小田吉之丈(顕彰碑)
小田吉之丈は、明治七年に高階村(現 池崎町)に生まれ、その後、石川県史編纂の仕事に携わっていった。
昭和二年頃から七尾城址保存に奔走し、埋もれていた七尾城に学問的光を当て、昭和九年に能登地方初の国指定史跡への基礎を築いた。
この顕彰碑は平成二年に建てられたものです。
小田吉之丈は、明治七年に高階村(現 池崎町)に生まれ、その後、石川県史編纂の仕事に携わっていった。
昭和二年頃から七尾城址保存に奔走し、埋もれていた七尾城に学問的光を当て、昭和九年に能登地方初の国指定史跡への基礎を築いた。
この顕彰碑は平成二年に建てられたものです。
能登島には在所が二十あるけど、ここだけが海に面していない山の中の在所でね。
海辺から離れた別の所なので別所かなと思うよ。中島町の別所と区別するため、通称島別所と呼ばれているよ。
能登島ゴルフ場に面した山間に田んぼがあるけど、
そこを古別所と呼んでいてね、元の集落はそこだったんだ。
いつの時代か在所中を焼き尽くす大火があってね、今の場所に移ったと伝わっているよ。
昔は自給自足の農業をしながら燃料用の薪を出荷していたようだね。
能登島は加賀藩の流刑地でね、今でいう政治犯や文化人が送られてきたんだ。
別所にも三 名が遠島されたと記録があるよ。
言い伝えによると遠い昔に能登島の草分けとなる八人衆が島に渡って来てね、
島の中を八ヶ所に分けて住むんだが境界を作らず、兄弟以上に仲良く、
お互いに助け合って暮らしていたというよ。
何か問題が生じれば皆で集まって相談をするんだが、
その集まる場所がこの在所だったんだね。
別所の神社は八所大明神が祭ってあって島中の祈願所でもあったんだ。
小さな在所の中に昔は神主が二人と坊さんが六人住んでいたと伝わっているよ。
能登島の秋祭りの締めくくりが十月十九日の別所の祭りなんだ。
祭りの最後のご招待の家で最後を飾る演目が猫踊りなんだよ。
能登島の獅子舞は越中の流れを汲んでいるけど、「にわか」には
島独自のものがいくつかあってね、この猫踊りはその中でも別所だけのものなんだ。
在所の人も全員楽しみにしてるし、踊る青壮年団員も真剣だよ。
最近この踊りが注目されてよくマスコミが取材に来たりするよ。
若い人は外で所帯を持つことが多くなったけど、
この祭りを伝承する使命があるから必ず戻ってくるよ。
小さい在所だからこそみんなの顔が見えて家族みたいもんだし、
祭りが在所の大黒柱となって強い絆で結ばれているんだよ。
猫踊りの映像を見せて頂きました。演じている方はもちろん、
見ている方達も、とても楽しそうで生で見たいと思いました。
みんなで大合唱は気持ちいい~
と~し~の は~じめのためしとて~
小竹 達也 (おだけ たつや)さん
23才 O型
話を聞くことが好きなので、市民のみなさんと接する機会が多いこの仕事に、やりがいを感じています。
ニコニコしながら話してくれる姿を見ると、とても元気が湧いてきます。私も接してくれた方に同じように、元気を与えられるように笑顔を大切にしていきます。
まだまだ未熟なので、先輩たちの姿を見て学び、少しでも早く一人前の職員になれるよう、頑張っていきます!
かっこいい おじさん になりたいです。
住 所:七尾市神明町1番地(ミナ.クル内)
お電話:0767-53-8464
富山湾沿いでお宿とお料理のお店を出して7年が経ちました。
目の前で獲れる魚と自家栽培の棚田の天日干しのお米と野菜を使って料理します。ゴマすりからすべて手作りで自然のものをお出しします。
一客一亭のお宿として、心を込めておもてなしに努めています。自然を愛し、故郷を愛し、自分の心に正直に生きてみたいと始めました。大変なことは沢山ありますが、数々の出会いから学ぶ事も多く、自分を見つめなおすことしきりです。
まだまだ自分の可能性を信じて頑張らなければと思います。
住 所:七尾市庵町ノ2
お電話:0767-59-1615
いつまでも可憐(かれん)で!
枯・れ・ん・げんぞ!ってことから、生まれた女性コーラスです。歌うことが大好きです。「なつかしの青春ソング」が流れると自然に体が動きだします。(代表:升屋 信子)
天保5年(江戸時代)の香典帳が残っていてね、それを見るとこの在所は十三世帯が始まりのようだよ。
集落より少し離れた場所で元屋敷と呼んでいるところがあるんだけど、最初の十三世帯はそこに住んでいたらしいよ。
子どもの頃、その元屋敷の裏山に入ると高さ二間(3.64m)、
幅一間(1.82m)くらいの水が岩の上から流れ落ちていたから、
山の法尻(のりじり)ならず滝の法尻、滝ノ尻となったんかなぁと思っているんだよ。
私が子どもの頃、多くの家では炭焼きと田んぼの生活をしていたよ。
当時はまだどの家も火鉢を使っていたからね。男は山で炭を焼き、
女はその炭を七尾の街に売りに出かけていたんだ。
私の母も十五kgの炭俵を二俵、三俵と背負って山道を歩き七尾の街中まで売りに行っていたよ。
祖父の代から酒屋を始めていたので、帰りに酒を仕入れて、また背負って山道を戻ってくるんだ。
県道がない時代の山道を歩くんだから辛かったと思うよ。
車の通る道が出来たのが昭和三十九年でバラス道だったね。
雪が積もるとどちらに出るのも大変でね、大人は子どもの通学のため雪かきをして通学路を確保したんだ。
県道は細くてカーブも多いけど大事な道でね、毎年九キロを三月には空缶拾い、
七月は草刈と隣の多根町と共同で行っているんだ。
若い人は結婚しても在所に住まないので獅子舞も神輿も出せない状況になったけど、
お盆には懐かしい顔が帰省してくるので二日間の盆踊りを青年団と一緒に盛大にやっているよ。
盆踊りをするグラウンドは在所の四十二名の共有地の田んぼだったんだ。
当時は毎年四名ずつ交替で耕して、収穫したら当番の家に在所中でヨバレに行くんだよ。
そして十キロから六十キロまでの米俵を持ち上げる盤持大会をして盛り上がったんだ。
神社の広場には盤持石があって昔は山からの仕事帰りにそれを持ち上げては
力比べをしていたというから力自慢が多い在所だよ。唐戸山相撲の大関も出ているしね。
小さな在所だからこそ強い絆で結ばれていることは間違いないね。
重い炭俵を背負い長い道のりを歩いた話を聞き、
現代の便利さに改めて感謝しなければなと思いました。
1862(文久2)年、能登海岸防備を命ぜられ「七尾軍艦所」を開設。ヨーロッパから購入した艦船に前田家の家紋の船印をつけたことから「梅鉢海軍」と呼ばれたそうです。
1871(明治4)年に閉鎖されました。現在、その跡に「記念碑」が建っています。
「大きくなったらなんになる?」
わたしの仕事は「教習指導員」です。
西村 晃一(にしむらてるかず)さん(47才)
仕事歴10年
教習指導員の仕事とは、運転技術、安全知識など深く理解し、交通事故を起こさない優良なドライバーを社会に送り出す仕事です。
業界で永遠のテーマが教習統一の問題です。この先生は分かりやすい、あの先生は分かりにくいということを限りなく少なくするために委員会を立ち上げプロジェクトリーダーとして取組んでいます。昔は先生が生徒を指導し免許を取らせる。そんなイメージでしたが今は生徒ではなくお客様、先生ではなくインストラクター。そんな関係の中で単なる免許取得の学校ではなく、社会に優良なドライバーを送り出す使命を担うのが教習指導員だと思います。車社会の現代、地域になくてはならない半ば公的な学校でありながらも民間会社なんです。平成三十年から十八歳人口が急激に減少していきますが経営を考えると危機感を覚えます。私たちにどんな努力が求められるか、何が出来るのか、そんな取り組みの一環として教習統一に力を入れています。
前職が一級管工事施工管理技士で、十五年間会社勤めをしました。毎日夜遅くまで何通りもの施工図を作成して提案します。そうやって一生懸命やってもお客様の顔が見えないのです。喜んでもらえるのは役所の担当者か会社の上司です。もっと直接的に人様に喜ばれ、役に立つ仕事がしたいと何年間も考えていました。そんな想いが高まり転職を決意します。タイミングよく教習指導員の求人を知り、学生時代ずっと二トン車で配送のアルバイトをしていたほど元来車好きの私は迷うことなく応募しました。
七尾自動車学校では普通と中型の自動車とオートバイ、そして除雪車などの大型特殊車の五種類の指導を行いますが、それぞれに教習指導員の資格が必要です。一年に一種類しか受験できないので五年かかり、更にその技能検定員の資格も同じく一種類を一年毎に受験しますので、全部取得するのに十年かかります。このような期間が必要なのは教習指導員には運転技術を画一的に教えるのではなく、男女や年齢の違いなどその人に合った指導が求められるからです。その人の特性を察知し、コミュニケーションが出来、適切な指導を行う。一人前の指導員となるための熟成期間なんですね。段階ごとに教える決まりがありますが、教科書にない目配りを伝え、自分なりに工夫した教え方を取り入れると確実にワンランク腕前が上がることを実感します。会社では教習指導員と中間管理職としての立場にあり正直言って大変です(笑)。夏には県外の大学生が合宿免許に来ますが、みなさん楽しみながら合格していきます。そんなお客様をゲストとしてお迎えし、能登の良さをもっと知ってもらう機会にしようと、今年は七尾検定初級を全教習指導員で挑戦しました。人との関わりを大切に出来て、世の中に役立つことが出来る、そんな仕事が出来る事に感謝しています。
七尾自動車学校 ☎0120‐025 -770
2015年取材
瀧川 小春 (たきかわ こはる)さん
32才 O型
人と接することが好きなので、オープンカフェポケットに勤めました。お店のメニューにハワイフレーバコーヒーが7種類もあり驚きました。
フレーバーとは香りです。甘い香りがするコーヒーですが、飲みやすくて、ほぼノンカロリーです。
コーヒーが得意でない方も、「これなら飲めちゃう」と喜ばれることがあります。
毎日コーヒーの香りに癒されて、美味しいランチを頂いて、幸せです。
住 所:七尾市和倉町ひばり2丁目5(カラオケ合衆国内)
お電話:090-4322-5148
運送業界も激しく変化してきました。
世の中「常なるもの無し」と思うので、変化に即応を心がけています。そのために、いかに過去の成功体験や我を捨てられるか、冷静に事の本質を見極めているか、素直な気持ちで自問自答し経営判断をします。成功も失敗もあります。
人事を尽くして天命を待つ心境になりますが、本当に人事を尽くしきったのか胸に手を当て反省の日々です。
住 所:七尾市矢田町2-1
お電話:0767-53-0252
8月、第46回全国中学校ソフトテニス大会が山形県天童市で開催され、64ペアが出場した女子個人戦で見事準優勝を成し遂げた山崎・藤岡ペア。中学生はシングルがなくダブルスでゲームする。3年生女子テニス部員は5名、昨年秋に長元コーチが二人をペアに決めた。お互い予感があったという。綾乃さんは鳥屋ジュニアで小2から、佑衣さんは七尾ジュニアで小3からテニスを始めた。佑衣さんは七尾市在住だがジュニアで全国大会へ行けなかった夢を果たすためテニスの強い中能登中学へ越境入学をした。綾乃さんは小6で全国大会へ出場し2回戦まで進んだが、中学では優勝したいと入部した。
原点は鳥屋中学女子テニス部にある。北信越優勝、全国出場の実績を持つ。中能登中学に統合された一昨年と昨年は個人戦で全国ベスト8に進出している。そして今回の準優勝につながっていくのだが、監督、コーチも全国大会という経験を重ねる中で、毎回反省点を洗い出し、勝つための戦略や戦術が巧みになってきたという。宿谷監督に二人の強みを聞いてみた。後衛の山崎はパワーがあり中学生離れした重くてスピードのあるレシーブを返し、前衛の藤岡はラリー中の際立った勘の良さでボレーを決める。そして二人に共通することは高い目標を持っていることと負けん気が強いことだと話す。綾乃さんは相手の打球が速ければ速いほどレシーブを返しやすいと言い、佑衣さんは相手を迷わす動きを考えると言う。テニスはメンタルの勝負でもある。いかに相手の精神状態をかく乱するかだが、逆に気を乗せられないと一気にやられてしまう。監督は正直ベスト8も厳しいかなと思っていたので驚いたというが、練習量を聞くと年末年始以外、毎日だというから地力がついていたのは間違いない。
二人は仲良しではあるが、べったりの仲良しではない。お互いの目標が一致しているので必要なパートナーなのだ。だからこそ練習では言葉がストレートになり時として感情がぶつかり合う。キャプテンが心配してコーチに相談したという。しかし、そんな感情を引きずりながら、気まずい状態でも練習は続く。そしていつの間にか元に戻っている。強さの秘訣はそこかも知れない。高い志は私情をコントロールするのだ。本当に仲が良いということは、目標に向って成果を出すため、どんなことがあっても最後まで協力しあう仲間のことだと二人の姿から教えられた。5勝1敗での準優勝、綾乃さんは負けるかもしれないと思ったとき声援によってピンチが乗り越えられ応援の力を感じ、佑衣さんはラッキーなプレーも多く運も感じたが、努力した分だけ結果がついてきて神様が見ているんだと感じたという。これからもテニスを通じて何を学び、どう成長するのだろうか。楽しみな二人である。
ミナ.クル 第10回クリスマスツリー写生大会
おめでとうございます!写生大会で「こみみ情報局賞」を受賞された皆さんを紹介します☆
室町時代の古文書に伊折村と出てくるのが最初らしいよ。
それが江戸時代に庵村となっているんだ。
庵とは軍隊の宿営地という意味もあるから、地政学的に想像するのもおもしろいよ。
伊掛山、七尾城、石動山、海岸線、などの地勢と歴史的な背景を考えると、
何か理由があって伊折を庵としたんだろうね。
ここには前畑(まえばたけ)という言葉があるけど、前の畑とは海のことなんだね。
「一万円札が泳いでいるのに、なんで捕まえんがや」と言われるくらい
山間の畑より前の畑のおかげで生活してきたからなぁ。
昔は鱈網や鰯網、マグロの子どもを獲るしびこ網など仕掛けていたけど、
今の定置網は鰯からクジラまで何でも獲れるんだよ。
魚は沖から磯へ入ってまた沖に戻る習性があるんで、
戻る魚を道網で誘導して定置網に入れるんだね。
子どもの頃は家の土間にブリが三本も四本も並んでいたね。
灘の定置網の歴史は戦国時代からと古いけど、漁場をめぐっての争いの歴史もあるんだよ。
前田利家がこの地の争いを判決した記録もあってね。
灘の海岸には沢山の定置網があるけど庵の漁港は岸端定置網組合の基地でね、
岸端は昭和五年に白鳥「岸の網」と江泊の「端の網」が手を結び、
さらに昭和六十三年に庵と百海の定置網も加わって、
今では網の規模と漁獲量は定置網では日本のトップクラスになってるよ。
これからは獲って売るだけでなく付加価値を付けて売ることも考えんならん時代やと思うよ。
親父の遺言が「漁師にだけなるな」だったけど紆余曲折して結局この世界に入ってしまったよ。(笑)
今は引退して町会長しとるけど毎朝四時過ぎに出漁する漁師の
活力が在所はもとより地域の活力でもあると感謝してるんだ。
在所の中は高齢化が進んでいるのでより一層近所付合いを大事にしないとね。
特に班単位で付合いを深めて常に声かけをして顔をみて何か気付けば
いおり道の駅は石川県で3番目に指定されました。
隣接するいいパーク七尾はキャンプも出来ますよ。
遠くにいる家族に連絡する。それが高齢化の進んだ在所の共助のあり方だと考えているんだよ。
いおり道の駅は石川県で3番目に指定されました。
隣接するいいパーク七尾はキャンプも出来ますよ。
みんなご存じの長谷川等伯。
この能登の地、七尾市で生まれました。安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師で、著名人らと並び称される、桃山時代を代表する画人です。
故郷を旅立とうとする等伯の銅像「青雲」は七尾駅前と七尾マリンパークにあります。
ミナ.クル ツリー点灯式☆
七尾市の高齢化率が33%を超えました。2025年には団塊の世代の方が、75才以上の後期高齢者となります。
七尾市は比較的医療も介護も充実していますが、それでも十分ではありません。今後は、地域でご高齢の方々を支えていく「地域包括ケアシステム」の確立が求められています。
病院と診療所の連携、医療と介護の連携を進める上でも、是非身近でなんでも相談ができる「かかりつけ医」を持つようにしていただきたいと思います。
私達は、あらゆる世代の「かかりつけ医」をめざしています。
住 所:七尾市石崎町タ部13-1
お電話:0767-62-3765
青山 俊平 (あおやま しゅんぺい)さん
21才 B型
自分がやりたいと思うことは何かと考えたとき、「人と関わる仕事がしたい」と思いました。
4月に入社してからは毎日が新しいことばかりで大変なこともありますが色々なことを経験させてもらっています。旅館やホテルは沢山の人と関われるのでとても充実しています
。何かに挑戦する時は「できない」で終わりたくないと思っています!できる範囲でお客様の要望に応えられるフロントマンになりたいです!
住 所:七尾市石崎町香島1丁目14
お電話:0767-62-3131
石野 はるか (いしの)さん
24才 O型
大学は県外へ出ていましたが、元々自然が大好きな私は、その時に地元の自然の豊かさに改めて気付きました。能登の素晴らしい自然を少しでも守っていけたらと思い、就職しました。
入庁1年目で未熟なところもありますが、みなさんの「ありがとう」の声に日々励ましをもらい頑張っています!ご恩とご縁を大切にしながら、能登の自然の魅力を発信していきたいです♪
住 所:七尾市袖ケ江町イ部25番地
お電話:0767-53-8421