こみみかわら版バックナンバー

はい!社長です-松田建具製作所


松田建具製作所 八窪 弘貴(やくぼ ひろき)さん 44才 A型


松田の親父からバトンを渡され、この5月に社長に就きました。

松田建具の二女、ちひろと結婚して金沢で内装の仕事をしていましたが、親父の生き様に惹かれ、7年前に七尾に居を移し建具の世界に飛び込みました。

親父からは「物事を決断するときは、損得よりも善悪で考えろ!」と教えられました。社長として様々な意思決定が求められますが、その教えを守り松田建具の伝統を繋いでいかなければと思っています。

家では三人の娘がいますが、仕事も家庭も責任を持って大切に育んでいく覚悟です。


住 所:中能登町徳前らの5
お電話:0767-76-2151


第114回 七尾市湯川


在所名の由来

一軒だけある湯川温泉宿の龍王閣は、江戸時代の湯治場だったんだ。
この温泉は在所を流れる崎山川から湧き出ているんだよ。
川の中から湯が出ているので湯川になったんだね。
火傷など皮膚病に効く、昔からの秘湯でね、
鎌倉時代の古文書にすでに湯河村と書かれているんだよ。

昔の生活

谷間の集落なので平地が少ないんだ。
それで山を開墾したら石灰を含んだ赤土でね、
そば、ごま、ごぼうを植えてたけど、
ごぼうに適した土で長くて美味しいごぼうが採れるんだ。
湯川と隣の岡町は、ごぼうの元祖名産地だったんだよ。
ごぼうの七日炊きという料理があって、囲炉裏の鍋に七日間炊いて、
すった胡麻をまぶして、報恩講様の時のごちそうの一品として出すんだよ。

石崎と輪島の海女がカゴを担いで来ていたけど、魚と米の物々交換だったね(笑)。
越中の人も着物や床の間の飾り物を売りに来ていたね。
母さんたちが何人もで組んで松任へ稲刈りの出稼ぎに行っていたけど
土産にスイカを買ってきて貰うのが嬉しかったなぁ。

ホウダツ

裾に大小のトンネル水路が何本もあるんだよ。
田んぼを広げるのに崎山川を付け替えしたのと、
川から取り入れた水を田んぼに引く水路を山裾を掘って作ったんだ。
普通はマンポと呼ぶけど在所ではホウダツと呼んでいるんだ。
明治時代から工事が始まったんだけど、その職人が宝達村の人たちだったんだ。
宝達の人が何十年もかけて掘っていたのでホウダツと呼ばれていったんだね。

これから

兎、狸、狐、猪のほかに、最近は熊、鹿、猿まで現れるんだ。
耕作する人が減って山や畑が荒れたら獣が入って来たんだね。
子どもの頃は貰い湯したり、半客と言って罠を仕掛けてもじなや
兎を捕獲した家にみんな集まって鍋にして楽しんだもんだよ。
若い人に獲り方や、さばき方を伝える必然性もない時代だけど、
そんな昔の生活様式を残しておこうと、多目的コミュニティーセンターを
建てて在所中から民具を集めて展示したんだ。
湯川に来て昔の暮らしや自然を満喫して温泉に入ってもらえれば嬉しいね。
この地に合った村おこしを探しているけど、高齢者も多いので、
のどかな里に、なごやかに暮らしていかれればと思っているんだ。

まぁの一言

気持ちが穏やかになる、
日本の原風景を感じる在所。


第79回私の仕事は「せり人」です


相場を決める緊張

私の仕事は「せり人」です
中島 大(なかしま まさる)53歳
仕事歴 32年

せり人の仕事とは

私の場合、地元の漁師さんが毎日、毎日、早朝から海に出て網を揚げ獲った魚介を、
鮮魚店やスーパーを通じて皆さんの食卓に届け、漁師さんも、魚屋さんも、食べる皆さんも、
みんなが幸せになるための仲立ちが、せり人の仕事だと思っています。

真剣勝負

このやろー、ふざけんな 俺の方が先やろっと胸ぐらをつかまれたことも、
顔を叩かれたこともありました。今は懐かしい昔の話ですけどね(笑)。
 
最近はここまで殺気立つことはないですが、それでもここは荷主の漁師も、
買い付けて販売する鮮魚店も生活をかけた真剣勝負の場なのです。
 
鮮魚はいち早く消費者に届けなければなりません。
その日の天候、漁獲、需要、仲卸業者と小売業者の様々な思惑の中で駆け引きがなされ
価格が決まっていきます。
同じ価格を提示した場合は、早く提示した人に決まりますが、
若い頃それを見落とし怒鳴られたのです。少しでも高く売りたい漁師、少しでも安くしたい買い人、
そしてせり人は入荷した魚を売り切らなければなりません。
キロ売りするか、山売りするか。魚の種類や入荷状況、
買い人の動きや表情まで観察し状況を見極めます。
 
スタートの値を決め、気合で一声を飛ばします。
買い人の声が飛び交い、数字が指で示されます。提示された数字を瞬時に読み取り、
最終値を決め、買い受け人を決定します。
せり人として高値で売れた時は内心嬉しいですが、移動せりなので次々とせりをテンポよく進めなければ
ならず気が抜けません。
 
公正な取引、真剣勝負の場ではありますが、漁師も買い人も同じ顔ぶれです。
あらゆる状況を勘案し双方が納得するバランス感覚もせり人に必要なセンスだと思っています。

せり人への道

七尾商業高校を卒業し銀行員として3年間勤めましたが営業が向かず悩んでいました。
昭和60年11月この七尾公設市場が開設されたのを機に思い切って21歳の時、転職しました。
 
最初は先輩の横に立ち、せりの結果を帳面に付けながら魚の名前を覚え、
この魚はこんな人たちが欲しがるんだ、この魚はこんな値のつき方をするんだと、
せり人としての知識と感性を学びました。
 
鮮魚は各漁港から次々とトラックで市場に運ばれ小さなカゴに仕分けされます。
全体の漁獲状況はそれぞれの船上から電話で入ってきますので、その情報を確認しておきます。
買い人はカゴに入った鮮魚を真剣な眼差しで下見しています。
 
朝5時半、カゴの前に立ち、「売るよー 」と大きく発声すると買い人が集まってきます。
おはようございますと帽子を脱いで挨拶をし、せりがスタートします。
 
この瞬間は今でも毎日緊張します。

相場は魚の種類、サイズ、鮮度が同じでも、日によって行って来るほど違いますし、
私のせりも気持ちが乗ってテンポ良く進むこともあれば、
タイミングが合わずリズムに乗れない日もあります。
そんな日は親方や先輩から「なんや、あのせり方は 」と未だに怒られます(笑)。
昔は2人、3人のせり人が同時に進めていましたが、漁獲量も減ってきて最近は一人の時もあります。
能登で獲れる美味しい魚を地元の皆さんにお届けするため、
これからも七尾魚市場の一線に立ち続けていく覚悟です。





七尾魚市場株式会社☎53‐7710


七尾ウォーキング協会


適度な運動を長時間にわたって続けるには、ウォーキングが最適です。誰でも、いつでもできるウォーキング♪習慣化すると、血行がよくなり、血圧上昇予防や脚などの筋肉の維持・強化にも繋がります! 通年、様々な楽しいウォークを開催しております。皆さん、一緒に歩きませんか。ぜひ、気軽にご連絡下さい。


大宮神社の狛犬


獅子の子落としをモチーフにした狛犬がある、能登島野崎町の大宮神社。

子ども達を力強く見守る親獅子と必死に登る子獅子達!とても珍しい狛犬です♪

独特の形の台座は富士山の溶岩を運んだものです。


Twins Aroma ツインズアロマ

平野 麻紀 (ひらの まき)さん

43才 A型

会社勤めをしながら、アロマコーディネーター、オルゴナイト作家として活動しています。

「癒し」という言葉に惹かれ、自分も何か人の癒しになるような事をしたいと思っていた矢先、アロマを教えてくれる先生と出会い、勉強、資格を取得し、活動を始めました。

イベントにも多数参加しています。出会った全ての方の、身体も心も癒すことが出来るセラピストになりたいと思っています。



ブログURL http://ameblo.jp/twinsaroma


はい!社長です-タケシン自動車


タケシン自動車 竹田 伸(たけだ しん)さん 40才 A型

子どもの頃から車が大好きでした。迷わず整備士になり、11年前にお店をオープンしました。その時、すでに3人子どもがいたので不安もありましたが、事務員をしていた妻に会社を辞めてもらい、手伝ってくれるよう頼みました。

友人や知人が車検や修理に車を持ってきてくれてスタートを切ることが出来ました。今あるのもそんな友人や妻のおかげだと思っています。

3人の子供は、中学、高校でバレー、野球、バスケと頑張っています。週末はそれらの応援で、仕事以上に忙しいんです(笑)

住 所:七尾市石崎町ヨ部41番地7
お電話:0767-62-1537


宍戸美奈子 フルート教室


フルートは初心者の方でも、比較的簡単に音を出すことができますし、趣味で続けていく楽器としても最適です!好きな曲を吹いたり、月一で生徒さんが集まって合奏したりと楽しみ方が沢山♪いつでも見学できます!年に1回、発表会もありますので、目標を持ちながらの練習はとても楽しいです♪ピアノ教室もやっています☆


第113回 田鶴浜町上野ヶ丘


在所名の由来

この場所は三引や田鶴浜の人たちが野菜やお茶を作っていたんだ。
そこに昭和37年から6年間かけて100戸の町営住宅を
建設して出来た新しい在所なんだよ。
建設が始まった場所が三引の「うわの」という字名だったことから、
上野ヶ丘と命名されたんだよ。正式には「うわのがおか」なんだけど、
みんな「うえのがおか」と呼んでいるよ(笑)。

在所の歴史

私が転居してきた50年代はまだ新興住宅地で
20代、30代が大半の若々しい町内だったよ。
だから田鶴浜町大運動会では優勝をして盛り上がっていたね。
そうして少しずつ在所として絆が出来るんだけど、
何分新しい在所ゆえに伝統が無かったんだ。
住吉大祭の仲間に入れてもらったけど、もちろん山車はないから、
人形だけ作って宿元に集まって人形見をしてたんだ。
その頃役場庁舎の落成式があって、お祝いの行事に獅子舞をだそうと決めたんだ。

七尾山崎の在所へ習いに行って、当時の中西陽一知事の前で披露したんだよ。
みんな山車を持ちたいという想いが募っていくんだね。
偶然か必然か在所の竹中さんが御祓製材所で山車を見かけたんだね。
聞くと米町のちょんこ山の山車を新調するのに、古い山車を置いてあったんだ。
その古い山車を米町から譲り受けたんだよ。
製材所の屋外に置いてあったので、話が決まった翌日にブルーシートを
掛けに行ったと言うから当時の熱い想いが伝わるよ。

現在の在所

若かった在所も年月が経って高齢者世帯が多い在所に変貌したよ。
数年前から上野ケ丘コミュニティセンターを
活動拠点として介護予防や交流を意識した組織、
グループ、デイ上野ケ丘ゆうゆうクラブの活動が始まったんだ。

毎週火曜日に集まってラジオ体操をして市民憲章を
みかんの花咲く丘のメロディーで歌い、出前講座を受けたり、
手工芸やトランプなど楽しんでいるんだ。

ここは田鶴浜高校があるおかげで、レクリエーションや手話を生徒から習ったり、
また入学式や卒業式には在所でお祝いの看板を立てたりして
交流を大切にしているんだ。
生徒の「おはようございます」の元気で若々しい声が響き、
春にはウグイスの鳴き声も聞こえる、住みよい在所だと思っているんだよ。

まぁの一言

車の人形は桃から生まれた桃太郎
新しく生まれ伝統を築いている在所


たかしなの里 小規模多機能型居宅介護施設

萩原 八重子 (はぎわら やえこ)さん

65才 A型

42年間の事務職を終え、退職を機に以前から好きだった介護の仕事につきました。

私は、利用者さんが大好きで皆さんから元気を貰って、職場を明るくするようにしています。今、スキルアップの為に、介護の勉強もしています。

「今日も楽しかった」と満足して帰られる姿に嬉しくなり、「又来て下さいね!」と笑顔でお見送りすると、手を振って応えて下さる姿にやりがいを感じています。


住 所:七尾市池崎町ソ部77番地1

お電話:0767-57-1717


前田利家とまつの像


桜の名所である小丸山城址公園、春には沢山の人が訪れます。

公園に佇む加賀藩の祖、前田利家とその妻まつの像は、大河ドラマ「利家とまつ」の放送を記念し制作されました。

戦国の世を乗り切った夫婦の姿が仲良く並んでいます♪


はい!社長です-Atelier Salon


Atelier Salon 白藤 拓郎(しらふじ たくろう)さん 38才 O型


元々洋服が好きだったので、高校卒業後、東京の専門学校に行き、東京で洋服関係の仕事をしていました。地元に戻り、お店を始めて今年で2年目になりますが、少しずつ地元の方に知って頂いています。

洋服の魅力を伝える時は、一人一人の出会いを丁寧にと思っています。

地元を離れ、改めて地元の良さに気付けました。輪島塗りが好きで、休日も輪島塗りを買いに行ったりしています。今後は、全国の展示会に出展したりと、活動の幅を広げながら、地元の力になれたら嬉しいと思っています。


住 所:七尾市米町30
お電話:0767-54-0414


温故知新(第3回)でか山 人形師 安井吉成さん


かつて港の近くに七尾劇場があった。その舞台大工が祖父の安井武二郎、魚町の人形師だった。父、安井武次も人形師として活躍。一時期魚町、府中町、鍛冶町全ての舞台と人形を手がけた。当時、石川県で唯一の地域伝統芸能大賞受賞者だった。今、3代目として、安井吉成さんが魚町と鍛冶町の舞台を手がけている。

七尾でか山工房

昨年ユネスコ無形文化遺産に登録された青柏祭。今年は注目を集めるだろうから、誰もが知る出し物が良いと正月から案を練る。来年山王神社が1300年を迎え第二鳥居を建てるのに因み鍛冶町は義経千本桜、伏見稲荷鳥居前の場に、そして魚町は太閤記の本能寺の場を提案した。

2月山町が総会で決議、引渡しの儀を行った。ここから舞台と人形に全責任を負う。予算内で見栄えの良い舞台を作り上げることも人形師の腕前だ。組立図を作ると必要な部材が見えてくる。過去の部材も再活用するがまさに大工仕事だ。お姫様の生地とかんざしは京都に買出しに行く。父の代から付き合いある古着屋を3軒回って端切れや古着を調達してきた。それを裁断し着物を仕立てる。

今年は鎧兜も作った。郡町にあるでか山工房では張子さんと呼ばれる4名のお母さん方が舞台道具に下地の紙を張っていく。皆10年以上手伝うベテランだ。



父の言葉

山車は骨組みの段階を「地山」、むしろを巻いて「むしろ山」、飾り付けをして「でか山」となる。

父が「地山」の模型を作れと言った意味が今更ながら分かると言う。それは左右に突き出すとんがり棒と九段と言われる背の横棒を藤つるで縛ってあるが、その位置や縛り加減までも頭に入っていないと舞台が上手く納められず手直しが発生するからだ。

昔は山車を組むのは全て人力だった。今はクレーン車を使って組立てが進む。しかし出来た山車に違いがあることが舞台を作っていて分かるという。昔は数人の熟練した人達が組立てに時間をかけ、細かな加減を熟知して仕上げていたので地山の骨組みが頑丈だったという。その違いは微妙だが揺れに現れる。その微妙な揺れのため舞台の構造を変えなければならなくなった。

昔は地山と舞台が融合していたが、今は合体させている感じだと笑う。これも時の流れだと舞台づくりの方を改善している。



人形見

5月2日午後6時から人形のお披露目である。昔は婚礼や新築した家が人形宿を申し出て、見物に訪れた人に酒を振舞った時代もあったが、今はでか山連町が交替で宿を手当てする。
構想を練り、設計図を引き、大工仕事をし、着物を仕立てる。舞台を作り、人形を飾る。当日は見廻り、何かあれば修繕をする。これが人形師の仕事だ。

子どもの頃から父を手伝ってきて最近思うことがある。壮大な祭りの本当の技と心意気を持った人が少なくなった。青柏祭全体として技と心をどう継承すべきか、ユネスコに登録された今だからこそ危惧すると言う。

人形師とて同じだ。代々続く人形師、長男崇司さんも手伝っているが世襲制ではない。山町に認められた者が人形師となる。最近まで山の伝統を守らなければと思っていたが、今は、自分自身が山に守られ、山に育てられたと思える。そう語った人形師。いい顔で仕事をしていた。



能登国分寺跡


七尾市国分町の国指定史跡。

平安時代、大興寺を国分寺へ昇格させたのが始まり。疫病・反乱など国内の乱れを仏教の教えにより抑え、平安な世にする祈りの場として栄えました。

現在は南門と塀が復元・整備により約1000年前の姿をあらわしています。


琴城流 大正琴 なな華


平成6年に結成し七尾、能登島、田鶴浜、中島の4地区で毎月2回練習しています。発表会の前には七尾に集まり合同練習を行います。合奏を通じて音も気持ちも一つになっていくことが楽しく、「和気あいあいと仲良く」がモットーです。年齢も幅広く集まっていますので、人生の勉強にもなります(笑)一昨年の全国大会ではNHKホールで演奏しました。


第112回 中島町谷内


在所名の由来

二十日祭りの熊甲神社の神、藤津比古神が瀬嵐付近に来臨し、
鎮座地を定めるために矢を放って飛んで来た場所がこの在所の加茂原だったんだ。
矢が落ちた地、やおち、が転じて谷内になったと伝わっているよ。

谷内の歴史

寄もいたほど、昔は沢山のお寺や神社があったんだよ。
万葉集に「香島より熊来をさして漕ぐ船の揖取る間なく都し思ほゆ」と
歌われた熊来とは現在の熊木地区で当時はここがその中心地だったようだね。
中世までは谷内一帯に寺院郡があってね。その名残で山王前、善光寺田、神明、
社家、大門、高札、おぼくさま田、加茂、稲荷などお寺や神社に関する地名が沢山あるよ。
現在も神社の横に観音堂があり能登国観音様霊場の23番札所になっているし、
昔はその観音様の近くにお熊甲祭りの久麻加夫都阿良加志比古神社があったと聞いてるよ。

県道から在所に入り集会所の前を神明と呼んでいるけど、
そこから奥に18軒あって、それがもともとの在所だったんだ。
在所の真ん中を谷内川が流れ、周りを山で囲まれている
この地形は風水では理想郷だと言われているんだ。
そして沢山の神仏のおかげで、この在所は災害が一度も起こっていないんだよ。

一番奥にある滝社から流れる水で目の病気が治るとかつては
多くの人が訪れていたけど、能登縦貫道路(里山海道)が通った時に
移設してから水の勢いが弱まってしまって今は訪れる人もいないようだね。
昔は農林業と大工や左官の職人が多かったよ。

一時期は中島名産の小菊かぼちゃの一大産地となってクラカケという
場所一面かぼちゃ畑になっていたけど、30年くらい前から徐々に生産農家が減り、
露地栽培から立体栽培に変わり今は数人が手がけているだけだよ。

まぁの一言

県道から在所に入ると空気が違う。
風水の理想郷、心穏やかになる在所。


第78回私の仕事は「パティシエ」です

腕がものを言う世界



私の仕事は「パティシエ」です
藤井幸治(ふじいこうじ)44歳
仕事歴 22年

パティシエの仕事とは

一口で言えばケーキ職人です。
ケーキを食べて人々が幸せな気分になって頂けるよう、
美味しさはもちろんですが、見ただけでも嬉しくなるようなケーキを作ります。

辻口博啓の店へ

やっぱり違う!
速さ、そして斬新さに驚きました。

パティシエ辻口博啓を初めて手伝ったときでした。
私も13年の経験があったのですが、もうさすがとしか言いようが無かったです。

9年前、
そんな辻口のお店ル・ミュゼドゥアッシュ和倉店に
香林坊大和のドンクから転職しシェフを任されました。

キッカケは香林坊大和の催事に
ル・ミュゼドゥアッシュが出店したときの事です。

同業者なのでとりあえずご挨拶をとお店へ向かうとすごい行列が出来ていました。
その忙しい中
すでに日本一のタイトルを持つ永田シェフにお会いすると、
礼儀正しく且つフランクに接して頂き、
その謙虚さに一目惚れしました(笑)。

この人とどうしても一緒に働きたいと衝動に駆られたのです。

鍛えられた根性

金沢デザイン学校を卒業、
印刷会社に就職しチラシ広告を作成しますが、
もっと直接的に人に喜んでもらう仕事がしたいと退社しました。

デザイン関係で人に喜ばれる仕事は何か書き出し、
最後は美容師かケーキ屋で迷いましたが、
最終的にケーキ屋と決めました。

しかし求人広告デューダにも
ケーキ屋の求人は無くとりあえず生活の為派遣社員になります。
高収入という事で鳶職の会社に半年契約しました。

敦賀火力発電所が現場で住込みです。
ここで思いもかけず根性を鍛えられる事になりました。
高所で常に危険と隣り合わせの仕事です。

とても怖い親方で何事もダメな事はダメと厳しく指導します。
あまりの厳しさに夜逃げする若い人もいました。

学生時代は何事も諦めが肝心と何かあれば
悪ふざけしながら適当に流していました。それがカッコイイと思っていたんですね(笑)。
そんな私の根性が叩きのめされました。

諦めずに頑張ると頑張った分だけ認められます。
認められる喜びを知り、もう半年お世話になる事にしました。
ここでの1年間で諦めない大切さを学びました。



アメ細工に魅せられて

和倉店のシェフパティシエとなり3年目に石川県洋菓子コンテストで優勝しました。腕がものを言う世界で一つの証が立てられ本当に嬉しかったです。作品の制作に使う時間は直接売上に貢献しない時間です。ふつう40歳を過ぎると出品せず後輩の指導に当たりますが、私は41歳の時、ラストチャンスだと上司である永田グランシェフに願い出て国際大会の予選を兼ねる内海杯にアメ細工で出品し優勝。昨年日本代表としてフランスでの国際大会で3位になりました。アメ細工は今のお店で習い始めたのですが、こういうキッカケを与えてもらいチャレンジさせてもらえる環境に、そして工芸品のようなアメ細工を作る感性を育む自然と文化が調和する能登の風土に感謝しています。お店でも中島菜、崎山のイチゴ、珠洲の揚げ浜塩、輪島の活地気米、能登ミルクなど地元食材を使い何種類ものケーキ屋や焼き菓子を作っています。今、辻口シェフが日本のスイーツ文化を世界に発信していますが、私は石川を日本有数のスイーツ県にしたいと思いを巡らせています。



ル・ミュゼドゥアッシュ和倉店 ☎62‐4000
2017年取材