こみみかわら版バックナンバー

第199回 中能登町尾崎


在所名の由来

海に向かって突き出ている陸の先端のことを崎というけど、地形的にここは山手の小竹、水白の在所から邑知潟に突き出た陸地だったというから、「おさき」と呼ばれたであろうと在所では認識しているんだ。
一六七九年の古文書にはすでに尾崎村と記されているようだね。

昔の在所

田畑で暮らしを立ててきた在所だけど、水に苦労してきたんだ。小竹、水白、久江の山手の在所から水を貰わなければ生活が成り立たないから、それらの在所に従わないとならなかったんだ。だから余計な事を言わずにコツコツ働くしかなかったんだね。

「働け、働けチキチキホイ! 働く家には福が来る♪」と唄って朝早くからみんな働いていたんだよ。おかげで目立たないけどコツコツ型の真面目な人が多く、賭け事で破産した家は一軒もないよ。

昭和四十年に在所で二カ所鑿泉し、平成二十年からの圃場整備で気兼ねなく水が手に入るようになったんだよ。

在所の明泉寺に昭和二十年四月から十月まで大阪の滝井小学校から六十七人の子供が疎開してきたのでみんなでお世話したんだよ。

その明泉寺境内で私が高校に入る頃まで相撲大会をしていたんだ。中学生が主催者で土俵を作り世話をするんだけど、これは昭和二十年代に少年団が出来てからの伝統だったよ。当時の子供たちは相撲大会の景品を買うのに、野菜を作り、すんば(杉の葉)や薪を拾い、孟宗竹の皮を集めて売っていたんだ。

現在の在所

上班と下班があるけどそれぞれに火の用心をずっと続けているんだ。昔は子供たちでやっていたけど今は順番で家ごとに回るんだよ。

尾崎と小竹と水白は全国でも珍しいほど互いの飛地が入り組んでいる場所でね。圃場整備で田んぼの飛地は解消したけど在所の中は複雑なんだよ。

将来を思って火葬場跡を慰霊の小公園に整備したんだ。人口減少が進むから負担が少なくコンパクト運営が出来る在所に今から取り組んでいく必要があると思うんだよ。

先月尾崎獅子舞の囃子や舞い方の調査研究の依頼があったので鉦太鼓を聞いて三十年ぶりに踊ったけど、懐かしくも楽しく、しばしの祭り気分を味わったね(笑)。コロナ禍で祭りも行事も中止してきたけど今年は感染予防しながら区民餅つき大会をやる予定なんだ。

区のお知らせも月に1回、2回とプリントして、声掛けしてもらいながら配布しているけど戸数、人数が丁度のまとまりの良い在所だと思っているんだ。

あきこの一言

田園の中にたたずむ在所
古刹明泉寺に集う民


中島中学校 女子バスケットボール部


上級生・下級生ともに仲が良く、明るく元気なメンバーです。

中島ミニバスクラブから活動している生徒に、中学から始めた生徒が加わり、バスケの楽しさを味わいながら大会上位を目指して練習に取り組んでいます。

地域のスポーツクラブの指導者の方々から指導応援を頂いていて、恵まれた環境に感謝の思いで活動しています。

顧 問:門前 久義先生  コーチ:田辺 紀夫さん

キャプテン:堀 釉菜さん  副キャプテン:宮本 真子さん


北陸電気保安協会 七尾地区本部


北陸電気保安協会 七尾地区本部 中田 千歩(なかだ ちほ)さん 26才 O型

羽咋工業高校の電気科でした。 当時の恩師に今の仕事を教えてもらい、興味を持って入社しました。

現場での仕事は覚える事が多い上、資格試験の勉強もあって当初はとても苦労しました。 今年で8年目になりましたが、今でも勉強の毎日です。

危険と隣り合わせの仕事ですが、電気の安全を守るという思いを持って、一人前の電気主任技術者になれるよう精進していきたいです。

住 所:津向町ト101番地1
お電話:52-4393


第109回 私の仕事は『理学療法士』です。


人生に寄り添う

仕事歴4年 秋山 美紅さん 29歳

痛いです!

リハビリ中に暴力的になった患者さんがいました。
その時は驚いて、「痛いです!」とムキになってしまいました。
上司に相談すると悪気があるのでなく病気だからお互いにカッとなっていても仕方がないよ、と諭されその通りだと反省しました。
患者さん自身が思うように体を動かせないことの歯がゆさ、いら立ちが募ったのだと思います。
今なら無になって患者さんが落ち着くまで待ちます。

理学療法士の仕事は病気やケガで立つ、座る、歩くなどの動作が出来なくなった機能を
回復するためにリハビリを行います。

ありがとう

私は東京都出身です。
スポーツが好きで高校、大学とチアリーディング部に所属し、プライベートでもスキューバーダイビングを楽しんでいました。
そんなこともあってスポーツトレーナを志し法政大学スポーツ健康学部に進みました。
スポーツジムでアルバイトをしていましたが大学三年で就活が始まる時に「進む道がちょっと違うかな…」と思うようになりました。
健康な人のパフォーマンスを上げるのではなく、障害で困っている人を助けたいと思うようになったからです。

私は子供の頃から「ありがとう」という言葉が大好きでした。
「ありがとう」は言っても言われても嬉しい言葉で、善い事ばかりです。
そんな「ありがとう」を言われるような仕事に就きたいとの思いに駆られ、大学四年の春に理学療法士の資格を取得するための専門学校夜間部に入学し大学と掛け持ちで勉強を始めました。



理想の環境

専門学校の時に都内の病院で実習しました。
患者さんは最初に急性期専門の病院でリハビリを受けますが、少し良くなると今度は回復期専門の病院に転院を余儀なくされます。
そして生活期にまで回復するとまた専門の病院に転院しなければなりません。
人口密度の高い都会では目の前の患者さんを手際よくさばいていくという感じで、人として関わっていくという感じがせずどこかピリピリしていました。

就職先を探すとき父に相談しました。
医療関係に従事している父が「こんな病院もあるよ」と紹介してくれたのが恵寿総合病院でした。
恵寿の経営方針を見て患者さんを急性期、回復期、生活期から介護まで一貫してお世話する理想の環境を知り「これだ!」と思いました。
急性期から介護まで、入院、外来、通所、訪問で三百六十五日リハビリ出来る体制にしてある病院は少ないと思います。



理学療法士

私の担当は十五名で院内と訪問でリハビリしていますが、みなさん楽しんでリハビリをしてくれるので有難いです。
理学療法は奥が深く、脳、骨折、循環器などの疾患ごとに治療方法が違います。
技術面の知識がどれだけあっても十分だと言えません。
患者さんの最適なリハビリを選択するためには、技術面だけでなく個人の価値観を理解することも大切です。
地道で時間をかけ根気よく続けなければなりませんが、訪問リハビリで歩けるようになった患者さんに「出来なくなった事が、また出来るようになるということは、本当に嬉しい事なんだよ」と言われた時、改めてこの仕事に就いて良かったと思いました。

一人一人と目標を共有し、寄り添うことで信頼関係が生まれ、共に人生を考える時、また私自身の人生も見つめているように思います。

恵寿総合病院 リハビリテーションセンター


はい!店長です-フィットネスクラブ ミナクル7O


フィットネスクラブ ミナクル7O 青木 満雄(あおき みつお)さん 41才 B型

運動することが大好きから始まった、目指せトレーナーへの道。
先輩たちから『指導者のあるべき姿』を学び、今では運動を通してみんながハッピーになるお手伝いをしたいお節介なトレーナーになってきました。

今、心配しているのはコロナ禍での運動不足です。
筋力不足や体重の増加による生活習慣病など、皆様の健康が気になります。

ぜひ、七尾駅前ミナクル7Oで一緒に運動しましょう!

住 所:神明町1番地 ミナ.クル内
お電話:54-8511


城山野球場


昭和33年に自衛隊が後畠町の原野を開き、隣接する七尾陸上競技場とともに造られました。
収容人数は2430人で、照明設備が6基あり、ナイターも可能です。

石川ミリオンスターズが公式戦の一部を開催しています。
10月9~12日には全日本中学女子軟式野球大会が行われました。


はい!社長です-呑み食い処こばやん


呑み食い処こばやん 小林 知沙都(こばやし ちさと)さん 27才

京都の居酒屋で働いている時、 ある人と出会って、地元の人にもっと美味しいものを知ってほしいと思い、自分で飲食店を始めて6年目になります。 お陰さまで4店舗を経営しています。

コロナ禍で耐えるしかない時期ですが、「楽しい!美味しい!また来たい!」と思ってもらえるお店づくりをしています。

地元を活性化する為に若い力で頑張ります。 まだまだやりたい事が沢山です!

住 所:和倉町ヨー5番地7
お電話:090-2836-5872


七尾高校 外国語研究部


語学だけではなく、文化や歴史・世界の現状など様々な分野について探究しています。

知りたい事・実践したい事など学年を問わず意見を出し合い、一から皆で計画を立て進めています。

大会に向けて英語の発音や表現力を向上させ、異文化への関心知識を深めていて、英語の文章力が身に付き英会話を楽しめるようになりました。


顧問:三山 梓先生

部長:上坂 美和さん


第63回 「輝け!郷土の星」英語スピーチの酒本諒矢くん(七尾高校1年)


第16回石川県高文連英語スピーチコンテストで1位

8月22日に開催された県内高校1年生の英語スピーチ大会。過去15回大会までの常勝は金沢地区の高校で七尾高校は4位入賞が1回。そんな大会で見事に1位に輝いた諒矢くん。

県内から24名が参加、3分間から5分間の持ち時間でスピーチする。単に英語で上手に話すだけでは入賞は出来ない。テーマ、文脈、表現力、発音、メッセージ力、全てが評価される。
みんな上手だ、なんとか入賞できればと思っていたが、思いもよらず1位になり嬉しかった。

コンテストを通して人に自分が心から思っている意見を英語で伝える楽しさが身に染みてわかったと言う。

ジェンダー

宝達中学から七尾高校文系フロンティアコースに進学。
空手と柔道が初段の諒矢くん、部活動を選ぶ時に武道を極めようか、外国語研究部にするか迷ったが、新たな発見をしたいと外国語研究部に決めた。

英語は小4から中3まで公文式で習っていたので下地はあった。中学生の時はALT(生きた英語を教える外国人助手)の先生に積極的に話しかけ会話を楽しんでいた。

そんな諒矢くんが選んだテーマはジェンダー(性的平等)だ。学校の特別授業でSDGs(エス・ディー・ジーズ/持続可能な開発目標)について調べた時、ジェンダー平等の現実があることを知った。
クラスで金沢大学の教授から性的平等について深堀りした内容を聞いた。
ジェンダー、言葉としては知っていたが、中身は過酷だった。この事実を英語で伝えたいと思った。

伝える喜び

日本語で要約した文章を作る。英語に置き換え自分なりにチェックをした上で、4人の英語の先生に添削してもらい表現をブラッシュアップさせた。

暗記だけでは単語を並べただけのスピーチでしかない。これでは伝わらない。
自分の心底の思いを伝えるため夏休み中も登校し、毎日一時間、スピーチを先生に聞いてもらった。
隙間時間が出来ればスピーチし、数えきれない程の練習を重ねた。

先生から身振り手振りを加え体全体で表現するようアドバイスを受ける。
お風呂でも鏡を見ながら自分を客観的に見て練習を繰り返した。
そうして取り組んでいったら、自分自身が自分のスピーチに対して気持ちが乗るという感覚を掴んだ。
感情を伝えるための身振り手振りが文脈にセットされると、身振り手振りの後追いで文章がスラスラついてくるのだと言う。頭で言葉や単語を思い出すのでなく、頭より先に自然と言葉が出てくる域に達したのだった。

大会での5分間、性的平等とは何か?女性の社会への躍進や地位を守るという意味合いで使われているが、世界では貧困国ほど凄まじい格差がある。解決するのは私たち世代でもあるが、そもそも何かしらこういう事実があるという事を、何があっても皆さんに知ってほしい!と訴えた。情熱と熱意が全身から溢れ出した気迫あるスピーチだった。

真面目で、負けず嫌いで、努力家の諒矢くん。
次のスピーチに向け更なるレベルアップを目指し、新たなチャレンジが始まる。 Have fun!



第198回 七尾市旭町


在所の由来

旭町は池崎と東三階の山林五十町歩を開拓して昭和二十九年にできた町なんだよ。命名の由来は分からないけど、新しい町なので、朝日が昇るように輝かしく、希望に満ちた将来をイメージしてつけたのではないかと思えるね。

昔の在所

昭和十九年、温井の多村重二さんが最初の入植者なんだよ。私の祖父も多村さんに付いて一緒に入植しているのだけど、最初は三世帯で開墾を始めたらしいね。
第二次世界大戦の敗戦で一時中止され、昭和二十一年から再び十七戸が入植して開拓が始まったんだ。

ジャガイモやトマト、スイカなどのいろんな野菜を栽培していたようだね。
私の家は葉タバコの栽培もやっていたけど大変な作業だったよ。種から一本一本の苗を作り、畑に植えて、マルチを張って霜の無い時期にマルチを外すんだ。ただここは霜が強い場所で当時は五月でも霜が降りたからね。葉タバコは熱帯性植物なので霜には弱いからマルチを外しても月が高くて気温が下がってきたら「まずいなぁー」と言って夜中でもマルチを張りに出かけていたよ。
葉タバコはものすごく苦いので畑の中には蛇はいないけど、青虫がつくんだよ。葉のヤニで手は真っ黒になるしね(笑)。

当時は葉タバコを乾燥させるのに専用の土蔵があったんだ。蔵の中に縄を張って葉をいっぱいに吊るして、三日三晩、蔵に泊まり込んで床下で薪を焚くんだ。乾燥した葉を家で選別して矢田新の専売公社の検査場へ持って行くんだけど、一等級、二等級は良い値がつくのだけどなかなか取れないんだよ。
父がコンパクトな電気乾燥機を購入して一年目に病気になってね。それで昭和五十九年を最後に旭町から専業農家がいなくなったんだ。

現在の在所

住んでいる人は全員入植した家の人たちなんだ。昭和四十三年くらいにほとんど勤めに出るようになって、今では自家菜園を楽しんでいる感じだね。開墾した畑の多くに杉を植林してまた山に戻ってしまったよ。

みんなで力を合わせて山を拓いてきた歴史があるから在所ごとはみんな協力的だよ。
今年も神社と集会所の屋根を直したんだ。昭和四十五年五月二十二日に宮が落慶したのでその日が春祭りなんだ。奉燈も二十年くらい前まで曳いていたけど、今は六十代以上の世帯ばかりになって花見と夏まつりで一杯飲むようにしているんだ。

新しい町だけど我々にとってはここが愛すべき故郷なんだよ。

あきこの一言

閑静な通り、手入れされた菜園
穏やかな空気、旭の在所


五本杉(山崎町)


阿良加志比古神社の社殿左側に樹齢900年以上の大きな杉があります。
高さは35mほどあり、地上5mの所から五つの幹に分かれています。

五本杉と呼ばれ七尾市の天然記念物に指定されており、
境内の空気は凛として、まさにパワースポットです。


ケービックス


ケービックス 馬場 俊男(ばんば としお)さん 78才

建具職人をしていましたが、リタイアしてからは和倉温泉で掃除や片付けのパートをしながら、
毎日草むしりや、木の剪定、畑仕事を楽しんでいます。

旅行が好きで家内や友人と年に6回は出かけていましたが、今はコロナ禍で行けないので、
その間にスマホのラインを覚えました。

晩酌で1日の疲れを癒しています。
これからも前を向いて暮らしてしていきたいと思います。

住 所:和倉町タ29−2
お電話:62-4122


FC七尾ウエストの選手たち★


ウエストでいっしょにサッカーをしよう!
随時、選手募集中!

FC七尾ウエスト 代表:小浦 090-3765-8658


田鶴浜ブルーエンジェルス


「学童野球田鶴浜クラブ」を平成31年4月に改名しました。

田鶴浜小学校の2年生から6年生の17名で火・水・木は17時から、土日は午前中練習しています。

勝つ事の喜び・負けた時の悔しさを感じて人間性がきたえられます。 野球を通じて生活態度や礼儀・チームワーク、努力することの大切さを学べるチームづくりをしています。


監 督:田村祐二さん  コーチ:柿島大雅さん・粟津賢栄さん

主 将:山田倖生くん


第197回 田鶴浜西下


在所の由来

江戸時代には下村だったんだ。明治十一年に郡制が施行され行政区画としての鹿島郡が発足した時は今の七尾市も全部鹿島郡なんだよ。そうなると徳田地区の下村と二つの下村が存在するので、明治十七年にこっちの下村を西下村と改称したんだ。

その後明治二十二年に伊久留村、七原村、吉田村、西下村瀬戸村、花見月村の六村が合併して相馬村西下となり、昭和二十九年の町村合併で田鶴浜町西下となって、平成十六年の合併で七尾市西下町となったんだね。

昔の在所

明治二十二年の西下の戸数は三十三軒で、人口は百七十五人と記録されているけど、昔から四十軒ほどの在所なんだ。

二宮川、伊久留川、吉田川が合流して耕作に恵まれ、一軒平均一町歩の田んぼがあって、大正二年に耕地整理組合が結成されているんだよ。

子供の頃は二宮川で小さい子に泳ぎを教えながらみんなで遊んどったね。山の中を走ったり縄跳び、缶蹴りなど子供を集めて、上の子が下の子を親代わりで面倒見ていたんだ。隣在所が七尾市の満仁で、そこの子供たちと西下の岩武(いわたけ)神社でソフトボール試合で張り合っていたよ。

どの家も山と田んぼがあるので長男は大学行かないで家を守って百姓をしろという風潮だったけど、勤めるより田んぼの方が良かった時代もあったんだね。嫁に出すのも田んぼのない所にはやれないなんて言っていたなぁ(笑)

小さな在所だけど山や田んぼで財力があったせいか自尊心が高い人も多くて大きな声に流されることはなく、様々な意見を時間をかけてまとめていたみたいだよ。

現在の在所

岩武神社の御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で熱田神宮から勧請したもので由緒があるんだよ。昔は活気があって獅子舞や奉燈も出していたけど、七年前から参拝だけの祭りになってしまったんだ。この前神社の草刈りをやったけど集まったのは六人だよ。若い人が帰ってこないから高齢化が一挙に進んだ感じだね。

私は大阪の会社に勤め全国を回ったけど、退職し戻って改めて故郷は安らぎのある良い所だと実感しているんだ。なにより昔からの仲間が財産だね。そんな仲間と五年先、十年先を見据えて地元愛をどう育んでいくか話し合っているところだよ。

あきこの一言

里に流れる大きな川、
大きな家並み、趣きある在所


はい!社長です-わかさ経営会計 若狹泰英税理士事務所


わかさ経営会計 若狹泰英税理士事務所 若狹 泰英(わかさ やすひで)さん 54才 A型


税理士業に従事し32年、社長になって10年が経ちました。

この激変消滅の時代を乗り越えるには新たな視点で先を見据えた戦略を立て、そして目の前の一つ一つを見直して、スピード感を持って確実に成し遂げていくことが大切だと思います。

今仕事を続けられることに感謝を忘れず、安心され、信頼され、喜ばれる仕事をモットーにお客様や地域に貢献できればと思っています。


住 所:塗師町37番地
お電話:52-3548


第62回 「輝け!郷土の星」なぎなたの 袋井 莉子さん (鵬学園3年)


石川県高校総体「なぎなた」で個人優勝!インターハイ出場!

新しい事にチャレンジしたい!
部活紹介で見た先輩の袴姿がかっこよく、入部を決意した莉子さん。
最初は「本当に出来るかなぁー」と不安もあったが、やってみると意外と楽しく、
早く先輩のように活躍したいと稽古に励みました。

1年生春の総体、秋の新人戦は共に1回戦敗退。
2年生ではコロナ禍で正式大会がなく代替試合で初めて勝利します。
しかし遠征ができず、試合もないので成長の手ごたえがつかめません。
そんな1年間、自他ともに認める負けず嫌いの莉子さんは、
「先輩のように強くなりたい」「絶対に負けたくない」と黙々と稽古を積んできました。

そして今年6月の石川県高校総体で見事に結果を出し、団体戦準優勝、
試合競技で優勝、演技競技で準優勝。三種目でインターハイ出場を決めました。

堅忍不抜

日本古来の武道である薙刀ですが、平成9年から「なぎなた」として高校総体の正式種目になりました。
試合競技では2m20㎝のなぎなたを構え、間合いを取り、切っ先を合わせ一瞬にして、面、小手、胴、臑(すね)を打ち合います。

演技競技は2人1組で技である「しかけ、応じ」の型を披露し2人の息の合い方、正確性を競います。
今年の鵬学園は層が厚く、莉子さんと共に試合競技で島悠華さんが準優勝、豆田愛奈さんが3位と上位を独占しました。
演技競技でも佐伯知咲・袋井莉子組が準優勝、山本留衣・川尻チハル組が3位入賞です。

過去インターハイ個人準優勝者2名を出しているなぎなた部。
指導は顧問の田中千秋先生を始め、東部中なぎなた部で顧問をしていた山崎登志美先生の胸も借ります。
2人は平成3年石川国体で県代表選手として団体優勝しています。

また社会人になった先輩も稽古に顔を出してくれ環境に恵まれています。
毎日3時間程の稽古を通して、人としての道、礼儀礼節も躾けられます。
卒業生は身に付いた礼儀や気配りが社会の中で自然に出来ていることを実感するといい、田中先生は学校生活もキリッとしてきて、人生の財産を培っていると話します。

そして鵬のなぎなた部は頑張れば全国の舞台に立つことができるので、人の出来ない経験をさせてあげたい。
そのために部訓の「堅忍不抜」、苦しい時も心を強く持て!と指導します。


主将として

莉子さんは先頭に立って全国で勝ち上がる目標を掲げ、何事も率先垂範で行動します。
時に強く、厳しい物言いもしますが、「勝ち上がった喜びを分かち合いたい!」という
莉子さんの思いを、全員が受け止めているのでチームは団結しています。

莉子さんは絶対に負けたくないという気概で、足の親指の爪が剥がれても絆創膏を巻いて稽古を続けます。
そんな姿に田中先生も莉子さんのリーダシップを高く評価し、チームに欠かせない存在だと認めます。

この夏のインターハイでは、個人戦予選リーグを突破し、べスト16という結果を残しました。

莉子さんの将来の夢は保育士です。子供が好きなこともありますが、誰かの役に立ちたいと志を立てたのです。

なぎなたで鍛えた堅忍不抜の精神で更なる飛躍を期待します。


霧谷の池(細口)


徳田段丘の中央部に位置し貝殻層の割目から湧き出る泉水で
細口交差点近くにあり、夏冬を通して水温は15度です。

ホタルも繁殖する綺麗な水質でかつては酒造り用の水として用いられました。

地区の人たちが掃除をして管理する憩いの池です。
昔は有名でしたが今は知る人も少なくなりました。


七尾市役所 総務部 総務課


七尾市役所 総務部 総務課 山城 翔太(やましろ しょうた)さん 37才 O型

昔から、多くの人と接する仕事に就きたいという思いがあり、市役所に就職しました。
今年で10年目となります。

沖縄県から七尾市に移り住み、最初の頃は不安な気持ちでいっぱいでした。
けれども、職場や市民の皆さんの温かい心に触れ、不安はすぐに無くなりました。

皆さんへの感謝の気持ちを忘れず心を込めて頑張ります!
食べ物もおいしく、七尾市に住めて良かったです。

住 所:袖ケ江町イ部25番地
お電話:53-1111