こみみかわら版バックナンバー

のと里山里海ミュージアム


のと里山里海ミュージアム 床坊 睦美(とこぼ むつみ)さん

過去の作品や資料、史跡などが今も影響を与えている事に興味があり、
美術館や博物館の仕事に就きました。
里山里海ミュージアムに来て、まだ知らない能登の暮らしがある事を感じていますが、
幼い頃に祖父母から自然と教えてもらった事が、今の仕事に生かされることは感慨深いです。
能登の事を改めて学びながらいろんな魅力を伝えて行けたらと思います。

住所:七尾市国分町イ部1番地
お電話:0767-57-5100


中島中学校 野球部


小学3年から野球を始め、今も青山先生指導のもと頑張ってます。

練習を毎回本気に熱心にやる事によって、集中力や最後までやり切る力が付き、
それが試合での勝利につながっていくと思います。

みんな仲が良いのでコミュニケーションがきちんと取れ、
初心者と経験者が一緒に楽しく野球しています。(キャプテン 堀口 健蔵)


はい!社長です-ぐんぐん*療育教室


ぐんぐん*療育教室 松本 千寿(まつもと ちず)さん 31才

発達が気になる0~18歳の子どもたちに、集団活動や個別学習を通して身辺自立、運動発達、
学習、コミュニケーションなどの療育、支援を行う施設で児童発達支援管理責任者をしています。

以前、特別支援学校や特別支援学級で教員をしていた経験を活かし、能登でも気軽に相談をし、
療育を受けられる場を作りたいと思い起業しました。 将来の夢は家族で世界旅行です。

住 所:中能登町福田ロ部107番地
お電話:0767-77-1550


大森玉木像(愛宕山)


大森玉木(たまき)氏は明治19年直津に生まれ、衆議院議員を6期勤めました。
東京浅草で玉木座を開き、七尾府中町にも玉木座を旗揚げ市民に憩いの場をもたらしました。
病院建設に多額の寄付をするなど尽力し名誉市民の称号が贈られています。


第171回 能登島百万石


在所名の由来

昭和三十四年に石川県営パイロット事業の一環として、閨、通、田尻、久木の各一部、
六十ヘクタールを開墾した開拓地で、加賀百万石にちなんでたくさんの穀物ができるようにと
命名されたそうだよ。

当時を知る瀬成良信さん

昭和三十五年に十六戸の農家が入植しているんだけど、当時からの瀬成良信さんが詳しいので
一緒に話を聞かないとね。瀬成さんは親戚だった当時の能登島石橋町長から勧められ父親と一緒に
入植したそうです。

八ヶ崎出身で作事町に新宅していたけど、まぁやってみるかということで入ったけど
二十七歳は最年少だったよ。戦後パイロット事業が展開していた時期で入植者は全国から集ったんだね。
一人当たり三町三反歩(約3ha)の配分だったよ。掘っ建て小屋からスタートしたんだ。
お互いに頑張りましょうと一杯飲んでいたから結束力があったよ。一年後に小さな家を建て、
十年後には神社を建てようということになり島山神社を建立したんだ。

パイロットの事業計画ではリンゴ栽培だったのでやっては見たけどパッとしなくてね、
それで自由に好きなものを栽培しようということになったんだ。
ここは粘土質の赤土なので三年間ほどジャガイモを植え、その次にタバコを植えるようになったけど
タバコは専売公社が買い付けしてくれるので安定していたよ。不作でも六割は保証してくれたからね。

今八十七歳だけど六十五歳からタバコが下火になり七十歳でタバコは終わったんだ。
次に何を作るかという選択になってね、そこで息子たちが始めたのがネギだったんだね。
今は孫も一緒にやってくれているよ。

現在の在所

今は瀬成さんのように農業をやっている家が九軒あるけど、それぞれでいろんな取組をしているんだよ。
高農園さんは有機栽培でいろんな野菜を作って全国のレストラン向けに出荷しているし、
本格的に畑をするには広々としていて良い環境なんだね。それと農家以外の家も七軒あるんだ。
私のように自然の中でのんびり暮したいという人にも良い所でね。
排他的なことは一切なく新しく来た人に優しい在所で、のん気に暮らすにも良い環境だよ(笑)。

少子化と一極集中で能登島全体の人口も半分の二千五百人ほどになって高齢化も進んでいるけど、
つながりを持って仲良く暮らしていけばこんな安全で安心な場所はないと思えるんだ。

あきこのひと言

開拓者精神で半世紀を越え、
穏やかな笑顔、継続は力なり。


はい!社長です-巻建設


巻建設 辻森 久美(つじもり ひさみ)さん 45才

昭和28年父が創業、私は平成29年に社長となりました。
創業時は土木・建築でしたが、現在は土木工事の会社です。

最近は建設業にも女性技術者の入職者も増え、以前とは違う環境になりつつあります。
近年の大雨等自然災害が多発する状況の中、地域住民の安心で安全な暮らしに
寄り添える企業として、そして女性ならではのパワーで頑張ります。

住 所:七尾市相生町43番地の2
お電話:0767-53-2006


どんたく


どんたく 出島 健伯(でじま たけのり)さん 47才

人と接することが好きだったので、どんたくに入社しました。
現在、地域支援事業として、買物が不便な所を回る移動スーパー「とくし丸」を担当しています。
多くのお客様に「お家の近くで選んで買い物が楽しめる!」と喜ばれています。
一緒に頑張る仲間をもっと増やして、買物としてのお役立ち以外にも、
これらの地域の安心へも貢献し、頼られる事業として頑張っていきます。

住所:七尾市作事町80番地
お電話:0767-53-2727


田鶴浜高校手話部


体験入学で手話を見て感動を覚え、入部しました。

練習で相手に伝わるように伝えること、相手の思いに耳を傾けることを常に意識するようになり、
おかげで手話に限らず誰とでも楽しくコミニケーションが出来るようになりました。

手話歌や劇で仲間と切磋琢磨し今年全国大会に出場することが出来ました。 (リーダー 加藤結奈)



温故知新 第7回 伝統のバスケットボール


柿島誠一さん(71歳)

県内で一目置かれてきた七尾のバスケットボール。
一昨年には七尾中学女子が、昨年は七尾中学男子が全国大会へ出場し、鵬学園も今年インターハイに出場した。今まで多くの選手や指導者が伝統を築き守って来ていることを市民としても誇りに思う。そんな中の指導者の一人、鵬学園女子バスケットボール部コーチの柿島誠一さんにお話を伺った。

情熱

「バスケの柿島先生」、名前は存じていたが驚いた。中島高校に10年、七尾商業に16年、両校を全国区に導いた監督なのに165cmと以外にも小柄だ。しかしバイタリティー溢れる情熱は半端でない。ここまで突き動かすものは何か。

これまでの戦績だが、山王小ミニバスで埼玉の全国大会出場。これが七尾のミニバスの走りとなる。
定時制の城北高校では県体、北信越大会で二連覇、そして30歳のとき中島高校に着任するもバスケ部が無い。部員を集めるところからのスタートとなる。

地元中学の有望選手はインターハイを目指し金城高校へ進む時代だ。3年経って総体決勝でその金城高校に延長フリースロー1本で負ける。2年後リベンジし、ウインターカップでは県体と北陸三県で優勝し全国大会出場。その後もインターハイベスト4、山梨国体3位と戦績が続く。更に長野県の実業団を破り全日本選手権に出場、インカレ5位の中京大に7点差で敗れるも部員11名「さわやかイレブン」と取材され全国に名を馳せる。

その後七尾商業に着任、7名の部員の前で、明日から頑張ろうと言った翌日に3名が辞める。1年生を勧誘し8名となり7ヶ月間の練習で県新人戦優勝。ここでもウインターカップで北陸三県優勝し全国大会へ。
会場は青山学院大学体育館だった。ベンチに8人で待機するも審判員から早く全員ベンチに入って下さいと言われる。ベンチには15席あるがそもそも8人しかいない。平成3年の石川国体では5位入賞。

短期間で少数精鋭に鍛え上げる柿島マジック。そんな指導力が認められシドニー、アトランタのオリンピック強化委員に。今年8年目を迎えた鵬学園では3度インターハイへ導いた。

全日本大学選手権のパンフレットには出身高が記されるが年々鵬学園の名前が増えている。今、地元出身者が大学、実業団で活躍しているが、これは七尾市内のミニバスと中学校での熱心な指導により裾野を維持し伝統を繋いでいるからに他ならない。



鵬学園メンバーのメンタル目標

知恩報恩

中高とバスケをやっていたが家の事情で就職を決めた。その時恩師の中浜耕三先生が親身になり日体大へ進学できた。しかし後悔するのに三日とかからなかった。当時はインターハイ出場者が集まる天下の日体大、そのメンバーでさえも3軍なのにお前何しに来たのだと蚊帳の外に。プレーは教えてもらえず第三陸上部と揶揄され練習は走るだけ。寮生活は地獄で毎晩トイレか屋上で泣いた。辞めて行く同期も多い。何度も逃げ出したいと思ったが中浜先生のご恩を思うと辞めるわけにはいかなかった。選手になれないが指導者になると覚悟を決め耐えた。

都内ベスト16の高校でコーチを始めるが公式戦勝利は1回だけ。そこから本格的に勉強を始めた。強いと聞けば違うスポーツでも足を運び指導法を学び、遠征先の指導者とは10円玉と百円玉を用意し5円玉をボールに明け方4時までシミュレーションし、理論が分かれば学生と一緒にプレーして感覚を掴んでいった。

今もバスケットは進化し戦術の質も変化しているので学びは止められない。迷った時には旧知の実業団監督に電話する。恩師中浜先生のご恩に報いるためだけにバスケを続け、多くのブレーンのお陰でバスケット人生を歩んでこられたと感謝する。 指導者は技術より情熱が勝らなければならない。


お熊甲祭(くまかぶと)


通称二十日祭と呼ばれる中島の祭り。
国の重要無形民族文化財に指定される真紅の大旗が秋空と緑の木々に栄え
情緒豊かな鉦太鼓の音色が里山に流れます。
そのリズムにのせて舞う天狗のお面の猿田彦もどこか異国的で、千年の歴史があると言われます。


第48回 「輝け!郷土の星」陸上400mハードルの 吉本 陽菜さん (七尾高校3年)


目標はインターハイ

県体会優勝、北信越6位入賞、インターハイ出場を果たした陽菜さん。中能登中学時代に100mH(ハードル)で県4位の実績があり陸上部へ入部。100mHでインターハイ出場を目標に練習を始めます。

高1の新人戦で4位、高2の総体では5位の陽菜さんに中西監督は100mHではインターハイは難しい、400mHなら可能性があると告げます。陽菜さんは今まで続けてきた100mHをどうしても捨てられません。しかしインターハイを目指すなら400mHにチャレンジするしかありません。迷いに迷った末400mHに軸足を移す決意をします。

レースプラン

七高陸上部にはもう一人400mHの選手がいます。林玖瑠美さんです。同期の二人は仲良しでもありライバルでもあります。城山グランドで試合形式での練習はピリピリし本番さながらの緊張感です。

二人で切磋琢磨する練習に結果が現れてきました。高2の新人戦で陽菜さんが2位、玖瑠美さんが7位入賞です。そして今年5月の県選手権大会で高校ランキング1位となった陽菜さん、その後迎えた県高校総体で1位を取らなければとのプレッシャーからなんと予選3位。一方の玖瑠美さんは自己ベストで2位でした。陽菜さんは決勝を前に焦りが頂点に達します。予選のレース後すぐに、本部テントにいる鶴来高校の日野先生の所に行きました。
日野先生はトップアスリートを育ててきた指導者です。今まで何回か練習を見てもらい助言を頂いていたのです。信頼する日野先生から「そこは決断の時やぞ」「迷ったらダメや!」とパシッと一言。

高さ76.2cmのハードルが10台並びその間隔が35m、400mHはスピード、持久力、ハードリング技術はもとより、最大限の力を発揮するためストライド調整や歩数の切り替えなどレースプランが必要です。予選では6台目にリード脚を利き足から逆足に切り替えましたが、一瞬の迷いが生じ減速、自己ベストから2秒のタイムロスが生じたのでした。陽菜さんは決勝30分前まで悩みに悩んで、「今の自分は利き足だけで跳ぶのが一番自信が持てる」と決断します。



みんなキラキラ

結果に因あり

迷いを吹っ切り、切り替えせず利き足だけと決めて臨んだ決勝。結果は見事に優勝、玖瑠美さんも5位入賞、二人で北信越大会へ出場です。

北信越大会では県大会ほどのプレッシャーは無いものの、インターハイへ行ける確信も無かったと言う陽菜さん。予選3位で通過、準決勝は今までに無いくらいピタッと足が合い自己ベストで3位通過。決勝は最後まで競り合い自己ベスト更新で6位入賞、念願のインターハイ出場を決めました。

夏が過ぎた今、思う事は何かと訊ねると、玖瑠美さんの存在が無ければ県体優勝もインターハイ出場も出来なかった。そして自分はやっぱり陸上が大好きで七尾高校の陸上部の中では一番陸上が好きだという自信がありますと笑い、今までに一番嬉しかったのは中学3年の県体4位、それまで県で入賞したことが無かったので4位でも凄く嬉しかったと言う。意外だと思ったが、次の言葉で合点がいった。「自分の中ではあの時が一番頑張っていたのです」 なんと自分に正直な子だと、好感を持って取材を終えた。



文武の七高陸上部


第170回 七尾市松百町


町名の由来

詳しい由来は聞いていないけど、畠山の家臣で松百(まつど)という人の
知行地だったという話もあるようだよ。海岸の方を渋江浦と呼んでいるけど、
昔は渋江村があったんだ。それが松百と合併しているんだね。

幻の松百鮓

全国に有名になった松百鮓(まっとうずし)の話が伝わっているんだ。
現在は作る人も、食べる人もない幻の鮓だけど、江戸時代には加賀藩から徳川将軍に献上されていて、
古くは畠山時代からすでに贈答品や城主の宴席に出される珍味だったようだよ。
ただ何の鮓なのかよくわからないんだ。在所では魚のベットだという話も聞くけど、
いくつかの記録によると、中世では巻貝で近世ではゴリ、ボラ、やどかりなどが記されているようだよ。

いずれにせよこれらの具材はどれも赤浦潟で獲れたんだろうね。
そもそも具材にこだわらなかったのか、その品種が少なくなって具材が変遷していったのかは、
今となってはわからないね。面白いのはその鮓桶(すしおけ)にタツノオトシゴを添えていたらしく、
蛇の鮓と言われて全国に広まったようだよ。
明治時代になって加賀藩の庇護が無くなり、少なくとも大正時代には作られなくなったようだけど、
時代が変わって需要もなくなったんじゃないのかなぁ。

現在の在所

赤浦潟では冬場にワカサギ釣りを楽しむ人が多いけど、鯉ヶ浦漁業共同組合では
毎年七月に鯉の稚魚二十キロ、三月にはワカサギの卵を百万粒放流しているんだ。
元、弁財天社の市杵島姫(いちきしまひめ)神社は、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)明神を
勧請したそうだけどその御神体を誰も見たことは無かったんだ。

平成十九年の能登半島沖地震で社殿を修復するときに初めて拝んだけど女の神様だったよ。
秋祭りでは十年前まで神輿を担いで火渡りをしていたんだ。眉毛が焦げるほどの火の中を
渡っていたけど今は人手不足から中断しているんだ。青壮年団員も六十歳までに延長し、
更に六十五歳まで顧問役としてやってはいるけど若い人が少なくなってね…。

高台にある七尾病院とは災害時に協力しあう防災協定を結んでいるけど、
全員が安全で安心して暮していけるよう住民間の連携も更に深めていきたいと思っているんだよ。

あきこのひと言

赤浦潟の穏やかな湖畔を歩き、
幻の鮓、火渡りの神事、古を想う。


はい!社長です-井田鋼材


井田鋼材 井田 壮紀(いだ まさのり)さん 43才

昨年6代目社長となり身が引締まりました。
萬(よろず)金物商から始まり、現在は鋼材、土木建設資材販売と移り変わっています。
技術革新が進む中、正確な情報を伝え用途にふさわしい商品を提案できるよう心がけています。
一つ一つのご縁を大切にしてより地域に必要とされる会社を目指しています。
休日に娘と息子といろんな所に出かけたり旅行することが楽しみです。

住 所:七尾市佐味町ハ部7番地1
お電話:0767-52-3116


北陸電力 七尾支店


北陸電力 七尾支店 屋下 智春(やした ともはる)さん 25才

人と接する仕事をしたいと思い、北陸電力の事務職として入社しました。
現在は法人のお客様の営業を行なっています。
営業は難しい面もありますが、お客様の立場にたって、どうすればお役立ち出来るか、
喜んで頂けるか、日々考えています。
法人と言っても最後は人ですので、出会いを大切にして、あてにされ、
頼りにされる営業マンになれるよう頑張りたいと思っています。

住所:七尾市三島町61-7
お電話:0767-53-8328


俊友会合唱団


設立して25年。本格的な合唱曲から演歌までハモっています。
11月の演奏会はダンス・演技?も楽しめると好評です。

合唱は腹式呼吸、歌って心豊かになりストレス発散、健康になります。
合宿や歌の心を求めての研修旅行、親睦会、イベント出演など楽しいことがいっぱいです。
ぜひ一緒に歌いましょう。 (橋屋090-8261-3144)


はい!社長です-川淵重建


川淵重建 川淵 稔(かわぶち みのる)さん 49才

父が興したクレーン会社を受け継ぎ、私の代で鳶工事も手がけました。
ここで仕事が出来るのも地域のお陰だと思い、子ども会、PTA、
ボランティア活動にも取組んで来ました。
そこでの出会いがまた楽しく、そのご縁も大切にしたいと思います。
地域の事を考えると子供たちは地域の宝であり大切に育んでいかなければなりません。
それも地域に暮す我々大人の使命だと思っています。

住 所:七尾市後畠町イ部1番地
お電話:0767-52-2570


弘法の水

田鶴浜大津の在所に湧き出る名水。
約千二百年前、日照りが続き悪疫が流行し村人が困っていた時、
衣も破れた旅の僧侶が現れこの泉を掘って下さいました。
その僧侶が空海こと弘法大師だと知り村人は報謝のお堂を立て今でもお参りを続けています。