仏島(ほとけじま)
石川富山の県境にある周囲約80mの小島。
氷見市に属するが位置的には七尾大泊の海岸から150mと近い。
昔能登と越中で領有争いが起こったが、ほっとけばそのうち争いも収まるだろうと「ほっとけ島」と呼ばれ、それが転じて仏島になったとか…(笑)
石川富山の県境にある周囲約80mの小島。
氷見市に属するが位置的には七尾大泊の海岸から150mと近い。
昔能登と越中で領有争いが起こったが、ほっとけばそのうち争いも収まるだろうと「ほっとけ島」と呼ばれ、それが転じて仏島になったとか…(笑)
能登に惹かれ東京から移住し、昨年5月にフランス料理店をオープンしました。
東京にいる頃とは違い、季節の変化や食材の移り変わりを目の当たりにして僕自身も流れに身を任せ「自然体」で能登での生活を楽しんでいます。
皆さんの食卓に並ぶ料理も、当店で提供するフランス料理も根本は変わりません。 大切なのは「美味しいこと」「楽しく心地良いこと」だと感じます。
住 所:小島町大開地1-5
お電話:58-6214
沖縄の宮古島出身です。 東京の大手動画配信サービス会社で仕事をしていましたが、結婚を機に七尾へ来ました。
現在は夫の家業である和菓子店を手伝いながら子育奮闘中です(笑)。 まだまだお菓子のこと、地元ならではの冠婚葬祭マナーなど知らないことだらけですが毎日精進していきたいです。
七尾はお米も魚介類も美味しくそして、人情味もありとても住みやすい町で大好です。
住 所:作事町1番地
お電話:53-0787
本日、「本を読む仲間のつどい」講演会を3年ぶりに開催します。
図書館と友の会実行委員会とで4月から準備を進めてきました。
今回は石川県観光スペシャルガイドの藤平朝雄氏をお迎えして文学とうたの旅を絶妙なトークでお話して頂きます。 秋のひと時、ぜひお越し下さい。 お問合せ:0767-53-0583七尾市立図書館
市民大学講座 本を読む仲間の集い・講演会
「半島と旅情文学 七尾湾岸うたの旅」
10月22日 13:30~
場所:矢田郷地区コミュニティセンター2階 視聴覚室
(旧サンライフプラザ)
参加無料、マスクを着用願います。
ぎん(オス)2才
ミニチュアシュナウザー
いつも元気な
ぎんちゃん
いっぱいお散歩
行こうね!
(矢田町 太田さん)
ミィ(メス)12才
柴犬
小さい時にしつけをしっかりしたので、
吠えないし、人なつっこいです。
朝晩2回の散歩で、近所の犬とも
みんなお友達です。
(小丸山台 角田さん)
チー(メス)8才
ミックス
呼ぶとニャンと返事します。
人慣れして賢いですが、自分の
思いを通す気の強い所もあります。
(下後山 前多さん)
ダグ(オス)4才
フレンチブルドッグ
遊ぶの大好き わんぱく坊主
可愛い仕草や表情に
毎日癒されてます。
(小丸山台 纐纈さん)
ピーコ(オス)15才
ペルシャ猫
昔はヤンチャでしたが、
年老いた今はのんびりしながら、
美味しいお魚を食べて暮らしています。
(田鶴浜 滝音さん)
大気と海水の温度差で光が屈折する蜃気楼の一種で、海から昇る丸い太陽がくびれたように見えます。
七尾灘浦海岸で年に数回程度と中々見る事の出来ない光景です。
写真愛好家はそのショットを求めて通いますが10回に1回遭遇できるかどうかです。
みんな仲良く、面白い事がない日は無いくらい沢山笑って、楽しく活動しています。
キャプテンとして、みんなをまとめたり、ダメなところを注意したり、分からない事を教えるなどして、みんなを支える存在になりたいと思い行動しています。
1年生は2名と少ないので、来年度はたくさん新入生が入って欲しいです。 (部長 宮本ゆず)
顧問:遠藤 侑真先生
キャプテン:宮本 ゆずさん
地域おこしとして、2007年から高階地区の有志12人で観賞用ジャンボかぼちゃ作りを始めました。
今年は10軒が栽培し70個を収穫しました。
高階コミセンで重量あてクイズとべっぴんさんかぼちゃの投票が30日まで行われます。 今までの最高は240㎏でした。 ピタリ賞などいろいろ準備していますので是非投票に来てください。
9月25日には2回目の収穫をします。まぁ~大きいですよ(笑)
住 所:七尾市町屋町ホ 部55番地 高階地区コミュニティセンター
お電話:57-3239
青パパイヤは野菜です!
創業73年、この地で祖父母が始めた花屋をこの度、父から承継し、新たな気持ちで頑張るぞ!という心で臨んでいます。
それと同時に、これまで当店を育てていただいたお客様、取引先様、関わって頂いた方々と先代への感謝の気持ちをカタチにしたいと思います。
花の可能性に挑戦し、地域の皆様の笑顔の花が大きく開きますようにスタッフと共に毎日ワクワク楽しんでいきます!
住 所:藤橋町未部42-2
お電話:53-0755
石川県大会25分25秒優勝・北信越大会25分36秒優勝・全国インターハイ予選25分1秒、決勝24分36秒自己新記録で9位。乃愛さんの熱い夏が終わった。インターハイ8位入賞は成らなかったが決勝で自己ベストを出せた。
これが今の自分の力です、と笑顔の乃愛さんには悔いが無い。
陸上選手だった父の影響で5歳の時から中能登町のクラブチーム鹿島ACに顔を出していた。中能登中学では中距離選手として活躍していたが入賞経験は無かった。
鵬学園陸上部が駅伝チームを立ち上げ長距離に力を入れることを知る。料理を作ることが好きだったことと、高校までは陸上を続けたいとの思いが重なり鵬学園の調理科へ進学を決めた。
陸上部に入部するも長距離同期は全国中学駅伝で準優勝した七尾中学からのメンバーで自分は一番遅かった。それでも一緒に都大路を走りたいと練習に励んだが、高1の夏にシンスプリットで足が痛くなり走れなくなった。
秋の新人戦には競歩に転向して臨んだ。28分15秒で6位入賞。 競歩、絶対に続けていこうと初めての入賞はモチベーションになった。冬場の練習、足が引きつり痛くなるが、練習に比例して記録が伸びるので嬉しさを感じる。
ただ辛い事は専門コーチがいないことだ。今日の自分の動きがどうだったのか客観的に評価してもらえない。足の動き、腕の振り方、自分で自分の良かった所を見つけて自分を鼓舞する。そんな中で輪島高校との練習や石川陸協の強化練習会の参加でコーチから技術面のみならず練習でのモチベーションの維持や、試合日にベストコンデションの合わせ方などメンタル面も指導を受ける。コーチから「フォームが良くなったね」との一言で、自分が伸びているんだと感じることができ嬉しかった。
高2の県大会では26分49秒で3位入賞。上位2人が3年生だったので来年はインターハイを目指せる。気を抜かず今まで以上に頑張らなくてはと思った。鵬陸上部で外部コーチを務める父からも「来年はインターハイで入賞するぞ!」と励まされ、インターハイに目標を定めた。 26分台では通用しないので、技術と速いペースで歩き続けられる力をつけるため練習を強化した。
精一杯の努力もしてきたし、自分で満足できる結果を残せたと思う。陸上はここで一区切りつけたいと思っている。
料理やお菓子は子供の頃から食べる事も作ることも大好きだった。中3のある日、パッと閃いた夢がある。『自分の店を持ちたい!』それ以来思い続けている夢だ。鵬で調理と陸上を頑張ろうと心に誓い、朝練習がある日は自分で弁当を二つ作って通学した。
次の目標は調理師免許と製菓衛生師の資格を取得することだ。競歩で培った精神で夢の実現に向けて再度、自分を鼓舞し頑張りたいと語る。
信念があり直向きな乃愛さんが輝いて見える。高校卒業は自分の人生を拓いていくスタートラインでもある。自分が本当にやりたい事ならばどんなハードルも超えられる。恩と感謝を忘れず、活き活きと人生を歩んでほしい。
目標を立て、挑戦して、道を拓く。 なんと尊いことだろうか。
二宮川が運んできた土砂が堆積し出来た荒地を新しく拓いたことに由来すると聞いているよ。昔は荒屋とも書くことがあったようだね。
そんな場所だから江戸時代、明治時代と大氾濫に見舞われ大きな被害を受けたらしいんだ。昭和二十四年頃の河川改修で川幅が二十五メートルも広げられ、今は穏やかな川になっているよ。
移住してきたから昔の話はわかんけど、先輩方から聞いた話だと昭和十九年頃はまだ茅と藁ぶき屋根の農家が大半で、戦時中の主食はさつまいもや麦飯などだったそうだよ。
ここは隣在所の川尻にある荒石比古神社の氏子で祭りは川尻と一緒に行うし、生産組合や公民館活動は垣吉の在所と一緒なんだ。新屋では地蔵祭りが伝統行事で毎年八月十九日に近い土曜日に東嶺寺の住職に来て頂いてお参りと説法をしてもらい、終わればアイスを食べるのが恒例でね、子供たちはアイス目当てに集まるんだよ(笑)。
昔から新屋と垣吉が一緒に若衆報恩講をやっている縁で若い衆が新垣友和会を結成して、地域を盛り上げようといろんな行事をやってきたんだ。中でも盛大にやったのが夏の「二宮川フェスティバル」でね、新垣を自分たちで良くしようと頑張ったんだよ。手作りのイカダレース、釣り大会、しょうろう流しなどやって、春には二の宮川上空に百本のこいのぼりを泳がしたり、盆踊りには稲垣音頭を披露してたこともあったんだ。
つくづく友和の精神が育まれている在所だと感じるよ。
平成三年の石川国体で成年女子バスケット静岡県選手団を民泊で受け入れたけど三十年経った今でも交流が続いているんだ。コロナ禍前に再会したけどみんないいお母さんになっていたよ(笑)。初戦の相手が石川チームだったけどみんなで静岡チームを応援したんだよ。
こじんまりした在所でどんな課題もすぐ解決するんだ。全世帯がみなさんのお世話をしようじゃないかと町会長七十歳定年制を設けたんだ。町会長を辞めたら次は副町会長になって新しい町会長をサポートし、監査役をやった人が次の町会長になるんだよ。
私も旅から来て仲良くしてもらったけど、友和の精神を次世代に繋いで、在所を守り支える仕組みを大事していきたいね。 みんな仲よーしてやっていければいいんや!そんだけやろー(笑)。
カワセミが飛ぶ二宮川
みんなで語り合う友和の在所
山村日室町に伝わる奇祭。神木タブの木に魚を刻印した雄鎌と雌鎌を打ち込みます。
江戸時代に漁村江泊町の枝村であったことから漁業と深いつながりがあり 「鎮風」と「豊漁」を祈願します。
平成4年に石川県の無形民俗文化財に指定されました。
今年の四月一日に中島の要貝と大町が合併して誕生した新しい町なんだよ。
高齢化が進む中、何かと町会運営も難しくなってきていたので、前々から合併の話はあってね。まず壮年団が一本化して、今年になってようやく実現したよ。
既存の町会が合併するのは合併後の七尾市では初めてなんだ。双方の神社が同じ菅原神社なので祭りは一緒にやっているし、お互いの住人もみな親しい間柄だから違和感はまったくないね。町名はもちろん神社の名前からだよ。
昔は演劇堂の前の道路が川で、その川と熊木川に挟まれた場所だったので中島という地名が付いたんだ。中島の垣内の在所で代本・向出が白山組、中町・新町が愛宕組、要貝・大町が菅原組、山岸・岩崎・岡が熊野組としてそれぞれの神社で組を作っていたんだ。
要貝の名前の由来は貝田城(熊木城の別名)を守備する出先の要害の地だったからだと聞いているんだけどね。商工会の場所は加賀藩の年貢を保存するお蔵があったんだ。在所の屋号で「もんすけ」「ばんじゃ」があるけどお蔵を守っていた家系だと思われるよ。
中島は熊木川のおかげで商店街として発展したんだ。七尾や奥能登を結ぶ天神丸という船が航行していてね、熊木川を上がって天神橋に着いて、そこがバスの始発場で富来や穴水に向かっていたんだ。
輪島の海女さんも船で来て、要貝を前線基地にして宿に干物など商品をドサッと置いてかごを担いで行商に出かけていたよ。私の祖父が天神丸の船頭で家も海女さんの宿にもなっていたんだ。
記録によると中島地区は江戸時代から賑やかで明治期に電話が、大正元年自家発電で電灯がついて、大正三年に全国で三番目に上水道が敷設されているんだ。
各地から人が集まり歓楽街もあって全盛期には芸者さんが四十八人いたと先輩が言っていたよ(笑)。
高齢化社会にどう向き合うか…。新しい町会なので今まで以上に絆を深めたいと思ってね、ネットを使って色んな情報がすぐに伝達できるように取り組んでいるところなんだよ。
これから独居老人も増えていくと思うので町会長、民生委員、親族も含めて効果的な協力体制を作っていかないとね。
それと若い人が結婚を機に七尾や中能登町へ出て行くので何とか地元に留まって欲しいところなんですよ。
進出果敢な気質が今に伝わる在所
学校や地域の課題を見つけ自分たちで出来ることを探して活動しています。
昨年石川県高等学校家庭クラブ研究発表会で竹の有効活用を目指すたけのこパンの研究を発表し石川県教育委員会賞を受賞しました。
またコロナの差別や偏見をしない、許さないシトラスリボン運動の和を広め全校生徒で800個のリボンを作成しました。
顧問:高田先生
部長:山本さん 副部長:卜部さん
祖父の代からの米専業農家で、20年前から作っている有機栽培米と特別栽培米(農薬と化学肥料を県基準の8割以上減)が主軸です。
大学を卒業後、JAに就職するも、こだわり米の製造販売の経営に魅力を感じ30才で家業に。
毎年初夏「田んぼの生きもの調査」を実施し、希少な生きものを含む30~40種程を確認。 環境負荷の少ない農業で、地域貢献できる経営を確立したいです。
住 所:中能登町小田中井部83番地
お電話:77-1596
介護福祉士として10年間働いた経験があります。 その時「ありがとう」の言葉が嬉しくて、とてもやりがいがありましたが、思うことがあり人生一回だと意を決しエステの世界に入りました。
信州大会で賞を頂きミセスの部で日本大会に出場したことで多くの出会いと学びがありました。
周りのいかなることにも感謝を忘れずに、心身共に美しく生きていく和を広げたいと思います。
住 所:小島町大開地1-78 ベイモール2F
お電話:52-2229
ぼくたち 私たちが 学校を変える! 支える!
法華経、仁王経とともに国家鎮護の三部経とされる最勝王経(さいしょうおうきょう)のお講が営まれていたことに由来すると聞いているよ。
本当かどうかもわからないけど国分尼寺があったんではないかとか、毎月八日に寄り合った日があったとか聞いたこともあるけどね。
確かに在所の中には大塔河原、社の神、総堂、中門跡、権現田など神社仏閣にちなんだ呼び名が多いね。
度々合戦の地になっているようだよ。大きなところでは畠山軍と越中温井・三宅軍の合戦があってね、合戦が始まるという話が伝わると井田、徳前、芹川、馬場などに逃げ、終われば戻ってくるという事が何度もあって離散集合が繰り返されたらしいよ。石動山も近いし色んな合戦があったんだろうね。
石動山とは縁が深くてね、明治七年に石動山の行者堂を十九円で買って在所の天神社拝殿としていたけど昭和六十三年に拝殿を新しくした時に石動山に移築して行者堂に復元しているんだ。神輿も明治八年に石動山から二十六円五十三銭で買い取ったけど、江戸時代のものらしく貴重なものなんだよ。それで石動山資料館に展示させてほしいというので今は預けてあるんだ。
春秋の祭りには持ってくるという約束だけどもう六十年も祭りに神輿を出していないので預けっぱなしなんだよ(笑)。
「最勝講どんどん・おこどんどん・閑所(かんしょ)とかけて十三軒」という囃子言葉があるんだ。これは近隣の子供たちが最勝講が小さい在所だからとからかって言うので私の先輩たちはよくケンカしていたよ。閑所とは便所のことで便所まで数えて十三軒しかないというふうに思われているけど明治十六年で三十六軒の在所だったんだよ(笑)。
在所では、おこどんどんとは、右近殿がなまって、おこどんなんだ。百石持ちもいた在所で、おやっさまが十三軒もあったとか、間口十三間の家が並んでいたと伝わっているんだよ。
一昔前は良川駅へ向かう通学路で高校生がたくさん歩いていたけど今は静かな在所になったね。良川駅とアルプラと中能登中学に近く新しい人が十世帯入ってきているけど、少子高齢化が進んで人も田んぼも現状維持が精一杯ってとこだよ。
古い通りを散策すれば
穏やかな空気、のどかな在所。
仕事歴27年 北原 洋子さん 59歳
関西でいくつかの仕事に携わりましたが、公務員の仕事は初めてで、芯から冷える寒さにも慣れず「もう無理かな…」と思ったことも。
七尾に嫁いで三十年経ちますが、最初の頃は「よそ者」という壁もありました。そんな時にふと見上げた空の青さ、道端の小さな花、海の香りと、心和む七尾の自然に癒されました。
私は子どもの頃から美術が大好きで、小学生の時、母に連れられゴッホ展で見た「ひまわり」に、子ども心にも「なんか凄いなー」と感じたことを記憶しています。また、中学一年生の時、テレビで見たロダンの「地獄の門」を見たくて、一人で上野の国立西洋美術館へ行ったことも。
高校では芸術コースで学び、大学は京都の美大に進学して油絵を専攻しました。大学を卒業後、いくつかの職を経て絵を描いて個展を開いていた頃、知り合いのお坊さんから高野山に阿字観瞑想の優秀な指導員(僧侶)がいるからと誘われるまま参加しました。
それから十か月後の平成四年十一月に、その僧侶の実家・七尾のお寺に嫁いできました。お寺の仕事を手伝うのかと思いましたが、姑が「私が元気なうちは、外で働いてもいいんじゃない」と言ってくれたことをきっかけに、七尾美術館の開館準備室に勤める事になりました。
開館準備では明けても暮れても「等伯」で、オリジナルハイビジョン番組の製作などに追われました。
等伯は能登国七尾に生まれ、三十四歳頃に上洛、千利休や高僧らと親交を結び、後に長谷川一派を率いて桃山時代に活躍した画家です。全国にある等伯作品の把握もさることながら、機械が苦手な私がハイビジョンシステムを把握するのも大変でした。そして、毎日等伯についての本を読み漁っていくうちに、すっかり「等伯」にのめり込んでいきました。
平成七年の開館と同時に七尾美術館学芸員となり、翌八年から毎年「長谷川等伯展」をシリーズで開催しています。開館して間もない頃の出品交渉では、「七尾?どこにあるんですか」と聞かれたり、小さな美術館、ましてや女性と言う事で舐められることも…。
同業者には「七尾の規模で毎年の等伯展は無謀」と言われながらも、開館十周年の「国宝・松林図屏風展」では二週間で五万七千人以上の方が鑑賞され、子どもたちの様々な感想を聞いて「つくづくこの仕事をしていて良かった」と思いました。また多くの方々の協力や、家族の支えがあって今がある。感謝の気持ちは一生忘れません。
学芸員は様々な仕事をします。例えば特別展の場合、展覧会の企画、出品作品を考え展示計画作成。出品依頼に伺い、承諾後の画像使用申請、図録やパネルの解説作成。印刷物の作成に、広報はウェブサイト、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなど三十件以上です。
作品運搬の際には借用証書や点検表を持参し念入りにコンディションチェックをします。一つの展覧会でも多くの準備があり大変ですが、素晴らしい文化財や美しい作品、楽しい作品と出会えることの喜びは格別です。
そして鑑賞して楽しんでおられるお客様の姿を見た時や、感動の声を頂いた時の喜びは、学芸員冥利に尽きます。子どもたちの目が輝くのを見られるのは、とても嬉しいです。
この夏は、当館初の民族文化に関する展示で、世界のビーズ約200点を公開します。
気が付けば定年までもう残り数年。次の世代に引き継ぎを期待しつつ、まだ自分でもできる協力を続けていきたいと思っています。
石川県七尾美術館
☎0767-53-1500