こみみかわら版バックナンバー

北陸労働金庫 七尾支店

石塚 峻 (いしづか しゅん)さん

24才 B型

大学で福祉について学び、その学んだことを活かし地域貢献したいという思いから、福祉金融機関である”ろうきん”に入庫しました。金沢から七尾に来てはや一年半が経ち、今は外回りをさせてもらっています。七尾の方々の、あたたかさに励まされて元気を頂いている毎日です。

早く一人前の「労金マン」になれるように日々、営業活動に 取り組んでいます。これからも、みなさんの素敵な笑顔に
ふれあいながら頑張ります。



住 所:七尾市袖ヶ江町ハ部42-2

お電話:0767-53-0647


第73回 私の仕事は「自動車板金業」です


私の仕事は「自動車板金業」です
中島 能成(なかじまよしなり)さん 68歳
仕事歴 48年

自動車板金業の仕事とは

私の場合は自動車の板金塗装の他、アルミ板金加工・FRPボディ制作、そしてカスタムカー制作を手がけています。

オークションで三十億円

世界で唯一イタリアの博物館にあるディスコボランテの落札額が三十億円です。
アトランティックは世界で4台しかないイタリア車で、これも三十億円で落札されました。
日本に上陸したことのないこの2台が、レプリカのオリジナルカーとしてここにあります。
もちろん車検も受けてあるので道路を走るんですよ。

初志貫徹

子供の頃から工作が好きでしたが、実は壊すことの方が多かったです(笑)
物づくりに興味があっても中身が解らない。それで調べるために壊すんです。

中学、高校時代はいろんなものを壊して中身を見ていました。
元々車が好きだったので金沢の職業訓練校の板金科に進みました。

卒業後2年間勤め独立します。
鉄板やアルミを叩き溶接をして、仕事を軌道に乗せるのに一生懸命でした。2

8歳の時、雑誌で渡辺さんという人が制作したオリジナルカーを見て
ものすごく感動し心が揺さぶられました。
そもそも車を作りたいと思って進んだ道だったのですが、その心に火がついたんです。



ものづくり

しかしどうして作ればよいかわかりません。
しかしすでに人間がやっていることなので自分でも出来るはずだ!
と決意し独学を始めます。
材料は何か、どうするのか、本を見たり人に聞いたり、モーターショー行っては情報を仕入れます。

そして自分で作って見るんです。
自分の手が動かないと物は出来ないし、良し悪しは作らないと分からないのです。
だから失敗は一杯あります。それは楽しくも苦しいんです。
時間もかかるし、うまくいかないし、嫌になるんです。

しかし、それを乗り越えないとものづくりは出来ない。
言った以上はやり遂げなければならないし、自分自身で壁を破っていかなければ
次のステップへ上がれない。

そうして完成した時は、人には言えないくらい嬉しいんです。
我が子が出来たくらい嬉しいんですよ。
この嬉しさがあるから苦しさも楽しいんです(笑)

初めての作品がポルシェ356です。
この完成でオリジナルカーの基本技術が出来上がり、
この40年間で5台のオリジナルカーと消防車など子ども向けのレプリカは何台も制作しました。
今はマツダのロードスターをベースにコブラを制作中です。
東京や金沢からイベントへの出展依頼があると運転して出向きます。
そこで注目され仲間の和が広がるのも楽しみです。

オリジナルカーは道路を走らせるので陸運局と事前協議を繰返しながら造っていくのですが、
最近の車はハイブリッドや電気自動車などに変ってきているので、
このスタイルでの制作がどうなっていくのかわかりません。
どんな職業もただ単に楽しい仕事というものは無いと思います。

苦しみがあるからこそ楽しい。
環境が変化しても、職人魂を 持ち続けて楽しみ続けたいと思います。


中能登町能登部下 中島板金 ☎0767-72-3399
2016年取材




102回 中島町土川


町名の由来


昭和60年頃ほ場整備した時、田んぼから石ころが一杯でてきたよ。
山間を日用川に沿って4キロに延びる在所だけど川が氾濫していたんだろうね。
そんな川だから雨が降るたびに土砂で泥水になって流れていたらしいよ。
それでこの在所を土の川、土川と呼ぶようになったという説があるよ。


昔の在所


田畑と山仕事でこれと言った産業は無いけど、
「土川名物、これ無けれど、堂伽藍七つ、これ名所」という歌があってね。

土川にはお寺が三つ、神社が四つあったんだ。
今は一つずつになっているけど、荒屋神社では9月23日に甘酒祭をするよ。
これは合祀した四つの神社の中に天満宮があって菅原道真を祭っていたんだ。
菅原道真は幼少すでに母がなく甘酒で育ったという縁起話なんだ。
在所に麹屋があった頃は祭り時期になると全世帯で甘酒を作っていたけど、
今は麹を注文して13軒が作ってお供えしとるよ。
どぶろくになる前で本当に甘いんだ。

秋祭りは六保祭に出とるけど、昔は熊甲祭に出とったらしいよ。
明治以前の話だけど土川は久麻加夫都阿良加志比古神社の氏子だったんだ。
そこの神社の娘が豊田町の日吉神社へ嫁いだとき
土川を付け氏子として持たせたんだね。信仰心の厚い在所でね。
二つのお寺は豊田と笠師へ移ってしまって、在所では忍性寺だけになったけど、
集会所にも仏壇を作ってあるよ。
相続講、見真大師講の他、少し前までは頼母子講、二文講もあったんだ。
在所の年寄りが子供の頃、講が終わると持ち寄った煮物を食べるから、
にもん講だと思っていたらお金を二文持ち寄って本山護持に務めていた講だったと笑っていたよ。


これから


老人会がスカットボールを月一回、
民生委員がお世話して老人会の女性で作るすみれ会が
健康体操やものづくりを週一回とみんなが集まる場を設けて活動しているよ。
青年団員も少なくなり、壮年団員も高齢化していくので、
10年前から燦燦(さんさん)会を作って
年齢に関係なく集まって在所の行事ごとをやるんだ。

小子化はどうしようもなくて在所の祭りに獅子舞が出せない状況だよ。
それで豊川公民館で保存会を作って、
地区全域から集まった子供達に土川の人が指導して、
秋の六保祭の獅子舞を出しているんだ。

時代の変化に合わせて、あり方も変えていかないと
伝統を守ることは難しくなってきたね。


まぁの一言


田を耕し信仰を大切にした暮らし。
素朴な中に独自の風習と文化がある在所。


はい!社長です-株式会社 七尾クリエイト


株式会社 七尾クリエイト 茶谷 義隆 (ちゃたに よしたか)さん 51才 A型


社名のクリエイト(create)とは「創造する」、すなわち「七尾創生」という意味です。鮮魚やお米、豊かな地元食材を提供する人・料理する同級生、それを支援する人のつながりにより、まずは海鮮丼のお店をオープンしました。

一本杉通り 「 花嫁のれん館 」 からも近く、街歩きをしながらお越し下さい。

石川ミリオンスターズや金沢武士団などスポーツも応援しています。「人とのつながりで、地域を元気に!」がキャッチフレーズです。


住 所:七尾市魚町5番地
お電話:0767-57-5554


御祓川大学 イジュトーク


色んな県や海外の人まで、七尾の地に点在しています。私たちは、この人たちを集めて、七尾について語り合い、楽しみ方を共有して、みんなで楽しむ。こんなことがあったら、こんな活動があればいいなぁと、ずっと前から住んでいる人や来たばかりで分からない方も一緒に楽しみましょう。この活動から、七尾をもっと活かすプロジェクトがきっとできるはずです。


平成堂


朝鮮半島の文化が息づく能登。お熊甲祭は韓国渡来の神が鎮座します。

韓国政府の協力で建築、美術の技師が来て技術提供を受け平成8年に完成。天上は極彩色で彩られとても綺麗です。同年に天皇、皇后両陛下がここを訪れたことを記念して名付けられました。


和倉温泉 のと楽

小泉 月華 (こいずみ つきか)さん

19才 O型

高3の就活で将来の仕事について改めて考えました。地元で暮らして、地元に貢献できて、地元の魅力を直に発信できる仕事として、今の仕事を選びました。

「どうせ地元の事だし」何とかなると思っていましたが、お客様と接して初めて地元のことを何一つ知らない事に気付きました。今更ながら地元のこと勉強中です(笑)

今年七尾市民劇団の劇に参加させて頂き楽しかったです。将来演劇をしつつ、平凡でも幸せに暮らせたらなぁと思います。



住 所:七尾市石崎町香島1-14

お電話:0767-62-3131


101回 七尾市鍛治町


町名の由来


小丸山城下は、御祓川を挟んで西を商人の町、
東を職人の町として形成されているんだね。
鍛治町は東側の鍛冶職人が住んだ町だったから
鍛治町、そのまんまだよ。(笑)


昔の在所


明治31年、本府中町に七尾駅が出来て川原町交差点が玄関口となり川原町、
鍛治町がメインストリートとなって多くの商店や旅館が並んだんだ。
大正14年に七尾駅が現在の場所に移って人の流れが変ってしまい、
鍛治町にあった商店が何件も大手町に移っていったんだ。

町内は大町(おおちょう)と金井町(かないちょう)と二つの地区があって、
大町は市内に入る街道筋で大店(おおだな)が並んでいた通りで
金井町は鍛冶職人が住んでいて一本奥の筋通りなんだ。
なぜ金井町かと言うと鍛冶屋は火と水を使って仕事をするんだけど、
ここは井戸を掘ると豊富に水が出たんだ。
この通りの全戸に井戸があったよ。
井戸のおかげで鍛冶仕事も出来て生業が立ちお金になった。
だから金井町と呼んだと古老から聞いているよ。


デカ山


青柏祭の山町としての責任を感じているんだ。
伝統があるだけに様々なしきたりがあり、
一年中デカ山のことが頭から離れないよ。
維持や準備など一年がかりでね。
山車の組立は釘を使わず藤つるで縛るけど
柳田まで行って地中を這っているのを採ってくるんだ。
水分を含んだつるで無いと切れるんだよ。
むしろ編みは3月から始めるし、
組み立ても土日、土日と続けていくんだ。
昔は矢田の在所の人で組立を専門にする人たちが
いたけど高齢化したのと、クレーン車など機械化したことで、
今は連町のデカ山好きな人たちが集まって
本当に一生懸命やってもらってるよ。
デカ山保存会の力無くしてデカ山は運行出来ないんだよ。


これから


少子高齢化が進み昔と同じ町会運営は出来ないけど何とかしないとね。
それで「町内再発見と輝きへ(伝統と革新)ワクワク探し事業」と
いうことを提唱し、まず足元の情報を共有するため
鍛治町相互通信紙を発行して意見の場作りを行い、
今をどう暮らし、将来どんな町内を目指すのか
皆で考えたいと思っているんだ。


かなこの一言


デカ山を操る鍛冶職人の心意気が今でも漂う町
往年の賑わいが目に浮かぶ


はい!社長です-北陸中日新聞 七尾専売店


北陸中日新聞 七尾専売店 笹谷 裕飛 (ささや ゆうひ)さん 44才 O型


朝2時から折込や配達が始まります。地域の皆様にキチンと新聞をお届けすることが私たちの仕事です。午後も集金や、営業回り、そして夕刊の配達と続きます。

少子高齢化、インターネットの普及などで新聞業界を取り巻く環境も大きく変化していますが、だからこそ、町を回り、直接お顔をみて話すことをしている私たちに、新たな役割が出てきたように感じています。

職場の仲間と共に、より地域に根ざした新聞店として皆様のお役に立ちたいと思います。


住 所:七尾市なぎの浦62番地
お電話:0767-53-0238


和倉公民館 切り絵・蓬莱教室


ボケ防止のために、手先を動かそうと始めて約25年。今では、みなさんと一緒に作った切り絵や蓬莱を、ご家族に見せて「わぁー!すごいねぇ」と褒めていただいた時に見せてくれる笑顔を1つでも多く作れたらと思っています。私は今年で喜寿を迎えましたが、今でも人と人との交流が大好きで、みなさんと知り合えることが楽しみです。


市役所横の公園に立つ大きな手


七尾市と韓国金泉市は御祓公民館と金泉市文化院との姉妹公民館提携を契機として、1975年10月16日姉妹都市提携を締結しました。

この像は両国の交流30周年記念で建てられました。製作は高麗大學、姜熙徳教授によるものです。


第100回 中能登町芹川


在所名の由来


鹿島小学校近くの勝山地区が元村で濁川付近が出村なんだ。
いつの頃か年貢米の他に特産物も税として収めることになり考えたのがセリだったんだ。
ここは石動山の扇状地で水が豊富で良いセリが採れたんだよ。
それが評判になってこんな美味しいセリが川沿いに沢山出来るんなら、
村の名前をいっそのこと芹川にしたらどうかとなったらしいよ。


芹川の歴史


歴史に重要な勝山城と荒山城があるよ。
七尾城の内紛で重臣温井継宗が勝山城に入り3年間鹿島、羽咋一帯を支配したんだ。
ここは越中に抜ける道であり邑知平野を見渡す戦略上の場所なんだ。
畠山の後、前田利家が能登に入ったとき、越中の佐々成政が7
勝山城に攻め込んで城を奪い袋井隼人に城を任せるんだ。
それを奪い返すため利家の兄、安勝が攻めるけども落ちない。
その後、末森城の合戦の後、もう一度勝山城を攻めて奪い返すんだ。
芹川に袋井姓が多いのもそんな歴史があるんだね。荒山城も歴史があるよ。

信長が明智光秀に討たれたとの報で、石動山の衆徒山伏が天平寺の支配地を
信長によって減らされていたので、今こそと前田利家に反乱を起こすんだ。
死んだ後の法要を生前に済ませ板碑を立て荒山城に立籠もるんだ。
利家はそれを打ち破り360もの寺を焼き打ちにして衆徒の首を並べたというよ
一向一揆を警戒していたので、能登の一大勢力石動山を壊滅させて見せつけたんだろうね。
実は和平派の70ヶ寺が七尾の伊掛山へ逃れていたんだ。

それが利家にすがって石動山を復興し明治時代には
58ヶ寺あったんだが神仏分離令により瓦解したんだよ。


在所の取組


青壮年会の「よらん会」が「あちゃちゃの用心」を復活させたんだ。
江戸時代に火遊びで男の子が二人亡くなったんだ。
二度と無いようにと当時の村人が知恵を絞ったんだろうね。
お盆に男の子だけでお地蔵様の周りを「あっちゃちゃの用心!火の用心!」
と拍子木を叩いて回り慰霊と戒めを始めたんだ。
戦後途絶えていたんだけど、よらん会が子どもの思い出作りと
区民の融和をということで今は女の子も大人も参加してやるんだよ。


まぁの一言


戦国時代は地元でも大変な事が起こっていたんですね。
先祖のご苦労と、今の平和に改めて感謝します。


はい!社長です-七尾外材株式会社


七尾外材株式会社 前山 英則 (まえやま ひでのり)さん 48才 A型


当社は輸入木材を丸太のまま製材所に販売していましたが、業界も激変し、このままでは生き残れないと全社員で試行錯誤し、プレカット加工を始めました。

父の教えを元に、仲間と「丁寧な仕事!」を心かげています。プレカットは機材で95%は製品になりますが、残りの5%は人の手です。大工棟梁の知識を材の選別や加工に取り入れます。この5%に、かける想い次第で結果が変わります。

作るだけではなく、使う人の事を考え仕事をする。この姿勢が他の事にも通じ、人としても成長していくと思っています。


住 所:七尾市大田町111部15番地
お電話:0767-53-2128


外雷太鼓


9年前、会長の杉木さんが、お熊甲祭りで「いいとこ見せたい!」そんな想いで、立ち上げた外雷太鼓です。外の神社は加茂社で雷神ということで宮司さんに命名して頂きました。最初は大人だけで練習していましたが、現在大人5名、子ども14名です。秋は各地で太鼓大会が続きます。大関目指して毎晩練習しています。


HAIR EY

八幡 圭輔 (やはた けいすけ)さん

31才 B型

東京のサロンでの勤務時に「ポジティブ心理学」と出会い、「七尾を元気にしたい」と思うようになりました。

HAIR EYの 「 EY(イーワイ) 」 は 「 ENJOY YOURSELF 」(自分自身を楽しめ)の頭文字で、私は楽しく仕事をさせてもらうからお客様も思いっきり楽しんでもらう。私に関わる全ての人が自分自身の人生を楽しく元気に過ごすお手伝いをしていきたいという思いでやっています。

将来の夢は、七尾を元気にすること、同じ思いの他業種の方と一緒に何かやることです。



住 所:七尾市本府中町モ38-4

お電話:0767-57-5080


第72回私の仕事は「彫刻師」です

師の半学に足らず



私の仕事は、「彫刻師」です
米村 正勝(よねむらまさかつ)さん 74歳
仕事歴 55年 木彫伝統工芸士

彫刻師の仕事とは

私の場合は、七尾仏壇の彫刻を中心に神社仏閣での曳山、キリコ、獅子頭、
天狗、仏像、欄間などを手がけています。

父に師事

「弟子賢しと言えども師の半学に足らず」父がよく口にした言葉です。
父も彫刻師でした。私は父に師事し技能を習得しますが、

この言葉は私が一人前の仕事が出来るようになっても聞かされました。
当時は腕前が上がっても自惚れることなく精進せよとの戒めだと何気に聞いていました。

今にして思えばそれは技能の事だけではなく、職業として彫刻に携われることから始まり、
生業としての七尾仏壇という環境があり、ご贔屓のお客様がすでにいる。
これらのことは自分一人の力で成り立っているのではないのだから、全ての事に感謝を忘れず、
謙虚であれとの教えだったと思えました。




一意専心

私は子供の頃から彫刻に興味を持ち、父のノミを触っては怒られていました。
七尾高校時代に「米村蔵書」という角印を作りました。
これが私の最初の作品で、自分で考えた独自の字体です。

高校を卒業し母の強い勧めも有り国鉄に就職しましたが、夕方家へ帰えればノミを持って
夜遅くまで手伝いました。跡を継がせたい父の思いも感じ、

結局3ヶ月で国鉄を辞める事にしました。競争率70倍で就職した国鉄です。
助役は将来駅長になれるから辞めるなと引き止めてくれ、母も反対しましたが、
彫刻が好きだった私には迷いはありませんでした。

七尾仏壇

伝統工芸品となった七尾仏壇の起源は室町時代だと推察されています。
この時代は蓮如上人が能登に真宗を広めた時期であり、
護職として畠山氏が七尾に入り様々な文化や工芸が育っていく時代です。

七尾仏壇は木地、彫刻、漆塗り、蒔絵、金具、金箔押しの工程がありそれぞれに職人がいます。
中でも塗師職人が仏壇の製造を家業としてきた歴史があり、七尾の仏壇店は漆塗り専門で、
ここから各職人へ仕事が発注されます。仏壇彫刻では、荒彫り50丁、
上げ100丁のノミを使って雲、唐草、鶴、龍、天女、菊、波などを彫ります。
それぞれに基本の形がありますが、彫る技術以上に全体の構図を描く力が求められます。

その時、その時、一生懸命にやっているのですが、
10年経って見直すと気付くこともあります。



これから

昭和45年から平成15年くらいまでは彫刻の注文が殺到し、
いつもせかされて制作していました。今はそんな時代ではありませんが、
彫刻という技にも、作品の追求にも限界はありません。

七尾仏壇の伝統を守りながら、元気な間は一生彫刻の道に励んでいきたいと思います。
能登各地の神社仏閣の仕事も手がけてきましたが、
お寺や神社の大作は多くの人に拝んでもらい何百年も残っていく作品です。

こんなにやりがいのある仕事が出来る事に喜びを感じ、誇りに思います。

矢田新町 米村彫刻 ☎0767-52-3076
2016年取材


碁石ヶ峰県立自然公園


5つある県立自然公園の一つ。
山頂付近までは自動車で行くことができ、途中の原山大池は見晴らしが良く散策にもぴったり♪

頂上では立山そして広がる田園、七尾湾、志賀町の海、能登半島の輪郭の一端を眺められます。う~ん絶景!!