第63回 七尾市桧物町
在所名の由来
この町は前田利家が城下町を築いたときに、19人の曲げ物職人を住まわせて、桧(ひのき)の材料で、弁当箱や菓子箱、桶、柄杓など、当時の日用品を作らせていたんだよ。 城下の町名は職業に由来することが多いからね。
昔の桧物町
私が子供の頃は、まだ曲げ物屋さんが何件も営んでいたよ。 そのころは日用品から葬祭品になっていてね。 昔、葬儀は在所全体でお世話をしていたもので、どこそこの在所はどこの曲げ物屋というふうに繋がりがあってね。 近郷の在所の人がよく出入りしていたよ。 それと、中の棚(なかんたな)という 一角があって、ここには呉服屋が多く並んでいたんだよ。 呉服の反物は貴重なもので、七尾港から入ってくる反物を保管する蔵を港の近くに建てる必然性があったんだろうね。 御祓川沿いには白壁の蔵が何棟も建っていたよ。 そんななごりで、七尾市も「しるべ蔵」という街づくりの拠点をここに作ったんだね。 それと御祓川を挟んで御祓校下と東部校下に分かれるんだけど、生徒数のバランスをとるため、桧物町と大手町、神明町の子供は御祓校下に通うことになったという歴史もあるよ。
これから
ご商売の家方が多いので、御祓川を中心に市街地活性化の視点で取組んでいてね。 「みそぎ川大通りを花と緑で彩り隊」を結成してプランターの設置をして、皆で水をまいたりお世話しているんだよ。 それと桧物町は、今年100周年の 「のと信本店」のお膝元なので何かとご協力いただいていて大変感謝しています。 小さい所帯なのでみんな仲が良く、助け合い、それでもってプライバシーを侵害することもなく、程よい距離感で付き合いをしている、なんとも心地よい在所だよ。 それがなによりだね。
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