こみみかわら版バックナンバー

行政書士春山事務所

春山 登美夫(はるやま とみお)さん

64才 A型

警察を定年退職し昨年4月に開業しました。
開業の決意は先輩行政書士の勧めも有りますが、前職の経験を生かし
何か役に立てる事があるんじゃないかと考えたからです。

相続・遺言手続きや産廃の許可申請等をしており、難しい事も多々ありますが
やりがいを感じ、毎日楽しく過ごしています。
日常の困り事等も気軽に声を掛けてもらえる行政書士になれればと思います。



住 所:七尾市白馬町57部32番地2

お電話:0767-57-3096


はい!社長です-清水造船建設-


清水造船建設 清水 眞澄(しみず ますみ)さん 64才 A型


旧七尾市の初代市長を曾祖父に持ち、戦後父が始めた造船業と建設業を継ぐ二代目です。

私が子供の頃は御祓川が本流で、川幅は今の倍以上、中央部には三角州がありイカダで小丸山公園の下まで行く事が出来ました。

七尾には造船所が5社有り、其々が頑張っています。 地場産業の衰退が叫ばれていますが、各々が持ち味を出しながら邁進して行けばおのずと道は広がっていくものと思います。


住 所:七尾市昭和町64
お電話:0767-53-1313


新庄の半鐘


最近では珍しい半鐘が新庄の在所の真ん中に。
日本では江戸時代から火の見櫓に吊るされ、火災や洪水などを
知らせる鐘として普及しました。
新庄は在所を流れる石塚川の川底が田んぼより高かったため
大雨の時は太鼓も叩いて警戒したと言います。


第32回 「輝け!郷土の星」空手の小﨑川 優雅くん(七尾東部中1年)


小﨑川兄弟、全国大会で優勝

5月6日、滋賀県で開催された第11回極真杯全国型選手権大会の中学生の部で大会最高得点を出した優雅くんです。この大会では中2の兄楓雅(ふうが)くんと共に最高得点をマークし特例で兄弟のダブル優勝となりました。

優雅くんが空手を始めたのは幼稚園年長のとき市内にある現在の国際空手道連盟極真会館石川県支部の道場に兄と共に連れていかれたのがキッカケでした。実践ではなく型の稽古を始めますが、道場は実践の極真空手です。怖いなぁと思ったそうですが、1歳年上の兄楓雅くんと一緒だったので少し安心もありました。

目の上のたんこぶ

戦いという環境に身を置く事になった幼い兄弟ですが、意外な事に怖いより楽しいと思えたと言います。入門6ヶ月での石川県大会幼年の部で優雅くんは3位に入賞しました。翌年には小学1年の部で優勝、このとき兄楓雅くんも2年生の部で優勝。この時から二人は優勝回数を重ねていきます。なんと今日までに県大会、全国大会、世界大会を含めて弟優雅君は22回、兄楓雅くんは71回の優勝をしています。二人の差は、エントリーが同じで二人が戦うことになる大会では常に兄楓雅くんが優勝をするからです。

普段は魚釣りが大好きの優しい優雅くんですが、大会で兄に負けたときはとても悔しいと言います。いつか必ず兄に勝つ! 優雅くんにとっては兄がライバルであり目標の存在なのです。兄楓雅くんは優雅が力をつけてきたので油断できない存在になったと言います。父親もこの大会を観戦し、今回はひょっとして弟が勝つのではないかと感じたほどの演武でした。結果はダブル優勝となり、勝つ事は出来ませんでしたが、それでも初めて兄と肩を並べることになりました。



実は太公望

厳しい稽古

稽古は柔軟体操、型の稽古、そして組手を毎日欠かさず行ないます。週3日は道場で松下師範に稽古をつけてもらいます。小学生の時は父親が指導していた自宅稽古も中学生になった今は二人で稽古内容を決めています。

かつて兄楓雅くんを取材した時に肋骨にひびが入った状態で稽古をしている姿に驚きましたが、二人は型だけではなく組手の試合にも出場しています。しかし型の試合の方が緊張すると言います。組手は相手とパワーをぶつけ合い反射的に試合が進みますが、型は自分の内面と向き合う事になります。型の試合も組手と同じようにトーナメントで一戦一戦勝負して勝ちあがりますが、型はいかに忠実に決められた動きを演武するかが勝負です。手足の位置、腰の高さ、体の向き、目線、力強さ、緩急強弱、静動、呼吸、そして残心、この調和に個性が現れます。正確さと力強さ、そして華麗なる型を演じるには、たゆまぬ稽古と高度な精神性が求められます。

まだ幼さが残る優雅くんですが、演武を始めるときには全身に気迫がみなぎります。兄の演武の力強さ、美しさを認める優雅くんですが、必ず越える!と胸に誓い稽古を続けます。



兄 楓雅、弟 優雅


中島中学校 吹奏楽部


部員20名で楽しく活動しています。
部員一人ひとりの性格がバラバラなので、音色も当然違いますが、
その色々な音や思いが皆の努力で一つになった時はやりがいを感じます。
吹奏楽部は人として成長できる場面が沢山あり、日々頑張っています。
人間関係を大切にし、思いと音を一つにしていきます。

部長:永坂 この実


第139回 中島町河崎


町名の由来

旧富来町日用村を源流にする日用川が豊川平野を流れ
七尾西湾に注ぐけど、その下流に集落を形成している
最後の在所がここで、川の先っぽの在所、
河崎となったと伝わっているよ。

昔の在所

在所の裏山に戦中戦後は畑をしていた二町歩程の平地があるけど、
そこには昔は七堂伽藍があり立派な社もあったと伝わっていて、
上杉謙信に焼き払われてしもうたと年寄りが子どもに聞かせていたもんだよ。
今在所には徳照寺という立派なお寺があるけど、これは西岸の長浦にあった真言宗の
お寺がこれも上杉勢に焼かれたんだけど、再興にあたり河崎に移り浄土真宗に改宗しているんだ。

この徳照寺に平安時代の宮廷音楽の雅楽の楽団があるんだよ。
明治時代に在所の金森萬造、岡野市太郎、国田久太郎という
進取の気風あふれる男達が取組んで雅楽三人衆と言われていたんだ。
現在も引き継がれ門徒12名で編成されていて、能登で四つしかない
貴重な楽団として1月と10月の報恩講で演奏しているんだよ。

ここの祭りは秋が9月9日と田んぼ時期と重なるので、
春を主体に行なう様になった歴史があるんだ。
子どもの頃は、祭り道具の奪い合いするほど子供がいたし、
在所の9割が御招待していたほどの夜遅い祭りだったけど
今はそんなことなくなってきたね。

これから

昭和30年には102戸、現在106戸、世帯数は変らないけど人口は半分になっているんだ。
中島駅に近くお店や事業所も多い在所だったけど、
人口が減った分だけ何事も負担が大きくなっているんだよ。
道路愛護のえほりの面積は変らないけど出てくる人が減っているからね。

在所の金森総本家の子孫で元北陸学院大学教授の金森俊朗先生が
2010年にペスタロッチー教育賞を受賞したことは誉れに思っているんだ。
この賞は民衆教育に貢献した人に贈られ宮城まり子、山田洋次、黒柳徹子、
アグネス・チャンなど有名人も受賞しているんだよ。
先生の教えのように固定観念に捉われず、物事の本質を見極めて、
何をどう捉えて、どうしなければならないか、それをみんなで考えていけるようになりたいね。

山あり、川あり、田んぼあり、まず第一として恵まれた
在所の財産の手入れをすることで、在所のみんなが繋がっていける、
そんな集いの場に出来たらいいなと思っているんだ。

あきこの一言

お寺の前を流れる日用川の桜並木
静かな田園に心地よい春風


七尾 S V C (ソフトバレーボールクラブ)


メンバーは14名で主力は50才~60才代です。
週3回、19時半から21時半まで小学校の体育館で練習しています。
毎年6回程、石川県の大会に出場し、上位入賞目指して頑張っています。
今年は北信越大会が七尾で開催される為、より気合を入れて練習しています。
興味のある方はお気軽に体育館へお寄り下さい。
一緒に汗を流しましょう !


恵寿総合病院

松野 大介(まつの だいすけ)さん

29才 B型

学生時代に野球で怪我をした経験から、怪我の予防や復帰のリハビリを
お手伝い出来たらと思い、理学療法士の国家資格を取得しました。

骨折や脳卒中で入院されている患者さんの機能回復をお手伝いをしつつ、
退院後の生活の事も一緒に考えています。
様々な方がいる中で、退院後もその方らしくいきいきと生活出来るように
なるまで、サポートする事を大切にしています。



住 所:七尾市富岡町94番地

お電話:0767-52-3211


七尾城山展望台


標高380mの山頂にある展望台です。
七尾湾と市街地を一望でき、七尾の由来となった七つの尾根も
眺める事ができます。
歴代の畠山の殿様もここに立って、能登の繁栄を考えていたのでしょうか。
何だか視野が開けて、心がゆったり大きくなります。


はい!社長です-ヘアーマジック あすなろ-


ヘアーマジック あすなろ  坂口 里美(さかぐち さとみ)さん 53才 O型


今年開業63年を迎えます。 義母からお店を受け継ぎ7年経ちましたが、古くからのお客様と新しいお客様にご来店頂いております。 楽しい会話が飛び交い和やかな雰囲気の中で施術しています。

幅広い年代のお客様から髪と頭皮の相談を色々と受けますが、ヘナ(草木染)をおススメしていす。

「いいがんになった。あ~嬉しい !」の笑顔に、幸せな気持ちになり、逆に私達が元気をもらっています。


住 所:七尾市相生町10
お電話:0767-53-1536


第138回 能登島町八ヶ崎


町名の由来

能登島に臥(ふせの)行者がいたんだ。泰澄(たいちょう)大師の弟子でね。
昼夜臥しての心行で悟りを求めていたので、臥(ふせの)行者と呼ばれ、
奈良時代に泰澄と共に霊峰白山を開いたほどの行者だよ。
この行者が飛鉢の法で、沖を航行する船に仏具の鉄鉢を飛ばして供物を布施させていたんだ。
その鉄鉢が流れ着いたので鉢崎となったという話だよ。
それが室町時代の古文書では蜂崎となり、江戸時代では八ヶ崎になっているようだね。

昔の在所

八ヶ崎には4名の流刑者が配流されたけど有名なのは寺島蔵人(くらんど)だね。
藩政批判で流刑されたけど待遇がよかったようで
何かと在所の人々にも気を使ってくれたようだよ。
約4ヶ月後に62歳で亡くなるのだけど、
その間書いた手記や描いた絵から当時の暮らしが伺えるんだ。

配所跡に石碑を設置してあるけど、これは加賀藩ご用達の
和菓子の森八から昭和11年に在所へ届けられたそうだよ。
蔵人邸も森八も金沢の大手町にあるから何かしらの縁があるんだろうね。
ここは「やりもらい」が多い在所やね。
同じ家同士で嫁を貰い合うんだよ。
半農半漁の小さな在所ゆえの互助の手立て、知恵やったんやろね。

終戦直後に在所の事業として田んぼの耕地整理を始めているんだ。
軍の諜報機関にいたという穴水出身の幽経さんという人が移り住み、
その人が陣頭指揮をして進めたと聞いているんだ。それが今の田んぼなんだよ.

これから

40年以上運営してきた八ヶ崎海水浴場も主体の女性会が
面倒見れないと言うのでどうするか在所で話し合ったんだ。
出番は月に3日から5日あるけど、若い人は会社休めないし、
今までやってきた人は齢をとるし、お客も3分の1程に減っているので
閉鎖の方向で考えていたけど、勿体ないので在所で運営することにしたんだ。

昨年地域づくり協議会から猪のミンチやカレーをやりたいので
施設を貸してほしいという話があり、一緒に力を合わせてやっていくことにしたんだ。
週末には若い人が集まり改装しているよ。戦後の田んぼの基盤整備もしたいと思うけどね。
高齢化と猪の影響で荒地になる一方だし、集落営農するにしても整備しないとね。
価値ある農地にしておかないといずれ担い手がいなくなる事が心配なんだよ。

あきこの一言

それぞれの時代を生きる人、
陽だまりで聞く八ヶ崎の歴史。


第91回 私の仕事は「野菜農家」です。


故郷と人に活かされて生きる


私の仕事は「野菜農家」です。

酒井 光博(さかい みつひろ)
仕事歴 9年


野菜農家の仕事とは


私の場合、自然豊かな故郷で育まれる農産物や海産物が高齢化と担い手不足により衰退していく中で将来的に少しでも産業として継続できるように生産と流通、販売の一貫を目指し、その取組の中で地域の人が集い、共助で暮らしていける環境がもたらせればと考えています。


自分探し


バイトと遊びに行くな!立場を考え覚悟を決めて仕事をしろ!お客が振り向いたら何をしたいか察知しろ。店長から徹底した指導を受けました。お陰で1年後に社員・バイト40名のトップに立ち、店と金庫の鍵まで預かるようになりました。大阪のパチンコ店です。

七尾工業高校を卒業し鉄工所に勤めますが身が入らず3ヶ月で退職。毎晩金沢へ遊びに行っていた「悪」だったのです(笑)。このままではいけないと19歳の時にリュックサック一つに10万円持って大阪へ出ました。しかし金髪で住所不定では何処も雇ってくれません。やっと三軒目のパチンコ店に雇ってもらいました。1日18時間働きましたが楽しかったです。寮もあり食費も支給され生活は十分にできましたが田舎へ帰りたいと思うようになりました。働くという事に心を入れ替える事ができたら、故郷の自然と相棒たちが恋しくなったのです。


スナック経営


21歳で田舎に戻りますが目標が定まらず24歳までは土建や建築、和倉でスナックのボーイをします。スナックのママが店を締める事になり私に店をと声がかかりました。3日間考え今までのお客様や自分自身の人間関係を活かせれば何とかやれるかもと思い決断しました。多くの人に助けて頂き店舗契約から10日間で改装オープンし、お店は順調に滑り出しました。当時、夜は店に立ち、昼はゴルフ三昧です。

24歳の若者が平日にゴルフ場へ出入りしているので何者かと思われたようですが、そこで知り合う先輩方に経営や人生を学びます。そうした中で目標が見え始めます。スナックが順調な間に、田舎だからこそ出来る仕事はと考え、何の根拠も無いまま、しかし何故か出来ると自信があったのが農業だったのです。この時、26歳でした。



新規就農者


全くの素人だったので農業を学ぶためにJAの白ネギ、中島菜、小菊かぼちゃの各部会の旅行に参加して人間関係を築くところから始めました。熊木川下流の干拓地で30aの農地を借りましたが、道具も持たず耕すことも畝も作れず、全て隣の畑の人に助けてもらいました。指導員や先輩農家へ出向き習うのですが当初は良い野菜が作れず規格外が多かったです。農業は難しく10年やっても10回の経験でしかありません。

10年目に入りますが、最近は土の力に注目しています。土の力で水を保ち、水を捌き、空気を保つ、そうすると肥料が長持ちし、植物が欲したときに土が餌を与えてくれる。そんな野菜には虫が付きにくい。土が持つ力が存在するのです。3年ほど前からやっと納得がいく野菜が作れるようになったかなぁという感じです。でもまだまだです。今8ha耕作していますが更なる生産性と付加価値の研究中です。

振り返れば野菜の育て方も販路の開拓もすべて助けて頂いてきました。私は出会いや関係を大切にします。市場から夕方4時に電話が入り明日朝5時までに出荷を頼まれれば寝ないでも作業をして届けます。この冬から牡蠣の養殖と浜焼きのお店も始めました。近所の養殖業者の高齢化で受け継いだのです。またしても素人からの出発ですが、大好きな故郷の自然を活かした仕事に携われて幸せです。



中島町塩津 農事組合法人 能登風土
☎66‐6059


2018年5月12日<320号>掲載 我が家のペット

ゆきち(オス ♂)

お散歩もご飯も大好き!
これからもいっぱい
ご飯を食べてお散歩も
たくさん行こうね♡

(能登島八ヶ崎町 高木さん)


まろん(オス ♂)・ロイ(オス ♂)

親子ですが、性格は真逆の二匹。
たまにケンカしてます!
そんな可愛い二匹に毎日
癒されています♡

(石崎町 大松さん)


アラレ(メス ♀)

怖がりな性格で、人が来ると
吠えてしまいますが、
我が家の大事な番犬アラレです!

(能登島八ヶ崎町 後藤さん)


しゅうすけ(オス ♂)

お散歩大好きなしゅうちゃん♡
我が家の宝物です。

(光陽台 小林さん)


第137回 中島町田岸


町名の由来

鎌倉初期の古文書に多気志と書かれていることは聞いているけど、
なぜ多気志になったのかは分からないよ。
在所裏の段々畑に縄文時代の田岸遺跡が発見されているので、
古くから人が住んでいたのは間違いないようだね。
渓谷が海岸に迫る地形を谷崎(たんぎし)というので、それが転化したという説もあるみたいだね。

昔の在所

先輩から話を聞くと、戦中は食べるものが無くて、
米は供出して白いご飯は1年に1回も食べればという生活だったらしいよ。
それで裏山で食べられる野草は何でも採ってきて、
海ではたばこ貝やガサミを獲っていたと言うよ。

戦後は富山から燃料にする雑木を買いに船が着いて積んで行っていたようだよ。
海に面しているけど小魚は獲っても本格的に漁業を営む家は無くてね、
まぁ、山と田畑で自給自足で暮らしていたんだろうね。

現在の在所

盛りだくさんの活動をしてるんだ。この時期なら、田んぼの鯉のぼりだよ。
平成22年に在所に15年ぶりに子供が生まれたんだ。
男の子でね、それでみんなで祝おうと在所中から箪笥に眠っていた
鯉のぼりを集めたのが始まりでね、その輪が広がり
田岸に縁のある人達からも寄せられて、現在は45匹を毎年田んぼに
ワイヤーを張って泳がせているんだ。のと鉄道から見えて観光客を楽しませてもいるんだよ。

女性会は季節の花をプランターに植え国道沿い並べ、
そこに鯉のぼりや七夕、熊甲の枠旗、風車など季節のミニ飾りを
設置して道行く人を楽しませているし、老人会は休耕田にコスモスを植えて
電車の乗客を楽しませているんだ。
小さな在所ゆえみんなで助け合ってきた伝統と、
故郷愛が全員野球のモチベーションになっているんだね。

これから

イルカが来る海に昇る日の出、山並みに射す光、
昼と夜の狭間に見える一瞬の光景、本当に愛すべき古里だよ。
高齢化や人口の減少は避けられないけど、身の丈に合わせつつも、
田岸の良さを維持していかんとね。

毎年5月には「田休み慰安会」と称して老若男女が集会所で
親睦を深めているし、5年前から「田岸の郷」という広報誌を毎月発行して
在所の出来事をみんなに知らせているんだ。
強い絆を絶やさない事が在所の命題だと思うんだよ。

あきこの一言

穏やかに、仲良く暮らす人々の、
古里を思う気持ち伝わる。


唐崎神社 (小島町)

今年、能登立国1300年ですが、その国造りの一環として山王神社と共に
その摂社として造られた歴史ある神社です。
青柏祭ではこの神社の奥に湧き出る神泉、紅葉川の清水で清祓いをする「おみずとり」
の神事が行われ、祭の幕が開きます。


七尾東雲高校 ビジネス研究部


私達は商業科目を深く学び、大会での上位入賞や検定資格取得を目指して部活動をしています。
29年度は高文連商業部競技大会で県内予選を突破し、全国簿記コンクールで全国大会に
橋本先輩が出場しました。 全国電卓競技大会では、2年生が団体で全国大会に出場する事が
出来ました。 努力して今年も全国大会出場を狙います!!

顧 問:藤原 麻美先生
部 長:高島 花月くん 


濵田瓦店

濵田 晋輔(はまだ しんすけ)さん

34才 O型

祖父が瓦葺職人だったので自然とこの世界に導かれました。

屋根の上は常に危険と隣り合わせの命がけの仕事ですが、祖父の血が
流れているのか、私には結構面白く瓦の魅力にのめり込んでしまいました。

はや14年が経ちますが、お客様から「有難う、また頼むね」の言葉が
励みになり,どの家の屋根も自分の家だと思って「いーがんに」したい !
その一心で施行しています。



住 所:能登島向田町117-87

お電話:0767-84-1070


はい!社長です‐田尻虎蔵商店‐


田尻虎蔵商店  田尻 正志(たじり まさし)さん  67才 A型


40歳の時、父が他界し製茶問屋を継ぎました。

父は当たり前の事を当たり前にやれ ! とよく言っていました。 その実践が私の商いの基本です。自分の利だけ考えるのではなく、三方良しのお客様の利・従業員の利・仕入先の利が大切です。

現在は食祭市場に跳ねる鮨「たぶ屋」と和倉に本讃岐うどん「海よ友よ」を出店し人生を楽しんでいます。 もちろん山有り谷有りですが、それが面白いんです(笑)


住 所:七尾市和倉町ひばり3‐57‐2
お電話:0767-62-2043


第31回 「輝け!郷土の星」競歩の西 未来さん(七尾高校2年)


第59回石川県高等学校新人陸上競技大会で優勝

昨年の県新人大会で1年生ながら優勝を成し遂げた未来さん、笑顔の可愛い明るく活発な高校生です。女子の競歩とは珍しいなと思いながら城山グラウンドを訪れました。グラウンドでは七高と東雲の陸上部が練習中です。

中西監督に挨拶を済ませ、未来さんを探しました。あの子が西さんですと教えてもらうと、笑顔でこちらに駆け寄ってきて挨拶をしてくれました。ん? えっ!どっち? 同じ顔の女子が二人ニコニコしています。なんと未来さんは双子の姉で、妹の希望(のぞみ)さんも同じく競歩の選手だったのです。そして先の新人大会では準優勝をしているのです! 双子で1位、2位とは、お見事です!

中距離からの転向

それでは、という事で二人にインタビューすることにしました。二人は以前このコーナーで紹介した中距離の増田海輝くん(現在は尾山台高校陸上部)と同級生で中能登中学陸上部の出身です。

二人は中学時代1500mの選手でしたが記録が伸びず県体出場が難しいので、中2の時先生は七鹿からの出場枠で空きがあった競歩を薦めました。未来さんは、中距離より、そっちが楽かも♪と安易に考えて転向を決めました。それが功を奏して県体で8位入賞、これで未来さんの気持ちにスイッチが入りました。

中3の県体では優勝、妹の希望さんも準優勝します。学校も部活も競技種目も同じ道を歩んでいる二人ですが、未来さんは球技の部活体験もしましたが、どうもしっくりこなく、やっぱり陸上かなぁという感じで入部したんですと笑います。



未来に希望の二人です

一心同体

中能登中の2年先輩に遊学館で活躍した吉田優海(ゆう)さんがいます。東京オリンピック出場を目指すほどの実力者で二人にとっては憧れの先輩です。吉田選手の記録は5000m22分台ですが、未来さんは26分10秒、希望さんは26分13秒です。中西監督は今年24分台、3年生で23分を切ること目指さないと全国では通用しないと言います。覚悟して相当の練習をしなければなりません。歩くのだから走るより楽かもと思った競歩、何が辛いかとの質問に、未来さんは学校から自転車で城山グラウンドへ向かう時が一番辛いと答えます。辛い練習が待っている場所へ行かなければならないという心理的な辛さです。いち早くグラウンドへ来て誰よりも早く練習を始めても終わるのは一番遅くなる競歩。

12000mを歩き込む練習は途中で止めたくなることもしばしばです。それを我慢して乗り越えられるのは、なんと姉妹の間にあるライバル心だと言うのです。お互いに負けられないという二人は互いの息づかいが聞こえる近さを並んで歩き、一人が疲れれば一人が引っ張りペースを崩しません。双子ゆえの距離感が励みとなり互いに高め合っているのです。小さい頃から何かにつけてお互いを気にしてきた二人。苦楽を共有できるライバルの存在こそが、今の二人の強みとなっているようです。 二人でインターハイ出場を! 頑張って!



競歩三人娘