ななおあいじ保育園 ひまわり組のみんな♪
お友だちと過ごす毎日がたからもの!
キラキラ笑顔がいっぱいです★
お友だちと過ごす毎日がたからもの!
キラキラ笑顔がいっぱいです★
2021年6月、石川県陸上競技場で開催された中学校陸上競技大会で1500m4分4秒53、
3000m8分47秒15と2種目を大会新記録で優勝し、全中標準記録を突破した朋哉くん。
駅伝で名門の中能登中学校陸上長距離部のキャプテンだ。
小学4年生の時、友達に誘われ鹿島アスリートクラブで走る楽しさを知る。
中学に入学し迷わず陸上部へ。すぐ頭角を現し1年生ながら駅伝メンバーに抜擢され3区を走る。
その年、中能登中学は県大会で優勝、全国大会に出場。
2年生の昨年はコロナ禍で各大会が中止される中、県中学通信陸上大会で3000m9分07秒で優勝し、
着実に実力をつけてきた。
長距離部13名、指導は守山コーチ。
平日は各自が作った練習メニューでグランドを8kmから10km走る。
日曜祝日は七尾陸上競技場に出向きレース感覚をイメージし練習する。
1年生は先輩やコーチから練習メニューの指導を受けるが、2年生からは自分でメニューを考える。
自分で考えるから手を抜くことも出来るが、手を抜けば手を抜いた分だけ記録が伸びない。
自覚しているので、手を抜く部員は一人もいない。
上位6人だけが駅伝に出場できる、部員は仲間でもありライバルなのだ。守
山コーチは細かな事は言わないが、フォームの指導を徹底する。
練習では走り方を見て腕の上げ方など細やかな指導が入る。
試合でよかったところは評価し、次に繋ぐ。任せて任さずの指導方針に、部員のモチベーションは高い。
朋哉くんもキャプテンとして、準備体操では大きな声で皆をリードし、1年生への助言は
守山流を見習い、良かったところは「良かったね」と評価し、気づいたことは声掛けをする。
記録が伸びず辛い時期もあった。
いつか必ず出せると諦めずに頑張っていたが昨年は大会が無かった。
中学生最後の今年、大会があることが嬉しい。だからこそ一つでも記録を残しておきたいと決意する。
8月に茨木県で開催される全中陸上、1500mと3000mの出場権を手に入れた朋哉くんだが、
結果を出すために得意とする3000m一本に絞ってエントリーすることにした。
目標を聞くと、すかさず「優勝を狙います!」と力強く答えてくれた。
それでも全国トップクラスとはまだ15秒ほどの差がある。
大丈夫なのか…?その差は、と問い直す。
「今から頑張って記録を伸ばします!」その自信に満ちた言葉に少し驚き、そして頼もしく感じ、
朋哉くんなら本当にやれるのではないかと思った。
秋の駅伝、来春の高校進学、やらなければならないことが続く。
しかし、今は全中陸上のことだけ考え集中する。家族の応援も有難く思う。
父はベストが出せなくても、その時出せる力を出してくれば良いと言い、
母は栄養面を考えた食事を作ってくれる。
親として期待はしているが、過干渉にならず、プレッシャーを感じないように配慮している。
良き指導者と家庭環境に恵まれた朋哉くん。
将来の事はまだ何も考えていないが、陸上に打ち込んだことで、
何事も自分で自分の限界を作らないことを学んだ。
限界突破を信条として、今を精一杯頑張っている。
本当のところはよく分からないんだよ。
江戸時代に細口村があったのは確かだけど、八幡から分村したとも聞いているんだ。
白馬に抜ける道の入り口があって細い道だったというから細口と呼ばれていたのかもしれんね。
能登中央自動車学校の場所を源田山というけど、昭和五十二年、敷地造成中に弥
生時代の遺跡や中世の館が発掘されているんだよ。古くから人が住んでいたんだね。
そこに霧谷の池があって水が湧き出ているんだ。長い徳田段丘の中で水が湧くのはここだけでね。
台地に上がる道は一カ所だけ、近くに鷹合川が流れ子供のころにはアユやウナギを捕って遊んだけど、
昔から人が暮らすのには持って来いの環境だったと思うね。
能登で一番最初に稲作が定着した場所だと言われているんだ。
在所の始まりは七軒だったと伝わっているよ。
一集落一門徒のような在所でほとんどが相生町の西休寺門徒だから古くからの家が多い在所だね。
こんこんと湧く霧谷の池でトマトやキュウリを洗って食べたけど、
水が良いので昔は池付近に清姫、鹿渡、山王の蔵元が酒を造っていたよ。
鷹合川改修の一次計画がようやく終わりが見えたよ。
細口交差点付近によく水が付いたけど平成七年に話があって二十五年以上の歳月が流れているんだ。
町内行事は祭りと慰安会だけど、獅子舞も親御さんが協力的なので有難いよ。
一人暮らしの家も多くこの先の高齢化が心配だね。
自助、共助と言っても若い人がいないとね。正直将来の町会が成立するのか心配するよ。
七尾市も合併してから二万人も減っているので七尾、能登全体で何とかしていかないと
在所の問題で片付けられないよ。
県道2号線(西往来)と県道七尾鳥屋線(のと蘭の国沿い)が通るので沿線に企業も多く
尽力頂いているけど、やはり働く場所、住む場所が無いと若い人も出て行くばかりだよ。
一次産業は各地域で、二次、三次産業は七尾で担うとか、山を造成して安い住宅地を作るとか、
いろんなプランを考えて何とかして、能登、七尾が浮上させないとね。
時代が大きく変わる今、先を見据える。
ピンチはチャンス、七尾は宝の山。
明治18年、大津の入江に白浜と塩津から海に突出した道路をつけ、
その中央に長さ45m幅4mの木造の明治橋が架けられた。
防潮桶門建設のため橋は取壊され、昭和48年樋門の横にコンクリートの新しい明治橋が作られた。
その横に平成14年架橋の平成橋が並ぶ。
地元で看護師として働き、能登の医療に貢献したいと考えています。
七尾看護専門学校には幅広い年齢層の学生が在籍しており、一緒に学校生活を
過ごす中で生まれる価値観の違いが学びに大きく影響し、刺激を受けています。
看護師になるまでの道のりは楽しいことばかりではありませんが、
患者とそのご家族に信頼される看護師を目指し、仲間たちと日々切磋琢磨しています!
住 所:なぎの浦156番地
お電話:52-9988
美容師は子供のころから憧れていました。
今、二児の母ですが、子供たちも自分の夢に向かって成長していけるよう、
私自身が頑張る姿を見せなければと思います。
9年目に突入し、心機一転パトリア3階へ移転オープンすることにしました。
お客様の「あったらいいな」の声から脱毛も始めます。
働けるのも家族のお蔭と感謝しています。
店名は子供の名前にちなんで付けました。
住 所:七尾駅前 パトリア3階
お電話:53-2098
だいすきなお友達がいっぱい!
いつも一緒が楽しいね‼
3年生3名・1年生11名で協力して楽しくやっています。
昨年度はコロナの影響や、部員数の不足により出場できない大会がありました。 が、今年度、全能登中学校大会で力と技術・気持ちを出し切り、優勝し結果を残す事ができました。
練習を頑張ってよかったなと思います。 そして仲間の大切さを実感しています。 キャプテン神木
顧問:池田道生先生
キャプテン:神木瑚夏さん
由来は特に伝わってないけど、在所の藤津比古神社の資料には「本当は藤津という在所名が、草書で書かれた津を瀬と読み違えたことから藤瀬になってしまったこと、返す返すも口惜しき事に候」と書かれているそうだよ。
でも本当にそうなのか真意は分からないんだ。熊木川沿いに二キロも沿った在所だから川の瀬付近に藤の花が咲いていたのかもしれんしね。
室町時代に建立された藤津比古神社は釶打地区と富来の一部を氏子とする郷社で、本殿は国の重要文化財に指定されている格式ある神社なんだ。
新宮(しんごう)の祭りといってね、夏には「うすずみ」、秋には「枠旗祭」が行われるけど、八月十四日の「うすずみ」の奉燈は能登で唯一、バッテリーを使わないで、昔からのろうそくの灯りなんだよ。太鼓と鉦のお囃子に「やんさこ」を唄いながら、道中をゆらりゆらりと進む奉燈は何とも幻想的でね、毎年多くの常連が見に来ているよ。
在所の座主家も国指定重要文化財で、合掌かやぶき入母屋造で江戸時代のこの辺の一般的な農家でね。中島町でも数十年前なら、かやぶき屋根の家が何軒かあったけど、そのままの形で残っているのは座主家だけじゃないかなぁ。令和元年に傷んだ棟の修理をしたけど京都のかやぶきの里・美山町から専門業者が来てやったんだよ。
その座主家の二代前の当主正盛さんが神経痛に悩んでいたところ、昭和五十四年四月二十八日の深夜、夢枕に月光観音が現れ裏山の水が効くとお告げがあったんだ。それを飲み続けたら本当に治ったことから「座主の水」として有名になってね。どれだけ置いていても腐らない水で遠くからも沢山の人が汲みに来ているよ。今では藤瀬霊水公園として綺麗になって管理されているよ。
平成三十年から田んぼの区画整理、ほ場整備事業が始まって、今、大きな田んぼを造成工事中だよ。
人口は昭和三十年には七十一世帯、三百五十五人だと記録があるから、それから半分に減ったんだね。そんな頃は田んぼや畑仕事を中心にどの家も大家族で暮らしていたけどね。
近年はほとんどが兼業農家で高齢化が進んでいるから、若い世代には出来るだけ在所で暮らしてほしいと思うよ。私の家に双子の孫が生まれたけど嬉しいもんだよ。
田園を流れる熊木川
神仏と豊かな自然、里の在所
会社から北へ1~2分走れば穴水町に着くので、数年前より七尾の最北端企業としてPRしております。
昨年度の8月に代表取締役に就任いたしました。 建設業で主に土木・管工事業を営んでいます。 多くのお客様や優秀な従業員・同業の仲間に支えられて経営させていただいております。
皆様への感謝を念頭に、今後もより信頼されるようプロ意識をもって日々精進して参ります。
住 所:中島町田岸弐部1番地4
お電話:66-1652
ゴルフ場で接客をしています。 全国各地から来て下さるたくさんのお客様が何を求めて・必要としているのか見極めるのが非常に難しいです。
そんな時はお客様の声と地域の方々の話や意見を聞かせて頂き考えます。 そうして出来た形を喜んで頂けた時は最高に嬉しいです。
能登島の良さや文化を楽しめる様に、地域の施設と協力しあって魅力ある観光の島にしていきたいです。
住 所:能登島半浦町7-1
お電話:85-2311
僕たちを「必ず輝かせる」と約束してくれた指導者の方々と、成長を信じ支えてくれる家族のお陰で、やればやる程楽しく・どんどん強いチームになっています。
これからも可能性を信じて努力し、充実した最高の高校生活を送ることが出来るよう全力で頑張ります。
能登地区No1プレイヤーになって親孝行したいです。 主将 川端
監督:向田圭吾先生 顧問:小林のりか先生
主将:川端脩希くん
仕事歴30年 池上 弥寿広さん 59歳
消防車で道路を走っていると子供がよく手を振ってくれます。
私はそれに対して敬礼で答えます。すると子供たちは満面の笑みで喜んでくれます。
消防の仕事は人を助ける事、火事を防ぐこと、火を消す事です。
そのために日々の訓練のほか、事業所への立ち入り検査、学校や保育所での避難訓練なども行います。
そのため出来るだけ地域に飛び込んで、地域の人と交わることが大切だと思っています。
中学生の時、七尾駅前のオリオンで見た映画タワーリング・インフェルノ。
大ファンだったスティーブ・マックイーン演じる消防士が百三十八階の超高層ビルの火災を
屋上の貯水タンクを爆破させ大惨事を防ぐもので、この時に「消防士かっこいい!」と憧れました。
七尾鹿島広域圏での火災はかつて年間四十件ほどありましたが、ここ数年は十数件で推移しています。
昔はいろり、かまど、練炭、薪風呂、ろうそく、マッチなど火が身近な存在でしたが、
今は電気が普及し火を使う機会が少なくなったことや、地元消防団と自警団の方々と密に連携し、
防火活動に取り組んできたからだと思います。
一方、高齢化社会となり事故や災害などで老人の犠牲者が増えている現実もあります。
防火訓練では、家庭でクリスマスや誕生日のケーキを食べる時、ろうそくの火を見つめて、
この火のお蔭で豊かな暮らしがあり、またこの火で命を落とすこともあるから、火を考える機会にして、
みんなで火の大切さと怖さを理解してから、おいしいケーキを食べて下さい、と話をしています。
中能登消防所では一隊八名のチームが三隊あり、二十四時間体制で救急と防火を担います。
設備や道具の進化に伴い、私たちの技術も知識も進化しないとなりません。
ホースも六五ミリから五十ミリと細くなり軽くなったおかげで機動性が増しました。
また今は水を放水するのではなく水に空気を混ぜて泡状として放水します。これで水の量が半分に減りました。
水の確保がとても重要で日頃から消火栓や防火水槽の点検、川の水量など水利の確認をしています。
利用できる水源が一つより二つ、二つより三つと多いほど消火戦術が有利になります。
火事に「大したことのない火事などない」ボヤであっても大丈夫などないのです。
現場に出動するたびに心に刻んでいる言葉で、私のモットーとしています。
二十四時間体制で勤務し、共に訓練する同僚はある意味、家族以上の絆で結ばれています。
そしていざ火災現場に出動したら、司令として私の一声で危険にさらすこともあり、隊員の命を預かります。
現場では各隊員の意見を集約し、勘と経験とデータから方針の決断は私がして、すべての責任を負います。
そして絶対に殉職させてはならないと思っています。
現場では心無いヤジが聞こえる事もありますが、そんな時も動ぜず消火に集中する隊員の顔を見ます。
仲間の頼もしい顔をみると、落ち着き、勇気、元気が湧きます。
どんな立派な設備や機械があっても、最後は人だと強く実感します。
鎮火して住民から消防さんのお蔭で助かったわ!ありがとう!の一言を頂いた時、体と心の疲れが全部吹っ飛びます。
私は来年定年を迎えますが、退職後の事を考えてフェードアウトするのではなく、まだ一年もあると思って、
若い人に負けないで全身全霊で任務を果たし、最後の最後まで上り調子のままでゴールを切りたいと思っています。
中能登消防署
☎0767-76-0119
唐崎神社境内に建っています。
常磐町にあった妓楼池田屋(通称ハンコ屋)の主人池田富次郎氏が用いた相撲のしこ名で
日本最初の文学博士、重野安繹氏が揮毫し、各地から集めた自然石の上に立ちます。
台座には見猿、聞か猿、語ら猿の三猿。
明治30年、富次郎58歳の寿碑。
あさひのように明るい笑顔!
毎日わくわくがいっぱいです
平成元年3月に起業し33年になります。
事務機器や備品等を取り扱い、公的機関から一般の方々までご愛顧頂いております。 ひとえに正直にお客様に接し、可愛がって頂いたおかげさまと感謝の一念です。
私の元気の源は、毎朝3時30分からのウォーキングと石崎養泉寺さまでのお朝事(勤行)です。
今は孫の成長を楽しみながら、コロナが一日も早く終息することを願う日々です。
住 所:石崎町レ部49-1
お電話:62-2457
七尾が誇る祭りをご紹介!
映像と音の演出でリアルなお祭り体験ができます!
1年生6人・2年生10人・3年生13人の計29人で明るく元気に活動しています。 スローガンは「全員で全力野球」です!
チームワークが自慢で、サインプレイが決まって得点できた時の達成感は格別です。 ピンチに強く、逆転勝利で得られる一体感は最高です。
県大会優勝を目指して、練習に力が入ります。 学校生活も頑張っています。
顧問:横山教史先生・石垣翔太先生
キャプテン:木村祐晟くん
副キャプテン:渡邊晴仁くん・山岸昭太くん
消防士になり3年目です。家が消防署の近くで、見かける機会が多く、その姿に憧れて決意しました。
3交代制の勤務で危険な現場に真っ先に駆けつけます。 火災や災害から助ける仕事なので、怪我をすることがない様に常日頃から訓練し、体力トレーニングにも励んでいます。
先輩はすごい方ばかりで、見て学び・積極的に聞いて修練し、先輩の背中を追いかけています。
彼女募集中です!
住 所:中能登町東馬場か-16
お電話:76-2818
七尾高校SSC(スーパー・サイエンス・クラブ)天文班が昨年11月に
鹿児島県で開催された国際科学コンテストで見事、優秀賞に輝きました。
このコンテストは物理・化学・生物・地学・数学などの分野で「気になる点」や
「面白そうだ」と感じたことを、調べ研究してきた成果を発表するもので、
世界で活躍する科学者の卵たちを応援する大会です。
天文部の5名が部長の早紀さん中心に「日中における天体観測の可能性」をテーマに
した研究成果を発表しました。
天体観測とは星そのものを観測することですが、星は夜に見えるもの。
そんなある日、日中の月を観測していたら、偶然にも星が見え驚いた早紀さん。
お昼でも見える星があるんだ! 不思議だなぁ、見える星と見えない星。
この差は何なんだ? 早紀さんの疑問から始まった研究だったが、高校の天文部として
日中でも観測出来れば活動の幅が広がり、さらには天文部のある全国の高校と観測結果を共有し、
解析できれば面白いのではと部員の思いが募っていった。
雲がある空を見上げ着目したのは、星の明るさ(等級)と太陽との離隔だった。
明るくても太陽の近くの星は見えにくい。
どの星が見え、どの星が見えないのか出来るだけ多くの事象を得ることにした。
1年生の時の顧問だった福岡先生(七高OB・現在二水高校教頭)に連絡してアドバイスをもらった。
望遠鏡制御ソフトを使いCCDカメラの映像をコンピュータの画面で確認しながら、
シャッター速度を変化させて撮影を行い、もっとも見えやすい条件を探った。
また望遠鏡のフードを長くすることで、大気中の散乱光の影響を減少させられないかと
対物レンズ側に筒状にした黒画用紙を接続し、フードの長さを変化させ画像の鮮明度を探った。
ディスプレイ上に肉眼で確認できた68の天体について、それぞれの等級と太陽との離隔のグラフを作成。
その結果、離隔40度以上で4等級より明るい天体が昼に観測出来る事が分かった。
顧問の中村先生が論文作成を指導し、一連の研究成果をまとめ上げた。
調べてみると「昼の天体が見えるか」についての論文は過去に無かった。
小学生の時から星を見ることが好きだった早紀さん。
星の成り立ちに興味を持つようになり、羽咋中学から天文部のある七尾高校に進学を決めた。
星を見ていると自分がすごく小さく思えるという。悩み事があると星を見る。
壮大な宇宙の中のチッポケな自分。小さなことに捉われている自分に気づく。
羽咋小からの同級生で同期の千愛(ちえ)さんは部長を支える良きパートナーだ。
小さい時から気心が知れた二人が協力し後輩をリードした。
天体ドームでの体験は日常と違う世界が広がりパラレルワールドのよう。
夜しか見えない星、昼は光り輝かないけれど、でも星はずっとそこにある。 と話す千愛さん。
日々の忙しさの中で、本当は有るものを無いと思い、無いものを有ると思って、彷徨って生きていないだろうか。
天体観測する郷土の星、真理を探究しているように見えた。