こみみかわら版バックナンバー

私の仕事は”ラジオパーソナリティ・ラジオリポータ”です。

225ジオパーソナリティ・ラジオリポーター

ラジオパーソナリティ・リポーターの仕事とは


ラジオの番組を進行したり、原稿を読んだり、外に出掛けてインタビューしたりします。その他、婚礼やイベントの司会もします。



きっかけ


幼少の頃から「ゴレンジャー」などのショーの司会をする『お姉さん』に憧れ、高校時代より、イベントプロダクションに所属。その際、フジテレビ全国公開オーディションにて北陸代表に選出されました。この時の審査員長が「秋元康」さん。直接アドバイスいただけたことから、この業界への決意が固まりました。



道のり


初めてのお仕事は北陸朝日放送の情報バラエティ番組レポーターでしたが、2年経過した頃に、体調を崩し、休業。復帰後、ラジオの釣り番組のレポーターを務めたことを皮切りに、ラジオななお など県内のラジオのパーソナリティ・リポーターをさせていただいています。



大変だったこと


もっとも苦労したのは『なまり』です。石川で生まれ育った私にとって、標準語のイントネーションは本当に難しく、今も苦労しています。(苦笑)



仕事のよろこび


体調を崩して入院したとき「ラジオ」にとても力を貰い、救われました。それが私とラジオの「運命の出逢い」でした。ラジオは、テレビと違い、話し手と聞き手の距離がとても近く、声だけの想像の世界だからこそ、心に響くメッセージがあると思いました。初心を忘れずに、心ある放送と届けることが目標であり、喜びです。
「ラジオを聞いて、元気になったよ」そういってもらえるのが一番の幸せです。



意外な世界


ラジオは想像の世界。声だけでイメージを作りますよね。私もリスナーさんにお会いするたびに…「想像とちがうーーーっ」とショックを受けられます。(がーーん…。)顔は、知らない方がいいかもしれませんね(笑)



人生の喜び


パーソナリティは一人では出来ません。縁の下の力持ちとなってくれる。スタッフがいてはじめて仕事が出来ます。
また、ラジオは聴いてくださる方がいてこそラジオです。そして 不規則な生活に協力してくれる家族や仲間の支え、そんなたくさんのコミュニケーションの中で成り立っているこの仕事を、とても愛おしく思っています。周りの皆さんへ心から感謝しています。


住所:七尾市 生駒町 2


電話:0767-53-7640


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私の仕事は“和食 料理人”です。

223和食料理人

和食、料理人の仕事とは


私の場合、旬の食材を活かし、味、色、形、器が調和した料理をお客様に食べて頂き、五感で、ご満足を頂くことです。



きっかけ


幼少より、母の手ひとつで育てられました。小学校3年生の時、仕事から帰る母を喜ばせたくて夕飯を作り始めました。「おいしい」と母が喜んでくれることがとても嬉しかったことを覚えています。



京都へ


18歳で、京都平安神宮内の「六盛」という料理店へ修行に入りました。
掃除、皿洗い、使い走りが主な仕事でした。ここでの2年間が、料理の世界の始まりでした。



金沢へ


料亭「杉の井」で20歳から25歳まで修行させて頂きました。ここで本格的に日本料理の基本と技を学びました。
料理長は、全てに徹底した人でした。おかげで、食材へのこだわり、器の選び方、盛り付け方など、妥協を許さず、日本料理の奥深さと、料理人としての情熱を教えて頂きました。



七尾へ


ふるさと七尾へ戻り「秀よし」で29歳まで板前として働きます。まだまだ修行の身ですが、少し自信もついてきた頃で、自分なりの創作料理を考えるのに没頭した時期でもあります。
ここでは昼、夜と地元のお客様が多数お見えになり、料理を通して、非日常の少しの贅沢を味わい、笑顔で「ありがとう」「おいしかったよ」と言われることが、なにより励みになりました。



自分のお店


懐石「はなおか」では、お客様に十分に満足と納得のいくひと時を過ごして頂きたいと、創作料理に取組んで来ました。
この度、オープンした中能登町「道の駅」の関係者より、出店のお話を頂いたときは、随分悩みましたが、少しでも多くの人に、非日常の懐石料理を、日常で気軽に召し上がって頂きたいと思い、和食「おり姫」を開店致しました。



料理のこだわり


目で楽しみ、味で癒されるよう、どんな料理にも必ずひと手間かけます。



料理人の意外な食事


お客様のためなら、手間を惜しまないのですが、自分の食事は簡素なものです(笑)



わたしの人生


朝から晩まで、お客様をどう喜ばすか、料理の事ばかり考えています。
それが私の人生です!


住所:中能登町井田ぬ部10番地1


電話:0767-76-2777


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私の仕事は “バレエダンサー 兼 教師” です。

222バレエダンサー兼教師

バレエダンサー ・ 教師の仕事とは


クラシックバレエの公演に向けて、リハーサルをし、大勢の観客の前で踊ります。教師としては東京と七尾でスクールを開き、生徒さんに指導とバレエの楽しさを教えています。



きっかけ


姉が幼稚園の時にモダンバレエのチラシを貰い、習い始めました。その送迎について行くうちに私も習いたい!と、姉と2人で習いました。それが3歳でした。



道のり


トゥシューズや綺麗な衣装が着たい!と、クラシックバレエに転向。レッスンは金沢まで通い、小6から中3までは東京へ月1回通いました。先生には「バレエダンサーはピークが早い」と言われ、本当にやりたいことだったので、中学を卒業し、上京を決断! 朝からレッスン、夕方は定時制高校に通いました。



転機


高校1年の時に、日本バレエ協会主催の「国際バレエコンクール」でジュニアの部 第3位と、IBM賞と出光興産特別奨学金の3つを受賞し、オーストラリアに2年留学しました。怪我を何度も経験し、思うように踊れず、苦しんだことも沢山ありますが、本当にバレエが大好きで、それだけはブレることはなく、頑張ることが出来ました。今思えば若さは武器ですね(笑)



最初の仕事


20歳でした。新国立劇場バレエ創立時の、こけら落とし公演で「眠りの森の美女」にて「優しさの精」を踊りました。
森下洋子さんや熊川哲也さん、吉田都さんなど凄いバレエダンサーの方々との共演で、とっても嬉しかったことを覚えています(笑)



仕事の喜び


教えている子どもたちが、今日出来なかったことが次に出来るようになっている事と「バレエが大好き!」と言ってくれることがとても嬉しいです!



意外な世界


バレエは、ふわふわと綺麗なイメージがありますが、筋力や柔軟性、キープし続けるアスリート的な精神力を持っていないと続けられません。



人生の喜び


一人でも多くの子どもたちが私と同じようにバレエダンサーに憧れ、舞台に立ちたいと思ってもらえると嬉しいです。その手助けをずっと続けたいと思います。
そして、今ここに私が立っているのは家族の大きな支えがあったからです。本当に感謝の毎日です。


住所:七尾市府中町232番地


電話:0767-53-0469


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私の仕事は “測量士” です。

221測量士

測量士の仕事とは


土木建造物(道路・橋・下水道など)を建設する際、一番最初に取掛かる仕事が測量です。
土地の位置、高さ、長さ、面積を専門的測量技術で測ります。
国土の社会基盤整備に関わる重要で責任ある仕事です。



きっかけ


高校で測量の授業を受けたことが始まりです。外で観測し、内で計算や製図する作業に興味を持ち、測量クラブに入りました。石川県の技術大会に参加し、団体・個人ともに優勝することができ、面白くなりました。



進路


迷わず測量の専門学校に進みました。
卒業と同時に測量士補の資格を取得し、測量会社で実務経験を積み、4年で測量士になりました。



最初の仕事


最初の現場は山の中です。測量というより、鉈や長鎌を持って伐採作業です。
先輩が道具の扱い方を教えてくれるのですが、慣れない作業で、へとへとになりました。
どこの世界もそうかもしれませんが、
学校の授業と実務は、大きな隔たりがありました。(笑)



大変だったこと


初めて、業務を任されたときは、身が引締まりました。
公共事業は測量会社、設計会社、工事会社と業務が続いていきます。決められた工期までに絶対に納めなければなりません。そんな時、測量士は昼は現場に出て、会社に戻り、夜遅くまで内業をします。



仕事のよろこび


自分の測った現場に道路や建造物が完成したのを見る時です。
どの現場もスムーズにいくことはなく、問題が大きかった現場ほど忘れることはありません。



測量士の意外な世界


道路で測量している姿を見かけると思いますが、それはほんの一面で、実は土地の持ち主、周辺の人達との信頼関係を築く事も大切な仕事です。



こころがけ


土地の境界線については、とてもデリケートなので公正性を大切にしています。



しあわせな人生


お客様と打合せをし、作業計画を練り、仲間と一緒に新しい現場にいく時は、わくわくします。一日の仕事が終わり、家に帰ったとき子供がかけつけてくると「あーしあわせだなーっ」そう思います。


住所:七尾市小丸山台3丁目24番地


電話:0767-52-6433


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私の仕事は“郵便局の局長”です

220郵便局の局長

郵便局の仕事とは


郵政民営化以後、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険、日本郵便株式会社と組織は分かれましたが、郵便局は日本郵便株式会社に所属し、郵便、貯金、保険の窓口業務をそのまま行っています。



きっかけ


父が郵便局員でした。地域の人と交流し、お世話をしている父の姿を見て、私も地域の人と交わることが出来る仕事をと思い、郵政の国家公務員を目指しました。



最初の勤務


まずは、金沢中央郵便局に配属されました。新人の仕事は、まずは郵便物の仕分け作業からです。
当時、石川県の郵便物のほとんどが金沢中央郵便局に集められました。
その量は半端な量でなく、「うわーっ郵便物の山っ」という感じでした(笑)



郵便局40年の中で


郵便、貯金、保険が主な業務ですが、総務や労務も行いました。
転勤もあり、金沢から七尾、羽咋、珠洲、和倉そして現在は、七尾藤橋町郵便局になりました。



振り返れば


仕分け作業に明け暮れた時には、もう辞めたいと思う事もありました。
そんな時、上司からどんな仕事も三年辛抱しなければ、本当の仕事の面白さは、わからないものだと励まされました。振り返れば、いろんな地域、いろんな部署で、地域の人たちや仲間と泣いたり笑ったりで、あっという間の40年でした(笑)
郵政民営化により国家公務員から民間の株式会社の社員になりました。当時は不安もありましたが、今まで働いてこれたことは、本当にありがたいことだと感謝しています。



心がけ


窓口では、ご近所付き合いの顔なじみが多いので、親しみのある対応を心がけています。
しかし、郵便局は北から南まで変わらないサービスが使命なので、ゆるむことなくきっちりとした仕事を心がけています。



人生の喜び


いろんな人と出逢い、いろんな考えを知ることが楽しいです。
また、読書でいい文と出逢い、感じることも喜びです。
最近では、浅田次郎の「一路」です。


住所:七尾市藤橋町未30-4


電話:0767-52-2963


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私の仕事は“助産師”です。

219助産師

助産師とは


お産の時に産婦さんの側に寄り添い、赤ちゃんが産まれるお手伝いをさせてもらうことが主な仕事です。



きっかけ


小さい頃から赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんに関わる仕事がしたいと思ったからだと思います。どこで助産師という仕事を知ったのかは覚えていませんが、小学生の頃からずっと助産師になりたいと思っていました。



仕事への道のり


助産師になるためには、看護師の資格も持っていなければなりません。私は高校を卒業してから、看護学校に三年間、助産師学校に一年間通い、看護師国家試験・助産師国家試験に合格して助産師になりました。



大変だったこと


助産師学校での実習が一番大変でした。一年間で分娩介助を10例経験しないと卒業できなかったので、昼は他の実習や多くの課題をこなし、夜間は病院に泊り込んでお産の人が来るのをひたすら待つ。そして朝が来たら、また学校で、勉強・試験・実習の繰返し。寝る時間がほとんどなく毎日が必死でした。



最初の仕事


夢中だったせいか、あまり覚えていませんが、助産師といえども、看護師の仕事も出来なければならないので、看護業務から覚えていった気がします。



仕事の喜び


お産はお母さんにも赤ちゃんにも命がけです。産み出そうとする力と、赤ちゃんの産まれようとする力を信じて側に寄添い、無事に産まれてきたときには安心感と同時に幸せな気持ちでいっぱいになります。



意外な世界


日本では、助産師は国家資格の中で唯一、女性しかなることができない職業です。



人生の喜び


この職業は精神的・体力的にも大変ですが、それ以上にやりがいがあるので、この仕事を選んで本当に幸せに思っています。



未来


ステキな人と出逢い、私自身も出産と子育てを経験することにより、更に女性に寄添える助産師になれたらと思います。


住所:七尾市国分町ラ部2-1


電話:0767-52-4103


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私の仕事は“醤油屋”です!

218醤油屋

醤油屋とは


わたしの場合は、お料理の調味料として、お醤油の製造と販売をすることです。また、お味噌も製造、販売をしています。



きっかけ


醤油屋の息子として生まれ、子供のころより、醤油屋になることを決めていました。
大学生の時、祖父が亡くなり、父ひとりでは大変だろうと家に戻り、家業に入りました。その時、21歳でした。



始まり


まずは、父の手伝いから始め、お客様へ配達の仕事をしました。



大変だったこと


大口のお客さんの場合、お醤油10本分入りの樽を持つこともあり、それがすごく重いんです。笑
また、接客が得意でなく、とにかく笑顔で対処しています。



よろこび


昔から、うちのお醤油を長く愛してくださるお客様が大勢いて、それがとてもうれしく思います。



お醤油の意外な世界


お醤油の材料は、大豆・麦・塩・水です。加熱、殺菌処理の時に味の工夫があります。



心がけ


何と言っても衛生管理と品質管理です。常においしいお醤油を届けるために心を込めています。



休日の楽しみ


ドライブに行きます。夏などは、遠くまでドライブします。
家で仕事をするため、家で過ごすより家を離れることで仕事から離れ、リフレッシュ出来ます。



未来


しっかりと小山屋醤油の味を守り、その上で新しいことにもチャレンジして行きたいです。


住所:七尾市相生町41


電話:0767-52-0428


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私の仕事は“僧侶”です!

217僧侶

僧侶とは


お釈迦様の教えを説き、人として真の幸せを手に入れるため、世の人々と共に学び歩む仕事であります。
私の場合は、現在そのための修行中で、金沢の僧侶の学校に通っているところです。



きっかけ


私の出身は京都宇治ですが、京都でバスケットのレフェリー仲間として知り合った彼女と6年間の交際を経て、結婚しました。たまたま、妻がお寺の娘さんであったことから、これも「何かのご縁」だと強く感じ、仏道に身を置く覚悟を決めました。



道のり


一昨年9月、京都の東本願寺で得度(出家)の儀式を行いました。本願寺の宗祖は親鸞聖人であり、親鸞聖人の教えをしっかり学び、仏道に邁進する決意を新たにしました。今はお寺の住職になるための学びのため、金沢の真宗学院へ出向き勉強中であります。



大変だったこと


一般家庭で育ったため、全てが初めての経験です。まだまだ、しきたりや、作法のほか、経典の意味を理解するのに、苦労の連続ですが、大変な反面、とても新鮮でワクワクもします。



仏道の喜び


全く一からのスタートでした。仏道を学び、歩むことで、今までと違う考え方ができるようになりました。周りの先輩僧侶に厳しくも優しく指導を頂き、その結果あらゆることに感謝することが出来るようになりました。一番かわったのは、怒らなくなったことです(笑)



仏道の意外な世界


お寺とは死と向き合う仕事というイメージを持っていました。
しかし仏門に入ってみますと、全く逆で、何のために生まれてきて、どのように生きていくのか、真の信心とは何か、という命題に、解決を求める、まさに生と向き合う仕事でした。



未来


生涯修行の身と心得、今はまだ自分自身のことでいっぱいですが、世の中の人に真の幸せを獲得
してもらえるような僧侶を目指して、一歩ずつ歩んで参りたいと思います。


住所:七尾市松本町ニ部52甲


電話:0767-52-2694


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私の仕事は“ワインアドバイザー”です!

216ワインアドバイザー

ワインアドバイザーとは


私の場合、自分の飲みたいワインがわからない人に、数ある中からピッタリのワインを一緒に探して見つけてあげることです。



きっかけ


わたしの主人は大阪で会社員をしていましたが、家の事情で家業の酒屋
を継ぐため七尾に帰り、それでわたしも酒屋でお手伝いをすることになりました。酒屋でお手伝しているうちに「ワインって面白いっ」そう感じ始めました。



独学で資格取得


ワインについて独学を始めるとソムリエ協会があることを知りました。そこで猛勉強の末、ワインアドバイザーの資格を取得しました。実は、どうしても欲しいバッヂがあったんです。笑



最初の仕事


あちこちの公民館からの依頼でワインセミナーの講師を頼まれました。依頼を受けたら、グラスとワインを持ってどこへでも行きました。今のメインは、西田酒店でのワイン教室です。



ワインの喜び


一本一本のワインには、それぞれの地理と歴史を背景にした壮大なドラマがあるんです。ワインの楽しみには、そのワインが持つオリジナルストーリーを一緒に味わうということなんですね。能登にも二つ目のワイナリーが誕生。どちらの成長も楽しみです。



意外なわたし


実は、西田酒店をお手伝いするまでは、まったくお酒と無縁のわたしでした。笑



人生のよろこび


夫はじめ家族全員私に勉強時間を作ってくれおかげでワインアドバイザーになれました。一浪ですけどね。また、7年前に事故に遭い、人生いつ終りが来るのか神のみぞ知ると気付きました。仕事復帰のワインセミナーで全国一位のタイトルをゲット!今では【ボルドーのさくらちゃん】です。これから先の人生は恩返しの人生。「失敗も含めてやってきたことに無駄な事はひとつもない」すべての出来事に感謝しています。


住所:七尾市矢田新町ホ58


電話:0767-52-0258


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私の仕事は“のと鉄道の営業・鉄道員”です

215のと鉄道の営業・鉄道員

営業・鉄道員とは


私の場合、都会の団体のお客様にのと鉄道を利用して頂く為に営業すること。また、来て頂いたお客様に周辺の観光案内やガイドをすることです。



きっかけ


温泉ホテルなど数社の営業を経て、観光業を考えていました。
「海外からの誘客に、のと鉄道を使えますか」と話しを聞きに行ったら、のと鉄道に誘われて入社しました。



最初の仕事


列車利用の団体のお客様に、駅のホームで観光案内をしました。
そして、安全に列車に乗って貰う為の誘導もしました。



大変だった事


営業の仕事は、名古屋から開始したのですが、2年近く全くお客さんが来なかった事です。
しかし、東京や大阪はすぐに大ブレークしました。
今では、名古屋からのお客様も、大阪と同じぐらいの利用がある市場まで伸びました。



仕事の喜び


名物ガイドを謳った旅行のお客様にガイドをした際、最初は「何だこいつ?!」みたいな反応のお客様が、ガイドが終わって降りて行かれる時に「ありがとう。楽しかったよ」と言われ握手や写真撮影を求められた時です。



意外な世界


能登の田舎の鉄道会社の社員が、実は夜中まで仕事をしていること。
また、私が作った旅行行程が、都会の旅行会社の行程になったりもします。



心がけ


お客様を楽しませつつ、能登を知って貰うこと。
毎回、毎回真剣に対応し、自分もお客様と楽しむこと。



未来


のと鉄道を能登の観光地にして、周辺に経済波及効果のある存在にしたい。



人生の喜び


お客様から感謝を頂いた時です。


住所:石川県鳳珠郡穴水町字大町チ24番地2


電話:0768-52-4422


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私の仕事は“自衛隊の広報官”です

214自衛隊の広報官

自衛隊の広報官とは


わたしの場合は、自衛隊を目指す皆さんに受験から採用、入隊までのお手伝いをさせて頂きます。また、皆さんと自衛隊との交流を広げる仕事です。



きっかけ


高校の時に、七尾の港まつりで自衛隊の艦が入港しました。
その際に、体験航海をさせてもらった時に「自衛官ってカッコイイッ」
その憧れで入隊を決意しました。



入隊して


とにかく訓練の日々、「カッコイィッ」という憧れから一転、現実は厳しかったです。「もうだめっ 逃げ出したいっ」そう思った時、一緒にがんばってる仲間がいました。
「支えてくれる仲間がいて、支えたい仲間がいる」だから、頑張り通すことが出来ました。



うれしかったこと


入隊して一年【初志貫徹】カッコイイ自衛官に見初められて結婚しました  笑



広報官に


「子供が生まれた際に自衛官を退官しましたが、自衛官のすばらしさと魅力を伝えたい」そう思って、今度は広報官になりました。



大変なこと


思いのほか仕事がたくさんあって、この地域で行われる自衛隊の行事の支援や、雑用がたくさんあって忙しくしています。



仕事のよろこび


「自分のお世話した方々が自衛隊に入隊し、立派になった姿を見た時!」これにつきます。大袈裟かも知れませんが、その方々の人生の岐路に立ち会っているんですからね。



自衛隊の意外な世界


自衛隊には、中学卒業から入隊する、自衛隊の高校みたいなものがあります。
手当をもらいながら高校卒業の資格がもらえ、将来は自衛官!!
いち早く自衛隊に入隊したい方にお薦めです。今年は七尾市からも入隊した方がいます。



未来


私は、皆さんと自衛隊の交流できる機会を最大限に生かし自衛隊の素晴らしさを全力で伝えたいです。


私の仕事は“幼稚園教諭”です

213幼稚園教諭

幼稚園教諭とは


わたしの場合は、保護者の皆様と共に、未来を担う子供たちの幼児教育をすることです。



きっかけ


保育所年長の時に担任の先生が大好きで、私も幼稚園の先生になりたいと子供心に憧れました。
三年前にその先生と再会し、私のことを覚えていてくれていたんです。うれしかったです。



進路


幼稚園教諭養成機関を出て、聖母幼稚園に就職しました。



最初の仕事


三歳児、1クラス16名の担任になりました。未熟な私を「先生」と初めて呼んでくれました。
保育者として、何もわからない私を温かくまた色々教えてくれた保護者の皆様には今も感謝しています。その時の子供の写真立てを、ずっと飾っています。



つらかったこと


一番つらいのは、子供に怪我をさせることです。苦手なのは、ピアノです。上手に弾けないと家でイライラすることも…。裁縫も苦手です。衣装作りでは深夜、明け方までかかることもあります。



仕事のよろこび


子供たちの笑顔に会えることです。朝、シユンとしている子がいると一日その子が気になります。
また、行事など子供たちと力を合わせて頑張ると連帯感が生まれ、年長クラスになると成功を喜び合うパートナーです。



幼稚園教諭の意外な世界


庭のお手入れ、工作、大工仕事など、いろんな仕事があって、実は何でも屋さんなんです。



日々


幼稚園教諭として19年。フレッシュな気持ちで、日々、子供たちから学んでいます。
憧れの大好きな仕事についている私は幸せです。


住所:七尾市南藤橋町子58


電話:0767-53-4585


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私の仕事は、“スポーツインストラクター”です。

212スポーツインストラクター

スポーツインストラクターとは


わたしの場合は、皆さんに運動の楽しさと健康のよろこびを指導することです。



きっかけ


高校の時、フィットネスクラブに通ってエアロビクスが大好きになりました。その時、イントラクターになることを夢みました。



進路


社会人になっても、夢をあきらめられず、エアロビクスを続けました。
そして、エアロビクスインストラクターの養成を受けて指導資格を得ました。
その後、フィットネスクラブに勤務し、五年後にフリーのインストラクターになりました。



最初の仕事


初めて教室に立つと決まってから、練習をいくらしても緊張が取れませんでした。当日は、お客様の暖かい笑顔に助けられ、精一杯力を出せました。その時の感謝は今でも忘れられません。



仕事のよろこび


運動を通して、皆さんと一緒に喜びを共有し、どんどん元気になっていくことです。



意外なわたし


インストラクターをしているわたしですが、子供のころは、まったく運動をしたことがなかったんです。
そんなわたしが今、スポーツインストラクターをしていることが意外です。笑



心がけ


運動科学は、日々進化しています。
常に新しいものを学び取り入れて、お客様に提供していくように努めています。



生涯インストラクター


「60歳まで現役でいたい」そんな気持ちで日々を挑んでいます。


私の仕事は“薬剤師”です!

211薬剤師

薬剤師とは


薬を調剤して、薬の効果や副作用を説明します。また他の薬との飲み合わせや、患者さんの体質や薬のアレルギー歴のチェックをしています。患者さんの健康状態の確認を行って、日常生活での注意やアドバイスも行っています。



きっかけ


実家が薬局をしていて、小さい頃から両親が薬剤師として働く姿に憧れていました。



進路


神戸学院大学・薬学部に進学しました。大学院では、遺伝子の研究をしており、いつも細胞と一緒に生活していました。



薬剤師として


病院薬剤師として岡山県の病院で2年9か月金沢社会保険病院で4年働いていました。多くの人との出会いがあり、さまざまな経験ができて、先輩や仲間たちに感謝しています。



実家の薬局に


去年の4月に実家の薬局に戻り、働いています。化粧品の販売やエステ・ケアマネージャーの
仕事と薬剤師の仕事以外にもたくさん覚えることがあり、始めは戸惑いましたが、周りのスタッフの支えもあり毎日楽しく働いています。



仕事のよろこび


一緒に生活習慣の見直しをした患者さんが、病院での検査結果が良かったと、
笑顔で来店くださった時は、こちらまで笑顔になり元気をもらえます。また毎月発行している健康新聞を楽しみに読んでいると言ってもらえると、原稿を書く励みになります。



薬剤師の意外な仕事


私は有磯小学校の学校薬剤師をしています。
仕事の内容としては、飲料水、プールの衛生管理、照度や教室の空気検査や薬物乱用の講義などです。



今、力を入れていること


近年糖尿病の患者さんが増えています。
糖尿病療養指導士の資格を生かして、お薬のお話はもちろん糖尿病の予防や改善の手助けとなるような生活習慣の指導に力を入れています。



人生の目標


笑顔を絶やさず、なんでも相談できる、かかりつけ薬剤師を目指して頑張っていきます。


住所:七尾市鍜冶町50


電話:0767-53-0810


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私の仕事は”ツアーコンダクター”です


ツアーコンダクターとは   

わたしの場合は、旅を企画し、コーディネートすること。そして実際に添乗し、実行することです。

きっかけ   

学校の先生の勧めで東急観光の入社試験を受け合格しました。

最初の仕事   

昭和48年入社以来、ずっと七尾支店に勤務。最初の仕事は、志雄中学校の修学旅行でした。世界遺産になった富士山の立派さと美しさに生徒さん以上に感激しました。笑

仕事で大変なこと、また喜びとは、   

天候の急変や、予期せぬ車両事故などのアクシデントが発生し、計画していた旅行が出来なくなったときです。
しかし、我々にとって、計画変更は、常だと覚悟もしています。その時、それらをうまく克服して、お客様に感謝して頂けることが最上の喜びです。

思い出に残る仕事   

昭和62年、タイのジャパンウィークに中島町民130名と『お熊甲祭』をバンコク市内でパレードしました。大感動でした。故郷の中島町に恩返しできた思いです。

こだわり   

旅行を通じて、お客様に喜んで頂ける事、さらに、料金以上のサプライズを考えたりして、お客様を感動させる事です。また、あなたに頼んでよかったと思ってもらえるように日々、仕事に取り組んでいます。

未来   

7年後に東京オリンピックツアーを企画し実行することです。

人生のよろこび   

人生は旅、思いがけないアクシデントにも学び、感動、感謝の思い出がたくさんあります。
また、家族の協力や理解があってこそ、素晴らしい仕事が出来ます。家族に感謝、お客様との出会いに、感謝しています。



仕事歴40年 丸山 善広 58才

トップツアー㈱七尾支店 ☎0767‐52‐3526


私の仕事は”クレーンオペレーター”です


クレーンオペレーターとは、   

わたしの場合、船の積み荷をクレーンで安全に陸に降ろすことです。

入社   

家が近くて、また海のそばで働きたかったので今の会社に入社しました。21歳でした。

クレーンの仕事   

入社後、すぐにクレーンの免許を取得させてもらい、クレーンオペレーターとなりました。

初めてのクレーン仕事   

なにしろクレーンが大きくて、怖かったです。慎重に慎重に操縦したのを覚えています。
今でも、慎重な操縦で積み荷を傷つけないようにと心がけています。

仕事のよろこび   

海をみながら仕事できることです。「気持ちいいです」
積み荷を降ろし、倉庫に管理し、無事に次の運送業者にお渡しできた時、「あー やり終えた」とほっとします。

仲間たち   

仕事は仲間たちとのチームプレイです。仲間がいるから、仕事ができます。
仲間がいるから、励みになります。いつも元気をいただいています。

人生のよろこび   

まだ大きなよろこびというものは、わかりませんが、家族とのんびり過ごしている時が幸せです。

港に感謝   

七尾の港は、能登島が天然の堤防となり、とても静かでいい港です。もっともっと七尾の港が活用され発展するように仲間とともに微力を尽くさせていただいていることが僕にとって誇りであり、よろこびです。
七尾の港に感謝しています。



仕事歴16年 前田 勝 38才

七尾海陸運送 ☎0767‐53‐1250


私の仕事は"テニスコーチ"です。


テニスコーチとは、   

わたしの場合は、テニスの楽しさと技術、心を教えることです。

テニスとの出会い   

高校での部活がソフトテニスでした。
大学の体育会で硬式テニスを始めました。とてもきびしいテニス部で、朝から晩までテニスの練習の日々でした。練習の合間に講義に出るほど… 笑

大学卒業後   

会社勤めをしながら、仲間と切磋琢磨しながら、公式戦に臨んでいました。

テニスコーチになる   

能登では、ソフトテニスが盛んで、硬式テニス部は中学にも高校にもありません。
ウインブルドンテニスなどテレビ放映でテニスに興味を持った子供たちに、テニスをする機会を持ってもらいたい。テニスの楽しさや、基本を教えたい。そう思い、テニスコーチを始める決心をしました。

コーチのモットー   

とにかく、楽しく、一生懸命、そして感謝する気持ちを持つこと。

現在の活動   

七尾、中能登、志賀町、穴水町、輪島市で教えています。子供から87歳の方まで指導をさせていただいています。

最近のうれしいこと   

今年3月から機会あって志賀町でジュニアを教えることになりました。ジュニアが15名ほど集まり、みんなやる気満々でとても楽しみです。
  

よろこび   

教えた選手がテニス大会でいい成績をあげるとうれしくてたまりません。また、打てないショットが打てるようになって笑顔をみせる選手とのふれあいに幸せを感じています。

将来の夢   

それがもう選手にウインブルドンテニスへコーチとして連れて行ってもらう事です!



コーチ歴6年 藤元 喜久男 56才

☎080‐3044‐0310


私の仕事は”パン職人”です


パン職人とは、   

わたしの場合は、おいしいパンを焼いて、お客様に提供することです。

きっかけ   

高校卒業後、ケーキを作りたいと思っていましたが、募集がなく、パン屋さんの会社の募集を見て、「パン作りも楽しいかなっ」と入社しました。

最初の仕事   

最初から、工場長に習いながら、パン生地の形を整えて、パンを焼きました。一年も立たないうちに小さなお店をまかされました。わたし一人だったため、パン生地の仕込みから、焼き、レジと、この店で大体の仕事を覚えました。
わたしを仕込んでくれた工場長には、今も感謝しています             

仕事でつらかったこと   

早朝5時出勤の時もあり、その時は起きるのがつらかったです。
また、勤務時間が不規則なため、プライベートな時間を思い通りに取ることができません。

現在   

『アンアン』ベイモール店で、パンを焼いています。
沢山のお客様が来て下さって忙しい日々ですが、やりがいがあります

仕事のよろこび   

お客様が「おいしい」と言ってくれることです。お客様が繰り返し買いに来てくれるのがうれしいです。
また、子供の接客が好きで、とくに笑顔をみると幸せになります。

パン屋の意外な世界   

パンは一度に焼くのではなく、少しずつ何度にも分けて焼きます。
面倒でも、お客様に焼き立てを召し上がっていただくためにそうします。

将来の夢   

早く、いい人と、結婚して、暖かい家庭を持つことです。
できたら、家にパン工房を開いて、毎日、おいしいパンを焼いて暮らしていけたらこの上ない幸せだと思います。



職人歴15年 山本 兼子 33才

アンアン ベイモール店 ☎0767‐54‐8181


私の仕事は"水族館の飼育係"です


飼育係とは、   

わたしの場合は、水族館の生き物のお世話をすることです。

きっかけ   

子供のころ、熱帯魚を観て「きれいだな」と感じました。
中学になり、自分で熱帯魚を飼い、漠然とですが、そういう仕事につけたらいいなと思っていました。

進路   

大学の水産学部を卒業して、水産総合センター、中央卸センターなど、魚関係のアルバイトを一年くらいしました。
県の広報でのとじま水族館が人材募集をしているのを見て、応募したところ合格しました。23歳でした。

最初の仕事   

イルカの担当になり、数か月の特訓を受けて、イルカショーのステージにたちました。
イルカは、ベテランだと言うことをきくんですが、新人だとばかにするのか、まったく言うことを聞いてくれませんでした。人も見るんですね 笑今でも、生き物とのコミュニケーションはむずかしく、また大事なことだと思っています。

現在   

アザラシをメインに担当しています。アザラシは、微妙に表情があって、とってもかわいいんですよ。性格もどこかのんびりしていて、僕と呼吸が合うんです。

心がけ   

水族館はお客様が来てくれることが大切なんです。ですから、お客様に聞かれたことは、たいてい答えられるように、今でも日々勉強の毎日です。また、習性など知ることで、魚類の命を守ることにもなります。

仕事のよろこび   

常に新しい企画を提供し、お客様が来る度に新鮮な気持ちで楽しんでいただけたらと思っています。
お客様に「楽しかった」と言っていただけた時は、本当にうれしいです。

人生のよろこび   

家族や職場の仲間たちと、毎日を楽しんでいます。思えば、中学の時、熱帯魚を飼ったのが始まりでした。今、こうして能登島の自然あふれる環境の中、大好きな水族館で働くことができて感謝と幸せでいっぱいです。



飼育員歴16年  高橋 勲 39才

のとじま水族館 ☎0767‐84‐1271


私の仕事は"農業"です


農業とは、   

わたしの場合は、田畑で作物を育て、出荷することです。

脱サラ農業   

京都で生まれました。学校を出て、大阪の会社に就職し、情報処理の仕事をしていました。
29歳の時、仕事の方向に疑問を覚え、また田舎暮らしに憧れ、子供を田舎で育てたいと考えていました。
しかし、「サラリーマンは、もうしたくない」そこで、農業を思いつきました。

農業しませんか   

ネットで調べていると、旧鹿島町で「農業しませんか」という情報を見つけました。
ちょうど父母の出身が氷見とかほくということでお世話になると決めました。
父に反対されましたが、結局は認めてくれました。妻は、黙ってついて来てくれました。

初めての出荷   

何もわからないまま、いろんな人に助けられて、畑作りを始めました。
三ヶ月後、トマトを出荷し、現金をいただいた時は、本当にうれしかったです。

苦労の思い出   

天候と雑草との闘でした。台風に集中豪雨など、予想外の天候に翻弄されました。
又、畑に雑草が生い茂り、気が付いた時には、一人ではどうにもならない状態になり、人の手を借りた時は、情けなかったです。

農業のよろこび   

作物の出荷時に思いがけない値段がついた時「すげえラッキー」と、ヒットした気分になります。まあ、めったにありませんが……笑

こだわり   

できるだけ農薬を使用しないようにしています。それと、毎年データを積み重ねて、年々よい作物ができるように心がけています。

人生のよろこび   

ここまで来たのも、沢山のやさしい人たちのおかげです。サラリーマンを続けていたら、出逢えなかった
『人・物・事』に、心から感謝しながら、僕は、今日も田畑に出て作物を育てています。



農業歴15年  待寺 裕之 45才

まちでら農園 ☎090‐9765‐4965