節感」です。その季節に応じて懐石料理を提供しています。
師匠や、先輩方に恵まれたおかげで、今まで料理の仕事を続けてくることができました。開店から、はや3年経ちますが、あっという間に感じます。
師匠の言葉「誠心誠意、おいしいものを提供する」をモットーにこれからも実践していきたいと思います。

住 所:中能登町小竹の-51
お電話:0767-77-2120
大島 吾一郎 (おおしま ごいちろう)さん
43才 B型
料理を作る際、大切にしていることは「季節感」です。その季節に応じて懐石料理を提供しています。
師匠や、先輩方に恵まれたおかげで、今まで料理の仕事を続けてくることができました。開店から、はや3年経ちますが、あっという間に感じます。
師匠の言葉「誠心誠意、おいしいものを提供する」をモットーにこれからも実践していきたいと思います。
住 所:中能登町小竹の-51
お電話:0767-77-2120
去る8月22日、横浜で行われた第31回全国小学生陸上競技交流大会で6位入賞に輝いた隼翔くん。学童野球の石崎メッツに所属しコーチから肩が強いと聞かされたお母さんが「陸上のソフトボール投げの種目に挑戦してみては」と声をかけた。何となく試しに出てみた七尾市の大会でいきなりの大会新記録(66.37m)だ。県大会に出場することになるが、野球と違い個人競技は自分との戦いでもある。そんな雰囲気に飲み込まれ緊張もしたが優勝する(63.60m)。横浜の日産スタジアムで行われた全国大会では各県の代表が集まる。本番ではガチガチになり、頭が真っ白になった中での1投目(68m)、2投目(66m)、記録が伸びない。その時石川県選手団の野村総監督が各選手を集め応援を始めた。みんなの声援が耳に入った瞬間、自分は一人ではないと勇気が湧き、落ち着きを取り戻す。そして3投目、73.79m。自己最高記録を出しての入賞となった。
小2の時、学童野球をやっている兄の練習に連れていかれ、キャッチボールとトスバッティングをさせてもらった。兄のチームメイトが「上手い、上手い」とほめてくれ、嬉しくなって野球を始めることになる。小3からキャッチャーとなり練習するがショートバンドが取れない、送球が決まらない、そんな時は「何としても乗り越えたい」と思い、練習が休みの日でもコーチに個人特訓を願い出たという。石崎メッツの西川監督は「どうしたら良いのか自分で考えろ」が口癖で、児童自らに課題の発見と解決を指導しているのだ。小橋コーチも体のバネと柔軟性が人並以上に優れており、そこに負けん気が加わるので、今年ピッチャーをやらせてみたが七尾市学童野球秋季大会で優勝という結果を出し、今ではチームの要であり起爆剤的存在だと言う。
「ソフトボール投げ全国6位も今年の秋季大会の優勝も同じくらいに嬉しいです」と素直に話す隼翔くんの夢は甲子園に出ることだ。三振を奪ったり、仲間のファインプレーでピンチを脱した時など野球は面白く、だから続けたいと言う。野球を続けている兄と時に二人で自宅練習をする。お父さんが接骨院の先生なのでさりげなく筋肉の疲労などを診てくれる。お母さんも食事に気を配り練習や試合に声援を続ける。「上手い、上手い」と野球に興味を持たせてくれた先輩。「考える野球」を指導する監督、声援を飛ばしてくれた県選手団、恵まれた資質、強い意思、そして何より自分を理解し応援してくれる人が身近にいる事が能力を最大化させるのである。
東往来沿いから徳田駅付近までに位置し、鹿島バイパスが通る、147世帯、464人が暮らす在所です。
古文書によると平安時代この周辺一帯が飯川保と呼ばれる荘園で、この地を領有していた豪族が飯川氏で、その名に由来しているという説があるよ。
飯川大池と言ってとても大きな池があるけど、私が小学生の頃は水が澄んでとても綺麗な池だったよ。学校帰り泳いでから家へ帰ったものだよ。その頃の産業は織物だったね。徳田織物と七尾織物と二つの大きな工場があって、東北から集団就職で若い織子さんが来て賑やかな在所だったよ。多い時で二百人くらい寄宿舎で生活してたらしいよ。近所のやきそばや焼きまんじゅうのお店はいつもいっぱいで華やかだったね。
娯楽で東映の巡回映画も来ていたから近所の子ども達も見に行ったもんだよ。年頃の女性だから地元の男性と恋愛結婚も多かったようだね。最近は人口減が心配だね。獅子舞の踊り子も小学生だけでは出来なくて若い衆も困っているんだ。今年から中学、高校生にも応援してもらう予定なんだよ。
何と言っても大欅だよ。樹齢は約七百年、飯川のシンボルだね。市の天然記念物に指定されているけど、老木なので三年計画の延命治療を施しているよ。
在所を明るくして景観を良くせんかと、フラワーサークルを作って月一回花いっぱい運動で花壇を作ったり花を植えたり、草取りしていたら、平成二十四年の『ななお景観賞』に、この欅を中心に東屋が並ぶ町並みが選ばれたよ。嬉しいね。
大欅は有名ですが、池も大きくてすごいです。 在所のお寺の門徒数からも江曾村の出村で新興の在所だったことが伺えます。
言葉ひとつで、お客様が想像を巡らし、場面転換し、時間空間を自由に行き来して、笑ったり泣いたりして楽しんでもらう、身近なエンターテインメントです。
上方落語家として吉本興業に所属し、この夏に鳥取県の三朝温泉で三十五日間の高座を行ってきました。まだ駆け出しで、普段は蕎麦屋やバーなどで営業です。熱い想いは、なんばグランド花月で看板を上げることです。タレント活動も余儀なくされますが、落語が中心の、あくまでも舞台芸人でありたいと思っています。
小学生の時、映画「釣りバカ日誌」を見て、「浜ちゃん」に憧れました。お気軽な人生ではなく、好きな事をやり通す人生なんです。人前で笑わせることが好きな私は、御祓中学一年の時、それが職業になる事を知りお笑い芸人になりたいと思います。中二の時、金沢竪町吉本劇場で吉本芸人とネタで対決するシリーズがあり同級生とコンビを組んで出場し、七尾高校では文化祭のステージに立ち笑わせていました。関西大学に進みますが、理由は桂三枝師匠(当時)の落語研究会があり、そこでかばん持ちすれば吉本興業に入れるという噂を耳にしたからです。結局それはガセネタでした。(笑)
お笑い文化を研究に来たドイツ人留学生が正座が出来ないということで、私と漫才のコンビを組む事になりました。第七回新人お笑い尼崎大賞に出場し優勝します。この大会はプロアマ混合で若手芸人の登竜門です。初代チャンピオンは友近さんです。松竹芸能にスカウトされテレビ出演やラジオ番組を持ち、最初で最後のチャンスだと思い頑張っていた矢先、相方の都合で三年間のコンビが解消です。新たな相方・新たなネタ作り・相方に左右されるリスクを考えた時、心の糸がプツンと切れ、サラリーマンを始めます。未練を断つためバラエティーは一切見ず「釣りバカ日誌」だけ見て過ごします。二年後、忘年会で吉本芸人が呼ばれ漫才を披露します。「悔しい、あっち側に立ちたい」と思ったその時、上司が肩を叩き「あっちに戻れないのだから、こっちで頑張れ!」と。その一言で心が吹っ切れます。「自分を押し殺した辛い思いで働くことに耐えられない」と辞める決意をしました。
最後の昭和芸人、月亭可朝師匠の破天荒な人生、その人柄に惹かれ、手紙を四回出しやっと面談を許され、紆余曲折の後、その弟子の月亭八方師匠へ弟子入りします。上方の年季明けは約三年、師匠のお世話を三六五日、自由時間は無く丁稚奉公です。三食とお小遣いは頂けますが、お酒も女性とのお付合いも禁止です。多くの弟子はここで挫折します。この春、年季が明け、お笑い芸人としての再デビューは、人生観を変えてくれた「浜ちゃん」のおかげで「釣りバカ日誌」は私の大切なバイブルです。
野竹 隆昭 (のだけ たかあき)さん
63才 A型
七尾市まちづくり基本条例が施行され、9月1日で3年が経ちました。私たちは、『市民が主役のまちづくり』を進めるため活動しています。
本日、9月26(土)午前10時から、市民によるまちづくり活動をさらに活力あるものとするため、『七尾まちづくりフェスタ2015』を開催します。七尾サンライフプラザに是非お越し下さい。
お電話:0767-53-8633
私の場合、身も心もすっきりとして、快適な生活をしていただくため、髪を綺麗に整え、その人らしさを演出することです。
「自分のファッションや顔に似合う髪型にしてほしい」最近こんな声が多いです。昔のようにみんなが同じ流行の髪型にするということは無いですね。私のライフワークは「髪型がその人のファッションや人柄の一部となるヘアースタイルの研究」なんです。外出すれば髪型がファッションや骨格や体型にどうマッチしているか観察します。ファッションは流行するので常に新たな技術やセンスを取込むため、金沢のサロン会で東京や海外で活躍している理容師を招き、最新の流行にあったヘアースタイルの研究や勉強を毎月続けています。昔は横に大きなハサミを入れてきれいに揃えることがカットでした。今は大小さまざまなハサミを使い、その人に似合う最高の髪型に仕上げるため、縦横無尽にハサミを入れ全身を使ってカットします。
床屋の三代目として生まれ、祖父母、両親、叔父、叔母、姉、そして妻も理容師という環境です。お客様と親しく会話し、互いに「有難う」と挨拶を交わす両親の姿を見て、子どもの頃からごく自然に家を継ぐ思いでいました。七尾商業高校を卒業と同時に迷わず金沢のヘアーサロンへ住み込みます。部屋は四畳半で二段ベッド、先輩と相部屋です。昼は専門学校へ、帰るとすぐにお店に立ちます。夜は顔そりやカットの練習です。親戚に夜お店にきて頂き実践練習を繰り返しました。
マスターから「そろそろ本番をやるか」と言われ、顔なじみになったお客様の中で、やらせてもらえそうなおじいちゃんに頼みました。三年目で初めてお客様のカットをするのですが、緊張で頭が真っ白になりました。おじいちゃんがニコッと笑って「いいがになったよ」「カッコいいがになった」と言ってくれた、その言葉を今でも忘れません。
江戸時代、床屋は男の仕事でした。その名残から床屋へは男性客が、美容室へは女性客がという流れでしたが、今はその垣根はなくなり男性も美容室でカットします。カリスマ美容師が話題になり、おしゃれなイメージが定着し美容師を目指す若者は多いのですが、理容師を目指す若者は少ないのです。理容組合では中学と高校へ出向き理容師の仕事を紹介し、興味のある生徒にはウィッグを使って体験してもらい、将来の担い手確保に努めています。最近はオシャレなヘアースタイルも出来る若い女性の理容師も増えてきています。
技術コンテストで優勝してもまだ本物とは言えないと思っています。業界ではお店で売上NO.1の理容師がトップスタイリストと呼ばれます。それにはカットの技、コミュニケーション力、マネジメント力など総合力が求められます。お客様の状態を感じ、進化する技術をフィットさせ、心身共にリフレッシュして頂き、心から「有難う」を言って頂ける理容師を目指し続けたいと思います。
川原町 ちょっきんきむら 0767-52-6518
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歴史の古い在所なんだけど、確かな由来はわからないんだよ。垣吉から新屋、川尻、舟尾、奥原、和倉までを端村と言った時代があってね、田鶴浜村との境が垣吉なんだよ。お隣との境には垣根を立てたりするし、集落を細かく分けた一区画を垣内(かくち)と呼ぶそうだが、なんかその辺りに語源があるのかもしれんね。
ここは二宮川の下流域なので昔から川を中心に拓けた土地でね、この辺り一体が古墳群なんだよ。田んぼを耕すと土器の茶碗などよく出てくるし、サンビームの上が古墳公園になっているよ。
子どもの頃は肥しを担いで畑仕事を手伝ったり、在所の真ん中を流れる二宮川で泳いで遊んでいたよ。そこへ、自転車に乗ってチリィン、チリィンとアイスキャンディー売りが来ていたね。普段はおとなしい川だけど大雨になると暴れ川になるんだよ。昨年も一昨年も避難勧告が出てサンビームへ避難したよ。そんな川だけど在所の大事な川でね、クリーン運動や道路愛護デーなどを設けて草刈りや空缶拾い、土嚢を詰めたり、コスモスを植えたり、今年は桜の苗を植える計画でいるんだよ。
ここは隣の高田町と一緒に祭りをするし、公民館も隣の新屋町と共同運営なんだよ。小さい在所を運営する先人の知恵だと思うよ。三十年前は十八軒の在所だったんだが、学校、駅、スーパーが近く交通の便も良い事から宅地開発が進み若い世代が住んでくれてね、この世代が呼びかけるとすぐ集まってくれて、祭りや行事をどうする、どうすると積極的に参加してくれるんだよ。
おかげで団結力のある在所になったし、安心して次の世代へ繋げられるよ。ありがたいね。
在所を歩くと福浦婦人会売店の看板が、3人のお母さんと雑貨と食料品、郷愁を感じるお店でした。