こみみかわら版バックナンバー

私の仕事は“保育士”です。

229保育士

保育士の仕事とは


保育園に入園した0歳~小学校入学までの子供たちと、遊びや生活を通し、健康で安全な生活習慣、望ましい態度が身に付くよう、援助していく仕事です。児童福祉法に基づく国家資格で、いろいろな児童福祉施設でも保育士が働いています。



きっかけ


将来を考えたのは高校生の時でした。
5歳の時、親以上に面倒をみてくれた保育園の先生のことが忘れられず、私も保母さんになろうかなと思っていました。そんな折、偶然にも両親が保育事業をはじめ、専業主婦だった母が、入園した子どもや親のために一所懸命な姿を見て、心の中で保母になろうと思いました!



道のり


石川県立保育専門学園に進学しました。
学校では「保育とは・保母とは何ぞや」の保育理論やピアノにダンス、人形劇、水泳や登山の実習から多くを学びました。



最初の仕事


七尾のやまと保育園で、未満児(0歳 ~2歳)の担当です。保育はベテランの保育士から学びました。
また、当時では珍しい男性の園長先生で、若いからと言って甘やかすことなく、親に対しての責任、行事に対しての責任など男性的視点で指導していただきました。



大変なこと


保育士という仕事は母親と関わりが強く、男性からは理解されにくい仕事です。
「ねんねもりして給料貰えて、楽な仕事やな!」と言われたことは一度や二度ではありません。保育士の仕事は奥深く、命を預り、その大切な命と共に生活していると言っても過言ではありません。保護者との連絡は密にして保育しています。



仕事の喜び


今までに何千人という子どもを抱きしめてきました。寝返り、たっち、初めての言葉、最初の一歩、そんな瞬間に触れる事が出来、多くの感動を頂き、保護者と共に喜び分かち合ってきました。
そしていろいろな子どもたちが、ふれあいの中で親子が共に育ちあう姿が何よりの喜びです。



未来


保育園の保育士から、地域子育支援センター担当として15年が経ちます。
家庭で育児をしている女性は、初めての出産で「母親」となって育児への不安や孤立感で悩みを抱えています。力まず、ゆっくりと子どもと共に育てばいい。「私もそばにいて応援するよ」と、子育てをしながら「母親」になっていけるよう支援を続けたいと思います。
また、子育て施設の環境は大きい転換期を向かえようとしています。子どもも親も支援者も、全ての人が地域全体で子どもを育てられるように、ならなければと思っています。


住所:七尾市小丸山台1丁目82-83-84


電話:0767-52-3710


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私の仕事は“一級防水施工技能士”です。

228一級防水施工技能士

一級防水施工技能士の仕事とは


ビルの屋上や住宅のフラット屋根の防水施工をする仕事です。新築工事と雨漏りの修繕の工事があります。



きっかけ


高校生の時、姉の夫が勤めていた会社に、アルバイトで働き、『この仕事が面白い!』と感じ、興味を持ちました。そして、高校を卒業と同時に「働かせて下さい!」と社長にお願いをしました。



道のり


入社したものの、一人前になるまでが大変でした。いわゆる「職人」の世界ですから、先輩からは厳しい指導を受けました。理屈ではなく、見て覚えろ!の世界です。先輩の背中を見て必死に覚えました。仕事を通じて、技術の習得だけではなく、世間に恥ずかしくない人間となるよう生活面においても教えを受けました。



初めての監督


初めて大きな現場を任されたのが、中学校の改修工事でした。
会社から一人前として認められた嬉しさもありましたが、それ以上に責任とプレッシャーで無我夢中で取組みました。完成したときは、本当に「ホッ!」としましたし、やり遂げたことが、大きな自信となりました。



仕事の大変さ


私たちの仕事は天気商売です。
夏は3?以上の水分補給をしながら汗だくで作業しますし、冬は雪が積もっていれば、除雪してからの作業となります。それと何より大変なのは、天候に合わせて段取りが変わることです。
金曜・土曜日が雨で、日曜日が晴れなら、工事を遅らせることは出来ないので、休日返上となります。
家族との約束を何度破ったか数え切れません(笑)   妻と子どもに本当に感謝です。



こころがけ


私たちは毎日同じような屋上屋根での仕事ですが、マンネリや妥協は許されません。
それはお客様とは常に初対面であり、屋根であろうとひとつの商品として納めさせて頂くからです。工事が完了して帰る時に、家の人がいない場合はお礼の手紙を書いてポストに入れて帰ります。



幸せな人生


実は祭り男なんです。
今年のでか山では鍛冶町の若衆副頭を、祇園祭も昨年まで指揮者をしていました。
家庭があり、仕事を頑張れる。仕事があるから、祭りも楽しめます。
家族と職場と祭りの仲間、みんなのおかげで幸せです。


住所:七尾市大田町107-4-1


電話:0767-53-6757


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私の仕事は“漁師”です。

227漁師

漁師の仕事とは


私の場合、大型定置網を使って漁をし、安心安全な魚を皆様に提供しています。



きっかけ


小中高大学と、野球三昧でした。 そのまま漠然と社会人野球へと思っていたところに肩を壊し、治療の日々。 もう治らないと言われて将来を見つめ直したところ、実家が漁業を営んでおり『やってみよう』と思いました。



道のり


両親には安易だと反対されました。幾度と話し合いをし、すぐに実家でやるのではなく、外へ修業に行くことになりました。 門前に漁業支援の実習漁場があり、そちらで寮に入り、2年間修業させていただきました。 能登島や七尾の内浦と違い、外浦は波がものすごく、船酔いや早起きなど慣れないことがあり、すごくきつかったです。 奥能登の漁師の厳しさも半端でなく、毎日帰りたいと思いましたが、両親に根性を見せるため踏んばりました。



仕事の喜び


なんといっても、魚が獲れる喜びがあります。 毎日、今日は何が獲れるか? ワクワクします。 また天候や時間など見極めが大切です。 鰀目は産卵の場所に適していて、4・5・6月が漁の最盛期です。今は鯛やサバが産卵で来ていて、鯛は県内一の漁獲高と言ってもいいほど獲れています。



取組み


「道の駅のとじま」に、朝獲った魚を船から直送して、さばいた海鮮丼を食べていただくお店を出しました。
元々は魚を獲って出荷するだけだったのですが、年々魚は少なくなり、漁業の規制や魚価の低下などもあって、流通の改善をしたいと思っていた時、この出店話をいただきました。



気づき


お店が全国放送のテレビで紹介された時は、その日に用意した食材がお昼前に品切れとなり、遠方から来られたお客様から「特別なことがないと、こんなところに来ないんですよ」と言われました。
ショックな言葉ではありましたが、逆に「特別なことがあると、能登島にも人は来るんだ!」と気を引き締め、マイナスをプラスに変える努力をしています。



現在


地元で10年。 会社は若い人が増え、今ではほぼ20代、30代で構成されています。 地元に活気が出て、漁業青年部も復活しました。 稚魚の放流や、他県からの修学旅行生の誘致など、観光にも力をいれています。 地元の保育園に移動水族館として魚を大きな生簀で持っていき、楽しんだ後にさばいて食べさせるという食育にも取り組んでいます。
この道に入り何度も両親と衝突しましたが、妻の理解や説得もあり、今では自分のする事を理解してくれています。



未来へ


「全ての人に美味しい魚を食べてもらいたい」という信念で、たくさんの仲間と様々な取組みや、いろいろな楽しい活動をしていきたいと思っています。


住所:七尾市 能登島えの目町五五部


電話:0767-84-1305


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私の仕事は“客室係”です

227客室係

客室係の仕事とは


私の場合、お客様のお迎えからお見送りまでの接客です。お客様の財産である時間と空間をお預かりし、快適にお過ごしいただけるよう、気働きで精一杯のおもてなしをすることです。



きっかけ


高校三年の時に『将来何がしたいか』を真剣に考えました。『何か人のためになることがしたい』という思いが湧いてきました。しかし具体的にコレというものが定まらずに悩んでいた時、テレビで男性客室係がクローズアップされていたのを見て『自分もやってみたい』と背中を押されました。



道のり


高校は工業系でした。 同級生のみんなが工業系の専門学校や就職を目指す中で、 私は最終的に客室係になることを決断しました。 勉強するなら日本一の加賀屋で! と目的を大きく持ちました。
学校の先生には親身になっていただき、 二代目の男性客室係になることができました。



大変だったこと


礼儀・作法など、 女性なら意識することが、 高校を卒業したばかりの男性が一朝一夕で身につくことではありません。 一つ一つの作法をイチから叩き込まれました。
旅館日本一のプレッシャーが常にあります。
お客様から見れば、新人もベテランもすべて加賀屋の顔です。 玄関に入られたところからおもてなしが始まります。



仕事の喜び


この仕事に就いて一年目に、初めての担当で家族連れをおもてなしさせていただいた時のことです。お子様が「お兄ちゃん!」ととても懐いてくれて、帰り際にお手紙を頂戴しました。行き届かないところばかりであったとは思いますが、一所懸命なおもてなしがお客様の心に届いたことを感じ、この時の感動がずっと心の支えとなっています。「初心忘るべからず」を常に心に止め、笑顔での接客を心掛けています。



休日の過ごし方


愛車でドライブしています。時々お菓子作りもします。シンプルな材料の組み合わせで様々なお菓子ができる不思議に惹かれました。仲間に味見してもらうこともあります。
あとは高校時代に吹奏楽をやっていたので、チューバやトランペットなどを吹いたりしています。
以前寮の屋上でトランペットを吹いて、休んでいた同僚に「うるさい!」と怒られたりもしました。(笑)
休日は思い切りリフレッシュして過ごします。



人生の喜び


お客様の人生において、思い出の一部になれることです。 非日常的な旅館でのひとときをいかに快適に過ごしていただけるか。 それを考えることがとても楽しいです。
加賀屋では『わかりません』 『ありません』 『できません』を安易に使わず、 できる限りご要望にお応えする姿勢を大切にしています。たとえ、ご要望に100%のお応えができない場合でも、よりベターな解決策を探し出し、お客様にご満足いただけるよう日々精進しています。
私を育ててくださっているお客様や先輩・同僚に感謝し、日本の良き『おもてなし』をこれからも大切に守っていきたいと思っています。


住所:七尾市和倉町ヨ部80番地


電話:0767-62-4111


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私の仕事は“小学校の校長”です

226小学校の校長

小学校の校長の仕事とは


学校で行われるすべてのことの決定や児童・教職員の管理・指導です。
安心・安全な学校づくりや児童の健全な育成のため、的確な判断や迅速な決断を行う責任の重さを感じています。



きっかけ


小学校の時の恩師に影響を受けました。児童を励ましながら、頑張りを認め、成長させていく恩師の姿に、子ども心に尊敬と憧れを感じ「先生」という職業に就きたいという思いを持ち始めました。



道のり


大学では好きな歴史を勉強し「中学校教員(社会)」で教員採用試験を受けました。しかし、狭き門で採用には至らず、小学校の教員を目指すことにしました。
大学を卒業後、通信教育で小学校教諭の免許を取得し、教育実習で実際の現場を体験。その時「ここが私の生きる道!」と思いを強くし、採用試験を受けました。初任は、加賀市の湖北小学校でした。



大変だったこと


0代、30代、40代と年齢と経験に応じて求められる役割が変化していきました。
責任ある仕事を任された時は、気が重くなることもありましたが、先輩や同僚の先生方に励まされたり、助けられたりしていく中で、子ども達と同じように、自分も成長していけたように思います。



仕事の喜び


一番の喜びは、子ども達の成長です。
今は校長となり、直接子ども達を指導することは減りましたが、子ども達がいろいろな学習や活動を行って行く中で、少しずつ心身ともにたくましく成長していく姿に教師としてのやり甲斐を感じます。



意外な世界


よく、「先生は夏休みがあっていいなぁ」と言われますが、実際は普通に毎日、仕事をしています。
補充学習や宿泊体験活動などの他、2学期に備えて研修会をたくさん行い、教師としては欠かせない授業力をアップさせています。



心がけ


「チャレンジ」と「全力」です。
「今の自分の力では、こんなことは出来ない」と思うのではなく、新しい事や少し難しいことに、前向きに取り組んでいくようにしています。自分が出来ることだけやっていても力はつかない、伸びていけないと思っています。もし失敗しても「その分だけ成長していける」と前向きに捉えています。



人生の喜び


小学生だった子ども達が大人になり、とても凛々しく立派に成長した姿を見ると、我が子のように感じて、ぐっと胸にきます。



未来


私は生まれ育った石川県が大好きです。子ども達に、ふるさとに誇りと愛着を持ち、このふるさと七尾でたくましく頑張ってくれる、そんな人間になれるように育てていきたいと思います。


住所:石川県七尾市鵜浦町下部20番地


電話:0767-58-1301


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私の仕事は”ラジオパーソナリティ・ラジオリポータ”です。

225ジオパーソナリティ・ラジオリポーター

ラジオパーソナリティ・リポーターの仕事とは


ラジオの番組を進行したり、原稿を読んだり、外に出掛けてインタビューしたりします。その他、婚礼やイベントの司会もします。



きっかけ


幼少の頃から「ゴレンジャー」などのショーの司会をする『お姉さん』に憧れ、高校時代より、イベントプロダクションに所属。その際、フジテレビ全国公開オーディションにて北陸代表に選出されました。この時の審査員長が「秋元康」さん。直接アドバイスいただけたことから、この業界への決意が固まりました。



道のり


初めてのお仕事は北陸朝日放送の情報バラエティ番組レポーターでしたが、2年経過した頃に、体調を崩し、休業。復帰後、ラジオの釣り番組のレポーターを務めたことを皮切りに、ラジオななお など県内のラジオのパーソナリティ・リポーターをさせていただいています。



大変だったこと


もっとも苦労したのは『なまり』です。石川で生まれ育った私にとって、標準語のイントネーションは本当に難しく、今も苦労しています。(苦笑)



仕事のよろこび


体調を崩して入院したとき「ラジオ」にとても力を貰い、救われました。それが私とラジオの「運命の出逢い」でした。ラジオは、テレビと違い、話し手と聞き手の距離がとても近く、声だけの想像の世界だからこそ、心に響くメッセージがあると思いました。初心を忘れずに、心ある放送と届けることが目標であり、喜びです。
「ラジオを聞いて、元気になったよ」そういってもらえるのが一番の幸せです。



意外な世界


ラジオは想像の世界。声だけでイメージを作りますよね。私もリスナーさんにお会いするたびに…「想像とちがうーーーっ」とショックを受けられます。(がーーん…。)顔は、知らない方がいいかもしれませんね(笑)



人生の喜び


パーソナリティは一人では出来ません。縁の下の力持ちとなってくれる。スタッフがいてはじめて仕事が出来ます。
また、ラジオは聴いてくださる方がいてこそラジオです。そして 不規則な生活に協力してくれる家族や仲間の支え、そんなたくさんのコミュニケーションの中で成り立っているこの仕事を、とても愛おしく思っています。周りの皆さんへ心から感謝しています。


住所:七尾市 生駒町 2


電話:0767-53-7640


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私の仕事は“和食 料理人”です。

223和食料理人

和食、料理人の仕事とは


私の場合、旬の食材を活かし、味、色、形、器が調和した料理をお客様に食べて頂き、五感で、ご満足を頂くことです。



きっかけ


幼少より、母の手ひとつで育てられました。小学校3年生の時、仕事から帰る母を喜ばせたくて夕飯を作り始めました。「おいしい」と母が喜んでくれることがとても嬉しかったことを覚えています。



京都へ


18歳で、京都平安神宮内の「六盛」という料理店へ修行に入りました。
掃除、皿洗い、使い走りが主な仕事でした。ここでの2年間が、料理の世界の始まりでした。



金沢へ


料亭「杉の井」で20歳から25歳まで修行させて頂きました。ここで本格的に日本料理の基本と技を学びました。
料理長は、全てに徹底した人でした。おかげで、食材へのこだわり、器の選び方、盛り付け方など、妥協を許さず、日本料理の奥深さと、料理人としての情熱を教えて頂きました。



七尾へ


ふるさと七尾へ戻り「秀よし」で29歳まで板前として働きます。まだまだ修行の身ですが、少し自信もついてきた頃で、自分なりの創作料理を考えるのに没頭した時期でもあります。
ここでは昼、夜と地元のお客様が多数お見えになり、料理を通して、非日常の少しの贅沢を味わい、笑顔で「ありがとう」「おいしかったよ」と言われることが、なにより励みになりました。



自分のお店


懐石「はなおか」では、お客様に十分に満足と納得のいくひと時を過ごして頂きたいと、創作料理に取組んで来ました。
この度、オープンした中能登町「道の駅」の関係者より、出店のお話を頂いたときは、随分悩みましたが、少しでも多くの人に、非日常の懐石料理を、日常で気軽に召し上がって頂きたいと思い、和食「おり姫」を開店致しました。



料理のこだわり


目で楽しみ、味で癒されるよう、どんな料理にも必ずひと手間かけます。



料理人の意外な食事


お客様のためなら、手間を惜しまないのですが、自分の食事は簡素なものです(笑)



わたしの人生


朝から晩まで、お客様をどう喜ばすか、料理の事ばかり考えています。
それが私の人生です!


住所:中能登町井田ぬ部10番地1


電話:0767-76-2777


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私の仕事は “バレエダンサー 兼 教師” です。

222バレエダンサー兼教師

バレエダンサー ・ 教師の仕事とは


クラシックバレエの公演に向けて、リハーサルをし、大勢の観客の前で踊ります。教師としては東京と七尾でスクールを開き、生徒さんに指導とバレエの楽しさを教えています。



きっかけ


姉が幼稚園の時にモダンバレエのチラシを貰い、習い始めました。その送迎について行くうちに私も習いたい!と、姉と2人で習いました。それが3歳でした。



道のり


トゥシューズや綺麗な衣装が着たい!と、クラシックバレエに転向。レッスンは金沢まで通い、小6から中3までは東京へ月1回通いました。先生には「バレエダンサーはピークが早い」と言われ、本当にやりたいことだったので、中学を卒業し、上京を決断! 朝からレッスン、夕方は定時制高校に通いました。



転機


高校1年の時に、日本バレエ協会主催の「国際バレエコンクール」でジュニアの部 第3位と、IBM賞と出光興産特別奨学金の3つを受賞し、オーストラリアに2年留学しました。怪我を何度も経験し、思うように踊れず、苦しんだことも沢山ありますが、本当にバレエが大好きで、それだけはブレることはなく、頑張ることが出来ました。今思えば若さは武器ですね(笑)



最初の仕事


20歳でした。新国立劇場バレエ創立時の、こけら落とし公演で「眠りの森の美女」にて「優しさの精」を踊りました。
森下洋子さんや熊川哲也さん、吉田都さんなど凄いバレエダンサーの方々との共演で、とっても嬉しかったことを覚えています(笑)



仕事の喜び


教えている子どもたちが、今日出来なかったことが次に出来るようになっている事と「バレエが大好き!」と言ってくれることがとても嬉しいです!



意外な世界


バレエは、ふわふわと綺麗なイメージがありますが、筋力や柔軟性、キープし続けるアスリート的な精神力を持っていないと続けられません。



人生の喜び


一人でも多くの子どもたちが私と同じようにバレエダンサーに憧れ、舞台に立ちたいと思ってもらえると嬉しいです。その手助けをずっと続けたいと思います。
そして、今ここに私が立っているのは家族の大きな支えがあったからです。本当に感謝の毎日です。


住所:七尾市府中町232番地


電話:0767-53-0469


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私の仕事は “測量士” です。

221測量士

測量士の仕事とは


土木建造物(道路・橋・下水道など)を建設する際、一番最初に取掛かる仕事が測量です。
土地の位置、高さ、長さ、面積を専門的測量技術で測ります。
国土の社会基盤整備に関わる重要で責任ある仕事です。



きっかけ


高校で測量の授業を受けたことが始まりです。外で観測し、内で計算や製図する作業に興味を持ち、測量クラブに入りました。石川県の技術大会に参加し、団体・個人ともに優勝することができ、面白くなりました。



進路


迷わず測量の専門学校に進みました。
卒業と同時に測量士補の資格を取得し、測量会社で実務経験を積み、4年で測量士になりました。



最初の仕事


最初の現場は山の中です。測量というより、鉈や長鎌を持って伐採作業です。
先輩が道具の扱い方を教えてくれるのですが、慣れない作業で、へとへとになりました。
どこの世界もそうかもしれませんが、
学校の授業と実務は、大きな隔たりがありました。(笑)



大変だったこと


初めて、業務を任されたときは、身が引締まりました。
公共事業は測量会社、設計会社、工事会社と業務が続いていきます。決められた工期までに絶対に納めなければなりません。そんな時、測量士は昼は現場に出て、会社に戻り、夜遅くまで内業をします。



仕事のよろこび


自分の測った現場に道路や建造物が完成したのを見る時です。
どの現場もスムーズにいくことはなく、問題が大きかった現場ほど忘れることはありません。



測量士の意外な世界


道路で測量している姿を見かけると思いますが、それはほんの一面で、実は土地の持ち主、周辺の人達との信頼関係を築く事も大切な仕事です。



こころがけ


土地の境界線については、とてもデリケートなので公正性を大切にしています。



しあわせな人生


お客様と打合せをし、作業計画を練り、仲間と一緒に新しい現場にいく時は、わくわくします。一日の仕事が終わり、家に帰ったとき子供がかけつけてくると「あーしあわせだなーっ」そう思います。


住所:七尾市小丸山台3丁目24番地


電話:0767-52-6433


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私の仕事は“郵便局の局長”です

220郵便局の局長

郵便局の仕事とは


郵政民営化以後、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険、日本郵便株式会社と組織は分かれましたが、郵便局は日本郵便株式会社に所属し、郵便、貯金、保険の窓口業務をそのまま行っています。



きっかけ


父が郵便局員でした。地域の人と交流し、お世話をしている父の姿を見て、私も地域の人と交わることが出来る仕事をと思い、郵政の国家公務員を目指しました。



最初の勤務


まずは、金沢中央郵便局に配属されました。新人の仕事は、まずは郵便物の仕分け作業からです。
当時、石川県の郵便物のほとんどが金沢中央郵便局に集められました。
その量は半端な量でなく、「うわーっ郵便物の山っ」という感じでした(笑)



郵便局40年の中で


郵便、貯金、保険が主な業務ですが、総務や労務も行いました。
転勤もあり、金沢から七尾、羽咋、珠洲、和倉そして現在は、七尾藤橋町郵便局になりました。



振り返れば


仕分け作業に明け暮れた時には、もう辞めたいと思う事もありました。
そんな時、上司からどんな仕事も三年辛抱しなければ、本当の仕事の面白さは、わからないものだと励まされました。振り返れば、いろんな地域、いろんな部署で、地域の人たちや仲間と泣いたり笑ったりで、あっという間の40年でした(笑)
郵政民営化により国家公務員から民間の株式会社の社員になりました。当時は不安もありましたが、今まで働いてこれたことは、本当にありがたいことだと感謝しています。



心がけ


窓口では、ご近所付き合いの顔なじみが多いので、親しみのある対応を心がけています。
しかし、郵便局は北から南まで変わらないサービスが使命なので、ゆるむことなくきっちりとした仕事を心がけています。



人生の喜び


いろんな人と出逢い、いろんな考えを知ることが楽しいです。
また、読書でいい文と出逢い、感じることも喜びです。
最近では、浅田次郎の「一路」です。


住所:七尾市藤橋町未30-4


電話:0767-52-2963


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私の仕事は“助産師”です。

219助産師

助産師とは


お産の時に産婦さんの側に寄り添い、赤ちゃんが産まれるお手伝いをさせてもらうことが主な仕事です。



きっかけ


小さい頃から赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんに関わる仕事がしたいと思ったからだと思います。どこで助産師という仕事を知ったのかは覚えていませんが、小学生の頃からずっと助産師になりたいと思っていました。



仕事への道のり


助産師になるためには、看護師の資格も持っていなければなりません。私は高校を卒業してから、看護学校に三年間、助産師学校に一年間通い、看護師国家試験・助産師国家試験に合格して助産師になりました。



大変だったこと


助産師学校での実習が一番大変でした。一年間で分娩介助を10例経験しないと卒業できなかったので、昼は他の実習や多くの課題をこなし、夜間は病院に泊り込んでお産の人が来るのをひたすら待つ。そして朝が来たら、また学校で、勉強・試験・実習の繰返し。寝る時間がほとんどなく毎日が必死でした。



最初の仕事


夢中だったせいか、あまり覚えていませんが、助産師といえども、看護師の仕事も出来なければならないので、看護業務から覚えていった気がします。



仕事の喜び


お産はお母さんにも赤ちゃんにも命がけです。産み出そうとする力と、赤ちゃんの産まれようとする力を信じて側に寄添い、無事に産まれてきたときには安心感と同時に幸せな気持ちでいっぱいになります。



意外な世界


日本では、助産師は国家資格の中で唯一、女性しかなることができない職業です。



人生の喜び


この職業は精神的・体力的にも大変ですが、それ以上にやりがいがあるので、この仕事を選んで本当に幸せに思っています。



未来


ステキな人と出逢い、私自身も出産と子育てを経験することにより、更に女性に寄添える助産師になれたらと思います。


住所:七尾市国分町ラ部2-1


電話:0767-52-4103


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私の仕事は“醤油屋”です!

218醤油屋

醤油屋とは


わたしの場合は、お料理の調味料として、お醤油の製造と販売をすることです。また、お味噌も製造、販売をしています。



きっかけ


醤油屋の息子として生まれ、子供のころより、醤油屋になることを決めていました。
大学生の時、祖父が亡くなり、父ひとりでは大変だろうと家に戻り、家業に入りました。その時、21歳でした。



始まり


まずは、父の手伝いから始め、お客様へ配達の仕事をしました。



大変だったこと


大口のお客さんの場合、お醤油10本分入りの樽を持つこともあり、それがすごく重いんです。笑
また、接客が得意でなく、とにかく笑顔で対処しています。



よろこび


昔から、うちのお醤油を長く愛してくださるお客様が大勢いて、それがとてもうれしく思います。



お醤油の意外な世界


お醤油の材料は、大豆・麦・塩・水です。加熱、殺菌処理の時に味の工夫があります。



心がけ


何と言っても衛生管理と品質管理です。常においしいお醤油を届けるために心を込めています。



休日の楽しみ


ドライブに行きます。夏などは、遠くまでドライブします。
家で仕事をするため、家で過ごすより家を離れることで仕事から離れ、リフレッシュ出来ます。



未来


しっかりと小山屋醤油の味を守り、その上で新しいことにもチャレンジして行きたいです。


住所:七尾市相生町41


電話:0767-52-0428


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私の仕事は“僧侶”です!

217僧侶

僧侶とは


お釈迦様の教えを説き、人として真の幸せを手に入れるため、世の人々と共に学び歩む仕事であります。
私の場合は、現在そのための修行中で、金沢の僧侶の学校に通っているところです。



きっかけ


私の出身は京都宇治ですが、京都でバスケットのレフェリー仲間として知り合った彼女と6年間の交際を経て、結婚しました。たまたま、妻がお寺の娘さんであったことから、これも「何かのご縁」だと強く感じ、仏道に身を置く覚悟を決めました。



道のり


一昨年9月、京都の東本願寺で得度(出家)の儀式を行いました。本願寺の宗祖は親鸞聖人であり、親鸞聖人の教えをしっかり学び、仏道に邁進する決意を新たにしました。今はお寺の住職になるための学びのため、金沢の真宗学院へ出向き勉強中であります。



大変だったこと


一般家庭で育ったため、全てが初めての経験です。まだまだ、しきたりや、作法のほか、経典の意味を理解するのに、苦労の連続ですが、大変な反面、とても新鮮でワクワクもします。



仏道の喜び


全く一からのスタートでした。仏道を学び、歩むことで、今までと違う考え方ができるようになりました。周りの先輩僧侶に厳しくも優しく指導を頂き、その結果あらゆることに感謝することが出来るようになりました。一番かわったのは、怒らなくなったことです(笑)



仏道の意外な世界


お寺とは死と向き合う仕事というイメージを持っていました。
しかし仏門に入ってみますと、全く逆で、何のために生まれてきて、どのように生きていくのか、真の信心とは何か、という命題に、解決を求める、まさに生と向き合う仕事でした。



未来


生涯修行の身と心得、今はまだ自分自身のことでいっぱいですが、世の中の人に真の幸せを獲得
してもらえるような僧侶を目指して、一歩ずつ歩んで参りたいと思います。


住所:七尾市松本町ニ部52甲


電話:0767-52-2694


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私の仕事は“ワインアドバイザー”です!

216ワインアドバイザー

ワインアドバイザーとは


私の場合、自分の飲みたいワインがわからない人に、数ある中からピッタリのワインを一緒に探して見つけてあげることです。



きっかけ


わたしの主人は大阪で会社員をしていましたが、家の事情で家業の酒屋
を継ぐため七尾に帰り、それでわたしも酒屋でお手伝いをすることになりました。酒屋でお手伝しているうちに「ワインって面白いっ」そう感じ始めました。



独学で資格取得


ワインについて独学を始めるとソムリエ協会があることを知りました。そこで猛勉強の末、ワインアドバイザーの資格を取得しました。実は、どうしても欲しいバッヂがあったんです。笑



最初の仕事


あちこちの公民館からの依頼でワインセミナーの講師を頼まれました。依頼を受けたら、グラスとワインを持ってどこへでも行きました。今のメインは、西田酒店でのワイン教室です。



ワインの喜び


一本一本のワインには、それぞれの地理と歴史を背景にした壮大なドラマがあるんです。ワインの楽しみには、そのワインが持つオリジナルストーリーを一緒に味わうということなんですね。能登にも二つ目のワイナリーが誕生。どちらの成長も楽しみです。



意外なわたし


実は、西田酒店をお手伝いするまでは、まったくお酒と無縁のわたしでした。笑



人生のよろこび


夫はじめ家族全員私に勉強時間を作ってくれおかげでワインアドバイザーになれました。一浪ですけどね。また、7年前に事故に遭い、人生いつ終りが来るのか神のみぞ知ると気付きました。仕事復帰のワインセミナーで全国一位のタイトルをゲット!今では【ボルドーのさくらちゃん】です。これから先の人生は恩返しの人生。「失敗も含めてやってきたことに無駄な事はひとつもない」すべての出来事に感謝しています。


住所:七尾市矢田新町ホ58


電話:0767-52-0258


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私の仕事は“のと鉄道の営業・鉄道員”です

215のと鉄道の営業・鉄道員

営業・鉄道員とは


私の場合、都会の団体のお客様にのと鉄道を利用して頂く為に営業すること。また、来て頂いたお客様に周辺の観光案内やガイドをすることです。



きっかけ


温泉ホテルなど数社の営業を経て、観光業を考えていました。
「海外からの誘客に、のと鉄道を使えますか」と話しを聞きに行ったら、のと鉄道に誘われて入社しました。



最初の仕事


列車利用の団体のお客様に、駅のホームで観光案内をしました。
そして、安全に列車に乗って貰う為の誘導もしました。



大変だった事


営業の仕事は、名古屋から開始したのですが、2年近く全くお客さんが来なかった事です。
しかし、東京や大阪はすぐに大ブレークしました。
今では、名古屋からのお客様も、大阪と同じぐらいの利用がある市場まで伸びました。



仕事の喜び


名物ガイドを謳った旅行のお客様にガイドをした際、最初は「何だこいつ?!」みたいな反応のお客様が、ガイドが終わって降りて行かれる時に「ありがとう。楽しかったよ」と言われ握手や写真撮影を求められた時です。



意外な世界


能登の田舎の鉄道会社の社員が、実は夜中まで仕事をしていること。
また、私が作った旅行行程が、都会の旅行会社の行程になったりもします。



心がけ


お客様を楽しませつつ、能登を知って貰うこと。
毎回、毎回真剣に対応し、自分もお客様と楽しむこと。



未来


のと鉄道を能登の観光地にして、周辺に経済波及効果のある存在にしたい。



人生の喜び


お客様から感謝を頂いた時です。


住所:石川県鳳珠郡穴水町字大町チ24番地2


電話:0768-52-4422


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私の仕事は“自衛隊の広報官”です

214自衛隊の広報官

自衛隊の広報官とは


わたしの場合は、自衛隊を目指す皆さんに受験から採用、入隊までのお手伝いをさせて頂きます。また、皆さんと自衛隊との交流を広げる仕事です。



きっかけ


高校の時に、七尾の港まつりで自衛隊の艦が入港しました。
その際に、体験航海をさせてもらった時に「自衛官ってカッコイイッ」
その憧れで入隊を決意しました。



入隊して


とにかく訓練の日々、「カッコイィッ」という憧れから一転、現実は厳しかったです。「もうだめっ 逃げ出したいっ」そう思った時、一緒にがんばってる仲間がいました。
「支えてくれる仲間がいて、支えたい仲間がいる」だから、頑張り通すことが出来ました。



うれしかったこと


入隊して一年【初志貫徹】カッコイイ自衛官に見初められて結婚しました  笑



広報官に


「子供が生まれた際に自衛官を退官しましたが、自衛官のすばらしさと魅力を伝えたい」そう思って、今度は広報官になりました。



大変なこと


思いのほか仕事がたくさんあって、この地域で行われる自衛隊の行事の支援や、雑用がたくさんあって忙しくしています。



仕事のよろこび


「自分のお世話した方々が自衛隊に入隊し、立派になった姿を見た時!」これにつきます。大袈裟かも知れませんが、その方々の人生の岐路に立ち会っているんですからね。



自衛隊の意外な世界


自衛隊には、中学卒業から入隊する、自衛隊の高校みたいなものがあります。
手当をもらいながら高校卒業の資格がもらえ、将来は自衛官!!
いち早く自衛隊に入隊したい方にお薦めです。今年は七尾市からも入隊した方がいます。



未来


私は、皆さんと自衛隊の交流できる機会を最大限に生かし自衛隊の素晴らしさを全力で伝えたいです。


私の仕事は“幼稚園教諭”です

213幼稚園教諭

幼稚園教諭とは


わたしの場合は、保護者の皆様と共に、未来を担う子供たちの幼児教育をすることです。



きっかけ


保育所年長の時に担任の先生が大好きで、私も幼稚園の先生になりたいと子供心に憧れました。
三年前にその先生と再会し、私のことを覚えていてくれていたんです。うれしかったです。



進路


幼稚園教諭養成機関を出て、聖母幼稚園に就職しました。



最初の仕事


三歳児、1クラス16名の担任になりました。未熟な私を「先生」と初めて呼んでくれました。
保育者として、何もわからない私を温かくまた色々教えてくれた保護者の皆様には今も感謝しています。その時の子供の写真立てを、ずっと飾っています。



つらかったこと


一番つらいのは、子供に怪我をさせることです。苦手なのは、ピアノです。上手に弾けないと家でイライラすることも…。裁縫も苦手です。衣装作りでは深夜、明け方までかかることもあります。



仕事のよろこび


子供たちの笑顔に会えることです。朝、シユンとしている子がいると一日その子が気になります。
また、行事など子供たちと力を合わせて頑張ると連帯感が生まれ、年長クラスになると成功を喜び合うパートナーです。



幼稚園教諭の意外な世界


庭のお手入れ、工作、大工仕事など、いろんな仕事があって、実は何でも屋さんなんです。



日々


幼稚園教諭として19年。フレッシュな気持ちで、日々、子供たちから学んでいます。
憧れの大好きな仕事についている私は幸せです。


住所:七尾市南藤橋町子58


電話:0767-53-4585


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私の仕事は、“スポーツインストラクター”です。

212スポーツインストラクター

スポーツインストラクターとは


わたしの場合は、皆さんに運動の楽しさと健康のよろこびを指導することです。



きっかけ


高校の時、フィットネスクラブに通ってエアロビクスが大好きになりました。その時、イントラクターになることを夢みました。



進路


社会人になっても、夢をあきらめられず、エアロビクスを続けました。
そして、エアロビクスインストラクターの養成を受けて指導資格を得ました。
その後、フィットネスクラブに勤務し、五年後にフリーのインストラクターになりました。



最初の仕事


初めて教室に立つと決まってから、練習をいくらしても緊張が取れませんでした。当日は、お客様の暖かい笑顔に助けられ、精一杯力を出せました。その時の感謝は今でも忘れられません。



仕事のよろこび


運動を通して、皆さんと一緒に喜びを共有し、どんどん元気になっていくことです。



意外なわたし


インストラクターをしているわたしですが、子供のころは、まったく運動をしたことがなかったんです。
そんなわたしが今、スポーツインストラクターをしていることが意外です。笑



心がけ


運動科学は、日々進化しています。
常に新しいものを学び取り入れて、お客様に提供していくように努めています。



生涯インストラクター


「60歳まで現役でいたい」そんな気持ちで日々を挑んでいます。


私の仕事は“薬剤師”です!

211薬剤師

薬剤師とは


薬を調剤して、薬の効果や副作用を説明します。また他の薬との飲み合わせや、患者さんの体質や薬のアレルギー歴のチェックをしています。患者さんの健康状態の確認を行って、日常生活での注意やアドバイスも行っています。



きっかけ


実家が薬局をしていて、小さい頃から両親が薬剤師として働く姿に憧れていました。



進路


神戸学院大学・薬学部に進学しました。大学院では、遺伝子の研究をしており、いつも細胞と一緒に生活していました。



薬剤師として


病院薬剤師として岡山県の病院で2年9か月金沢社会保険病院で4年働いていました。多くの人との出会いがあり、さまざまな経験ができて、先輩や仲間たちに感謝しています。



実家の薬局に


去年の4月に実家の薬局に戻り、働いています。化粧品の販売やエステ・ケアマネージャーの
仕事と薬剤師の仕事以外にもたくさん覚えることがあり、始めは戸惑いましたが、周りのスタッフの支えもあり毎日楽しく働いています。



仕事のよろこび


一緒に生活習慣の見直しをした患者さんが、病院での検査結果が良かったと、
笑顔で来店くださった時は、こちらまで笑顔になり元気をもらえます。また毎月発行している健康新聞を楽しみに読んでいると言ってもらえると、原稿を書く励みになります。



薬剤師の意外な仕事


私は有磯小学校の学校薬剤師をしています。
仕事の内容としては、飲料水、プールの衛生管理、照度や教室の空気検査や薬物乱用の講義などです。



今、力を入れていること


近年糖尿病の患者さんが増えています。
糖尿病療養指導士の資格を生かして、お薬のお話はもちろん糖尿病の予防や改善の手助けとなるような生活習慣の指導に力を入れています。



人生の目標


笑顔を絶やさず、なんでも相談できる、かかりつけ薬剤師を目指して頑張っていきます。


住所:七尾市鍜冶町50


電話:0767-53-0810


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私の仕事は”ツアーコンダクター”です


ツアーコンダクターとは   

わたしの場合は、旅を企画し、コーディネートすること。そして実際に添乗し、実行することです。

きっかけ   

学校の先生の勧めで東急観光の入社試験を受け合格しました。

最初の仕事   

昭和48年入社以来、ずっと七尾支店に勤務。最初の仕事は、志雄中学校の修学旅行でした。世界遺産になった富士山の立派さと美しさに生徒さん以上に感激しました。笑

仕事で大変なこと、また喜びとは、   

天候の急変や、予期せぬ車両事故などのアクシデントが発生し、計画していた旅行が出来なくなったときです。
しかし、我々にとって、計画変更は、常だと覚悟もしています。その時、それらをうまく克服して、お客様に感謝して頂けることが最上の喜びです。

思い出に残る仕事   

昭和62年、タイのジャパンウィークに中島町民130名と『お熊甲祭』をバンコク市内でパレードしました。大感動でした。故郷の中島町に恩返しできた思いです。

こだわり   

旅行を通じて、お客様に喜んで頂ける事、さらに、料金以上のサプライズを考えたりして、お客様を感動させる事です。また、あなたに頼んでよかったと思ってもらえるように日々、仕事に取り組んでいます。

未来   

7年後に東京オリンピックツアーを企画し実行することです。

人生のよろこび   

人生は旅、思いがけないアクシデントにも学び、感動、感謝の思い出がたくさんあります。
また、家族の協力や理解があってこそ、素晴らしい仕事が出来ます。家族に感謝、お客様との出会いに、感謝しています。



仕事歴40年 丸山 善広 58才

トップツアー㈱七尾支店 ☎0767‐52‐3526