和倉温泉テニスコート
平成27年にオープン、 全天候型の砂入り人工芝で24面あり、 そのうちナイター照明を6面そろえます。
能登和倉国際女子オープンテニスや各種大会など開催される北陸最大級のテニスコートです。
地元サークルや部活動の合宿でも活用されています。
平成27年にオープン、 全天候型の砂入り人工芝で24面あり、 そのうちナイター照明を6面そろえます。
能登和倉国際女子オープンテニスや各種大会など開催される北陸最大級のテニスコートです。
地元サークルや部活動の合宿でも活用されています。
メリハリのある部活動を目指しています。 意味のある練習で、一人ひとりが自分の射にこだわり、友達や先生・コーチに見てもらい積極的に質問し、ビデオでチェックしながら向上心を持って活動しています。
部員一丸となり、技術面・精神面を互いに高め合える工夫をし練習していきたいです。
総体応援、ありがとうございました!
顧問:北川先生・入口先生 コーチ:曽山さん
部長:髙山 青大くん 副部長:北山 靖洋くん
部長:干場 珠季さん 副部長:松岸 咲良さん
みんなで 力を合わせて 一歩前へ!
僕は大事な決断ほど、最後は心に聞くようにしています。
身体は面白くて、叩けば痛いし・さすったら落ちつく。 これと同じで決断する時に「心がワクワクしているか?」もしくは「苦しくなっていないか?」嫌な決断をする時は苦しくなると思います。
すべてがそう出来るとは限りませんが、僕はワクワクする選択をしていきたいです。 それで決断してできた美肌脱毛サロンです。
住 所:小丸山台2丁目87-1
お電話:090-9442-6126
人と直接関わる職業に就きたいと思っていたので、親と進路の話をして高校2年の時に保育士になる事を決めました。保育士専門学校に進学し、資格を取りました。
社会に出て数年、保育士としては未熟なところが沢山あります。 しかし、日々の保育・行事など色々な仕事を沢山経験して少しでも早く一人前の保育士になれるよう頑張っています。
日本一周旅行するのが夢です。
住 所:高田町マ部80番地
お電話:68-8007
平成6年、石川県で金沢市に次いで2番目に七尾市観光ボランティアガイド「はろうななお」が立ち上がった。
今では24団体、約1200名のボランティアガイドが県内各地でその土地の魅力を案内している。現在26名で活動する「はろうななお」の会長、佐野藤博さんにお話を伺った。
駅前のミナクルビル1階に案内所を開設し、花嫁のれん館と一本杉通り・長谷川等伯ゆかりの山の寺寺院群 ・日本百名城の七尾城跡 ・和倉温泉七福神福々めぐり ・和倉温泉お祭り会館と5つのコースを案内している。
ここ2年間はコロナ禍で減少していたガイドもこの6月から動きが出てきた。7月以降本格化すればベテランから新人まで26名がフル稼働しても足りないのが悩みだ。ガイドの平均年齢も高くなる中、最近若い世代もメンバーに加わり希望をつなぐが、ボランティアなので仕事を持つ若い人は毎日とはいかない。
退職して仕事に就いていない60代前半から始めても良いガイドに育っていくので、興味のある人はぜひ仲間に加わって欲しいと話す。
ボランティアと言っても人前に立つ時はプロ意識を持って案内する気構えが大事だと佐野さん。
のとしん時代の先輩で前会長の藤井さんに誘われた。今年で10年を迎えるが決して社交的でない自分がガイドを始めたので周りが驚いた。初めてのガイドは一本杉だった。先輩についてマニュアルを見ながら教わったがうまくいかなかった。最初はだれでも必ず失敗する。2度、3度、回数を重ねるうちに自然と覚えていった。
人気のコースはなんといっても年間3万人近くが訪れる七尾城跡だ。昭和9年に国指定史跡に、平成18年に日本百名城に認定された七尾城。本丸駐車場から遊歩道へ一歩足を踏み入れると力強い杉並木が迎え、静寂な空間は往時をしのばせ幻想的な雰囲気が漂う。足を進めると苔むした四段の野面積みの石垣が現れ、観光客はこぞってその壮大さに圧倒され息を呑み、標高300mの本丸跡にたどり着くと目の前には七尾湾や能登半島を一望する絶景が広がり皆感嘆の声を上げる。
上杉謙信に「絵像に写し難き景勝までに候」と言わしめた眺望や歴史を魅力あるガイドで伝え広めていきたいと知識を深く掘り下げる。そして知識だけを話すのでなくガイドの人柄や個性を活かて、客層に合わせたアドリブや気を引くジョークを心掛けている。
ガイドをやって見えてくるものがある。私たちが暮らす能登・七尾、こんなに自然豊かで濃厚な歴史や文化を持つ土地は少ない。しかし地元に生まれ育っていても足元を知らないで暮らしている人が多い。
1544年七尾を訪れた京都東福寺の禅僧彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が記した「独楽亭記」には麓から一里もの間に千門万戸の商家が立ち並んでいたと記されるほど七尾は栄えた町であった。
今過疎化が進み人口減が加速する中これからの七尾をどうしていくのか。交流人口を増やし経済を活性化させ、移住者を増やし定住人口を増やすと言うが、そのためにはその土地に魅力がなければならない。能登にはその潜在的な魅力は十分にあると思う。
能登の玄関口七尾の魅力を発信する役割は行政だけではない。一人一人が自分の暮らす地域の歴史や文化を伝承し、語り部となっていけたらいいと思う。
七尾市観光ボランティアガイドも限られたコースではあるが、最前線で観光客と直に触れ合いその一翼を担う。故郷を愛し、おもてなしの心で、七尾の将来を思い、精一杯やっている。
在所では「しつわら」と呼んでいるよ。
赤蔵山系と眉丈山系の狭間の小さい盆地で、そこを流れる吉田川を挟んで拓いた田んぼが唯一の平地なんだけど、七つもの野原があるようなところではないので、なんで七原となったか正直わからないんだよ。
人里離れた山間に田畑で暮らしを立ててきた在所でね。私が子どもの頃は田んぼも土水路でドジョウやタニシがいたし、吉田川にはきれいな水が流れヤマメやナマズ、コイにフナ、ゴリなど沢山いたよ。
タニシはゆでておやつ代わりに食べていたくらいだけど、ここのタニシは先端が白いのが特徴なんだ。昔この辺りに十劫坊というお寺があって、たくさんの坊舎が建ち並んでいたことからか、在所では僧の生霊と言い伝えられているよ。
私の苗字は家の前が採石場だったから大石で、屋号は「ほこさ」と言うけど、長尾景虎の六人衆の一人で鉾持ちだったからだと伝わっているんだ。志賀町方面からの敵を防ぐのにここに家を構えたと聞いているよ。六人衆の系図ははっきりしていて、今でも事があれば吉田の長尾家を中心に集まるんだよ。
この時期、吉田川から田んぼ、山の麓にかけて沢山のホタルが飛ぶけど幻想的でとてもきれいだよ。
近年、水もきれいで自然が豊かだからと移住して自然農法を営む若い人もいてくれてね。こちらはもう在所の人として迎えて色々と交流しながら助け合っているんだ。
小さな在所ゆえみんな素朴で人が良く、草刈りも、苗植えも収穫もみんなで手伝って、毎週土曜日にはどこかの家にみんな集まって一杯やっているよ(笑)。八世帯しかないのに川の草刈りには十五人も出てくるんだ。在所の外に住んでいても七原に畑をしている人たちが草刈機を持って集まってくれてね。
若い仲間も増え昨年は二十一年ぶりに秋祭りに旗を立てたし、今年は神輿を出そうと話しているんだ。なんと五十年以上ぶりだよ。何をやるにしても協力しなければならないし、在所中ラインでつないでもうみんな親戚づきあいなんだ。
最終的には人と人のつながりが一番大切だと思うんだよ。いがみ合うより、助け合って、美味しいもの食べて、楽しく過ごす。そういう環境を子や孫の代にも残していけたらと願っているんだ。
絆を大切にして、自然を満喫。
思いやりのある暮らし、素敵な在所。
4/24に小丸山通沿いに、「ねむりと暮らしに寄り添う」寝具店をオープン致しました。
家業のムーミンなかがわで寝具のご相談を受ける中、眠りについて興味が湧き、日中の活動時から入眠に入るまでのご提案が出来ないかと考えました。
新店舗では、快眠を実現する事に繋がる商品・サービスをご提案させて頂き、地域の皆様に愛されるお店となりますよう日々取り組んでいきます。
住 所:小丸山台1丁目19
お電話:52-9550
母と弟2人がパンを作り、父と私と嫁が酪農を担当し、家族で頑張っています。 酪農は私で4代目で、高3の時祖父の入院を機にこの仕事に就きました。
毎日の牛のお世話は大変ですが、可愛い牛達に癒されながら楽しく仕事しています。
七尾まだら保存会の会員で、先輩方から色々指導を頂き頑張っています。
夢は生涯現役の酪農家です。 趣味のマラソンで大会にも出場しています。
住 所:古府町ラ部35番地甲
お電話:53-0479
中島っ子パワーで学校をひっぱる! うーっパワー‼
マンポとは農業用の地下水路のことです。
舟尾川のマンポは約170年前肝煎(きもいり)の左近四郎を中心に新田開発の折、二ノ宮川から灌漑用水を引くため山を貫通して大小2本のマンポを造りました。
延長70m、大きいマンポの直径は4mあります。
花歴47年 島崎 隆楓さん 67歳
「この花、奥行きがないね」と指導しようとしたら「先生が自由に生けて下さいと言ったじゃないですか。だから私、自由に生けました」と頑として生け直しをしない生徒がいました。
「初めから自由だけだったら稽古は要らないでしょ。基礎を学んでからの自由なのですよ」と言っても、「これでいいです」と、ずーと下を向いたままです。輪島漆芸技術研修所で華道指導の時です。芸術家の卵なので美に対するこだわりがあったのかもしれません。
そのことが私自身の指導を見つめ直すきっかけになりました。自分の経験や知識を指導するのでなく、生徒が今何を思って何を表現したいのかを聴き、共感して、問いかけ、全面的に直すことはしないで「それだったらここだけ少し直そうね」と気持ちに寄り添う指導を心掛けています。
千葉県の大学へ入学したのを機に、軽い気持ちでお花でもやってみようかと近所のお花屋さんで華道教室を紹介してもらいました。どうせなら歴史の古い池坊がいいかなってくらいだったのです。気がつけば様々なご縁を頂きながらお花と共に人生を歩むことになっていました。
最初の師から池坊お茶の水学院へ通うよう勧められました。そこでは一ケ月に一回試験があり点数を貯めます。千点になると入門試験が受けられます。入門の前に本気度が試されたのだと思います。師の元で師範の免状まで取得し帰郷しました。
その際に紹介頂いたのが羽咋市在住で石川県池坊会長の高見藤一師でした。十五年以上羽咋まで通い稽古させて頂きながら地元の公民館や学校などでも指導してきました。しかし教えるということは自分が解っていないと教えられないのです。教本もあるけど実際は葉一枚大きさも色もみな違います。とても奥が深く自分一人で悩んでいても限界があります。
それで先達の姿を見て習い続けなければと四十八歳の時、京都池坊中央教授の横山夢草師の道場にて師事することになりました。とっても厳しい先生で「いやぁー大変な所へ来てしまった」と思いました。「こんな花でよく来たね」「ごまかしの花だ」と言われても、その意味さえも分かりませんでした。隣の席の人が指導を仰ごうと先生に「見て下さい」と言うと「どこを見ろというのかね」と。私は怖くて言葉も出ず先生の顔をジィーと見ていると「僕の顔に何かついているかい?」という具合でした。
そんな横山夢草師が生花別伝の一つ、口伝中の口伝、椿三枚半を生ける場に立ち会いました。お花屋さんから軽トラ一杯分の花材が届けられ、その中からたった二本の枝を探し取りました。生け花は腕前だけでなく花材を選ぶ力も必要です。その姿から立派な先生でも思うようにいかないお花の難しさを知りました。
そこでの修行で「お花を生けるとはどういうことか」手がかりを付けて頂いたと思います。その後に池坊中央研修学院へ論文審査で入学し、研究科と特別科を修了後は池坊中央教授の伊貝玉永師に師事しました。そして六十歳の時に池坊で上から二番目の副総華督の免状を頂きました。
池坊とは京都の紫雲山頂法寺、通称六角堂のことをさします。寺伝によると飛鳥時代に遣隋使の小野妹子が入道して池の畔に坊を営んだのが始まりといわれています。
日本最古の華道流派池坊の歴史の中で、私が知りえる知識経験はほんの芥子粒くらいにもなりませんが、こんな花を生けたいと憧れの心を持ち続けて、生活の合間に無理なく楽しめればと思っております。
華道家元池坊七尾会会長 ☎57-3382
田鶴浜こども園 4月に開園しました。
明るく広い園舎に元気な声が響きます
香島中学校時代から続いている部です。1年から3年の12人で、週4日活動しています。
明るく誰にでもフレンドリーで個性的なメンバーばかりです。
学校ではみんな仲が良く楽しく過ごし、部活では切り替えをしっかりして、練習に一生懸命取り組んでいます。
やりがいは、練習をしていたプレーを本番で成功できた時の喜びです。
目標に向かって一生懸命がんばるので、応援よろしくお願いします。
顧問:真木俊平先生 コーチ:水口秀利さん
部長:蛯原愛さん 副部長:西田遥奈さん
元々の三階村が江戸時代に二宮川を挟んで東が前田領、西が長領となったんだ。その後明治期に三階村が東三階、西三階に分村したんだね。三階村の由来まではよくわからないけどね。
室町時代、東三階を中心に開墾が始まっていったんだ。そんな歴史のなかで近年までずっと農業を中心に営んできた農村だよ。大正時代には在所出身の郡会議員が中心となって一反、三百坪の耕地整理をいち早く行っているんだ。
農閑期の夜は近所のお母さんが三人、四人集まって囲炉裏を囲んで筵(むしろ)を作る縄を編んでいたよ。子供は学校から帰ったら縄にする藁(わら)を叩いてほぐすのが仕事でね、勉強しろと言われたことが一回も無かったよ(笑)。
どこの家も五人、六人と子供がいて、私の実家も遊び場になっていて缶蹴りやメンコで遊んだよ。田んぼでソフトボールしたり、祭りになると野師(やし)が家の前で店を広げ小遣いをもらった子供たちが集まって本当に楽しかったなぁ。
部屋に畳でなく「こもしろ」を敷いていたような生活が昭和三十年を過ぎて「あんか」も「おじ」も金の卵と言われて都会へ出ていくようになって時代が変わったようだね。
昔は春と秋の祭りには神輿と獅子舞が在所を廻りどこの家も親戚を呼んで十人、二十人と集まっていたけど、今は空家と一人暮らしか二人ボッチの家が多く、秋の祭りに集会所の前に神輿を出すだけになったよ。
東三階の神社は標高六十八mの険しい山の上に建立されて江戸時代までは五社大権現と呼ばれ石動山の伊須流岐比古神社と同じ虚空蔵(こくぞう)菩薩・十一面観世音・将軍地蔵・俱利伽羅不動尊・聖観音を祭っていたんだ。明治の神仏分離、廃仏毀釈で佛様を祭られなくなったけど、その山一帯を虚空蔵菩薩の漢字を変えて国造(こくぞう)山と呼んでいるんだ。
宮は伊弉諾(いざなぎ)神社として麓に移転しているけど八月二十日の国造山祭はしっかりやっているよ。
大正時代に整備した田んぼを新たに広くする圃場整備事業が来年から始まる予定だけど、町会と生産組合、アグリ東三階が協力して取り組んでいくよ。
アグリ東三階はため池や土手の草刈りなど年に三回は行っているけど沢山の人が草刈機持参で和気あいあいと作業するんだ。作業を通じ強い絆で在所を守っていかないとね。
垣間見る日本の原風景
田舎暮らしを楽しむ在所
湧水の共同井戸で旧中島村民の日常の飲料水や洗濯の洗い水として使われていました。大正2年に中島水道が完成しその用を失うことになります。
名前の由来は中世の「熊来荘」を支配した熊来左近将監の舘があったので「おたちの水」と呼ばれました。
生まれ育った故郷で働きたいという想いで、2年前に金沢から七尾に戻ってきました。
主に、パッケージ箱の製造と配送業務をしています。 貼箱の製造は奥が深く、悪戦苦闘の毎日ですが、日々充実しています。 お客様に感動を届けられるような箱作りを目指して、これからも創意工夫していきたいです。
全国行脚し集めたサンダルは160足以上 ! 七尾一面白い人になるのが夢です。
住 所:古府町ほ38-1
お電話:53-3636
地元の農業組合法人を退職し、何を楽しもうかと思っていたら、滋賀県に住む娘から、地元で「パパイヤを栽培している人がいる」との情報を得て、青いパパイヤの露地栽培をはじめて2年。
多くのアドバイスや激励を頂き、今年の植え付けも無事終了、10月の収穫まで眺めながら楽しみます。
栄養豊かな野菜の王様としてのパパイヤで七尾の特産化を目指します。
住 所:下町へ1-1
お電話:090-3297-7039
2年前に野球を通じて人材を育成する会社を設立しました。
プロ野球選手を目指し社会人野球でプロテスト中に、家業の再建のため帰省しました。 家庭を持ち子育てする中で数々の失敗も成功も体験し多くを学びました。
芯ある人材を育成したいとの思いが募り 「チャレンジする事で人は育つ!」そんな理念を掲げ、スポーツを通じて次世代を担うジュニアを育成しています。
住 所:国下町を部7‐2
お電話:090-7086-1809
男子14名、女子8名の個性豊かな集団です。
練習は決して楽ではありませんが、練習を通して諦めない気持ち、仲間とのコミュニケーションの大切さを学びました。 そして、明るく元気な仲間たちときつい練習を乗り越えたり、試合を通じて切磋琢磨できることが楽しいです。
目標達成に向けてチーム一丸となって頑張ります。
顧問:曽我亮太先生・福原聡先生
男子キャプテン:岩本拓海くん 女子キャプテン:守﨑唯さん