こみみかわら版バックナンバー

第75回「輝け!郷土の星」体操の坂本大輔くん


石川県高校新人大会体操競技で個人総合優勝

春の県総体では2位となり北信越大会に出場。
そして北海道でのインターハイへも出場した大輔くん。

しかし今回の新人戦優勝がより嬉しい。
それは中学時代からのライバル、小松大谷高校2年生の細川進希(のぶき)くんに初めて勝てたからで、やはり1位と2位は全然違うのだ。

大輔くんは天神山小3年生から2歳上の姉の憂紀さんと一緒に七尾ジュニア体操クラブへ通った。
最初はマット運動から始まった。鹿島で行われる小さな大会に行った時、3歳年上の大野木拓くん(郷土の星第1回取材)の演技を見て自分も上手になりたいと思った。
それから練習に熱が入り4年生でバク転が出来るようになるとその達成感に喜びを覚えた。5年生で宙返り、6年生で大車輪が出来た。

東部中学で体操部に入部。鵬学園の練習場で高校生と合同練習、そしてクラブと毎日4時間の練習を続けてきた。しかし中学時代は毎年怪我に悩まされた。
鉄棒からマットを超えて着地したり、怪我が完治していないのに大会に出場したい思いで練習を続けて負荷がかかったりと、肘、膝、手首、足首を痛め万全のコンディションで大会に臨めず成績も2位が最高だった。

今年の目標を「ケガしない」と書初めし、初めて掴んだ優勝だった。

鵬学園体操部

第1回アテネオリンピックからの競技である男子体操は鉄棒、平行棒、あん馬、跳馬、つり輪、床の6種目。
女子は跳馬、段違い平行棒、平均台、床の4種目で競われる。

個人総合優勝ともなるとそのすべてに高得点を出さなければならない。
技の難度や美しさ、安定性などが採点される。一つ一つの技を磨き、それらを構成し演技する力量とメンタルを高めなければならない。

鵬学園体操部は30年以上の歴史の中でインターハイや国体へ出場する選手を多数輩出してきた。
その卒業生たちがコーチとして顧問の高橋加津也先生と共に指導に当たる。
部員は4名だが少数精鋭で上谷内悠斗くん、前田羽月さんもインターハイ出場を果たしている。



七尾ジュニア体操クラブ

鵬学園で指導をしてきた室屋武子先生が体操競技の裾野を広げるため立上げた七尾ジュニア体操クラブに34名が練習に通う。
週1回の幼児コースとジュニアコース、週2回の育成コース、週6回の選手コースがある。

コーチ陣は室屋先生の教え子で男性4名、女性2名が指導に当たる。
男子は澤味将太コーチ、女子は小此内勇希コーチがメインで指導する。

大輔くんを小学生から指導する澤味コーチは必要な事だけをアドバイスし、後は本人がひたすら練習を繰り返すのだという。
体操の動画を何度も見てイメージを作り、姉に演技を録画してもらいアドバイスを受ける。12月は来年に向け新しい技に挑戦する楽しい練習期間でもある。
高校生も全国となると高度な技が求められる。部分練習を積み重ね、出来るようになると技と技をつなぐ。

今、床の2回宙返り、跳馬のカサマツ跳び、鉄棒の2回宙返り下りにチャレンジする大輔くん。
出来なかったことが出来るようになる。それが体操の醍醐味である。



第74回「輝け!郷土の星」剣道の桜木佑圭さん


第53回全国中学校体育大会で3位

愛媛県武道館で開催された全国中学校剣道大会で見事に個人戦3位に輝いた佑圭さん。

石川県大会では小松桜木剣正会の尾蔵(おぞう)さんに小手を取られて2位でした。
負けた悔しさをバネに攻めの工夫、技の対応を考え稽古に励んで臨んだ北信越大会では延長戦となり競り合いましたが長野県松代中の小山さんに負けて5位でした。

剣道は一瞬の迷い、判断ミスで勝負が決まります。
全国大会に向けて今一度自分を見つめ直し、自分の強み活かすこと、無駄な動きはしないことを意識して稽古を積み調子を上げて全国大会に臨み結果を出しました。

剣道一家

おもちゃが竹刀でいつのまにか剣道が始まっていたという。
祖父は桜木哲史7段、世界選手権大会で優勝している剣士です。
6段の父は航空石川で指導しており、母も二人の弟も剣道をする剣道一家です。

佑圭さんは輪島市河合小学校1年生の時から防具をつけ練習を始めました。
その頃は剣道よりもピアノの方が好きでしたが、小4の冬から鹿島少年剣道教室に通い始め、翌年の全能登大会で優勝をしました。
それがきっかけで「よし!剣道一本でやろう」と心が決まりました。
剣道教室の仲間と練習を続けたいと中能登中学校へ入学しました。
部活が休みの水曜日は剣道教室へ出向き、日曜日は航空石川で父と二人の弟とで練習をします。
父は厳しく稽古をつけてくれますが辛く感じた事はありません。

試合で結果がでれば達成感があり稽古をやってよかったと思います。
稽古の先にある達成感を知っているから辛い稽古も辛くないのだと言います。



中能登中学剣道部

全国大会には3年生の横井快紀(かいき)くんも出場しベスト36と健闘しました。
快紀くんは県体2位、北信越3位の実力です。
全国大会前の稽古で佑圭さんは1年先輩の快紀くんと互角の勝負が出来るまでになっていました。

「面を被ったら変身して男になれ!面をとったら可愛い女の子になれ」と指導する顧問の本吉秀充先生は鹿島少年剣道教室でも佑圭さんを教えてきました。
小学校の時は心身ともに未熟だったが、それでも自分の意思で遠く輪島から鹿島へ通い、短い練習時間の中で素早く防具を身に付け、先生が面を付ければ一番に「お願いします!」と駆け寄り、帰りが遅くなるのでもう終わるように言うと「もう5分やります!」と稽古を続けたと言います。
本来の負けず嫌いの性格に、剣道を通して更に心が鍛えられた佑圭さん。この先、何事によらずどのような困難が立ちはだかろうと、逃げないで、挫けないで、乗り越えていく、そのための精神力が強くなったと話します。

将来は小さい頃から憧れていた看護師を目指したいと言う佑圭さんですが、まずは来年の全国大会で絶対に優勝するという強い決意で稽古に励みます。
本吉先生は結果も大事だが、勝つことだけにこだわらず、武道としての剣道、正しく美しい剣道を極め強くなることを求めます。

武道家の血が流れる佑圭さん、祖父のように華麗にして豪快な剣士を目指します。



第73回「輝け!郷土の星」競歩の豊島楓也くん


第61回北信越高校総体5000m競歩で優勝

3月に開催された全日本競歩輪島大会5キロ競歩(高校生の部)21分14秒で全国3位となり、5月の石川県総体22分22秒で優勝、続く6月の北信越大会でも22分11秒で優勝した楓也くん。夏のインターハイでも入賞を目指します。

昨年は北信越2位でインターハイへ出場しましたがレースの駆け引きに負け実力を発揮することなく予選通過できませんでした。

今年はその雪辱を果たすために練習にも気合が入ります。 

競歩との出会い

子供の頃から走ることが好きだった楓也くんは小6の時友達に誘われ城山アスリートクラブに入り益々走ることが好きになりました。

七尾中学では迷わず陸上部に入部して長距離を走ります。しかし七尾中学は駅伝が強く長距離の速い選手が何人もいたため、トラック種目であいているのは競歩しかありませんでした。しかたなく競歩をエントリーしたのでしたが、七尾中学の山口監督は競歩が上手くなると走りも上手くなる、競歩の記録が伸びれば走りの記録も伸びるという理論を持ち競歩を重要視しています。

そういう環境で始めた競歩ですが初めての大会を終えて「競歩は楽しい!」と思いました。それで2年生になっても競歩をエントリーしたいと監督に申し出ました。楓也くんの競歩への情熱もあり、世界陸上選手権50km競歩の元日本代表で現在金沢学院大学の谷内雄亮コーチ(当時は輪島市)に指導を受けました。

競歩は一定の歩き方で歩行しタイムを競う競技です。歩形のルールは厳しくどちらかの足が地面についていなければなりません。両足が地面から離れると「走った」と見なされロスオブコンタクトの警告を受け、度重なると失格になります。またベントニーといって前足が地面に付いた瞬間から地面と垂直の位置になるまで膝を伸ばした状態で歩かなければなりません。

谷内コーチから競歩の基本フォームや練習方法の指導を受けました。その結果、中学3年の県大会3000m競歩で15分04秒を記録し全国ランキング1位になりました。またその年の駅伝大会でも2区を走り石川県優勝を成し遂げました。  



鵬学園陸上長距離部

高校でも競歩を続けたいと思っていたところ、鵬学園で長距離部が発足する事を知り入学しました。
高1、高2の時は1年先輩の鵬学園の山本乃愛さん(インターハイ9位)、そして星稜高校の櫻井健太選手(インターハイ7位)の背中を目標として頑張ってきました。

今年は自分が石川県代表として全国で結果を出さなければと使命を感じています。鵬では山本伸幸コーチが指導します。フォーム、体力、スピードなど練習課題がありますが、大会での嬉しさや悔しさをモチベーションに、次はどうするか本人の考えを尊重して練習を見守ります。

山本コーチはスピードも体力もあるので全国で十分戦える力が備わってきていると評価し、後は歩形の維持をしっかりすることだとアドバイスします。競技場では5人の審判が選手の歩形を見張っています。全国大会では審判員の目も厳しいので注意が必要です。

今年こそ駆け引きにも負けないレース運びで結果を出すと誓う楓也くんです。 



第72回「輝け!郷土の星」ウエイトリフティングの吉野樹くん

第38回全国高校ウエイトリフティング競技選抜大会で6位入賞

去る3月27日、金沢で行われた全国大会で73㎏級に出場した樹くん、スナッチ101㎏、クリーン&ジャーク118㎏、トータル219㎏で全国6位に入賞しました。

昨年の石川総体で優勝、北信越2位、インターハイ10位と県内ではトップレベルの選手として活躍し、今年の総体でも準優勝しました。

ウエイトリフティング部

樹くんは高校からウエイトリフティングを始めました。入部したときは同好会でしたが現在は部に昇格して男女の部員9名が毎日練習に励んでいます。

2019年に着任した監督の岡田英典先生はインターハイ5位、国体2位の実績を持ち石川県チームの監督も務めた指導者です。岡田先生はまず基礎を教えますがそこからは練習方法を本人自らが考えるよう指導します。それは選手一人一人の骨格、手足の長さ、手首の強さ弱さなどみな違うので自分に合った練習を見つけなければなりません。

スナッチはバーベルを頭上に一気に持ち上げ立ち上がります。クリーン&ジャークはいったん鎖骨の上まで引き上げて立ち、そこから頭上へ差し上げます。それぞれ3回の試技で持ち上げた最高重量の合計を競います。

選手は名前を呼ばれてから1分以内にバーベルを床から離さなければなりません。バーベルの重さは選手が申告し、軽い重量を申告した選手から試技に入ります。左右のバランスを保ち、腕を伸ばしきって試技が成功します。

筋力だけで重いバーベルは上がりません。全身にいきわたる集中力と気合、スピードが最高の状態で組み合わされた時に爆発力が生まれます。

ウエイトリフティングで本人が何を学び、何を成長させるかを考え、苦しくても諦めず、自分とバーベルに直向きに向き合うことを指導する岡田先生。

樹くんが2年生になって頭角を現わしたのは、素直さと自分で考え自分で行動したからにほかなりません。



確かな手応え

スナッチ50㎏が102㎏に、クリーン&ジャーク65㎏が123㎏と2年間で2倍の重さを上げられるようになりました。

きつい練習も嫌だと思ったことは無いと言う樹くん。記録が目に見えるので目標を立てやすい競技です。昨日より今日、今日より明日、1㎏でも重いバーベルを上げるためにコツコツと努力を積み重ねる毎日です。

そんな樹くんに心強い同志がいます。同期の引田葵(ひきたあおい)さんです。葵さんも先の全国大会で13位と健闘しました。二人は声を掛け合い互いにアドバイスをして練習してきました。部員が少ないので時に孤独になりがちですが、同期二人がお互いに高い目標を持ったことで励みになりました。

大会ごとに記録を伸ばす目標を持ち結果が出ると達成感を味わい、結果が出なければ克服するための練習を考えます。今年の目標はインターハイ3位以上の表彰台に立つことです。

そして選手として強く、指導が上手で、人間性も良い岡田先生を目標として大学でもウエイトリフティングを頑張りたいと言います。

大きな舞台で活躍することで自信を付けた樹くん。
重さだけでなく精神力も2倍に逞しくなりました。



第71回 「輝け!郷土の星」私の主張の中田聡音さん


少年の主張 石川県大会で最優秀賞!

もうビックリしました、と微笑む聡音さん。第44回少年の主張石川県大会で最優秀賞に輝きました。
この大会は中学生が日常生活の中での体験や考えを発表します。加賀、石川中央、金沢、能登地区から選ばれた16名が発表しますが、この16名に選ばれるまでが大変です。

国語の授業で書いた作文をクラス内で発表し、生徒の投票で3名選ばれます。3年生5クラスの代表15名がランチルームに集合して発表。先生が審査し4名に絞られます。1年生から2名、2年生からも2名選ばれ、この8名で全校大会が行われます。そこで選ばれた2名が能登地区大会に出場します。

能登各地区から集まった12名がサンライフのホールにて競います。この大会での最優秀賞1名、優秀賞3名が石川県大会に出場することができます。

県大会では論旨・内容60点、表現力30点、態度10点に配点され審査されます。国語の授業の作文が気付けば「少年の主張石川県大会」の最優秀賞になったのですから聡音さんも家族も嬉しさよりもただただ驚きだったようです。

自分にしか書けないこと

家で読書をして感想を記録する「うちどくノート」が町から小学生に配布されます。それで両親が物語や科学の本などたくさん借りてきて読ませてくれました。そんな環境があったのかもしれませんが、聡音さんは物事を深く見つめる事が出来るようになりました。

だからこそ国語の授業で作文を書く時のテーマに迷います。環境問題や人権問題などは知識が無く、関心も薄いのでテーマにすることは難しく思いました。

それなら自分のことなら自分が一番わかっている。自分にしか書けない事を書こう。と強い思いが走りました。

これから出会うであろう人たちへ

小さい頃から心疾患がある聡音さんは運動制限があります。小学生の時、マラソン大会で見学していると同級生に「走らんでいいがうらやましいわ」と言われ、気持ちが萎縮していきました。ところがマラソン大会が終わってすぐに担任の先生が「一生懸命に応援をしてくれた聡音さんに拍手をしましょう」と言ってみんなが拍手をしてくれた時とても嬉しくなりました。

また、生まれてすぐに手術をして入退院を繰り返していたので「自分は長生きできないのか」と親に聞いたことがあります。母は「この先何があるかわからないが、お医者さんやみんなが守ってくれるから大丈夫だよ」と言ってくれ大変安心した気持ちになりました。

聡音さんは病気を通じて感じた事を文章にする時、これらの事を振り返り、改めて自分を大切にしてくれる人が居ることはすごく幸せな事だと思いました。

県大会には前年度も出場した同級生の森正璃音(りお)さんも出場しました。璃音さんは話し方が上手で聡音さんにアドバイスをしてくれました。気が付けば身の回りに助けてくれる人がたくさんいます。

「現状に満足できず今の自分が嫌、自分じゃダメと思う時があっても、誰にでも必ず助けてくれる人がいることに気づいて欲しい」と聡音さん。そう思うと感謝の念が湧いてきます。

将来は辛い思いをしている子供たちの支えになるため小児科医を目指します。頂いた多くの恩を、これから出会うであろう多くの人にも報いていきたいと決意する聡音さんです。



第70回 「輝け!郷土の星」駅伝の伊駒快介くん


第30回全国中学校駅伝大会7位入賞

中能登中学校駅伝部、昨年の県大会、北信越大会で優勝し、12月、滋賀県で開催された全国大会で7位入賞を果たしました。全国の48校で競われる中学校駅伝は1人3kmを6人で走ります。

快介くんが駅伝を走るきっかけになったのは小学校6年生の時です。県下の小学校96チームが出場した「いしかわっ子駅伝大会」に鹿島小学校の代表選手として出場しました。1人1.5kmを5人で走ります。3区の伊駒快介くん、5区の酒井崇史(しゅうじ)くんが共に区間最高記録で走り、見事鹿島小学校に初優勝をもたらしました。

この体験で陸上の楽しさを実感した2人は中能登中陸上部に入部します。2年生の時にも2人は全国中学校駅伝大会に出場し見事な3位入賞を果たしています。3年生になり今年も上位入賞を目指そうと皆で誓いを立てた矢先にアクシデントが起こりました。3000mで全中突破記録を持つエース崇史くんが疲労骨折で走れなくなったのです。

エース不在で臨んだ全国駅伝、なんとしても入賞しようと頑張った結果の7位入賞です。不利な状況の中でも結果を出せたことで部員は勿論、応援してくれた関係者に感動を与えたレースでした。

1区走者は2年生の小室快斗、17位で若狭怜士2年生につなぎます。
若狭くん、2区6位の記録で順位を8位に上げます。
3区は怪我で出場できなかった崇史くんの弟、酒井琉史1年生。3区8位の記録で兄の分まで頑張り6位に順位を上げました。
4区鵜家拓斗2年生、8位で5区伊駒快介につなぎます。
伊駒くん、昨年の経験もあり快調に飛ばします。次の走者、1年生の川森獅月(しずき)につなぐ前に一つでも順位を上げとかねばと意地の走りで順位を7位に上げました。
ラスト6区の川森くんも先輩たちの走りを受け、絶対に負けられないと必死の走りで順位をキープ。

全員でつかんだ7位入賞のゴールでした。

またこの大会には今井玲那・福井悠妃・福井妃紗奈・坂井歩瞳・高宮さくらこの女子チームも出場し19位の成績を収めています。

中能登中学陸上部

長距離部員は夏にトラック競技、冬は駅伝を走ります。
キャプテンの快介くんはトラックでは800mで1分59秒、1500mで4分07秒の自己記録を持ち、6月の石川県中学校陸上大会では両種目とも優勝しました。

陸上部は「限界突破」をスローガンにそれぞれが目標を掲げ練習を行いますが、練習メニューは全員自分で決めるのが伝統です。快介くんはそれぞれが主体性を持つことで駅伝チームとしても積極的な練習になり、互いに支え合うことが出来ていると言います。

長距離の3年生、崇史くん、坂井栄寿くんと共にメンバーの好不調にも気を配り、一日一日、今日は何を為すべきかをサポートします。

今年度から顧問を務める新任の吉田優海(ゆう)先生も中能登中学校陸上部の出身で部員の先輩です。吉田顧問も同じく守山コーチの指導を受けていたので、生徒の気持ちもよくわかります。当時よりも選手主体で自立型の練習が確立されてきている中、コーチと部員の中間に立ち自分なりの役割を発揮して母校に恩返しをしていきたいと語ります。

毎年、七尾中学校とデッドヒートを繰り広げる中能登中学、切磋琢磨する両校の存在はいつしか北陸を代表する伝統校となり、地域の誇りとなっています



第69回 「輝け!郷土の星」陸上ハードルの三柳遥暉くん


ジュニアオリンピック第16回陸上競技大会U18で3位

10月、愛知県で開催されたジュニアオリンピック300mハードルで見事3位に輝いた遥暉くん。第77回を迎えた栃木国体でも4位入賞を果たしました。

小さい頃から走ることが好きだった遥暉くんは小学校5年生から父の影響で輪島のジュニアクラブへ通い、小6で県体優勝し全国大会へも出場しました。それで益々陸上が好きになり穴水中学では迷わず陸上部へ。

中2の時、100mジュニアオリンピックU16の標準記録11秒80にあと0.01秒届かず出場できませんでした。この時ほど悔しかった事はありません。中2の冬、能登ジュニアで試しに出場した400mで53秒台と思わぬ好記録が出て「あれ?!」ということになり400mに転向。中3の県大会で優勝、北信越で3位。このことが大きな自信につながります。

高校は陸上をやるために鵬学園に進学しました。高1の新人大会では48秒44と大会新記録で優勝、続く北信越新人大会でも優勝し周囲からも注目を浴びます。

怪我に泣く

自信に満ち溢れる遥暉くん、冬季練習に励んでいましたが春先に左足首を疲労骨折します。冬場に積み上げてきたものがリセットされての2年生。走り方も分からなくなり、何をしてもうまくいきません。

1年生の時の48秒44は全国でもトップクラス。この流れで2年生は全国で頑張れると思っていた矢先の怪我。その間に全国のライバルは記録を上げていき焦りが募ります。いざ走ると思うようにいかず、どれだけ練習してもタイムが伸びません。「何してるんだろう…」大スランプに陥りこの時ほど苦しく感じたことはありません。

自分の力でどうにもならないもどかしさ、しかし、「いつかボンと伸びる時が来る」と信じてひたすら耐えました。その悔しさが遥暉くんを大きく成長に導きます。

走れることに感謝

小学生から走ることが当たり前だった遥暉くん、走れることの有難さを知り、走れることに感謝の念をいだきます。その頃からスランプも脱し始め2年生の国体予選で初めてハードルに挑戦します。1か月間の練習ではハードルとハードルの間を制御できず散々でしたが、地力のある遥暉くんです。その後の県新人大会では大会新記録で優勝。そして今年3年生の県総体では400m2位、400mハードルで優勝。北信越大会では400mハードルに絞り見事に優勝しインターハイ出場、続くジュニアオリンピック、国体と入賞を果たしました。



遥暉くんが陸上を始めるきっかけを作ってくれた父、誠さんも高校時代には200mで石川県高校新記録を出しています。そんな父だからこそ2年生までは記録に対して厳しい評価でしたが、この秋「よーやったなぁ」と初めて労いの声をかけくれました。父に「認めてもらえた」嬉しさを胸に、大学に進学し400mハードルでインカレ優勝を目標にします。

部活動が学校からクラブチームへと移行する近年ですが、将来は体育の教師となり生徒に運動の楽しみを教え、運動への興味を持ってもらい、将来的にも健康維持につなげる指導を試みたいと遥暉くん。
これからも陸上を通じ逞しく成長していく姿が楽しみです。



第68回 「輝け!郷土の星」 弓道の加賀心和くん


第19回 全国中学生弓道大会 優勝

8月に愛知県体育館で開催された全国中学生弓道大会で石川県勢初の男子個人優勝を成し遂げた心和くん。予選で8本中5本以上を的に当てれば決勝戦へ進む。

例年の明治神宮弓道場から会場が変わり射場が屋内となった。雰囲気が異なりより緊張が高まる。28m先、36㎝の的、半数の矢を当てる事が難しい。44名中12名が決勝へ進んだ。心和くんは8本中7本だったが、8本中8本が一人、もう一人8本中7本の選手がいた。今年はかなりレベルが高い。

決勝は射詰(いづめ)で行われる。一射ずつ矢を放ち失中した者は除かれる。的中しても次の一射に残るだけだ。心を張りつめたまま出番を待つ。1本目が終わり五人残った。2本目、ふるいにかけられ三人になった。これで金銀銅が確定し少し安堵する。3本目が始まる。一人目が外す。二人目も外した。そして心和くんの番だ。

さっきまで確実に当ててきた二人が目の前で外す。 より緊張が高まる。ここで外せばまた同じメンバーで続けなければならない。そうなればメンタルが崩れる。早く当てたい。でもあせって外さないように…。更に緊張が高まった。姿勢を整え、弓を構える。ゆっくりと狙いを定め、矢が放たれた。 静かな空間にパン!と音が響く。 真ん中より少し上に的中。 優勝が決まった。

練習のたまもの

弓道は中1から始めた。部活を選ぶ時に陸上かバトミントンにしようと思っていたが、クラス担任の安部先生が弓道部の顧問だった。そして中能登中弓道部を永年指導している加賀賢成コーチが心和くんの祖父だということもあり、やはり「これしかないか!」と自分の意思で決めた。

1年生は体力づくりから始まり3年生が引退する夏から弓矢を持つことが出来る。試合では技術と精神力が勝負になる。そのためコーチはまず1本目を絶対に当てることを指導する。心和くんはコーチの指導を素直に受け止め練習した。それは長年やってきた人の言葉に重みを感じるからだと言う。

予選は1回に4射を2回行う。油断か緊張か、なぜか3射的中して4射目を外すことが多い。大会前は4射目を外さないことを意識し気迫の込もった練習を重ね、その成果が見事に大舞台で発揮された。



キャプテンとして

52名の弓道部。キャプテンとして思っていた事は「正射必中」弓道部のスローガンを忠実に実践することだったと言う。意味は「正しく射れば必ず当たる」という当たり前のことのようだが、その心は、「的に当てる事でなく、正しく射る事に集中する」弓道の心構えを示す。

的に当てたいとか、外したら恥ずかしいとかという気持ちを抑えて、自分と向き合い、精神を統一し、心が無になった時、自分と弓と的がひとつに結ばれていく。 矢を放っても姿勢を変えず的を見て心を残す。的中しなくとも、原因はすべて自分にあるのでまた自分を見つめていく。

キャプテンとして言葉に信憑性を持たせ後輩を指導するためにも、自らが実践し結果を出した。的を狙うことだけが目的ではなく、合わせて精神力を鍛える弓道。 

凛とした立ち姿で、一つ一つの所作をゆっくり静かに進め、不動の心で弓を引く心和くんである。


第67回 「輝け!郷土の星」競歩の山本乃愛さん


北信越高校総体優勝・全国インターハイ9位

石川県大会25分25秒優勝・北信越大会25分36秒優勝・全国インターハイ予選25分1秒、決勝24分36秒自己新記録で9位。乃愛さんの熱い夏が終わった。インターハイ8位入賞は成らなかったが決勝で自己ベストを出せた。
これが今の自分の力です、と笑顔の乃愛さんには悔いが無い。

陸上選手だった父の影響で5歳の時から中能登町のクラブチーム鹿島ACに顔を出していた。中能登中学では中距離選手として活躍していたが入賞経験は無かった。

鵬学園陸上部が駅伝チームを立ち上げ長距離に力を入れることを知る。料理を作ることが好きだったことと、高校までは陸上を続けたいとの思いが重なり鵬学園の調理科へ進学を決めた。

競歩に転向

陸上部に入部するも長距離同期は全国中学駅伝で準優勝した七尾中学からのメンバーで自分は一番遅かった。それでも一緒に都大路を走りたいと練習に励んだが、高1の夏にシンスプリットで足が痛くなり走れなくなった。

秋の新人戦には競歩に転向して臨んだ。28分15秒で6位入賞。 競歩、絶対に続けていこうと初めての入賞はモチベーションになった。冬場の練習、足が引きつり痛くなるが、練習に比例して記録が伸びるので嬉しさを感じる。

ただ辛い事は専門コーチがいないことだ。今日の自分の動きがどうだったのか客観的に評価してもらえない。足の動き、腕の振り方、自分で自分の良かった所を見つけて自分を鼓舞する。そんな中で輪島高校との練習や石川陸協の強化練習会の参加でコーチから技術面のみならず練習でのモチベーションの維持や、試合日にベストコンデションの合わせ方などメンタル面も指導を受ける。コーチから「フォームが良くなったね」との一言で、自分が伸びているんだと感じることができ嬉しかった。

高2の県大会では26分49秒で3位入賞。上位2人が3年生だったので来年はインターハイを目指せる。気を抜かず今まで以上に頑張らなくてはと思った。鵬陸上部で外部コーチを務める父からも「来年はインターハイで入賞するぞ!」と励まされ、インターハイに目標を定めた。 26分台では通用しないので、技術と速いペースで歩き続けられる力をつけるため練習を強化した。



将来の夢

精一杯の努力もしてきたし、自分で満足できる結果を残せたと思う。陸上はここで一区切りつけたいと思っている。

料理やお菓子は子供の頃から食べる事も作ることも大好きだった。中3のある日、パッと閃いた夢がある。『自分の店を持ちたい!』それ以来思い続けている夢だ。鵬で調理と陸上を頑張ろうと心に誓い、朝練習がある日は自分で弁当を二つ作って通学した。

次の目標は調理師免許と製菓衛生師の資格を取得することだ。競歩で培った精神で夢の実現に向けて再度、自分を鼓舞し頑張りたいと語る。

信念があり直向きな乃愛さんが輝いて見える。高校卒業は自分の人生を拓いていくスタートラインでもある。自分が本当にやりたい事ならばどんなハードルも超えられる。恩と感謝を忘れず、活き活きと人生を歩んでほしい。

 目標を立て、挑戦して、道を拓く。 なんと尊いことだろうか。


第66回 「輝け!郷土の星」ジュニアマイスターの高野航汰くん


ジュニアマイスター顕彰制度で日本新記録

ジュニアマイスターとは工業系の高校生が国家資格や技能検定試験にポイントを付けて、合格したポイントでランキングされる制度です。航汰くんは高校3年間で43種類の資格を取得。過去最高261点の新記録です。

また全国工業高等学校長協会の生徒表彰にも県内からただ一人選ばれました。

高1の時、危険物取扱者乙種1類から6類をすべて一発合格し、さらに甲種全種目も一発合格したことで、担任の岩城宏志先生がジュニアマイスター顕彰制度でランキングがあることを伝えました。

決意

ポジティブ思考の航汰くん、面白い!どうせやるなら日本一と決意します。資格をリストアップし願書締日を確認、受験のスケジュールを組み、自らテキストを購入し、自ら勉強し、自ら試験会場に向かいました。

陸上部でも活躍する航汰くん、部活動が終了する3年生後半には毎週受験。一週間で効率よく勉強をしなければなりません。そのために試験ごとの傾向を調べ、過去問をやるのか、全体的な知識を得るのか、まずは最初に勉強方針を決めました。この時期は勉強中に机で寝落ちしてしまう日々が続きベッドで寝たのは月に数回でした。

昨年12月には高校生では県内で初めて難関の国家資格、消防設備士甲種第5類に合格しました。



文武両道

後期生徒会長にも選出され、3年間皆勤賞の航汰くん。

県高校総体では400mハードルで4位入賞し北信越大会へ出場。部活と受験を両立させるため受験スケジュールを調整してきましたが、総体の一週間前に試験日が入った時は練習と勉強どちらを優先するか顧問の向田先生とぶつかりました。最後は先生やチームメイトの理解を得て支えてもらいました。

東雲高校陸上部の旗印は乾坤一擲(けんこんいってき)です。勝負に命運を掛け強い心で挑戦するポジティブ思考が、ジュニアマイスター日本一を目指すエネルギーになったと言います。

電子機械科の課題で取り組む小型カメラを取り付けた自動走行のマイコンカーにも熱が入り放課後も積極的に研究に取り組む航汰くん。毎年全国の工業系高校生の中から1名だけ選ばれる経済産業大臣賞にノミネートされています。

航汰くんには9歳と6歳年上の兄がいますが、兄二人も東雲高校陸上部で活躍していました。そんな兄を慕い小学生の時から陸上を始め、中能登中学から迷わず東雲高校に進みました。

今春、金沢工業大学電気電子工学科に進学する航汰くんの夢は、工業の教員になり母校東雲高校で教鞭をとることです。自分を三年間導いてくれた担任の岩城先生のように、生徒に工業の面白さを教え、母校からジュニアマイスターに挑戦する生徒を数多く育てたいと新たな志を立てました。

陸上とジュニアマイスターで大きく成長した航汰くんです。



第65回 「輝け!郷土の星」トランポリンの田山雄貴くん


北信越ジュニアトランポリン競技選手権大会中学生の部で優勝!!

結果が良くても悪くても、常に情熱を持って全力で取り組むことが大事だと思っています。
そう話してくれた田山雄貴くん。10月に開催された第13回石川オープントランポリン競技選手権大会の13歳・14歳でも優勝しました。

競技を始めたきっかけはトランポリン世界選手権大会の日本代表選手で、全日本トランポリン競技選手権優勝者の父健朗さんの存在です。4歳から父が指導する中能登ジュニアトランポリンクラブに姉と共に通いました。

しかし、小学校に入学する時、股関節の骨が壊死するペルテス病を発症。入院して2年間松葉杖や車椅子での療養が続き辛い思いをしました。小3で回復の見込みが立ち練習を再開しますが、健康であることの有難さを実感し、練習はひときわ熱が入ります。

父の血を引く雄貴くん、小4で能登地区トランポリン大会に優勝し現在5連覇中です。小6では石川県大会で優勝、そして全日本ジュニア選手権4位と着実に実力をつけてきました。

中能登ジュニアトランポリンクラブ

金丸体育館で午後6時から8時まで、準備運動を行いトランポリンの点検をしてから技の練習を行います。

競技は16秒から20秒間に異なる10種類の技を連続して行います。縦4m28㎝、横2m14㎝のトランポリンで、高く飛び、綺麗に、宙返りやひねりを行い、着地を決めます。

雄貴くんは6mまで上がり、2回宙返り1回半ひねりの高度な技に挑戦しています。回転がかかりすぎても、かからなくてもバランスが崩れ、時には床に落下することもあります。

普段は部分練習で一つの技の習得に専念しますが、試合が近づくと10種類の技を連続して行います。微妙な変化で自分のイメージ通りにならず、今まで出来ていたことが出来なくなることがあります。そんな時は精神的に辛くなりますが基本に戻って練習をします。

トランポリンは体力と集中力、そして強い精神力が求められます。クラブの代表でもあり指導者の健朗さんは技の鍛錬だけでなく心の鍛錬も重要視しています。何よりもまず、気が入らない練習をしている時などは厳しく注意し、何事も一生懸命やることの大切さを教えます。

練習で使うトランポリンはオリンピック仕様の本格的なもので子どもたちに少しでも良い環境で練習させたいとの思いで購入しました。クラブでは元体操選手だった母も低学年の指導をして父をサポートしています。



強い気持ち

毎日24時間、365日、トランポリンが頭から離れない。
心が折れそうな時、ライバルの演技を見て刺激を受け精神を立て直すという雄貴くん。

踏み込みが浅くバランスを崩し落下した夢を見た。そんな時は夢を練習に活かし踏み込みに注意して練習をする。

歴史上の人物からも学ぶ。徳川家康の耐え忍ぶ力が好きだ。シェイクスピアの名言、「成し遂げんとした志をただ1回の敗北によって捨ててはいけない!」 強い気持ちを持ち続ける事の大切さに共感する。

いずれは父を超えたい!ロサンゼルスの次のオリンピックで26歳になる。日本代表が目標だと力強い。 トランポリン王国石川に生まれ、恵まれた環境に育つ。 夢ではない!


第64回 「輝け!郷土の星」やり投の青木朋矢くん(鵬学園3年)


JOCジュニアオリンピック第15回U18陸上競技大会で優勝

1m65㎝、84㎏、がっちりした体格の朋矢くん。10月に愛媛県で開催されたジュニアオリンピック陸上競技大会で60.66mを投げ全国制覇を成し遂げた。
夏のインターハイでは62.24mを投げ6位入賞だったので、記録は満足できないが、それでも全国大会優勝の嬉しさは格別だ。

七尾市小学生連合運動会100m走で若林スポーツ奨励賞の記録を出し、七尾東部中学で陸上競技を始めた。中3で400mと砲丸投で石川県2位になっている。

陸上でもっと高みを目指したいと鵬学園に入学した。投てき種目は、やり、砲丸、円盤、ハンマーとあるが助走して投げるのはやり投だ。自分の持ち味である走りも活かせるのではと考え、やり投を専門種目に選んだ。

孤軍奮闘

今や強豪校の鵬学園陸上部、体力とメンタルは島元コーチが全部員の強化を図るが、やり投の技術を指導してくれるコーチがいなかった。

朋矢くんはユーチューブで公開されている練習方法や一流選手の動画を参考に練習メニューを考えた。投てき、助走、ウエイトなどトレーニングの種類、強度、量、頻度などを手探りで練習した。試合が終わると結果を振り返り練習方法を修正した。

手の角度のほんの少しの違いでヤリに影響が出る。どれだけ練習をしてもイメージしたヤリが出ないときには、動画を撮って、良かった時の動画と見比べ、学校でも家でも一日中やり投げの動作を繰り返した。

陸上は順位を競う競技であるが、記録として数字が出るので個人目標が設定しやすい。高校では65mを目標にして粘り強く練習に励んだが、常に自分との戦いでもあった。

落ち込んだ時に諦めたらそのまま落ちていくだけだったと言う朋矢くん。どんな時にも諦めずに一人コツコツと励んで手に入れた全国優勝だった。

伝統を創る

ゼロからのスタートで指導者がいなくても結果を出した朋矢くんの後ろ姿は、チームメイトに全力を出して取り組めば何でもやれることを示した。強くなれないのは良い指導者がいないからという愚痴はだれも言えなくなった。

先駆者となった朋矢くんは4人の後輩を指導する。やり投は全身を使って投げる競技で、足の向き、腕の高さ、ヤリの角度など自分の経験を教える先に思う事がある。それは鵬学園陸上部が伝統校となるための礎を後輩たちに繋ぎ託したいとの思いである。

昨年、走高跳で亀田実咲選手が全国大会優勝し、今年もやり投で全国大会優勝ができた。2本の柱が立ったが伝統校と言うにはまだまだ新参者である。来年も全国大会で入賞者を出して欲しいと後輩に期待する。

島元コーチは恵まれた体格でもなく、指導者がいない中、悩み、研究して、自分で技術を磨いてきたからこそ、試合ではぶれない強さがあると言う。

負けには負けた必然があるが、勝ちには偶然勝利することがある。インターハイは62mと自己ベストで嬉しかったが6位だった。今回60mで記録は伸びなかったが意義ある全国優勝をした。

朋矢くんの不断の努力が運を引き寄せたのだ。



第63回 「輝け!郷土の星」英語スピーチの酒本諒矢くん(七尾高校1年)


第16回石川県高文連英語スピーチコンテストで1位

8月22日に開催された県内高校1年生の英語スピーチ大会。過去15回大会までの常勝は金沢地区の高校で七尾高校は4位入賞が1回。そんな大会で見事に1位に輝いた諒矢くん。

県内から24名が参加、3分間から5分間の持ち時間でスピーチする。単に英語で上手に話すだけでは入賞は出来ない。テーマ、文脈、表現力、発音、メッセージ力、全てが評価される。
みんな上手だ、なんとか入賞できればと思っていたが、思いもよらず1位になり嬉しかった。

コンテストを通して人に自分が心から思っている意見を英語で伝える楽しさが身に染みてわかったと言う。

ジェンダー

宝達中学から七尾高校文系フロンティアコースに進学。
空手と柔道が初段の諒矢くん、部活動を選ぶ時に武道を極めようか、外国語研究部にするか迷ったが、新たな発見をしたいと外国語研究部に決めた。

英語は小4から中3まで公文式で習っていたので下地はあった。中学生の時はALT(生きた英語を教える外国人助手)の先生に積極的に話しかけ会話を楽しんでいた。

そんな諒矢くんが選んだテーマはジェンダー(性的平等)だ。学校の特別授業でSDGs(エス・ディー・ジーズ/持続可能な開発目標)について調べた時、ジェンダー平等の現実があることを知った。
クラスで金沢大学の教授から性的平等について深堀りした内容を聞いた。
ジェンダー、言葉としては知っていたが、中身は過酷だった。この事実を英語で伝えたいと思った。

伝える喜び

日本語で要約した文章を作る。英語に置き換え自分なりにチェックをした上で、4人の英語の先生に添削してもらい表現をブラッシュアップさせた。

暗記だけでは単語を並べただけのスピーチでしかない。これでは伝わらない。
自分の心底の思いを伝えるため夏休み中も登校し、毎日一時間、スピーチを先生に聞いてもらった。
隙間時間が出来ればスピーチし、数えきれない程の練習を重ねた。

先生から身振り手振りを加え体全体で表現するようアドバイスを受ける。
お風呂でも鏡を見ながら自分を客観的に見て練習を繰り返した。
そうして取り組んでいったら、自分自身が自分のスピーチに対して気持ちが乗るという感覚を掴んだ。
感情を伝えるための身振り手振りが文脈にセットされると、身振り手振りの後追いで文章がスラスラついてくるのだと言う。頭で言葉や単語を思い出すのでなく、頭より先に自然と言葉が出てくる域に達したのだった。

大会での5分間、性的平等とは何か?女性の社会への躍進や地位を守るという意味合いで使われているが、世界では貧困国ほど凄まじい格差がある。解決するのは私たち世代でもあるが、そもそも何かしらこういう事実があるという事を、何があっても皆さんに知ってほしい!と訴えた。情熱と熱意が全身から溢れ出した気迫あるスピーチだった。

真面目で、負けず嫌いで、努力家の諒矢くん。
次のスピーチに向け更なるレベルアップを目指し、新たなチャレンジが始まる。 Have fun!



第62回 「輝け!郷土の星」なぎなたの 袋井 莉子さん (鵬学園3年)


石川県高校総体「なぎなた」で個人優勝!インターハイ出場!

新しい事にチャレンジしたい!
部活紹介で見た先輩の袴姿がかっこよく、入部を決意した莉子さん。
最初は「本当に出来るかなぁー」と不安もあったが、やってみると意外と楽しく、
早く先輩のように活躍したいと稽古に励みました。

1年生春の総体、秋の新人戦は共に1回戦敗退。
2年生ではコロナ禍で正式大会がなく代替試合で初めて勝利します。
しかし遠征ができず、試合もないので成長の手ごたえがつかめません。
そんな1年間、自他ともに認める負けず嫌いの莉子さんは、
「先輩のように強くなりたい」「絶対に負けたくない」と黙々と稽古を積んできました。

そして今年6月の石川県高校総体で見事に結果を出し、団体戦準優勝、
試合競技で優勝、演技競技で準優勝。三種目でインターハイ出場を決めました。

堅忍不抜

日本古来の武道である薙刀ですが、平成9年から「なぎなた」として高校総体の正式種目になりました。
試合競技では2m20㎝のなぎなたを構え、間合いを取り、切っ先を合わせ一瞬にして、面、小手、胴、臑(すね)を打ち合います。

演技競技は2人1組で技である「しかけ、応じ」の型を披露し2人の息の合い方、正確性を競います。
今年の鵬学園は層が厚く、莉子さんと共に試合競技で島悠華さんが準優勝、豆田愛奈さんが3位と上位を独占しました。
演技競技でも佐伯知咲・袋井莉子組が準優勝、山本留衣・川尻チハル組が3位入賞です。

過去インターハイ個人準優勝者2名を出しているなぎなた部。
指導は顧問の田中千秋先生を始め、東部中なぎなた部で顧問をしていた山崎登志美先生の胸も借ります。
2人は平成3年石川国体で県代表選手として団体優勝しています。

また社会人になった先輩も稽古に顔を出してくれ環境に恵まれています。
毎日3時間程の稽古を通して、人としての道、礼儀礼節も躾けられます。
卒業生は身に付いた礼儀や気配りが社会の中で自然に出来ていることを実感するといい、田中先生は学校生活もキリッとしてきて、人生の財産を培っていると話します。

そして鵬のなぎなた部は頑張れば全国の舞台に立つことができるので、人の出来ない経験をさせてあげたい。
そのために部訓の「堅忍不抜」、苦しい時も心を強く持て!と指導します。


主将として

莉子さんは先頭に立って全国で勝ち上がる目標を掲げ、何事も率先垂範で行動します。
時に強く、厳しい物言いもしますが、「勝ち上がった喜びを分かち合いたい!」という
莉子さんの思いを、全員が受け止めているのでチームは団結しています。

莉子さんは絶対に負けたくないという気概で、足の親指の爪が剥がれても絆創膏を巻いて稽古を続けます。
そんな姿に田中先生も莉子さんのリーダシップを高く評価し、チームに欠かせない存在だと認めます。

この夏のインターハイでは、個人戦予選リーグを突破し、べスト16という結果を残しました。

莉子さんの将来の夢は保育士です。子供が好きなこともありますが、誰かの役に立ちたいと志を立てたのです。

なぎなたで鍛えた堅忍不抜の精神で更なる飛躍を期待します。


第61回 「輝け!郷土の星」陸上の 井上 朋哉くん(中能登中学3年)


石川県中学校陸上競技大会1500m・3000mで大会新記録

2021年6月、石川県陸上競技場で開催された中学校陸上競技大会で1500m4分4秒53、
3000m8分47秒15と2種目を大会新記録で優勝し、全中標準記録を突破した朋哉くん。

駅伝で名門の中能登中学校陸上長距離部のキャプテンだ。
小学4年生の時、友達に誘われ鹿島アスリートクラブで走る楽しさを知る。

中学に入学し迷わず陸上部へ。すぐ頭角を現し1年生ながら駅伝メンバーに抜擢され3区を走る。
その年、中能登中学は県大会で優勝、全国大会に出場。
2年生の昨年はコロナ禍で各大会が中止される中、県中学通信陸上大会で3000m9分07秒で優勝し、
着実に実力をつけてきた。

中能登中学陸上長距離部

長距離部13名、指導は守山コーチ。
平日は各自が作った練習メニューでグランドを8kmから10km走る。
日曜祝日は七尾陸上競技場に出向きレース感覚をイメージし練習する。

1年生は先輩やコーチから練習メニューの指導を受けるが、2年生からは自分でメニューを考える。
自分で考えるから手を抜くことも出来るが、手を抜けば手を抜いた分だけ記録が伸びない。
自覚しているので、手を抜く部員は一人もいない。
上位6人だけが駅伝に出場できる、部員は仲間でもありライバルなのだ。守

山コーチは細かな事は言わないが、フォームの指導を徹底する。
練習では走り方を見て腕の上げ方など細やかな指導が入る。
試合でよかったところは評価し、次に繋ぐ。任せて任さずの指導方針に、部員のモチベーションは高い。

朋哉くんもキャプテンとして、準備体操では大きな声で皆をリードし、1年生への助言は
守山流を見習い、良かったところは「良かったね」と評価し、気づいたことは声掛けをする。


全日本中学校陸上競技選手権大会

記録が伸びず辛い時期もあった。
いつか必ず出せると諦めずに頑張っていたが昨年は大会が無かった。
中学生最後の今年、大会があることが嬉しい。だからこそ一つでも記録を残しておきたいと決意する。

8月に茨木県で開催される全中陸上、1500mと3000mの出場権を手に入れた朋哉くんだが、
結果を出すために得意とする3000m一本に絞ってエントリーすることにした。

目標を聞くと、すかさず「優勝を狙います!」と力強く答えてくれた。
それでも全国トップクラスとはまだ15秒ほどの差がある。
大丈夫なのか…?その差は、と問い直す。
「今から頑張って記録を伸ばします!」その自信に満ちた言葉に少し驚き、そして頼もしく感じ、
朋哉くんなら本当にやれるのではないかと思った。

秋の駅伝、来春の高校進学、やらなければならないことが続く。
しかし、今は全中陸上のことだけ考え集中する。家族の応援も有難く思う。
父はベストが出せなくても、その時出せる力を出してくれば良いと言い、
母は栄養面を考えた食事を作ってくれる。
親として期待はしているが、過干渉にならず、プレッシャーを感じないように配慮している。

良き指導者と家庭環境に恵まれた朋哉くん。
将来の事はまだ何も考えていないが、陸上に打ち込んだことで、
何事も自分で自分の限界を作らないことを学んだ。

限界突破を信条として、今を精一杯頑張っている。


第60回 「輝け!郷土の星」天文観測の 荒邦 早紀さん、小倉 千愛さん (七尾高校3年)


グローバルサイエンティストアワード「夢の翼」で優秀賞!

七尾高校SSC(スーパー・サイエンス・クラブ)天文班が昨年11月に
鹿児島県で開催された国際科学コンテストで見事、優秀賞に輝きました。

このコンテストは物理・化学・生物・地学・数学などの分野で「気になる点」や
「面白そうだ」と感じたことを、調べ研究してきた成果を発表するもので、
世界で活躍する科学者の卵たちを応援する大会です。

天文部の5名が部長の早紀さん中心に「日中における天体観測の可能性」をテーマに
した研究成果を発表しました。
天体観測とは星そのものを観測することですが、星は夜に見えるもの。

そんなある日、日中の月を観測していたら、偶然にも星が見え驚いた早紀さん。
お昼でも見える星があるんだ! 不思議だなぁ、見える星と見えない星。
この差は何なんだ? 早紀さんの疑問から始まった研究だったが、高校の天文部として
日中でも観測出来れば活動の幅が広がり、さらには天文部のある全国の高校と観測結果を共有し、
解析できれば面白いのではと部員の思いが募っていった。

日中の天体観測

雲がある空を見上げ着目したのは、星の明るさ(等級)と太陽との離隔だった。
明るくても太陽の近くの星は見えにくい。
どの星が見え、どの星が見えないのか出来るだけ多くの事象を得ることにした。

1年生の時の顧問だった福岡先生(七高OB・現在二水高校教頭)に連絡してアドバイスをもらった。
望遠鏡制御ソフトを使いCCDカメラの映像をコンピュータの画面で確認しながら、
シャッター速度を変化させて撮影を行い、もっとも見えやすい条件を探った。

また望遠鏡のフードを長くすることで、大気中の散乱光の影響を減少させられないかと
対物レンズ側に筒状にした黒画用紙を接続し、フードの長さを変化させ画像の鮮明度を探った。

ディスプレイ上に肉眼で確認できた68の天体について、それぞれの等級と太陽との離隔のグラフを作成。
その結果、離隔40度以上で4等級より明るい天体が昼に観測出来る事が分かった。

顧問の中村先生が論文作成を指導し、一連の研究成果をまとめ上げた。
調べてみると「昼の天体が見えるか」についての論文は過去に無かった。



星を見る

小学生の時から星を見ることが好きだった早紀さん。
星の成り立ちに興味を持つようになり、羽咋中学から天文部のある七尾高校に進学を決めた。

星を見ていると自分がすごく小さく思えるという。悩み事があると星を見る。
壮大な宇宙の中のチッポケな自分。小さなことに捉われている自分に気づく。

羽咋小からの同級生で同期の千愛(ちえ)さんは部長を支える良きパートナーだ。
小さい時から気心が知れた二人が協力し後輩をリードした。

天体ドームでの体験は日常と違う世界が広がりパラレルワールドのよう。
夜しか見えない星、昼は光り輝かないけれど、でも星はずっとそこにある。 と話す千愛さん。

日々の忙しさの中で、本当は有るものを無いと思い、無いものを有ると思って、彷徨って生きていないだろうか。
天体観測する郷土の星、真理を探究しているように見えた。



第59回 「輝け!郷土の星」陸上の 野崎 健太朗くん (七尾中学3年)


1500mジュニアオリンピック出場・石川県中学校駅伝優勝!

第81回石川県陸上選手権1500m、4分6秒46の記録を出しジュニアオリンピックに出場した健太朗くん。約7万人を収容する国内最大級の日産スタジアムに全国から集った42名と競った。予選を4分5秒93で通過。決勝戦、163㎝、49㎏の体格は16名の中では小柄だ。

スタート! 一斉に飛び出す。さすがにレベルが高く1000m付近で最下位に落ちる。負けられない! 渾身の力で5人を抜いた。自己ベストの4分4秒15で11位だった。

小さい時から走ることが大好きで、小3の時に七尾市陸上大会100mで石崎小の同級生に負けたことが悔しくて城山アスリートクラブへ通い始める。小6で走り幅跳び県2位、1000mも県新記録で優勝。七尾中学校に入学すると迷わず陸上部へ入部。走り幅跳びをしたかったが、山口監督と出会いで長距離が面白くなった。中1で4分14秒、中2で4分9秒と順調に記録を伸ばしたが、腰を疲労骨折するアクシデントに見舞われる。勝つことだけを意識し、タイムにこだわり、限界まで追い込んで練習をしていたのだった。

そんな時、都道府県駅伝の石川県代表に選ばれ2区3kmを任された。石川チームの合宿で旭化成の山本修二選手に練習を続けていくために何が大切か質問したところ、「深く考えないで中学生の時はもっと楽しんだらいいよ」とアドバイスを受けた。

中3、コロナ禍で大会の中止が相次ぎ、初のレースが石川県選手権。 走れる喜びを噛みしめ、とにかく楽しもうと走ったら結果が付いてきた。

石川県中学校駅伝大会

令和2年度の駅伝大会、優勝は男女共に七尾中学、準優勝は中能登中学だった。

レースは1区白井新大が46校中5位でタスキを渡す、豊島楓也が区間記録2位のタイムで順位を2位に上げる。3区新野琉壱も区間2位、4区川上宇宙は区間3位で野崎健太朗へ。 この時トップとの差は1分19秒。健太朗、区間1位で走り35秒差まで詰めるも順位は2位のままだ。

前回大会優勝の中能登中学もさすがに強く1区酒井崇史が3位、2区井上朋哉、3区伊駒快介、4区岡本碧斗がそれぞれ区間1位で走り独走している。5区吉田光希も区間2位でトップをキープ。勝負は最終6区だ。七尾は津田万里、中能登は島田凌。ゴールまでもつれたが津田が区間1位の走りを見せ1秒差で接戦を制した。前回大会は3秒差で中能登中学に負けている。今度は負けられない!と練習に励んだ七尾中学だった。

駅伝は団体競技なので心が一つにならないと記録がでない。 気持ちを合わせるため練習内容や、気になった事、良くない所を毎週全員で話し合った。駅伝にミーティングを入れたらとアドバイスをしたのは田鶴浜中学から長野県の佐久長聖高校に進み全国高校駅伝でアンカーを走り優勝し、現在も城西大学駅伝部で活躍する、山本嵐選手だ。

山口監督に大きな大会に連れていかれ、色々な人たちと話す機会が増えた。OBに支えられ、家族中に応援してもらい、一人ではここまで来れないと改めて気づき感謝する。将来は山本嵐先輩のように都大路で優勝し、大学では箱根も走りたいと思う。

しかし、それも通過点であり社会人になったらオリンピックが目標だと言い切る健太朗くん。気迫が漲る! やるからには負けられない!




第57回 「輝け!郷土の星」100mハードルの 星場 麗羽さん (鵬学園2年)


第62回(令和2年9月)石川県高等学校新人陸上で優勝

100mH(ハードル)14秒07、大会タイ記録で優勝した麗羽(うるは)さん。400mHも制し2冠に輝いた。小4で陸上を始め6年生の時80mHで石川県2位になった。中3で全日本中学陸上選手権に出場。陸上を続けるために鵬学園に進学した。

陸上を始める動機は明確だった。両親が陸上選手だった。二人の姉も遊学館高校で駅伝部と陸上部に所属。航空石川で2018年春の甲子園選抜メンバーの兄も小学生の時にハードルで全国大会に出場しているスポーツ一家なのだ。

そんな家族の影響を受けてきた麗羽さんだが高校進学時に陸上を続けるか迷った。それは中三の北信越大会、全国大会で記録が伸びず限界を感じ迷いが生じたからだ。しかし、やっぱりあきらめたくないと鵬学園に決めた。

昨年の北信越新人大会で6位入賞。そして今回の記録は全国ランキング10位と実力をつけてきた。

鵬学園陸上部

今年の鵬は凄い。先の県新人大会での優勝は、男子400mの三柳と砲丸投げの青木、女子は100mの蔵谷、400mの宮川、3000mの示野、そして100mHと400mHの星場、400mリレーも優勝し、トラック優勝、総合でも星稜に次いで2位と大健闘だ。

優勝は逃したものの3種目で2位、2種目で3位、その他入賞者は12名。いつの間にか強豪校になっていた。 秘訣を島元コーチに尋ねると、どこの強豪校でも共通する特徴は後輩が先輩を真似る事だと言う。そんな縦の流れがちょっと出てきたことと、部活動だけでなく、私生活を含め学校生活をしっかりすることが大切だと言う。

先の全日本陸上選手権走高跳で4位入賞を果たした3年生の亀田実咲さんにも聞くと、どの種目も志を持った実力ある部員が揃ってきたので練習でも本番並みの競争心で切磋琢磨していると言い、麗羽さんも、男女関係なく仲が良いので気づいたことはお互いに注意したりアドバイスしたりすることが出来ていると言う。

個人競技の陸上だが、礼儀礼節を重んじ、やる気、本気度の高い素直な部員が揃うとチーム競技のような一体感が現れるのだ。



コロナ禍の中で

コロナの影響で部活動が活動禁止になった。自主練習するにしても競技場も使用禁止になった。この時期にどんな練習が出来るのか。100mHは滞空時間短縮の技術を磨くこと、400mHは後半の体力維持が課題だった。同じハードルでも走る感覚が全然違う。

練習できない不安を打ち消そうと自宅でも自主練習を続けた。父がパイプを使って作った練習用のハードルを家の前に並べ反復練習で動きを確認した。母はバランスの良い食事を考えてくれジョキングにも付き添ってくれた。

中学時代は同じ練習メニューの繰り返しだったが、今は島元コーチの指導で個別メニューであっても、毎日着眼点を変えて質の高い練習を意識するようになった。記録を出すための節制と練習は辛いが我慢も大事だと心得る。

両親、先生、陸上部の仲間、恵まれた環境に感謝し、来年のインターハイで上位入賞を目指す。



第56回 「輝け!郷土の星」硬式野球の竹内駿介くん(能登香島中学3年)


第48回日本リトルシニア日本選手権大会出場

リトルシニア、中学生の硬式野球チームで全国に550チームある。2万人を超える選手が所属し、甲子園出場はもちろん松坂大輔や大谷翔平など多くのプロ選手を輩出している。駿介くんが所属するのは金沢リトルシニアだ。

7月の東海大会で16年ぶりの優勝に輝き全国大会へ出場を決めたが、5試合のうち4試合が1点差でつかんだ勝利だった。その立役者が投打で活躍したエースで3番バッターの駿介くんだ。
172㎝、80㎏の体格から投げる速球は137kmを測定している。

メジャーリーグを目指す

小2から軟式野球を始めた。石崎メッツ(現石崎ヤンキース)に入り、小6の時には七尾市の大会すべてに優勝、県大会もベスト4だった。小5の時から将来の夢はメジャーリーグと決めていた。一歩でもプロに近づきたいと6年生最後の試合を終えたその日に、かぶとやスポーツで硬式ボールを買った。

中学に進学、プロを目指す覚悟で金沢リトルシニアへ入団。練習は土日祝、朝から夕方まで厳しい練習が続く。金沢の球場までの送迎は両親、祖父母が担う。

チームの坂上大介監督は星稜高校出身で星稜高校の林監督とは同級生。県内でも練習は厳しいと評判のチームだ。 部員数は25名と少数だが、本当に強くなりたいと想いを共にする仲間たちだ。 駿介くんに触発された1学年下の弟、双子の大介くんと謙介くんもチームに加わった。

平日は父が作ってくれたバッティング練習場で自主トレを行い、学童野球の石崎ヤンキースへ出向き小学生の指導もする。目指すはオリックスのエース山岡泰輔選手だ。ピンチで動じることなく小柄ながらグッとくるストレート、縦スライダーで打者を翻弄する姿がかっこいいと憧れる。


初志貫徹

志ある球児は甲子園を目指し、次にプロ野球を目指す。そしてアメリカのメジャーリーグへと思いが巡るだろう。

駿介くんは最初から日本より世界で活躍したいと思ったと言う。何となく始めた学童野球だったが、何かが宿ったのかもしれない。だから厳しい練習でも野球が出来る事が楽しくてしょうがない。

気が優しくて繊細な一面もあり、試合では応援に応えなければとプレッシャーがかかる。が、最高のパフォーマンスを発揮できれば御の字だ。何があっても命まで取られないから大丈夫と、プレッシャーまでも楽しみに変えてしまう精神力だ。

いかなる状況においても常にポジティブに立ち向かい、苦労が大きいほど喜びも大きく、その瞬間を生きていることを実感すると言う。中学生離れした精神とパワーを備えた駿介くんに驚かされ、そして期待が膨らむ。
初志貫徹!メジャーリーグを目指して頑張ってもらいたい。



第54回 「輝け!郷土の星」ミニバスケットの 岩下 大翔くん (中島小6年)


第27回石川県ミニバスケットボール選抜大会優勝

今年は県内でも地元七尾の3チーム、中島男子ミニバスクラブ、田鶴浜ヒート、七尾ブルドックの下馬評が高く、どのチームが優勝してもおかしくない状況の中、トーナメントの組み合わせで地元勢が片寄ってしまい試合が始まります。

中島男子ミニバスクラブの1回戦は田鶴浜ヒート、35対28で勝利します。
2回戦は七尾ブルドックに35対31と接戦を制し、
決勝戦では千代野に39対34で競り勝ち見事に優勝を果たしました。

キャプテンの大翔くんは小学1年生からミニバスを始めました。低学年の時は楽しく面白いと思っていましたが、学年が上がるにつれだんだんと練習が厳しくなります。そしてキャプテンに選ばれると、一番の怒られ役となり辛いと感じる事もありましたが、全国大会出場を目標にリーダーとして全体を引っ張ってきました。

大会では仲間を信じていたので自信があったと言います。努力の甲斐あって県体優勝し全国大会出場を決めましたが、新型コロナウイルスの影響で東京代々木体育館での大会が中止となりました。

大翔くんは残念ですがこんなことはめったにないことなので、特別な年であったということを記憶に留めて中学でも頑張っていくと前向きに話してくれました。

中島男子ミニバスケットボールクラブ

中島町は中学、高校、一般と伝統を誇ってきたバスケットボールの地です。そこにミニバスが発足したのは47年前、現在は宮本一正監督ほか10名のコーチ陣が男子30名、女子21名を指導します。

月水金は中島体育館で午後6時半から8時半まで練習し、土日は練習試合や各種大会に参加します。保護者も練習の送り迎え、試合でのドリンク準備など裏方で支え、冬はインフルエンザ、夏は熱中症対策などに配慮します。また遠征や大会に出かけるときは交通事故のリスクを減らすため現在は各自で現地に向かいます。

宮本監督は少子化が進む田舎の小さな学校ではスポーツで結果を出す事が難しいが、だからこそ「やれば出来る」ということを子供たちに教えたいと言います。そのために自らもルールが変更した時などはいち早く勉強します。そして苦しくても最後まで諦めない底力をつけるため、子供たちには保護者の前であっても厳しい熱血指導を行います。
これは、監督、コーチ、保護者、子供たちが互いに信頼し結束している証です。



キャプテンとして

中島ミニバスクラブのキャプテンは投票で決まります。164cm、42kgの大翔くん、フォワード、センター、ガードのポジションで活躍し、学校でも常に積極的なことから、人望を集めキャプテンに選ばれました。

選ばれるとリーダーとして監督、コーチから期待され、より厳しい指導が入ります。自分がどんなに辛い時でもみんなを助けてあげなければと、副キャプテンの加賀喜智くんと共に積極的に声掛けをしてチームを盛り上げます。

将来はプロ選手として活躍したいと目標を持つ大翔くんは、バスケットボールを通じ、男として逞しく成長していく、そんなオーラがすでに漂っている頼もしい少年でした。



次も頑張るぞぉ〜!!