こみみかわら版バックナンバー

第23回 中島町笠師


南は田鶴浜に隣接し東は七尾湾に面する、海・山・田んぼが望める景色のいいところです。

町会長の中村與作(ヨサク)さんにお話を伺います! ヘイヘイホー!

笠師の由来

笠師の村、菅ヶ谷にいつからか菅を栽培して笠を編むようになったから笠師といわれているらしいよ。

笠師の自慢

笠師地区は、美味しい牡蠣の生産が盛んでね。笠師川と塩津川の真水が流れ込んで海の塩水と混ざっておいしい牡蠣ができるよ。

笠師のパワースポット!

笠師にある大覚寺は慶長7年創立で400余年の歴史があってね。能登七福神霊場巡りの一つで毘沙門天が安置されとるよ。他に町指定の名勝史跡の北國八十八ヶ所霊場があるよ。住職と檀家代表の人たちが四国八十八ヶ所を参拝して各寺に挨拶して御仏の土を持ち帰って埋めて作られたんよ。この北國八十八ヶ所を参拝したら四国と同じ功徳を仰ぐと言われとるね。

笠師は今

世帯数は172戸で約480人の住民がおるよ。そのうち小学生が24人、園児が10人。夏には大きい祭りが二つあってね。
7月の納涼祭と、9月の枠旗祭り。町民みんなで楽しんでいるよ。

便利な笠師

町なかには、げんきバスが走ってるし、幹線道路があって、能登空港もすぐだよ。山の景色、海の景色、夏は田んぼの川にホタルが飛んでるよ。ほんとに住みやすくて、愛する町やよ。

けいこの一言

涼しくなったらパワースポットに行ってみたいです。


第22回 中能登町 曽祢


中能登町と羽咋市との境の町。昭和30年代の市制で鹿島郡と羽咋市に分かれて中能登の曽祢と羽咋市の下曽祢になりました。

曽祢の区長 前田さんにお話を伺います

機場(はたば)で栄えた町

この辺は…鳥屋あたりもそうなんやけど、機場で栄えた町なんよ。40年ほど前まで、機場のおかげでこの辺はどんどん家が建てられたね。ガンガン儲かって和倉温泉に通ったもんやね。和倉温泉が栄えたんも少しは機場のおかげじゃないかねえ 笑 今は機場もめっきり少なくなって2・3軒ぐらい残っとるくらいやね。

寺のない町

曽祢にはお寺がなくてね。毎月班ごとに『班御講』言うて、月ごとに持ち回りでお宮さんを預かっとるんよ。この辺は春祭りと秋祭りがあるんやけども、その祭りの翌日に預かる半年ごとの持ち回りの預かりもあるんよ。曽祢では葬式の後の自宅での弔いに地区中の老若男女が大勢集まってお参りして送るんよ。寺はないけど、信仰心が厚い在所やね

現在

この曽祢の世帯は約95世帯あるね。子どもは15人くらいかな。空き家率が少なくて2・3軒くらい。休耕田が結構あったんだけど、みんなで協力しあって耕しとるよ。6月中ごろには田んぼも青々としてキレイやよ。ホタルも光って、いい風情や。お互いが助け合う心豊かな地区に生まれ育ったことに誇りを感じとるよ。

けいこの一言

休耕田を利用した畑のメロンが楽しみですね♥


第21回 七尾市橘町


七尾市役所と七尾湾の中間に位置する橘町を訪問しました。

そんな橘町の町会長 杉村さんにお話を伺います

昔は大工町と呼ばれていた職人町でね。自分が小学校のころに橘町という町名に変わったんやわ。最近まで、のこぎりの目立の出来る職人がおったよ。一本杉からうちの町内を通って万行・佐味・庵と抜けてくバスがあってね。数十年前は七尾のメインストリートやったんよ。

でか山の提灯を最初に吊るした町

でか山の時期になったらでか山ストリートのところどころに提灯があるやろ?あれを最初にやったのがうちの町内!自分が言いだしっぺなんよ。町内をでか山が通るんやけど、朝山は夜中の運行やからね。真っ暗で街頭しかないから少しで運行を楽にしたいと提灯を吊り始めたんよ。次の年に隣の塗師町さんも吊ってくれてね。うれしいことに、他の町にも浸透して提灯の数も年々増えとるよ!

町の年寄りの楽しみ

町内も出入りがないからね。橘町もどんどん平均年齢があがるね。それはしょうがないことやわいね。60歳過ぎても遊びたくてね。自分の娘のような歳の人らがおる店やとやっぱ入りにくいやろ。だからね、年寄連中が楽しく飲めるところを求めて彷徨っとるね。笑 七尾にも朝から開店しとる飲み屋もあれんよ。朝から年金族の開店待ちで並んどる。いつまでも元気におるために、わが町にもそんな寄合所がほしいね。そこで楽しく面白く年を取っていくのがいいよね!

けいこの一言

でか山の提灯に、でか山への愛を感じました!


第20回 七尾市木町


七尾駅から海に向かい平行に5つの通りがありその4つめの通りに木町があります。

そんな木町の町長仲村さんを訪問しました。

町の歴史

この辺は、前田利家が七尾城に入り、小丸山に城を造るために御祓地区を整備してできた町だといわれてるね。もう430年も前になるよ。300年ほど前の書物・能州紀行に、資料では初めて木町の表記があるね。

子供の頃

自分が子どものころは、まだラジオしかなくてね。祭りが楽しみやったよ。4月に七尾西部地区のちょんこ山、5月にでか山と、七尾がにぎわって活気があったよ。地元のちょんこ山のしゃぎり(笛や鉦や太鼓の祭囃子)の音で育ったんよ。

現在

今はちょんこ山保存会の会長をやらせてもらっとる。子供の数が減ってさびしく感じるけど、微力ながら色々取り組んどるよ。現在しゃぎりは録音されたものを流しとるんやけど、今後は、昔みたいに生でやりたくてね。4月の祭りやけど、月明けから練習しとるよ。少しでも昔の活気を取り戻したいと思っとる。

今後の町づくり

木町は祭りをもっとるからね。チームワークがあるよ。50世帯ほどの町やけども、ちょうどいい感じでまとまりがあるよ。町が家で町会が家族や!祭りにほとんどの人が参加してくれてみんなで盛り上がる!そんな木町にしたいねぇ!

けいこの一言

ちょんこ山を生のしゃぎりで
ぜひ見てみたいですね!


第19回 七尾市作事町


七尾駅と港の中間に位置する市街地。昔は廻船問屋や魚問屋で栄えていた町です。

さっそく町会長の有江さんにお話しを伺います。

昔は七尾の台所

作事町には江戸から明治に流通の拠点として七尾の台所を預かっとった。つい28年ほど前に太田の市場ができるまでは廻船問屋や魚問屋がずらっと建ち並んどってね。業者さんの活気あふれるにぎわいで一般人が通れんほどやったよ。

現在の作事町

この辺は青柏祭に参加しとってね。2日には人形見っていう、でか山の上に飾る人形を前夜祭で持ち回りでかざっとるんやけど、今度のでか山ではうちで飾ることになっとるんよ。同時期に各家所有の菅原道真の人形・天神さんを飾る、天神祭りもやっとるよ。花嫁のれんを飾って一般の方に開放してるよ。

町内は65歳以上の年寄軍団!笑

みんな定年を迎えて商売もやめて悠々自適な生活しとる。今は子どもの姿もあまり見かけないね。そんでも、町内出身者らが集まって町内の行事を支えてくれとる。感謝やね。静かな町内もでか山になったらにぎわうよ。日頃は静かに暮らしながら、祭りで大いに盛り上がる。最高やね!

けいこの一言

今は静かな町が、昔はにぎわう問屋街だったことにびっくりです!


第18回 能登島向田町


七尾北湾に面し、島の中央にある向田町。ガラス工房やガラス美術館、また近くの海には、バンドウイルカが生息しイルカウォッチングに訪れる人が多い町です。

さっそく町会長の高橋さんにお話しを伺います。

町名の由来

かつて伊勢神宮の御厨だったことから神田と呼ばれ、それが向田になったと言われている。

町の歴史

古くは縄文時代から人が住んでいたようだね。昔の交通は船が中心だったから便利で人口も多かったみたいだよ。

昔と今

家の前がすぐ海でね、手作りの竹竿で魚を釣って遊んでいたよ。夏は、田んぼにホタル、そわじ浦にも海ボタルがきれいだ。近年、またホタルが増えてきたよ。能登島大橋ができた時は、「うれしかったっ」しかし、人口の流出は止まらなかった。その代わり、増えたのが交流人口だよ。

誰にでも優しい向田町

料理人 ガラス職人、 陶芸家 カヌー制作者など新しく向田に住みついた人が20人はいるかな。「住みたいけど、仕事がない」これが現実だ。だから能登島ロードレースとか里海里山事業などを通して交流人口を増やし、仕事を増やし、結果、定住者が増えるという活動をしているよ。

かずの一言

青い海と空。一度来たら、また来たくなるのが能登島向田町ですよねー。


第17回 七尾市万行町


七尾駅より東側2㎞ほどに位置する、上は希望の丘公園から下は海の手前までその長さ4㎞もある大きな町。西側には赤星川、東側には臼池川が流れています。

さっそく町会長の須崎昭夫さんにお話をうかがいます!

昔は竹藪が多くてね隣に行くのにも隣が見えなくて大回りせな行かれんかった。その名残でこの地区は竹垣が多いね。世帯は610世帯で人口は約1700人。区画整理のおかげで増加しとるよ。

明るく住みよい町づくり

今、サンタウン万行という大きな住宅地が整備されとるよ。区画整理で遺跡が発見されてね。遺跡があるということは、昔から住みよい場所やったんやね。今もほどよい距離に七尾駅があるし、スーパーやドラッグストアも近くにあって、買い物にも便利で住みやすいと思うね。希望の丘公園そばに能越自動車道の七尾城山ICが開通予定で、交通アクセスもよくなるよ。

未来へ

この辺は、なんといっても百姓が多くてね。農薬を減らして、エコ農業にも取り組んどる。自然の生き物を増やして、人と自然が調和した町を目指しているよ。

けいこの一言


遺跡と竹垣、昔からの文化が素敵ですね!


第16回 中島大町


熊木川沿いに上って赤い欄干が目印の天神橋を渡ると昔ながらの商店街、中島大町の通りが現れます。能登演劇堂まで、
歩いて5分の位置。

さっそく町会長の勢登和秀さんにお話をうかがいます!

この中島大町は23世帯64名。小さい町やけど、通りの商店率が高い町やね。昔ながらの個人商店がならんどるよ。

町の歴史

お寺が近くにあって門前町として人が寄る町で、昔は交通の便も悪かったからみんなこの辺で民泊したんよ。それをまかなうために商店が出来たんやね。鉄道が出来る前は天神橋が船着き場で、荷揚げの拠点になっとった。奥能登から塩干物とか持ってきとった。自分の祖父はそこから船で七尾まで学校に通っとったって聞いとるよ。

能登沖地震がきっかけ

もともと空き家率も多くなってきとったんやけど、能登沖地震の被害で家屋にヒビが入ったりして、それがきっかけで壊して空き地にしたところも多いよ。通りの7割から8割の商店率が今は3割から4割になってきた。今はまだ限界集落じゃないけども、65歳以上が4割おる。

お客のほとんどがご近所さん

商店のお客さんがご近所さんやからコミュニケーションは取れてるよ。ここが商店の町のいいところやね。毎日、顔合わしているからね。これからも、自然に助け合って生活できると信じているよ。

けいこの一言

ありがとうございます! 天神橋が船着き場だったとお聞きして、味わい深い町だと感じました!


第15回 中能登町 二宮あおば台


今回は鹿島バイパス沿い、能登二宮駅前新興住宅街の二宮あおば台を訪ねました。新築の家がきれいに建ち並ぶ町です。

さっそく区長の丸山清さんにお話をうかがいます!

この区は、旧鹿島町が造成して、16~17年くらいのまだ新しい区やね。
100区画99世帯あって、1区画は公民館。若い世代が中心で、中能登で最も子どもが多い町。園児もあわせて100名くらい子どもがおるんじゃないかな。新しい区やから祭りはないけど、子どもを通しての交流があるし、バーベキューやボーリング、グランドゴルフとかレクリエーションで交流はできているね。

塀がない町

この町の特徴は塀が低くてね。ご近所とのほどよい距離感と開放感がある区なんよ。また、このあおば台は、七尾、田鶴浜や津幡まで、いろんな所から縁あって集まってきた住宅区。みんなが行事に積極的に参加してくれるんで、俺も区長が務まっているんやね。感謝!駅も近いし車でアルプラザもすぐやし、平和で住みやすく、言うことなしやねーーーっ。
あはは 笑

けいこの一言

ありがとうございます! 若い世代には子育てに集中してもらって、自分が区をお世話させていただく!そんな感じの区長さんのお話でしたーっ。


第14回 七尾市池崎町


今回は中能登町と田鶴浜地区の両方に面した旧七尾の入り口、池崎町を訪ねました。一面に広がる田園地帯。ベートーベンの田園が聴こえてきそうな町です!笑

さっそく町会長の中根正一さんにお話をうかがいます!

池崎という町名

田んぼのあっちゃこちゃに自然に水が湧くところがたくさんあったんやね。冬はあったかくて夏は冷たくてね。すいかを冷やしたりしたよ。そんな池がいっぱいあったから池崎町なんかな?


人情味あふれる町!

池崎町の世帯数は90世帯。人口は減っていくばっかりやけど、隣近所で声掛けして、独居世帯でも交流があって、楽しく暮らせとる。祭りも年に6回あって、神輿やら獅子舞もあるしにぎやかになるよ。成人の日あたりに左義長も20年ほど前から復活して、ばーんと火柱上がって寒いながらもみんな集まってくるわいね。町のみんなが親戚みたいやね。

道路が冠水する池崎町の悲願!

この辺は地盤が悪くほぼ毎年、梅雨時期あたりの大雨の時に道路が冠水するんよ。しかし、今年から田んぼの「基盤整備」が予定されて、26年には着工予定になっとる。この田んぼの「基盤整備」で河川の改修やら入ると冠水がなくなるんやわ。在所の人たちが住みやすくなる大チャンスや。田んぼの後継者問題があるけど、みんなで頑張っていくわいね。

けいこの一言

ありがとうございます! 人情あふれる池崎町に冠水がなくなることを祈ります。


第13回 七尾市小丸山台


今回は、奥能登から七尾へ走る表玄関と言える国道をはさむ町。そして、美術館のある町。能登病院や小丸山小学校に囲まれた高級住宅地といった雰囲気の町。小丸山台を訪ねます。

さっそく町会長の安藤八雄さんにおたずねします。

この小丸山台は、平成元年から、山を開いて、完成したのが平成九年。まだ16年のとても若い町。わたし自身も町会長としてまだ三代目です。現在、所帯数240所帯、今も家が建築中だからまだ増えるね。

住民に小学生62人、中学生30人と、七尾でもっとも平均年齢が若い町じゃないかな。また、医者 税理士、会計士 教師と先生と呼ばれるひとが多いのも特徴やね。とても静かで安心の町です。

問題点と対策

若い新興の町ゆえに、隣の人がどんな人か知らず交流がないこと。町会長の私が町を歩いていても、不審者とみられるほど。笑 そこで、わたしが取り組んだのは、小丸山台だよりという町会報の発行。青壮年団が子供用奉燈を用意しての夏祭り。集会場をサークル活動に無料開放としたうえ一万円までサークル予算を奮発町対抗体育レクリエーション大会に二チームが参加。これらを通して、町民同士の活発な交流を目指しています。

まずは、町会長の私を不審者と思われない町としたいです。あはは 笑

みこの一言

とっても楽しい町会長さんです。


第12回 中能登町上後山


能登有料道路、七尾方面から上棚インターにいく途中の自然ゆたかなところ。上後山の狭間邦夫区長さんにお話を伺います。

上後山といえば、「ころ柿」(干し柿)の地区やね。早速やけど、上後山ではいちばんたくさんころ柿を作っとる伊賀さんていうお宅があるから、行ってみようか!

ということで、伊賀政紀さんのところに案内していただきました。

伊賀さんところはこの辺ではいちばんころ柿を作っておいでるわ。町の広報とか、新聞もよく取材に来るんやよ。まず皮をむく。いぶしてから、つるして乾燥させる。いい感じになったら加熱しながら手もみして水分を抜く。細かいところは各家庭によって違うわ。企業秘密というわけやね。天候とか柿の様子を見ながら、ほぼ手作業で丹誠込めて作っとるよ。

狭間さんのお宅でもころ柿を作ってらっしゃるのですね。

うん。嫁さんと一緒にね。ここ上後山は、36軒ほどあるうち20軒以上はころ柿を作っているんやないかな。出来たころ柿はJA経由で市場に出す。子供の頃からずっと家で作っていたし、手伝いもたくさんしたよ。作るのが当たり前って感じやね。収入のある趣味であり、ある意味では生きがいと言えるかも知れんねー。

それでは上後山のこれからについてお願いします。

白山神社という由緒ある宮さんがあって、小さい在所の割には立派やと思うよ。祭りではみんなで集まってね。でも、今は極端に高齢化が進んどるから、今後の世帯数がどうなっていくかが気になるね。山の中という感じもあるけど、実は交通の便がいいところなんやよ。ころ柿と、それから棚田の米、おいしくて自慢出来るものがあるから、若い人が定住してくれればいいなあ。


第11回 七尾市田鶴浜町



田鶴浜といえば建具の町。そんな田鶴浜町の町会長、井上 茂さんにお話を伺います。

田鶴浜はどんなところですか?

田鶴浜(たつるはま)は七尾市の中央に位置する町。古くから周辺地域の交通の要衝として栄えてきたね。
一六五〇年、東嶺寺の再建にあたり、尾張から指物師を招いたことが、建具が栄えるきっかけ。戸障子や欄間とかの匠の技を村人達が伝承して田鶴浜は建具の町として発展したんやわ。

赤蔵山も有名ですよね。

通称「あかくらごんげん」や。赤蔵山の名前の由来でもある御手洗池(みたらしいけ)が有名で、全国の名水百選にも選ばれたんやよ。言い伝えでは、戦国時代に戦いに敗れた武将が愛馬もろとも入水した、底無し沼ねん。元旦の未明に赤い鞍が浮き上がることから、「赤蔵」の地名が生まれたということやわ…。

井上さんが子供の頃の田鶴浜はどんなでしたか。

田鶴浜は海も山もあるから、四季折々、自然を相手に楽しく過ごしたなあ。田鶴浜は昔からいい所やったねえ。町営の海水浴場があったけど砂浜じゃないし、まずたくさん生えとる藻を刈ってから泳いだんやよ。赤蔵山の冷たい湧き水で、スイカを冷やして食べたりね。

それでは今、井上さんが力を入れていることは何ですか?

地域福祉ネットワークといって、各町内に自主防災組織を作ってもらってん。この十月には、津波を想定した大々的な避難訓練をしてんよ。ご近所、向こう三軒両隣の絆を深めて、連絡を取り合って、お互いに助け合っていこうということやわ。地域の皆さんの生活の目配り、気配りのある安心して住める町にしていきたいね!


第10回 中島町大平


中島から志賀町へ向かう山の中、道沿いから見える風力発電の風車が印象的。そんな大平にやってきました。

大平はどんなとこですか?

35年前に縁あって大平に来たんだけどね。そのころはもう、戸数も5軒しかなくてねー。ちょうど6月で、静かな夜にカエルの鳴き声がやたら騒々しい。俺が生まれたのは海のそば。波の音を子守唄にして育ったんで大シケでもスヤスヤ寝てたよ。だけど、カエルの鳴き声には、なかなか眠れなかったな (笑)

それからの生活はどうでしたか。

春は、うど、わらびが山で採れてね。夏は、海が好きなんで実家の海に行ってた。 (笑) 秋は、きのこや栗拾いもしたけど、ほとんどが田んぼ仕事やった。冬は、ひたすら雪かき・・・(笑)

ここ大平も、春と秋に祭りがあってね。・・・と言っても、宮に参るだけ。藤瀬から宮司さんが来てくれて、一升の酒と、お供えとお重の料理を持って、みんなで眠くなるまで酒盛りや。この集落も今では、3軒しかないからもう親戚みたいなもんで、何かあったらすぐ助けてくれるよ。

大平のいいところは?

いいとこは、やはり静かってことくらいかな。(笑)・・・だからといって悪いとこもない。こうして静かな所にいると、町中に住みたいとは思わんね。町会長も17年してるけど、会合が多いだけで気楽にできるのはここ大平だからこそ。
今では、あれほど気になったカエルの鳴き声もすっかり俺の子守唄になったよ・・・うん。 (笑)


第9回 中能登町徳丸


徳丸は旧能登部校下のほぼ中央に位置し、
近くには鹿西高校、JR能登部駅があります。

そんな徳丸区の区長山口八郎さんにお話を伺います。 

地名の由来はなんですか?

江戸時代には毎月六と九のつく日に市が開かれて、
「徳丸の市」として大勢の人で賑わっとったらしいね。
徳丸という地名は、昔、山の上に徳丸城という城があって、
その城下町として徳丸という地名になったみたいやわ。
四五〇年以上前からある地名やと思うよ。
 

どんなところですか?

徳丸の中心は、能登貴船神社やね。
貴船神社は水商売の神様として知られとるし、境内にはそれをまつる市姫社があるよ。
 
春と秋の祭りに加えて、十二月十五日には「あだけ祭り」という火祭りがあるんやわ。
冬の火祭りはとても珍しいから、ぜひ、みんなに見に来てもらいたいね。

それから徳丸観音堂というところがあるんやけど、徳丸城城主、
長連龍(ちょうつらたつ)公の守り本尊として深く崇拝されとるよ。

毎年八月九日に「観音様祭り」があるわ。
徳丸は、今も昔もこの貴船神社と観音堂の祭りを中心に
活動しとるようなところがあるわ。
区民も、それを守っていこうという気持ちのかたが多いと思うよ。

小さい集落やからか、お互い助け合い、
一致協力していろいろな事をやっていけるところがいいね。

いいところは?

九月は恒例の貴船神社の秋祭りやってん。
小中学生の獅子舞の稽古で、指導してくれた大人の方達は
伝統を伝えようと、とても熱心にしてくれてね。
子供もその熱意に応えてくれて、立派な獅子舞ができたわ。
今年は獅子舞の衣裳が町の協力で新調されて、特に張り切ってやったと思うよ。

若い人も年配の人も、男も女も、一体となって頑張ってくれるところがいいなあ。

老人の一人暮らしの家も増えて来とるけど、つかず離れずの関係で見守る、
温かい地域作りを進めていきたいね。 少子高齢化のせいか、空き家も増えてきた。
でも、ここ数年で駅から南側に、若いご夫婦の家も増えて来とるし、三世代同居の家も何軒もある。
これからは若い人が中心になって、みんなで協力しあっていってくれると思うわ。


第8回 七尾市和倉東町


和倉温泉観光会館から和倉温泉方面へ向かい、
温泉街が海側とすれば、山側に位置する所が和倉東町です。

そんな東町の町会長 本田雄志さんにお話を伺います。

和倉東町はどんなところ?

まず、旅館従業員さんの居住区というイメージやね。
加賀屋さんの寮や、アパートとかもあって、旅館で働く方たちが、
この辺の町では東町に一番多くいらっしゃるんやないかなあ。
現役の仲居さんはもちろん、OBの方で一軒家を構えとる方もおいでるよ。

観光会館、お寺、公民館といった、和倉を支える拠点がある。
和倉で働く人たちの集まるところであり、生活が主の場所やね。

今一番、町長さんが力を入れている事は?

まず、環境問題やね。
油の回収とか、アルミ箔を集めたりとかしとるよ。
それから、花いっぱいの町にしようということで、町会からプランターやお花を配っとるんやわ。

それから、福祉や。
東町はこの辺の八つの町会の中で一番高齢者が多いげん。
民生委員さんや、福祉推進委員さんと連携して、見守り活動をしとるよ。

災害時には公民館、観光会館が避難場所になるから、
避難マップを作って全世帯に配布しとるよ。
それから、毎朝、公民館でラジオ体操しとるんやわ。
高齢者の引きこもりをなくして、人との交流に入れることも目的やね。
 
和楽会といって高齢者の方が集まる会があるし、これは違う町になるけど、
じばん館という観光客と地元の人との交流の場があるよ。
ここにはわくたまくんグッズが沢山あるね。
東町の人がスーパーで買い物してじばん館で休んでから、家に帰るという感じやね。

東町の自慢といえば?

東町には和倉で働くために子連れでやってくる女性も多い。
ここで育った子供達はみな立派になると言われとるんやよ。
独立されたお子さんが「お母さん一緒に住もう」と言われても、
この町に愛着があって、住み続ける方が多いんやわ。
和倉温泉を支える町やけど、人と人とも支え合っとる町や。

みこの一言

住んで良かった町、
離れたくない町。
これが和倉東町の自慢やね。


第7回 中能登町在江


中能登町の一番七尾寄り、北側に位置する在江区です。

そんな在江区の区長 表 辰祐さんにお話を伺います。

在江区の由来についてお伺いします。

近所の一〇三歳の方に聞いた話やけど、以前ここに大きな川があったと。

中国の揚子江みたいな大きな川で、それで江(大きな川)が在る、
で在江となったんでないかということやわ。隣は坪川で、
川田という地域もあるし、まんざら間違いではないと思うよ。

在江区の特徴はなんですか?

在江には、中能登の浄水場があるね。
ため池が三つあって、以前は農業用水のためやったよ。
昔は水のことで農家の人も色々とあったんじゃないかと思うね。
今は、田んぼも整備して、蛇口をひねれば水が出るから、困ることは減ったわ。

今いちばん区長さんが燃えていることは

農地・水保全管理支払交付金というのに今年から申請して取り組んどるよ。
簡単に言うと、「土地面積当たりいくらというお金をあげるから、農地の整備をしてください」
という農水省の事業ねん。

今までは事務量も多いし取り組んでいなかったんやけど、
農地を守っていかんと荒れていく一方やからね。
農道の砂利入れ、水路の整備など、農家だけでなく子供から年寄まで、
できる事をしていこうということねん。
区民が協力してくれて、大変うれしく、力強く感じとるよ。


それから、防災についても取り組んで行きたいね。
今、八十歳以上の高齢者だけの家が、七十二軒のうち十五%あるんやわ。
近所やし、ご本人のことはわかるけど、ご家族の事とかも把握できるようにして、
いざという時のために連絡できるように備えていかなね。
そのためにも、在所の中での交流も復活させていきたいと思っとります。

在江区の珍しい事や自慢といえば?

実は、越路小学校に通う小学生は、タクシーで通っとるんや。
タクシーとはいっても、乗合タクシーやけどね。学校が遠くなったけど、
通学バスを出すほどでもないというのが理由で、珍しい事やね。

それから、秋祭りが十月にあって、子供獅子舞をしたり、
神輿も出たりするんやけど、実際に人がちゃんと担いどるのは、
近隣ではうちの在所だけねん。それが自慢かな!


第6回 七尾市南ヶ丘町


国道一五九号線から丘に向かって坂道の両側に、
段々畑のように家が建っている、そんな南ヶ丘町です。
緑が多く、静かな住宅街です。

町会長小林義弘さん にお話を伺いました。

南ヶ丘ってどんなとこ

五十年ほど前は家もなくて、ずっと山やった。
段々畑になっとって、菜の花、山桜が咲いとったよ。
部活動でこの辺を走っとって、たいへん美しいところやなあと思っとったんや。
今はそこに住宅が建っとるね。

それで、住宅が段々にあるんですね。

そうやね。町内会が出来てから四十六年。
今じゃあ世帯数は二七〇くらいあるね

南ヶ丘町の特徴はなんですか?

まず、緑の豊かな町やね!

南ヶ丘は、七尾市と緑化協定を結んどって、一九八四(昭和五十九年)に市内で第一号に締結してん。
さざんかや桜、ツツジを提供してもらって、公園とか住宅の庭に植樹してきとるんやよ。
道路沿いにプランターを置いたり、草刈りしたりして、緑と景観を大事にしとるね。

それから、防災の町やね。

阪神淡路大震災の教訓から、現在は閉校になった旧七尾工業高校さんからの
呼びかけで南ヶ丘と協定を結んでん。
防災訓練は、生徒さんも参加して、災害を想定して、
お年寄りのおる家にはリヤカーで迎えにいったよ。
当時としては徹底したものやったね。

冬には、生徒さんがお年寄り宅の玄関の除雪もしたよ。
リアルな防災訓練やったもんで、テレビ局とか新聞が取材によう来たわ。

そんな訓練を毎年しとったから、七尾市から認められて
防災倉庫(コンテナ)もいただいたし、県からも色んな防災器具をいただいたよ。
ヘルメットとか、ハンマー、バールとかね。
実際に災害が起きた時に、とても必要な物ねんよ。

これから

若い人のおかげで、昨年の矢田郷地区の運動会で、二十四町の中で優勝してん。
南ヶ丘は新興の町やけど、防災を通じて町内の団結が強くなったおかげかも知れんね。
これからも訓練をしっかりして、安全で緑の多い住みよい町にしていきたいね。

みこの一言

緑のほんとに多いすてきな町です


第5回 七尾市天神川原町


田んぼが広がり、大谷川と蹴落川2つの川がある住宅街。
石動山系西側の傾斜地に展開する天神川原町です。
七尾城山の入口に立地しています。

そんな天神川原町の町会長
川淵 正さん にお話を伺いました。

天神川原町ってどんなとこですか?

ここ三十~四十年の新興の町やね。
昔は四軒ほどから今では五十五軒ほどに増えて、新宅の方が多い町やわ。
アパートやマンションも増えてきとるよ。

天神川原町の特徴は?

県道城山線が通って整備されたから、交通量も増えてきてん。
だから交通安全に力を入れとるわ。
朝の挨拶運動をしたり、鵬学園さんの前に横断歩道をつけてもらったり、
夜の街灯をつけてもらったりして、みんなの安全に気を配って取り組んどるよ。

七尾で学生が一番多く行き交う町かな。
ななおあいじ保育園、天神山小学校、七尾東部中学校、
鵬学園高等学校と、学校が近くに沢山あるからね。
朝晩は通学の子供達でにぎやかや。

みんなが集まる行事はありますか?

新しい町やから、伝統的なお祭りがないげん。
でも、町の人たちは近くの矢田郷公民館やサンライフプラザでの催し物を楽しんどるよ。

矢田郷公民館では、六月にはYAYAフェスタがあったし、
八月にはナイトインサマーやたごうっていう催し物があるね。

これから

町のお祭りはないけど、夏の川沿いの草刈りを町民でやって交流を深めとるよ。

比較的若い町会長なんで、皆さん気軽に声をかけやすいのか、色々とアドバイスをいただくんやわ。
私もいろんな会に出向くから、情報を聞き取って、要望は市役所にかけあったりして、
さらに住みやすくなるように行動しとるよ。

『天神川原に住んでよかったな』と思ってもらえれば、いちばんの幸せやわ。

みこの一言

これから伝統を作っていく町ですね


第4回 中能登町一青


西は眉丈山、東は石動山に挟まれた、
田園風景豊かな中能登町一青。

一青といえば、歌手の一青窈さん。
お母さんが一青の出身ということで一躍、
一青の地名が知られるようになりました。

一青ってどんなとこですか?

一青のほとんどが、田んぼといっていいね。その広さは約六十五ヘクタール。
一青の地域では、百三十所帯が暮らしとる。
そのうちの二十所帯が、他の地域から新しく来られた方達です。
住みやすいからかな。町の子育て支援も行き届いとるからかもしれんね。

一青の象徴的な場所などはありますか?

ひとつは、松尾神社やね。
麦祭りや秋祭りなどの神事が年に七回あって、みんなの心をひとつにする場所やと思うよ。
だから雨漏りや古いところを直したり、ケヤキの伐採もしたりして、大切に守っていかんとね。

もうすぐイベントがあるとか・・・

そうそう。一青に「曳山」が一基あるんでぇ。
今年の八月四日に中能登レクトピアパークでする、
第八回 町祭「織姫夏ものがたり」に展示することになったんや。
曳山は、ずっとしまってあったけど、おひろめは十二年ぶりやね。


町祭に出るきっかけは、町の「ふるさと創修館」に曳山を展示する順番がまわってきたからね。
それなら八月四日の町祭に出てから展示しようということになってね。
曳山の飾り付けのリハーサルもしとるし、花笠制作もせなならん。
囃子とか、三味線も有志を募って、練習しとるんや。

それはすごいですね。 

まず、在所と農地をこれからも一青のみんなで守っていくこと。
それから、人と人とのつながりを大切にしていくことやね。
気も使うけど、人からはエネルギーをもらえる。みんなの笑顔が見れたら最高や~!

正直みんな大変やろうけど、やるならしっかりやって楽しくやろうと。
終わったら、達成感とか一体感が味わえるんやないかな! 
これを機に、祭りの行事も伝承としてつなげていければと思っとる。
生産組合・女性協議会・青壮年団・万年青会(実年会)老人クラブという、
各団体と連携して、いい集落にしようとみんなで動いとります。

みこの一言

人と人が助け合う「一青」ですね